15話「アメリカへ」
陸斗はグラナータのチャットコメントを見てむせこむ。
(グラナータが好きな選手って俺のことだったのかよっ?)
あまりにも意外すぎて驚いたし、知り合いが自分のファンというのはうれしいやら恥ずかしいやら、複雑な気持ちだった。
どう反応すればいいのか迷っているうちにグラナータは急用だと言ってログアウトしてしまう。
正直なところ彼はホッとしていた。
あのまま会話が続いていれば挙動不審な反応をしてしまったかもしれない。
「グリージョは知っている?」
少しの間を置いてアルジェントから問いが来た。
「名前は聞いたことあるな」
嘘はついていないと己の言い聞かせながら返事をする。
ボロを出してしまわないか不安になった為、アルジェントに断りを入れてチャットを終了した。
VR機を頭部から取り外し、低くうめいて頭をかきむしる。
「まさかこんなことがあるなんて……」
思わず口から声が漏れていた。
嫌がっているわけではない。
困惑していると表現するのが一番近いだろう。
とりあえず落ち着くのが先決だと思い、目を閉じて一番好きなお菓子を頭に浮かべる。
それから短く三度息を吸いこみ、二回に分けて吐き出す。
子供っぽいと自覚しているため他言したことはないのだが、これこそが冷静さを取り戻す為の陸斗流のルーチンだ。
二度も繰り返せば彼は平常心に戻っている。
この立ちなおりの早さが、彼の躍進を支えている理由のひとつと言えた。
(よし、バトルサーキッツデンジャラスの練習、頑張ろう)
グラナータが帰ってくる気配はない。
アルジェントにしても延々と彼と話し続けるつもりはないだろう。
練習に打ち込むいいきっかけとなったと考えたのである。
調整を兼ねてたまにはオンラインで他プレイヤーたちと対戦しようと思いつく。
プロがアマチュアのフィールドを荒らすようなまねはマナー違反に近いため、実力はセーブしなければならないが、人間との対戦はしておきたい。
まず陸斗がスタートダッシュに成功すると、すでに差が生まれはじめていた。
カーブを二度ほど曲がった時にはマシン二台分程度までに広がってしまっている。
(うーん……)
たまに驚くような実力者とめぐりあえることもあるのだが、今回はそうではなかったようだ。
五分二秒というタイムを叩き出した後すぐ抜け、続きはオフラインの個人モードで練習する。
月日の流れは早く、ロペス記念の四日前となったため陸斗は日本を旅立って開催地のアメリカへ向かう。
学校は公欠であるが、ゴールデンウィークと重なってくるためか、あまりありがたみはない。
「何か損した気分になるのは学生だからかしら?」
陸斗に空港でそう話しかけたのはエトウミナだった。
彼女は四月末の段階でWeSAポイント最下位で出場資格を得たのである。
「それはあるかもしれないな。私はもう何とも思わないからな」
彼女の言葉に答えたのは陸斗ではなく、近くにいる岩井であった。
今回のロペス記念に出場する日本人選手はこの三名だけである。
タイトル戦がそれだけ厳しいとみるか、日本人選手が情けないと解釈するかは人によって違う。
彼らは協会の意向で出発日を統一されたのだ。
その方が面倒が少ないだろうという判断だが、ミナのように初出場の選手にしてみれば同行者がいるのは心強いという一面があるのも否定はできない。
陸斗にしても初出場の時に岩井と一緒だったのはうれしかったものだ。
そうは言っても搭乗してからはバラバラになる。
岩井や陸斗はファーストクラスだが、ミナはエコノミークラスだからだ。
男性陣二人は大会主催者から交通費と宿泊費を負担してもらえるのに対し、ミナは全額自腹なのである。
去年の実績やWeSAランキングによって待遇が変わるのは珍しいことではなく、選手たちのモチベーションのひとつとなっていた。
「いつかファーストクラスで往復できるようになりたいわ」
JFケネディ国際空港に降り立った彼女は、背伸びをしながらそうつぶやく。
もっともファーストクラスなのは彼一人であり、同行している薫はビジネスクラスである。
マネージャーまでもがファーストクラスの岩井と比べればまだ差があった。
「私もまだまださ。トッププロにはプライベートジェット機を所有している人もいるのだから」
彼女のつぶやきをしっかり聞いていた岩井は苦笑する。
「えっ? そのような人もいるのですか?」
ミナは初耳だったらしく、まばたきをしながら小首をかしげた。
「今の世界ランキング一位バスティアン・マテウス、二位のアレクセイ・モーガンでしたっけ?」
答えたのは陸斗である。
「そうだ。たった二人だけかもしれないが、夢があるじゃないか」
岩井はどこか遠くを見るように視線をそらしつつ、うれしそうに笑う。
音速旅客機が普及したおかげで成田とニューヨークは片道六時間ほどで来られるようになったのだが、それでもプライベートジェット機にかなわないものもある。
「そうですよね」
陸斗もミナも共感した。
金だけが目当てでeスポーツのプロ選手となったわけではないが、できれば大金を稼ぎたいと思うのも彼らとしては当然の心理だろう。
