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116話「帰り道」

「よければ夕飯もいかが?」

 という志摩子の誘いを固辞して三人は聖寿寺邸を後にする。

 夏だからか外はまだ日が落ちていなかった。

 帰りの車の中、天塩が感嘆を込めて言う。

「いろいろとすごかったねえ」

「本当にそうね」

 安芸子も全面的に同意だという顔で肯定する。

「志摩子さん、いい人だったろう?」

 陸斗の言葉に少女たちはこくりとうなずいた。

「そうだね。ボクはどんなお嬢様かと思っていたけど、思っていたよりも普通な人だったね」

 話す天塩の表情を見て、彼は上手くやっていけそうだと感じる。

 安芸子が口を開きかけた時、三人の携帯端末が音を鳴らす。

 メッセージの送り主は 志摩子で、今日の礼が書かれていた。

 三人はそれぞれの端末で返事を送る。

 

「ねえ、陸斗」

 天塩が不意に話しかけてきた。

「何だい?」

「契約っていつ頃したほうがいいのかな」

 彼女の質問に彼は少し迷ってから答える。

「栄急トーナメントの結果が出てからでいいんじゃないかな。いい結果を出せれば、契約条件が良くなるからね」

 もちろん出せなければ条件がかえって悪くなる場合もありえるだろう。

「そっか。栄急トーナメントって、勝ち進んだら陸斗とも当たるよね?」

 天塩が指摘してきた可能性を、彼は肯定する。

「もちろんだよ。予選組はシード選手と早い段階で当たる仕組みなんだ」

 富田陸斗こ とミノダトオルがシード選手なのは言うまでもない。

「陸斗はシード選手だよね? どこのブロックなんだろう?」

「岩井さんが出るなら違うかもしれないけど、出ないなら俺が第一シードで間違いないだろうな」

 陸斗はごく自然な口調で答える。

 自信とか自慢ではなく、ダービー優勝という実績は決定的なほどに重い。

 国内実績ではまだ同等以上の岩井が出る場合、国内実績重視で岩井が第一シードになる可能性はゼロではないが。

 

「陸斗君が出るって発表された時点でファンの間じゃ大騒ぎになっているレベルだものね」

 安芸子は携帯端末の画面に視線を向けたまま、感嘆して言う。

 

「わー……一回戦で当たるとかだったらやだなあ」

 天塩 がげんなりした顔になる。

 彼女は陸斗の実力を十分知っているつもりだ。

 いい成績を狙うのであれば、できるだけ決勝まで当たりたくはない。

 安芸子が彼女に気を遣うような目を向けた後、陸斗にたずねる。

「ねえ、陸斗君。天塩ちゃんはどこまでいけると思う? あなた以外のシード選手には勝てるかしら」

「やってみないと分からないよ。栄急トーナメントはレベルの高くない大会と言われてるけど、無名選手が優勝して有名選手になるケースもある。アンバーだって去年までは無名同然だったわけで」

 だから無責任なことは言えないのだと彼は話す。

「そうね。陸斗君みたいにプロになった時点で騒がれた選手のほうが珍しいものね」

 安芸子の表情と 声には賛辞があふれていたからこそ、陸斗はとっさに反応に困る。

 どう答えても嫌味になりかねないとあきらめ、率直な回答を選ぶ。

「そうだな」

「やっぱり陸斗って別格にすごいんだぁ」

 天塩のような美少女に言われて悪い気はしなかった。

 だが、それで喜んでいると足元をすくわれそうで怖い。

 真面目な陸斗はそう思う。

 

「国内じゃすでにレジェンド級スターなのよ」

 以前からのファンだという安芸子がここぞとばかりに、天塩に情報を教えている。

(本人がすぐ近くでいるところでは止めてくれよ……)

 陸斗は情けない悲鳴をあげそうになった。

 ぐっと堪えたのは女の子たちに対する見栄でもあったが、マテウスに「敗者が誇 れる勝者であれ」と言われたことを思い出したからである。

 

(女の子に好意的なうわさをされたくらいでオロオロしていたら、マテウスやモーガンはがっかりするだろうな)

 彼にとってマテウス、モーガンは素晴らしい尊敬できる選手だ。

 彼らのようになりたいし、彼らから敬意を持たれるような選手でありたいと思う。

「陸斗ってすごいんだね」

「ええ、本当にすごいのよ」

 ただ、近くで聞いていると背中がむず痒くなるのはどうしようもなかった。

 七弦駅から少し離れた駐車スペースに車は停止し、三人は降りる。

「ありがとうございました」

 送ってくれた壮年の男性ドライバーに礼を述べて、駅の改札口まで天塩を送っていく。

 高 級車から美少女がふたりも現れたことに道行く人は驚いていたが、彼らは素知らぬ顔を決め込む。

 

「それじゃまたね」

 と言って手を振る天塩に陸斗は小さく、安芸子は大きく手を振って別れを告げる。

 名残惜しそうな顔をして去っていく銀髪の少女の背中が人ごみに消えた後、残ったふたりは黙ってバスターミナルへと歩き出す。

「今日はどうだった? 来てよかったかい?」

 駅を出たところで陸斗が遠慮がちにたずねると、彼女は「ええ」とうなずいた。

「よかったと思うわ。志摩子さんとは何とかやれそうだし、新しい目標に向かって前を見ようという気持ちになれたもの」

 彼女の横顔はもやが消えて晴れやかになっている。

 夕日を浴びているせ いか、特に美しく見えた。

 

「そうか。よかった」

 陸斗も彼女によい結果をもたらすことができて安堵した。

 親しい友人の手助けをささやかでもできたならば、幸いというものである。

 

「ごめんね、迷惑をかけて」

 安芸子は悲しそうに謝罪した。

「気にするなよ。友達じゃないか」

 陸斗はためらわずに即答する。

 掛け値なしの本心だった。

 安芸子は虚を突かれたように目を見開く。

「……ありがとう」

 数秒後、やや小さな声で礼を言う。

「どういたしまして」

 陸斗はできるだけ明るく応じる。

 彼女が気にしすぎないようにと思ってだ。

 多少は彼女の気持ちは軽くなったらしく、可憐な口元が若干ゆるむ 。

  

「いつかお返ししないとね」

 とつぶやかれたが、あまりにも小さくて彼には聞き取れなかった。

「うん? 何か言った?」

 ただし何か言ったらしいことは分かったため、彼女に確認する。

「ううん。何でもないわ」

 安芸子は二度は言わなかった。

 

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