1話「友達がまだできない……」
富田陸斗はある一点をのぞけば平凡な少年と言えるだろう。
休み時間に雑談をしたり一緒に昼食をとる友達はできたが、それ以上のことはなかった。
特に周囲から注目されるようなことはなく、平凡な毎日を送っている。
学校側は彼がプロのeスポーツ選手「ミノダ・トオル」だと知っているが、それに関して何かを言ってくることもなかったし、秘密をばらすようなまねもしなかった。
「学校に通っている間はあくまでも一介の高校生」
という彼自身(と言うよりは彼の母親)の要望を聞いてくれたのである。
放課後の陸斗はまず一度帰宅して服を着替え、それから彼の為に用意されたトレーニングルームに向かう。
その際には彼の専属マネージャーである星野薫が送迎してくれるのだ。
彼女はいつも白いクーペを彼の自宅近くに停車させて待っている。
「おかえり、陸斗くん」
「お待たせ、薫さん」
二人のやりとりはいつも同じだったが、どちらも日常会話にオリジナリティの必要性を感じていなかった。
大切なのは言葉ではなく、微笑みをかわしあうことの方である。
どちらも決して声に出さなかったが。
陸斗が助手席に乗り込むとクーペはなめらかに走り出す。
彼の専用トレーニングルームは車で約十五分のところのビルの二階にあり、ワンフロアを貸切状態にしている。
言うまでもなくスポンサー契約のおかげだった。
そこに並んでいるのはいくつものゲーム機とソフトである。
eスポーツの大会は全てがVR機を用いたものだし、ゲーム市場でも実際VRが主流なのだが、陸斗はそれ以外も時々プレイするのだ。
何も知らない人が見ればさぞ奇妙な場であろう。
トレーニングと言ってもゲームをするだけではないか、と思われるかもしれない。
だが、eスポーツ選手にとってはそれこそが最も重要なのだ。
「トオルくん、これ推定ランキング表よ」
「ありがとう」
薫が差し出した白い紙には、ミノダトオルが大会で獲得したポイントと賞金、それに基づいたWESAのランキングの予想が書かれている。
基本的にはこのWESAのランキングで出場可能な大会が決まる為、本来は選手自身が計算する方が望ましい。
しかし、他の選手の成績も考慮しなければならないし、大会によっては対象となるランキング期間が異なっていたりする。
その為、ある程度稼げる選手であれば誰か信頼ができる人間に計算を依頼するケースが多かった。
それがミノダトオルにとって星野薫なのである。
「今日はどれからはじめる?」
「バトルサーキッツからにしようかな。レースゲームに重点を置いてやりたい」
「ロペス記念対策ってわけね」
彼女の言葉に黙ってうなずく。
ロペス記念とは五月にアメリカで開催される「タイトル戦」のひとつで、今年のプレイテーマは「バトルサーキッツデンジャラス」というレースゲームが選ばれたのである。
大会出場者は試合がはじまるまでにできるだけやりこんでおくがセオリーだった。
ロペス記念の出場者選定条件の中には「去年の六月から今年の四月までにタイトル戦に出場し、八位以内に入った者」という項目があり、ミノダトオルはこれを満たしている。
彼はにぶい銀色のVR筐体に入った。
中には長時間滞在が苦痛にならないように白いマットレスが敷かれている。
そこに横たわって黒いヘルメット型のVR機本体を装着して電脳世界へダイブした。
最初にいくつものゲームタイトルが出てくる為、そこで目的のものを選ぶ。
大きな声でタイトルがコールされ、画面が切り替わる。
黒い背景に白い英文字でゲームタイトルが浮かびあがった。
プレイを開始するかどうかの問いに「Yes」と答える。
この手間はわずらわしくもあるが、ゲームをプレイする際の様式美のようなものだろうというあきらめに似た思いもあった。
バトルサーキッツは架空のサーキット場を舞台にしたレースゲームである。
タイトルから想像する人もいるだろうが、このゲームは他のレーサーへの攻撃や妨害がありなのだ。
