111話「聖寿家の屋敷」
陸斗が八時五十分ごろに七弦駅の改札前つくと、すでに栃尾は来ていた。
彼女は黄色のワンピースにクリーム色のショールを羽織っていて、黒色の大きなリュックを背負い柱に背を向けて立っている。
美少女が清楚な印象のファッションでいるさまは絵になり、年若い男たちの注目を集めていた。
(普通にしていても栃尾は目立つんだなあ)
彼女の存在を改めて確認した気分になりつつ、陸斗は声をかける。
「ごめん。お待たせ」
彼に声をかけられた彼女は微笑んで答えた。
「いいのよ。私が少し早くついてしまっただけだから」
彼らのやりとりを聞いていた男性は「えっ」という顔をする。
陸斗は彼らの反応に気づかず、彼女に話しかけた。
「聖寿寺の迎えの車はすでに来ていたよ。だから後は天塩待ちだね」
「あらそうなの。高級外車なんて見当たらなかったから気づかなかったわ」
栃尾は本気で驚いたらしく目をみはる。
「そうだろうね」
事情を知っている彼は苦笑して小声で言う。
「あの人たち、こういうところは目立たない大衆車で来るんだよ。と言ってもお値段の国産車だけどね」
「なるほど、そうだったの」
彼女は合点がいったらしい。
聖寿寺という家のことをある程度理解しているからこその反応だろう。
「お金持ちはお金持ちならではの苦労があるのでしょうね」
声を低めて彼女は言った。
ふたりの会話はそこで一度途切れ、天塩が乗っているはずの列車の到着予定時刻になる。
銀色の髪とサファイアの瞳を持った美少女は、周囲の視線を意に介さず彼らのところに早歩きでやってきた。
「ごめん、お待たせ」
「大丈夫だよ」
早口で詫びた彼女に陸斗は笑顔で気にするなと言う。
彼女もまた大きなリュックを背負っている。
「迎えはこっちだよ」
陸斗がふたりの先頭に立ち、車がとまっていた場所へと歩き出す。
「安芸子の服ってかわいいね」
「天塩ちゃんのもばっちり決まっているじゃない?」
彼の後ろからはお互いに褒めあう少女たちの話し声が聞こえてくる。
陸斗は微笑ましく思いながらも、自分の後ろに周囲の視線が集中しているのを実感していた。
テレビや雑誌から抜け出してきたかのようなとびきりの美少女がふたり並んで歩いているのだから、無理もない現象である。
「そのふたりの前を歩いているお前は何者だ」と言いたげな無遠慮な視線も感じるが無視を決め込む。
土曜日の朝ということもあって人は多いため、絡んでくるような輩も現れなかった。
陸斗が彼女たちを案内したのは駅から少し離れた位置にある駐車場で、シルバーのステーションワゴンの前にはグレーのスーツを着て白い手袋をした四十代の男性が立っている。
「あ、あの人がそうだよ」
彼はふたりに教えたが、おそらく言わなくても彼女たちにも分かっただろう。
その男性は明らかに場違いな空気を生み出していたからだ。
「福岡さん、お久しぶりです」
陸斗が親しげに話しかけると、福岡と呼ばれた男性は優雅にお辞儀をする。
「富田様、お久しぶりにございます。そちらのおふた方が栃尾様と景石様ですね。本日はよろしくお願いいたします」
「よろしくお願いします」
自分の子どもほど年が離れた三名に対してうやうやしく接する福岡に栃尾は感心しながら、天塩はちょっととまどいながら対応した。
福岡はステーションワゴンのドアを開け、栃尾、天塩、陸斗の順に乗るのを待つ。
最後にドアを閉めて運転席へと回る。
「何だか未知の世界に入っていくみたい」
「少しドキドキするね」
栃尾と天塩はそう言いあう。
「こんなの序の口だよ」
陸斗は彼女たちの気持ちを理解できるし、これからの展開も予想できる。
だから無粋かもしれないと思いながらも、ふたりに軽く忠告した。
