32話「ステルスアタック」
「ボクが黒、グリージョが白、グラナータが赤か……十六人制で残りはNPCでいいよね?」
アルジェントの問いに二人はうなずく。
「それでいいだろ」
「どうせ一緒にやるなら強い人がいいけど、強いプレイヤーが来るかどうかは運任せだものね」
グラナータの発言も立派な上級者プレイヤーのもので、陸斗も共感できる。
彼がアルジェントやグラナータと親しい付き合いが続いているのはもちろん気が合うというのもあるが、第一にこの二人が強いからだった。
顔も名前も素性も知らないネット上の友達となると、よほど意気投合しないかぎり実力差が大きい人と仲良くし続けるのは難しい。
「ほんとだよね」
この中で最もその傾向が強いアルジェントは当然彼らに相槌を打つ。
アルジェントの操作によって十三人のNPCが追加され、レース準備がおこなわれる。
砂漠は陸斗にとって懐かしいステージだ。
今年のロペス記念のグループステージを通過したところだから悪いイメージはないのだが、決勝ステージもついつい一緒に思い出してしまう。
このあたりメンタルコントロールというものの難しいところであった。
「アーユーレディ?」
機械の音声が彼らに呼びかける。
これによって陸斗の意識は素早く戦闘モードへ切り替わった。
信号機のランプの三つめがともった時、全てのマシンは一斉にスタートする。
最初に先頭に立ったのはアルジェントで、見事なスタートダッシュだった。
その左からマシン半分程度の差でグラナータが続く。
今回二人はどちらも最前列だったのである。
一方の陸斗は最後尾スタートだった影響もあって十二位というところだ。
彼が本気になったところでスタートだけで差を一気に縮めるのは不可能に近い。
たとえモーガン、マテウスといった強豪選手でも同じだろう。
バトルサーキットというゲームにおいて、スタートはあくまでも出遅れないための技術なのだ。
(さてグラナータはどんなプレイスタイルなのかな?)
陸斗は興味を持って前を観察する。
アルジェントの実力やスタイルは先ほど一緒にプレイしたことで、積極的に前に出ていくスタイルだと分かっていた。
グラナータは温和で控えめな性格ではあるものの、ベルーアブックを思い出すかぎり攻撃的なスタイルを好んでもおかしくはない。
最初のコーナーでアルジェントがぐいぐいいくのに対してグラナータはその後をついていく形になる。
(うん? これって……)
この段階で陸斗はひっかかるものを感じた。
今回のレースではロペス記念の時のような妨害はない。
純粋にテクニックと駆け引きで勝敗は決まると言ってよいだろう。
だから戦い方は違うものになるはずだし、彼もそうするつもりでいる。
しかし、グラナータの戦い方はまるで妨害ありのレースのようだった。
これは彼が直感したものであり具体的な根拠はない。
あくまでも何となくだから無視してもよいだろう。
それでも彼は無視しない方がいいような気分になる。
(いや、何を考えているんだ、俺は……)
ゲームのプレイ中にそれとは関係ないような、理屈を無視した感覚にとらわれるとは本人も不思議だ。
だが、彼は思考を切り替えることは決して不得意ではない。
ひとますレースに集中しなおす。
一周めが終わるころには三位の陸斗と四位の差は十秒以上ついていて、このレースはプレイヤーの三人ともが予期していた通り、プレイヤーたち三人の戦いになった。
一周め二周めともにアルジェントがトップで通過していったが、グラナータはマシン半分から一台分程度の差をずっとキープしている。
先頭を走り続けているのにも関わらずどこか走りにくそうにしているように見えるのは、きっと陸斗の気のせいではないだろう。
(あれだけ背後につかず離れず走られると、嫌だもんなぁ)
陸斗は国内の通常レースではやられるケースが多く、WeSAツアーだとやる側に回ることが多い。
最小限の差で粘って最終周で抜いて勝つというのは、強敵がいるレースでは有益な戦術のひとつなのである。
(ただ、妨害なしだと有効とはかぎらない……だからかな?)
