24話「一夜あけて」
「あああああああああああああっ」
陸斗は頭を抱えてしゃがみ込みながら一人叫ぶ。
もちろんパーティー会場ではなく、夜空の星に照らされるホテルの自室でのことだ。
「お疲れさま、トオルくん」
彼の唐突な奇行にも薫は慌てず驚かず、慰労の言葉をかける。
「ゲームより、タイトル戦よりも後のパーティーがつらいよ……」
室内にいるのは薫だけという安心感から、陸斗は本音をついついこぼす。
パーティーで彼はあいさつ回りをおこなったのだが、冷淡な態度をとる者が多数だった。
モーガン、マテウス、クーガーあたりは「ああ、こいつか」という反応だったが、これはまだマシな方である。
出資者側の者たちはそっけない者たちばかりだった。
彼の実績不足が原因であり、彼らをとがめるのは筋違いとなる。
だからこそやり場のない感情や重圧がこのタイミングで爆発したのだ。
「そうね。トオルくん、まだ十五歳なのよね……」
薫は思いやりのこもったまなざしを彼に向け、そっと優しく肩に手を置く。
「プロになった以上は甘えるな」と厳しく接する道もあるかもしれないが、彼女にそのようなまねはできない。
もしもここで彼女がそのような態度をとると、彼の味方が一人もいなくなってしまうおそれもある。
「ごめん。情けないことを言っちゃって」
彼女のいたわりに陸斗はやや冷静さを取り戻す。
「いいのよ。私でよければ何でも言ってちょうだい」
薫の慈愛に満ちた微笑は、天界の聖母にように映る。
「ありがとう、薫さん」
陸斗は顔をあげて彼女の目を見つめながら礼を言う。
「さあ、今日はもう寝たら? 疲れたでしょう」
「うん、普段の試合の三倍くらいは」
彼には大げさなことを言ったつもりはない。
試合の緊張感、その後のパーティーの労力で心身のスタミナの残量が五パーセント以下に落ちている。
「あっと、その前にシャワーは浴びなきゃダメよ」
「分かっているよ」
口うるさい姉とそれに閉口する弟のようなやりとりになってしまったが、二人の言葉にトゲはなかった。
「汗はじっとりかいたからね。このまま寝るのはちょっと気持ち悪い」
陸斗はそう笑う。
背中やわきあたりが特にべったりしている。
薫はくすりと声を漏らすと白いやわらかそうなタオルを渡してくれた。
それを受けとって彼はにぶい銀色のとってをつかみシャワールームに入る。
洗面台の正面でバトルスーツを脱ぎ、たたんで洗濯かごに放り込む。
白いランニングシャツとストライプブルーのトランクスも同様にして、くもりガラスのドアを開ける。
この部屋にはシャワー以外にも白いバスタブがあり、その気になれば湯を張って体をつけて手足を伸ばすことも可能だ。
普段ならばそうしたいところだが、今は湯が溜まるまで待っているような気分ではない。
汗を流してさっぱりできれば十分だった。
ここのシャワーは蛇口をひねれば数秒であたたかい湯が出るというありがたいシステムである。
バスタオルで濡れた全身を丁寧にぬぐい、すっきりした気分でバスローブを着た。
髪の毛をふきながら外に出ると薫がにっこりと微笑んで報告する。
「例のお店、十二時にランチの予約をしておいたわ」
「ありがとう」
「それじゃおやすみ」
小さく手を振る彼女に手を振り返し、陸斗はベッドに座った。
そのままあお向けに寝転がり目を閉じようとして、エラプルのことを思い出す。
(グラナータ、がっかりしちゃっていないかな……)
ファンだと言ってくれる人間は自分の結果を見てどう思ったのだろう。
前回よりも順位があがったと喜んでくれたのか、それとも八位と七位ではほとんど変わらないと嘆いているのか。
失望されてなければいいのに、というネガティブな考えが頭を埋める。
おそるおそるエラプルを起動させれば通知が十二件きていた。
小林と水谷から二件ずつきていて、先日見ても返事はしていなかったことに気づく。
(ご、ごめん)
心で謝りながら実際の文章でも詫びの言葉を送り、大丈夫だと告げておいた。
次のアルジェントは時間があったらメッセージを送ってほしいという簡潔な文面で、これにも陸斗の罪悪感は刺激される。
メッセージに返事をしなければならない義務などないのだが、自分から声をかけておいて一度も返信していないとなると心理的に違う。
