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25話「和食屋さくらふじ」

次の更新予定は8月7日(日)8時です

 十一時半ごろに陸斗と薫はホテルを出る。

 チェックアウトはせず、フロントに滞在予定時間を告げて規定の延長料金をはらう。

 外に出ると太陽がまぶしく地上を照りつけていて、気温も二十度を超えている。

 そのせいか道行く人はサングラスをかけた半そで姿が多い。

 この付近の街道はアスファルトではなく、強化ガラスでコーティングされたソーラーパネルである。

 そればかりではなく人の通行でも蓄電できるようなメカニズムが組み込まれているという。

 最初WeSAのアメリカ人職員がはきちんと説明してくれたのだが、陸斗にはチンプンカンプンですっかり忘れてしまっている。

 彼が理解できて覚えているのは人力発電の一種であるということだけだ。

 彼とそのマネージャーはその淡く水色っぽい光を放つ人工の道を徒歩で移動する。

 いくつかのビルを通り過ぎ、左に二回右に二回曲がって二分ほど歩いたころで薫は立ち止まって彼の方を向く。


「ここよ」


 その先には白地ののれんに黒い文字で大きく「SAKURAFUJI」店名がと書かれていて、ヒノキの扉の近くにはひらがなで書かれたたち看板が置かれている。

 陸斗は詳しくないが古い時代の日本の小料理屋のような外観だった。

 高いビルに囲まれていて注意深く周囲を観察していないと見落としてしまいそうな立地に迷わず来られたのは、薫がきちんと下調べをする性格の上に記憶力もいいからだろう。

 ヒノキの引き戸を開けると外とは異なった空気が彼らの肌に触れる。

 何がどう違うのか陸斗には説明できなかったのだが、何かが変わったことだけは分かった。

 最初に陸斗の視界に飛び込んできたのは白い壁である。

 扉を開けてもすぐには店内に入れない、もしくは見ることができないないような工夫なのだろうか。

 藤色の着物を着てくすんだ金髪を後ろで結い上げた、三十代後半の白人女性が笑顔で二人を出迎える。


「いらっしゃいませ」


 携帯端末の翻訳機能を使わず流暢な日本語で話しかけられたのは、彼らが日本人だとひと目で見抜いてしまったのだろうか。

 陸斗が不思議に思っているそばで薫が口を開く。


「本日十二時に二名で予約していた星野です。少し早いかと思いますが大丈夫でしょうか?」


「ホシノサマですね。お待ち申し上げておりました。大丈夫です、こちらへどうぞ。段差にお気をつけください」


 笑顔で彼らは店の中に通される。

 女性が言ったように一段分程度の段差があり、その先には黒い上質そうな木で造られた通路があった。

 内装も和風でかなりこだわっていそうな印象を与える。

 彼らが案内されたのは白木のカウンターの奥二つの席だった。

 向こう側には女性と同年代と思われる、白い小判帽をかぶり板前法被を着た色白の男性がいる。

 

「いらっしゃいませ。星野様とお連れ様ですね。さくらふじへようこそ」


 男性は愛想よく日本語で話しかけた。

 

「日本語とてもお上手ですね」


 薫がそう応じると彼は口元をほころばせる。


「父が日本人なのですよ。それに師匠も日本人板前でしてね」


「なるほど」


 相槌を打つ二人の前に女性が炭酸水の入った緑色の湯飲みを置きながら話す。


「それにお客様の中に多く日本人がお見えになりますし」


 日本人らしき客が来るとひとまずは日本語で話しかけることにしているという。


「そうなんですね」


 陸斗は興味深げに店内を見回し、聖寿寺に連れて行ってもらった日本料理屋と内装や雰囲気がよく似てると思った。

 もしかすると修行した店の影響もあるのかもしれない。

 そうでなかったとしてもこの店の雰囲気は彼にとって好ましいものだった。


「あら、これは美味しいわ」


「ほんとだ」


 二人は水の美味しさに目を丸くする。


「お口にあって何よりです。上質なミネラルウォーターを使っておりますが、日本からいらした中には合わない方もいらっしゃいますから」


 女性がほっとしたように言う。

 

「予約をいただいた時間より少し早いですが、料理をはじめてもかまわないですか?」


 板前の言葉に二人はうなずいた。

 まだ客がいないせいか、女性が彼らに話しかけてくる。


「お二人はもしかしてロペス記念に出場した選手か、関係者でしょうか?」


 これには思わず陸斗がむせこんでしまう。

 薫がいかにポーカーフェイスを貫いたのも台無しだった。

 