しかし、ライバルへの攻撃や妨害をすると自分のマシンの速度が落ちてしまうという代償がある。
それゆえに必ずしも妨害する方が有利だとはかぎらない。
「タイトル戦」で優勝を狙える強豪ともなると、生半可な妨害は鼻歌交じりに避ける強者ぞろいだからだ。
そのあたりの駆け引きの妙もこのゲームのセールスポイントなのである。
トオルはどちらかと言えば妨害はしないタイプだった。
妨害をやると速度が落ちてしまうのは、「タイトル戦」に出てくる強豪相手だとかなり厳しい。
妨害ありで強い選手もいる為、あくまでも向き不向きなのだろう。
彼はまず一番長いコースを選び、次に一番カーブが多いコースを選ぶ。
ロペス記念の過去を調べると、長いコースやカーブが多くテクニックが要求されるコースが大会テーマとして選ばれる傾向が強いからだ。
その予想を外されることも考慮すれば、結局全コース練習するしかなくなってしまうのだが。
たっぷりプレイし終えるとやがて夕食の時間となる。
これはいつも薫の手作りで、フロアについているキッチンを使っていろいろな料理を作ってくれるのだ。
実に得がたい女性である。
今日は豚の生姜焼きに野菜と魚肉団子が入ったスープがついていた。
「いつもありがとう、薫さん」
「どういたしまして」
陸斗が礼を言うと微笑が返ってくる。
「うん、美味い」
彼は舌鼓を打ちながらたいらげていく。
「もう少し噛まないとダメよ?」
薫は注意しながらもニコニコとしてその様子を見守っていた。
「ほら、ほっぺにご飯粒がついているわよ」
「おっと」
彼女に指摘された陸斗はあわてて頬をさわり、ついた白い粒をぺろりと舐める。
彼女はつい吹き出し、彼はごまかし笑いを浮かべた。
まるで姉弟のようである。
食器に盛られたものをきれいに片づけると、薫が紅茶を二人分淹れた。
話題は学校に関することになる。
「どう? 高校は慣れた? 友達はできたかしら?」
「うん、休み時間に話したり、一緒に飯を食べる相手くらいはね」
陸斗が何でもないように言えば、彼女は困った顔をした。
「うーん……そっか」
それでもはっきりとした言葉を返さなかったのは、彼がゲーム漬けの日々を送っていると知っているからである。
放課後や休日に遊ぶ時間がほぼないようでは親しい友達を作るのは容易ではないだろう。
「ゲーム友達なら作れるんじゃない?」
「俺がミノダトオルってばれてもいいならそうかもしれないけど」
今度は陸斗が言葉をにごす。
できれば身近な人間にはばれたくないのだ。
「ああ、そっか。そうよね」
薫は嘆息する。
「ミノダトオル」は十代でありながらも一流eプロ選手として活躍する有名人だ。
当然周囲もそういう目で彼のことを見る。
それを平然として受け止められるタイプもいれば重圧になってしまうタイプもいる。
あいにくと陸斗は後者だった。
ただの高校生としてのびのびと過ごせる場所が必要だとは彼女も思う。
「じゃあ、ネットで作ればいいんじゃない? ネットならいるでしょう?」
「うん、そうだね。それなら何人かいるよ。チャットとかでも話す人。オンラインゲームの知り合いだけど」
「ならそれでいいわよ」
薫はにっこりと笑った。
春の花のように清楚なものに陸斗は心が洗われてほっとする。
「ごめんね、つい心配になっちゃって」
「いいよ。心配してくれてうれしいよ」
申し訳なさそうな顔で詫びる彼女に笑顔で応えた。
陸斗の発言はまぎれもなく本心である。
薫の言動からはいつも義務を超えた愛情を感じているのだ。
感謝をしなければ罰が当たってしまう。
彼はそう思っているのだった。
「じゃあ洗い物は私がしておくから」
いつものことだが、薫は必ずそう言って彼に行動をうながす。
彼の方もこの一言を待ってから席を立つようにしている。
はっきりとルールを設けたわけではないが、彼らの暗黙の了解のようなものになっていた。