彼はグラナータの戦術にひっかかるものを感じた理由をそう考えた。
最後の周になるとアルジェントとグラナータの間に散る見えない火花が激しくなる。
ただ、それと連動するようにタイムがあまり伸びなくなってきた。
一周めのタイムは五分四十八秒、二周めは十一分四十九秒である。
さすがのアルジェントたちも十分以上プレイに集中し続けるのは簡単ではないのだろう。
プレイヤーがいつどこでどのように動くのかプログラミングされた敵とは違い、プレイヤー同士のバトルは読みあいも大切だ。
実力が伯仲しているとわずかな差が致命傷につながるため、余計に精神を削りあうことになる。
それがタイムにも影響してきているのだろう。
(このままいけば最後の差しあいで十分勝てるな)
二人にかぎって陸斗のことを失念しているということはないだろうが、両者とも彼の動向に注意している場合ではなくなっている可能性は高そうだ。
陸斗とグラナータの差はせいぜいマシン一台半分というところであり、カーブを二回も曲がればアルジェントごと抜きされるだろう。
それをしていいのかと彼はかすかな迷いを胸に抱えたまま、レースは終盤に突入する。
アルジェントはグイグイ前に行こういう姿勢、グラナータはそれに離されず粘るというスタンスを維持していた。
その間に陸斗はグラナータとの差を数メートルほど縮める。
カーブひとつにつきじわりと詰めていき、二人が気づいた時には追いついているという計算だ。
(勝負は最終コーナーだな)
妨害がない以上、最終カーブをすぎれば自力では抜き返せず相手のミス待ちになる。
つまり陸斗の勝ちは確定するということだ。
最後のタイトコーナーに前二名が入り、彼がそれに続くとグラナータが見事なドリフトテクニックでアルジェントのマシンを外からかわして前に出る。
「!!!」
それを見た陸斗は思わず衝撃で心臓が止まりそうになった。
テクニック自体は問題ではない。
勝負を仕かけるタイミングとコーナーリングが、ロペス記念のグループステージ一周めで彼が見せたパフォーマンスと瓜二つだったのだ。
(俺でももう一回できるか分からないプレイなのに……)
どれほど練習に時間をついやして再現できるようになったのだろうか。
グラナータがミノダトオルという選手のファンだということがはっきりと伝わってくるようなプレイだった。
アルジェントは何とか挽回したそうにしていたが、先述の通りこの段階ではもう抜き返すのはグラナータのミスを待つしかない。
グラナータはミスすることなく十七分五十秒一三というタイムで優勝し、アルジェントが二位で終わる。
陸斗は何とか衝撃から立ちなおって大きなミスは出さなかったものの、結局アルジェントも抜けずに三位でゴールした。
決着がついても全てのマシンがゴールするまでおりることはできない。
エンジンを切らなくても別にかまわなくても自分の手で切るのが陸斗の習慣のようなものだった。
自分が乗っているマシンのエンジン音が聞こえなくなると、戦いの終わりを実感して奇妙な寂しさを覚える。
(俺だけが抱く感傷かもしれないが……)
彼はそう思った後ハンドルに額をヘルメット越しに当てて、もう一度グラナータのプレイを振り返った。
何度考えてもあれはミノダトオルのコーナーリングだとしか思えない。
(でもまさかそんなこと聞けないしな……)
気づかなかったふりをしようと決める。
その間にもNPCが操作するマシンが順番にゴールしていく。
十六位がゴールするとプレイヤーたち三人はそれぞれのマシンから降りる。
誰か何か言ったわけではないのに自然とグラナータのところに他二人が寄っていった。
「おめでとう、負けたよ」
「ボクの負けだね。おめでとう」
陸斗が笑顔で祝福したのに対して、アルジェントは悔しさを隠しきれず視線を下に向けながら発言する。
裏表がないところがこのプレイヤーの好ましいところだと彼は思う。
数秒ほど悔しいオーラを発していたアルジェントは、やがて気をとりなしたように視線を勝者に向けて小首をかしげた。
「でも、今のプレイ、誰かに似てない? ボクはずっと前にいたから間違っているかもしれないけど」
この言葉にぎくりとしたのは陸斗で、グラナータはうれしそうに口元をゆるめて肯定する。
「ええ、ミノダ・トオル選手がロペス記念でやったあのプレイよ。頑張って練習していたの」
「ああ。あれか」
アルジェントは疑問が氷解したと言わんばかりにうなずいた。
「上手いこと周囲の隙をついただけって感じだったけど、実際やられてみるとかなりすごいプレイなんだね。抜かれるまで気づかなかったよ」
「そうなのよ!」
グラナータは火がついたようにまくしたてる。
「実際練習して対人戦で試してみたんだけど、みんなやられるまで気づかなかったっていうのよ。プレイヤーの意識をたくみにかいくぐって繰り出す必殺の一撃なのよ!」
「あ、うん……」
アルジェントと陸斗はその勢いにすっかり鼻白んでしまう。
「名づけてステルスアタックね。広まらないかしら、ステルスアタック」
それだけはどうか勘弁してください。
陸斗としては懇願したくて仕方ない気分だったが、かろうじて自制する。
(これはある種の羞恥プレイというか、拷問みたいなんだが……)
心身がかゆくて死にそうになるという現象があるとすれば、今まさに彼が体験していることだ。
しかし、抗議するわけにもいかないためじっと耐えるしかない。
グラナータに悪気はないのだろう。
むしろどれだけミノダトオルファンなのかという点がひしひしと伝わってくる。
「ミノダトオルってそんなすごい人なの?」
最初はあまり興味なさそうだったはずのアルジェントの表情も少しずつ変わってきていた。
(これはやばい)
このままだと仲間二人のミノダトオル賛歌を聞かされ続けるハメになるかもしれない。
本来であればプロのeスポーツ選手冥利に尽きる展開なのだが、今の陸斗にそう喜ぶ余裕が微塵もなかった。




