13話「エラプルチャット」
薫は運転しながらベルーアブックの話題を振ってくる。
「そう言えばベルーアをやめることになっちゃって残念だったわね。けっこう気に入っていたみたいだったのに」
このタイミングで切り出したのは、今ならある程度陸斗も気持ちの整理がついただろうと判断したからだ。
「やらかしちゃったから仕方ないよ」
悔いはないがそれでも残念なことに違いない。
ただ、ゲームを通じて仲良くなれたアルジェントとグラナータとは今後も連絡をとれるのは幸いだった。
そのことを告げると彼女は質問してくる。
「ちゃんと携帯端末での連絡先を交換したの? VR機にもメッセージやチャット機能がついているからって横着したらダメよ?」
図星をつかれた陸斗は一瞬言葉に詰まってしまう。
彼女にはそれで十分だった。
「今日にでも送っておいた方がいいんじゃない? そうすればあのVR機から離れていても連絡できるじゃない」
「あ、うん、そうだね……」
彼女の言葉は正しい。
マメに連絡をとるような知り合いがほぼいない彼には思いつくのが難しかっただけで。
「毎日VR機を使う相手なら問題ないのかもしれないけどね」
そのことに気づいた彼女はそっと微苦笑する。
全くもってそのとおりだ。
陸斗は恥じ入りながら携帯端末に手を伸ばす。
級友に指摘されたように彼が所有しているのは、二〇〇〇年代に「スマートフォン」という名称で一世を風靡した製品を再現したものだ。
正式には「AGー2000」という機種なのだが、「懐古モデル」「レトロタイプ」などと呼ぶ人も多い。
画面をタッチするだけでよいという操作感覚を陸斗は気に入っている。
水谷や小林からは何も連絡は来ていなかった。
彼にしてみればどういうメッセージを送ればよいのか分からない為、できれば彼らの方からしてほしいところである。
(そんな簡単にはいかないかぁ)
少しだけ残念に思えたが、彼らにしてみれば毎日のように顔を合わせる相手に用もなく連絡する必要を感じていないのかもしれない。
その心情は手にとるように分かる。
だからこそ陸斗自身も彼らに何かメールしてみようという気にならなかった。
それとは対照的にアルジェントやグラナータにならば、という気持ちはある。
「帰ったらエラプルをやっていないか訊いてみるよ」
それゆえ薫にはそう告げた。
そもそもアルジェントたちの方が彼にとっては気安く、心理的なハードルも大きく異なる。
「ネットの知り合いにできるのに、どうして現実の知り合いにはできないのか?」
と質問されても彼は困ってしまったに違いない。
できないものはできないのだと答えるしかないからだ。
幸いなことに薫はそういうことは言ってこない。
彼のマネージャーが務まっている理由のひとつだった。
陸斗たちは彼の自宅には戻らず、オフィスへとやってくる。
薫が車をとめている間に彼は借りている部屋に入った。
そして早々にVR機本体を装着して、二人に携帯端末のメールアドレスとエラプルIDを記したメッセージを送信しておく。
ゲーム内ではフレンドがログインしているかどうかが分かる機能がついている場合が多いが、残念ながらVR機の方にはついていない。
二人が気づいてくれるのを待つしかなかった。
彼はゲームをはじめず、プレジー社のアルテマオンラインについてインターネットで調べる。
VR機はインターネット機能もついているのだ。
(プレイヤー数は十五万、サーバーは十あるのか……少なくはないな)
むしろ三人だけではたして大丈夫かと一抹の不安がよぎる。
(それとも他にもボスユニットはいるのも)
特殊なボスが三体だけということなのかもしれないし、彼ら以外にもプレイヤーは別途用意されているかもしれない。
それならば納得できる。
分からないことでくよくよ悩んでいても仕方ない、と自分に気合を入れた。
そして「バトルサーキッツデンジャラス」のタイトルを選び、プレイを開始する。
薫が夕飯を用意してくれるまで練習をした。
本日のこんだてはアジのホイル焼きにわかめと豆腐のみそ汁に出し巻き玉子である。
ホイル焼きにはニンジンやタマネギも入っているし、炊きたてご飯にノリもついていた。
陸斗は黙々とそれらを堪能し、「ごちそうさま」と言って食器を流し台まで持っていった時、携帯端末からチリンと鈴のような音が鳴る。
それはエラプルの通知音であり、彼を驚かせた。
確認してみると見覚えのないアカウントからで、「アルジェントより」とある。
「ごめん、後よろしくね」
「ええ、いってらっしゃい」
薫の微笑を背に彼はVR筐体の中に入って、アルジェントからのメッセージを見た。
「教えてくれてありがとう。ボクの携帯から送るよ。届いたかな?」
陸斗は「あいつらしい」と口元をゆるめつつ、「届いたよ」と返事を送る。
グラナータからはまだ来る気配がないが、ベルーアブックの時を思えば何も不思議ではない。