「そうなのでしょうね」
「ボク、一般的なワゴンだったことが意外だった」
と語る栃尾と天塩はワクワクしているような表情である。
(緊張しているようには見えないな。女子って強い)
初めて招かれた時は大いに緊張した記憶がある陸斗は、ふたりのことを尊敬しそうになった。
「富田君はこれまでに何回くらい聖寿寺さんの家に行ったことがあるの?」
栃尾は不意に彼に質問をする。
「えっと、二、三回くらいだよ」
彼は記憶を掘り返すのに二秒ほどかかった。
「あまり行ったことないんだね」
天塩はやや意外そうに目を丸くする。
「そりゃまあ基本的にビジネスの話は会社のほうでやるからね」
その点、聖寿寺ははっきりしていると陸斗は話す。
「それでも招かれたことがあるのは、陸斗が気に入られている証拠なのかな?」
天塩は遠慮のない発言をしたため、彼は返答に困る。
(なんて言えば無難なのかな……)
このあたり彼はまだ未熟で経験不足な高校生というところだろうか。
「天塩ちゃんもそうなればいいわね」
栃尾はそのようなことを言い出す。
「え、ボク? 無理じゃないかな?」
天塩はきょとんとしながら弱気な返事をする。
「そうかしら?」
栃尾は陸斗に聞いてみた。
「今日お会いするお嬢さんはどういう方なの?」
「大人しくて上品な感じの人だよ。……積極的に誰かを嫌う人とは思えないけど」
陸斗はできるだけ慎重に答える。
志摩子は誰とでも仲良くなれるタイプかと聞かれれば、おそらく違うだろう。
そして天塩にも同じことが言える。
「そうなんだ? ゲームについては詳しいの?」
栃尾は次の問いを発した。
「いいや?」
これに対して彼は首を横に振り、
「あの人がゲームをたしなむこと自体知らなかったよ。聖寿寺家がその気になれば、年の近い女性プレイヤーくらい集められそうなんだけどな。何なら働いているメイドさんたちに頼めばいいんだし」
と自分の疑問を口にした。
聖寿寺家の財力やツテを使えば若い女性ゲーマーを集めるのも、メイドたちをゲーマーとして育てるのも難しくないだろう。
わざわざ陸斗に紹介を頼む必要すらない。
「ふうん?」
「そうなの」
彼の言葉を聞いた天塩と栃尾は何かを感じたような表情になった。
「……何か気づいたのかい?」
陸斗の問いかけに少女たちは意味ありげに互いの顔を見合わせる。
「どうかな?」
「私と天塩ちゃんはその人のことをよく知らないから」
彼女たちはあいまいな言い方を用いた。
(どうやら下手に踏み込まないほうがいいらしい)
陸斗はそう直感し、聞き返すことを避ける。
代わりに天塩に質問を振った。
「合格通知表は届いただろう?」
「あ、うん。栄急トーナメントの予選にエントリーもしておいたよ。楽しみ」
彼女はにこりとして答える。
(正直、天塩が予選で苦労するイメージが浮かばないけどな)
陸斗はそう思ったものの、彼女の期待に水をさすのはよくないと判断して黙っておく。
栃尾も似たような表情だった。
「ご歓談のところ恐れ入ります」
彼らの会話が途切れたタイミングを見計らい、福岡が彼らに声をかける。
「もうすぐ到着いたします。ご準備をよろしくお願いいたします」
「ありがとうございます」
陸斗が三人を代表して応じた。
やがて彼らの視界に入ってきたのは緑あふれる木々と、長い赤色のレンガ壁である。
「……これ全部聖寿寺家の敷地だったりするのかしら?」
「そうだよ」
栃尾の疑問に陸斗が答えた。
「……すごいね」
天塩が万感をこめた一言を漏らす。
速度を落としているとは言え、車が五分走ってもまだ果てが見えないほど広大な敷地なのだから無理もない。
最初陸斗が来た時も彼女たちのように圧倒されたものだ。