「さて、そろそろ迎えが来ているはずだが……」
岩井の言葉で若者二人は左右に目を配る。
WeSAツアーの大会出場選手は、アメリカでの生活をWeSAがフォローしてくれるのだ。
彼ら三名がマネージャーとともにこの日この時間に到着することは前もって伝えてある。
だから職員が出迎えに来ているはずだが、それらしき姿は見当たらない。
様々な国の人々が行き来をしていることがわかり、世界屈指の繁忙空港だと言われている理由がうっすらと察せられた。
この中から目当ての人間をさがし出すのは並大抵の苦労ではないだろうが、先方にしても同じことだろう。
ただ、互いの連絡先を交換し合っているため、合流するのはそこまで難しくもなかった。
十分ほど待って三人の白人女性がやってくる。
三人とも金髪で白い長袖のシャツに黒いズボンといういでたちで、胸のところにWeSAの職員証をつけていた。
「あなたがたがイワイ、ミノダ、エトウね」
ややぎこちなさの残る日本語で話しかけてきたのは真ん中の最も背が高い女性である。
「ああ、久しぶり。ミランダ。短い間だがよろしく頼む」
岩井が三人を代表して返事した。
と言っても岩井は英語が話せるわけではなく、携帯端末の翻訳機能を使っている。
機能をオンにして言語を指定して口に当てて話せば、英語となって相手の耳に聞こえるというわけだ。
その横で陸斗がそっと手を差し出し、真向かいにいる女性職員と握手をする。
頭を下げかけていたミナはその彼の姿を見て、あわてて自分の正面にいる女性と握手をした。
「日本人はまず頭を下げるのね、やっぱり」
彼女はミランダとは違って日本語は話せないらしく、携帯端末を用いている。
くすりと笑われてたが、そこに馬鹿にするような色はなかった。
「僕も初めての時は頭を下げちゃったんですよ」
陸斗は過去を思い出しつつ照れ笑いを浮かべる。
「ハイハイ、これからみんなをホテルまで案内するわ」
ミランダが手を叩いてそう言った。
ホテルの手配はWeSAがやってくれるし、選手の希望も考慮してくれる。
「ホテルは別々なのかな?」
岩井の問いに彼女は微笑む。
「あなただけね。ミノダとエトウは同じホテルよ」
これには陸斗も驚き、思わずミナの方を見たが本人も目を丸くしていた。
「あなたはこっちのシンディに案内してもらうわ」
シンディと呼ばれた女性が岩井に向けてウィンクを飛ばす。
なかなかお茶目な性格のようだ。
「では二人とも、次は会場でな」
日本人選手三人組は手をふって二手に別れる。
外は晴れていて穏やかな風が歓迎しているかのように、陸斗たちの頬をなでた。
ミランダが誘導した先には英語で「スーパーシャトル」と書かれた青いバンが停車している。
「空港から駐車場まではけっこう距離あるから、ホテルまでは個別バスを使ったほうが速いらしいんだ」
感心しているミナに陸斗が付け焼刃同然の知識を披露した。
「なるほど」
ミナは空港の方を見て理解を示す。
陸斗は奥のダークブラウンの座席にミナと並んで座り、その前に二人のマネージャーが腰を下ろした。
六人乗りのバンとのことだったが、荷物もあるせいか手狭に感じられる。
陸斗がドアを閉めるとミランダが早口の英語で運転手に出発をうながす。
左側にジャマイカ湾を臨み、バンはヴァンウィックエクスプレスウェイに乗った。
ミナは景色に目をやらず陸斗に問いかける。
「ミノダ君は二回目なのよね? 何か注意しておくことってある?」
彼は去年自分も岩井に似たようなことをたずねたなと思い返す。
「そうですね。一番大切なのは時差ぼけ対策です」
この答えを聞いたミナはきょとんとする。
当たり前と思うようなことだったからだ。
それに察した陸斗はいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「もっと真剣に考えたほうがいいですよ。フルダイブゲームだと脳のコンディションがはっきりと出てしまいますからね。去年も時差ぼけをあなどっていたためにグループステージ敗退した選手もいましたから」
「そっか。軽く見ているつもりはなかったけど、もっとシビアなのね」
ミナは真顔になってつぶやく。
実のところ他に注意点がないわけでもない。
アメリカは基本的に安全はお金を出して買うものだという考え方の国だ。
ミナのように若い女性の場合は特に気をつけなければならない。
だが、それはある程度本人も理解しているだろうし、ミランダから警告してもらえるだろう。
選手が大会中に滞在する間、安全で安心できる日々をすごせるよう取り計らうのも職員の仕事のうちだ。
「相手は世界の強豪ですしね。僕も初めての時はグループステージ敗退でしたよ」
陸斗はほろ苦い過去を振り返る。
「ああ、フランスオープンだっけ?」
ミナもすぐに分かったようだ。
ライバル選手、それも世界戦出場者のことはある程度把握しているのだろう。
彼は無言でうなずく。
「その時の教訓をいかしてロペス記念八位に入ったんだからすごいじゃない」
彼女の言葉には真摯な気持ちがこめられている。
「ありがとうございます」
それが分かったからこそ、陸斗は素直に礼が言えた。