気長に待つべきだろう。
アルジェントからはほどなくして「やった」という一言だけ本文が書かれたメッセージが来る。
これには彼も苦笑するしかない。
(というかアルジェントってメールでも一人称はボクなんだな)
そう感じたのに理由はなかった。
何となく印象的だったのである。
アルジェントのゲームのプレイ時間の長さを考えれば、いつまでも返事が来るとは思えない。
(アルテマオンラインについて訊いてみようかな)
ひまな時でいいからと断って質問を送ってみる。
するとすぐに「ちょくちょくやっているけど、どうかしたの?」と返事が戻ってきた。
このレスポンスの速さは陸斗には衝撃的である。
これまではメールでの連絡が主で、相手に時間的な余裕がないかぎりなかなか返ってこないものだったからだ。
(いや、アルジェントだからか……)
陸斗はすぐにそう思いなおす。
彼のメール相手は母親か、それともeスポーツ選手としてのつきあいかにかぎられていた。
アルジェントのリアルについてはよく知らないが、ゲームにログインしている時にかぎって言えばいつも反応は速かったのだから、納得できる。
「今度プレイしてみようかどうか迷っていてさ」
彼のこの文面に対しては次のような返事が来た。
「イベント次第じゃないかな。ゴールデンウィークが終わってから初めてのイベントが来るみたい」
プレジー社が彼に依頼を出したものだろう。
アルジェントの性格を考えれば気に入っているゲームであればとりあえずすすめてくるはずだ。
(それをしなかったのはアルジェントもやめるかどうか迷っているんだろうなあ)
そうだとすればプレイをするのは後回しにしてもいいかもしれない。
本来ならばきちんと下調べをしておいた方がいいのだろうが、今回のクライアントは「ボスが強すぎないこと」を望んでいる。
それに応える為にはいい加減なくらいでよいのだ。
(アルジェントクラスのプレイヤーとの真剣勝負はやってみたいけど)
ベルーアブックではプレイヤー同士の戦闘(PvP)は実装されていなかった為、戦わなかったのである。
彼はプロでありプロではない者と戦いは避けるべきなのだが、アルジェントやグラナータはそれを忘れさせるほど上手かった。
あの二人の腕があればあるいはプロのeスポーツ選手として通用するかもしれないと陸斗は思う。
プロは一定水準の実力だけではなく、「実力差がほとんどない相手に安定して勝てるか」も大切な要素だ。
実のところ単に強いだけでは上位を目指すのが難しい世界なのである。
だからこそ二人をプロeスポーツに関して質問をしなかったのだが。
「グリージョは今何のゲームをやっているの?」
流れとしてアルジェントからの質問が来る。
少しためらったものの、正直に答えることにした。
「バトルサーキッツってやつ」
「あれか。人気あるよね」
アルジェントが言うようにバトルサーキッツは世界的に人気があるゲームである。
タイトル戦のテーマに選ばれたのは伊達ではない。
陸斗がプレイしていると言ってもタイトル戦を連想される心配もなかった。
「アルジェントはレースゲームはあんまりやらないの?」
「うん。RPGとかの方が好き」
この答えは何となく予想通りである。
ふと気になって次の問いも送信してみた。
「パズルゲームは?」
「やったことない」
アルジェントからの答えは相変わらず迅速だがそっけない。
「パズルゲームで何か面白いものある?」
ただそれだけではまずいと思ったのか、一分ほど置いて質問が送られてくる。
「ファイブってやつはシンプルだけどけっこう面白いよ」
「ふーん? タイトルしか知らないなぁ」
アルジェントは少し興味持ったようだった。
このままやりとりを続けるならばチャットでという選択肢はあったが、陸斗はそのことに気づいていない。
そのせいかアルジェントの方も提案しようとはしなかった。
そこへグラナータからのメッセージが届く。
「ごめんなさい。今気づきました」
陸斗はすぐに返事をする。
「気にしなくていいよ。今、アルジェントともエラプルしてる」
隠す必要はないと思った為、本当のことを書いて送った。
グラナータの返事はアルジェントよりもやや遅く、三分ほど待たされる。
「そうなの? じゃあチャットの方がいいのでは?」
たしかに三人ならばチャットの方が便利だった。
特に陸斗にかかる負担は少なくてすむ。
アルジェントに確認のメッセージを送るとすぐに承知したと返ってきた為、携帯端末をズボンのポケットに入れてVR機本体を装着し、チャット機能を起動する。
(音声チャットは……まあいいか)
陸斗は迷ったものの提案しないことにした。
VR機を起動しているのだから肉声が分からないように機械フィルターを通せるのだが、何となく文字のみのやりとりを楽しみたかったのである。