やはり時差の壁が障害として立ちはだかったため、明日の朝にしなければならないとギリギリのところで考えなおしたが。
グラナータからのものが最後になったのは彼の心理が全てだ。
「七位! ミノダトオル七位! やったね! 最後アンバーたちに抜かれたけど! それでもうれしい!」
冷静で理知的な言動が目立ったプレイヤーと同一人物とはにわかには信じられないほどメッセージのテンションが高く、陸斗はわが目を疑う。
(でも喜んでもらえたようでよかった……)
それでも胸にあたたかい炎で包まれたのはたしかだ。
十五分ほど後にはクールダウンしたらしく、謝罪の字面が届いている。
「あ、ごめんなさい……ちょっとうれしすぎて興奮してしまったの」
恐縮し恥じ入っている様子が実にグラナータらしい。
陸斗の頬は自然とゆるんでいたが、別の理由もある。
彼らのメッセージを見ているとタイトル戦の激闘の疲れが癒えていくような気持になるから不思議だ。
やがて睡魔の誘惑が激しくなってきたため、アラームを七時半にセットしてから携帯端末をベッドわきのナイトテーブルに置く。
それから夢の世界へと出発した。
翌朝、じれったそうに鳴り響くアラームが目に見えぬ手を伸ばして陸斗を彼を夢の国から引きずり出す。
時刻は午前七時三十八分である。
彼は体を起こしながらあくびと背伸びをし、洗面台に行って顔を洗う。
冷たい水を力を借りると脳が活性化しはじめる。
タオルで顔をふいて携帯端末のところに戻った。
薫がやってくるまでに知己たちにメッセージを返しておきたかったからである。
今ごろ日本は午後の八時を回っているはずで、彼がメッセージを送っても誰も疑問に思わないだろう。
全員に順次送っていると返信が届いた証である音が鳴る。
(もしかしてアルジェントか?)
ふと思って確認してみれば果たしてそのとおりで、気にしていない旨が書かれていた。
それにくすりとしてメッセージを送信し終えると、アルジェントにサンキュとだけ書いて送る。
そろそろ薫がやってくる時間だと思い、端末をポケットに入れようとしたところでメールが来ていることに気づく。
このタイミングでアドレスを知っている人間が送ってくるのは非常に珍しいため、あやうく見落とすところだった。
首をひねりながら受信ボックスを呼び出してみると、何と差し出し人の名前が聖寿寺からではないか。
陸斗の背筋が勝手にしゃんと伸びる。
「お疲れ様でした。七位入賞おめでとうございます。陸斗君のことだから喜んでいないのかもしれませんが、ダービー出場権を得られたのですからとても立派な戦績だと思います」
と正克が書いた割にはやわらかく砕けた文章で、もしかすると娘の志摩子からではないのかと思う。
それでも不正確な予感を信じるわけにもいかず、正克宛てのつもりで返信しておく。
携帯端末をしまった直後、薫がやってきて調理をしてくれる。
本日の朝食のはホットケーキ、スクランブルエッグ、ヨーグルトであった。
いい匂いが陸斗の鼻をくすぐり、腹の虫を刺激する。
「昼が和食だから朝はアメリカ風にしてみたわ」
「相変わらず見事に俺の好みのドストライクを……」
薫の言葉に彼は笑うしかない。
健康的な食事が一番だと頭では理解しているが、彼の舌や胃袋はたまにこの手の食べ物も欲するのである。
健康に影響が及ばない範囲内で供出するのも彼女の仕事の範囲と言えた。
二人の話題と言えば今後のスケジュールである。
「帰国のチケットは今日の夕方でかまわないわよね?」
薫の確認に陸斗はうなずく。
アメリカ観光するつもりはないし余裕もない。
学校が公欠を認めているのはWeSAツアーのタイトル戦があるからだ。
ゴールデンウィークの関係で一日くらいならば時間をねん出できるかもしれないが、彼の気持ちはすでにダービーとアルテマオンラインの二つへと飛んでいる。
「うん、それでいいよ」
日本ではアメリカよりも時間が進んでいるのだから帰国は早い方がコンディションを整えやすい。
薫もそれを承知しているからこその手配だろう。
食事を終えた後は昼まではフリーとなる。
いつもの陸斗であればゲームに没頭するのだが今回は違う。
携帯端末がメールやメッセージの到着を何度か告げたせいである。
それゆえに彼にしては珍しいことに、しばらく携帯端末の画面とにらめっこした。