「よく分かりましたね」


 彼女がそう言うと見事に着物を着こなしている女性はくすりと笑う。


「試合が終わった後、この付近のお店に食べにいらっしゃる選手、意外といますからね。たしか岩井選手だったかしら? 日本の選手もお見えになりましたよ」


 思ってもみなかった名前をここで聞いて、二人は思わず顔を見合わせる。

 

「隠れた名店って情報は本当だったね」


 陸斗が言うと店側の二人は笑みを浮かべただけで何も言わなかった。

 この反応の理由を察するのは彼には難しい。

 まだ評価されるには早いと思いつつ、自信がないわけでもないというところだろうか。


「そう言えば今日の献立は何なのでしょう?」


 彼はまだそれを聞いていなかったことをふと思い出す。

 知らずにやってきたという少年に店の人間たちは眉を動かしたが、それだけにとどまる。


「さくらランチにしておいたわ。具体的な内容は出てきてのお楽しみね」


 彼らの代わりに薫が答えた。

 

「はーい」


 陸斗は彼女のいたずらっぽい微笑を見て引き下がる。

 こういう時、訊いても教えてくれないと彼は知っているのだ。

 ならば素直に状況を楽しんだ方がよい。

 彼らのやりとりは「さくらふじ」の二人の興味を引いたようだったが、彼らは一線を越えてこなかった。

 そこで二人はそろって携帯端末を取り出す。

 薫は仕事のために、陸斗は友達からの返信を確認するために。

 今さら無言になっても気まずくなるような関係ではない。

 日本では午前零時になっているはずだったが、グラナータを除く三名からメッセージが来ている。


(アルジェントはともかく、小林と水谷もまだ寝る時間じゃないんだな)


 何となく知り合いの活動時間が分かる気がして、どことなく新鮮な気持ちだった。 

 アルジェントの話はゲームばかりだし、水谷や小林はコミックの話が中心である。

 アルジェントの話はまだいい。

 彼もしくは彼女の話はファイブをはじめてみたけどけっこう面白かったというもの、あるいはアルテマオンラインがアップデートでだいぶ面白くなったという感想だ。


(やばい、ほとんど分からないよ……)


 だが、水谷と小林の話題が分からず、これはまずい気がしてならない。

 この二人がダメとなると、高校に話ができる相手がいないのではないかという懸念が浮かぶ。

 取り越し苦労ならばいいなと陸斗は思いつつ、彼らに問いを送る。

 幸い、彼らからは詳細な情報が返信されてきた。


(チェックする時間あるかな……?)


 昼食をすませればフライトの時間まではヒマだし、飛行機の中でできることはかぎられている。

 会社のホームページで試し読みしてみるのもいいかもしれない。


「お待たせしました、さくらランチです」

 

 女性が二人のところに料理を運んできた。

 黒い漆塗りの容器に天ぷら、花麩、焼き魚、野菜、練り物などが美しく盛られているし、白いご飯も濃茶のお椀に映えているのもうれしい。

 

「たしかにこれは桜かも?」


 陸斗は料理を見た感想を率直に述べた。

 日本の伝統料理と言うよりは「外国人がイメージする創作日本料理」という気がしたが、それを口にするのは野暮であろう。

 まずはすまし汁、次には魚、それから天ぷらの順番に食べていく。


「美味しい……」


 自然と言葉が口から漏れるとその横で薫が無言でうなずいた。

 ここがアメリカのニューヨークだと忘れてしまいそうな日本的な味を黙って堪能する。

 ご飯とすまし汁が特に陸斗の好みで、おかわりをしたくなったほどだ。

 その様子をうれしそうに見つめる二対の視線がある。

 それは長い時間ではなく、他の客がやってくるまでの間だったが。

 食べ終えた後、薫がドルを選択して携帯端末をレジにかざす。

 ピッという電子音が鳴って支払いは完了する。


「あれで十ドル(約千円)は安いよね」


 店を出た陸斗は一言感想を言う。


「ほんとね。大当たりだったかもね」


 薫も満足そうに相槌を打つ。

  

「さすが薫さん、こういう店ならまた来たいよ」


 彼は本気でそう思ったのだが、彼女の返事は一筋縄ではいかない。


「また来られるかどうかは陸斗君しだいでしょ?」


「うん、そうだね」

 

 また来たいならばこれからもタイトル戦に出場すればよいと彼女は言ったのだ。

 彼女らしい激励に彼は微笑で応じる。


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