110話「コネを使うのはずるくない」
七弦駅に到着すると、薫が車で迎えに来てくれていた。
「よかったら安芸子さんも送っていきましょうか?」
「お心遣いありがとうございます。ですが大丈夫です」
彼女の申し出を栃尾はていねいに断ってから、自分の口で希望を伝える。
「プロe選手のマネージャーについて知りたいと思うのですけど、今度お話しさせていただけませんか?」
彼女のはっきりした発言に薫は目を丸くしたものの、にこやかに対応した。
「分かったわ。それだったら車に乗って。運転しながらでも話はできるから」
この切り返しに栃尾はぐっとつまる。
二、三秒ほど考え込んでから彼女は頭を下げた。
「分かりました。お世話になります」
一連のやり取りを見ていた陸斗は内心「薫さん、すごい」とうなる。
巧みな言い方で栃尾の遠慮を抑え込んだのだから大したものだった。
助手席に栃尾が座り、陸斗は後部座席に腰を下ろす。
「それで何が知りたいの?」
エンジンをかけて車を徐行させながら薫は率直にたずねた。
「なるために必要な知識、求められる資格。どうやって仕事をさがせばいいのかということですね」
栃尾は事前に考えていたらしく、すらすらと並べる。
「特に最後です。求人広告が一般公開であるわけではないですよね? 少なくとも私が探してみたかぎりでは見つけられませんでした」
実際に探したのかと目をみはったのが陸斗であり、薫は満足してにこりと笑った。
「いい心がけね。私たちは基本的に企業に勤めていた人たちで、選手がマネージャーを必要とした時に企業が独自の方法でさがして連れてくるの。私もそうだったわ。要するに求人広告に出ることはまずありえないわね」
「……つまりはまず、eスポーツ選手の後援をしているような企業に就職しなければならないということですか」
栃尾が厳しい顔をして考え込むと、彼女はいたずらっぽく目を光らせる。
「もうひとつ手はあるわよ」
「もうひとつ?」
しっかりしていてもあくまでも高校生にすぎない少女には、薫が何を言おうとしているのか分からなかった。
「それはコネを使うということ。極端な話、陸斗君がいいと言えば採用はされるわ。不適格と判断された場合、解雇もあるけどね」
「えっ……それっていいのですか?」
栃尾は目を丸くしてたずねる。
「いいって何が?」
薫は怪訝そうに聞き返す。
「何だかずるくないですか。コネを使うって」
「何もずるくないわよ」
栃尾の不安を彼女は笑い飛ばす。
「仕事って基本的には人に動いてもらわないといけない場合がほとんどなの。自分のために動いている人がいるというのは、その人にとって財産でもあり、立派な能力なのよ。恥じ入る必要なんかないわ」
「そ、そういうものなのでしょうか……?」
目を白黒させる女子高校生に薫はうなずいて見せる。
「ええ。私たちの職業は選手がうんと言わないかぎり採用してもらえないし、選手と上手くやれない人はすぐに解雇されてしまう。安芸子さんはただ陸斗君と上手くやれる保証がある点で有利だけど、逆に言えばそれだけにすぎない」
「他にも求められることはあるということですよね? それは何となく分かります。いえ、分かるつもりです」
栃尾は慎重に言い直す。
そんな彼女を見て薫は微笑む。
「コネにあぐらをかいて努力をしない人は論外、頑張っていても求められる仕事ができなければ解雇させてもらう。そうでなくとも、選手の成績が落ちると責任を取らされるのは私たちだからね」
彼女はその表情とは裏腹にマネージャーが置かれている厳しい現実を明かす。
「それでもマネージャーになる覚悟はある? 選手より厳しいとは口が裂けても言えないけど、別の方向性の厳しさはあるわよ」
笑顔を消して聞いてくる薫に対して、栃尾は即答する。
「はい。結果がどうなるかは分かりませんが、頑張って目指そうと思います」
決意が込められた言葉を聞いた薫は満足そうに笑う。
「いい答えね」
そう言ってから彼女はいきなり陸斗に話を振る。
「どう、陸斗君? あなたの意見は?」
「えっ? ここで俺に振るんですか」
彼は不意打ちもはなはだしい行為に声を上ずらせた。
うかつな答えをすれば栃尾との仲は気まずくなってしまうではないか。
しかし、彼の中にあるプロ選手としての矜持が、彼女の機嫌をとるための回答を阻止する。
「俺はいいと思いますが、所属契約を結んでいるプレジターの承認が必要ですよ」
「……そういうものなの?」
栃尾が彼に聞く。
「正確には許可なしでも契約できるけど、許可を取っておいたほうがトラブルになる危険を減らせる」
「そういうものなのね」
陸斗の回答に彼女は納得して引き下がる。
「まあプレジターの最高決定権を持っているのは聖寿寺さんだから、何とでもなるよ」
「あの方なんだ」
いくら栃尾がeスポーツフリークだと言っても、スポンサーの責任者が誰なのかまではさすがに知らない。
「それよりも問題は天塩かな」
「……そうね」
陸斗が言いたいことを彼女はすぐに察して同意する。
「私だけずるいって言われちゃいそう」
「言いそうだよな」
天使のような美貌はすねた顔も似合うのだが、言われるほうは対処に困るのだ。
「……天塩ちゃんか。あの子、試験官を倒していたみたいだけど、どこまで勝てるかしら」
薫は天塩に対して懐疑的なことを言う。
「試験官に勝てるならいい線いくのではないですか?」
栃尾はやや不思議そうにたずねた。
陸斗もそう言っていたはずだと思いながら。
「実力のある選手と勝てる選手ってイコールじゃないのが勝負の世界の厳しいところなのよ」
「そう言われてみればそうでしたね」
薫の言葉に彼女はあっさりと納得する。
「たしかに観戦していた試合でこの人は勝てる実力があるはずなのに、と思ったことは何度もあります」
「私はそういう場合はマネージャーが原因、もしくはマネージャーがいないせいだと考えているの」
と言う薫の表情は真剣そのものだ。
「全ての例に当てはまるとはかぎらないでしょうけど、それでも本気で自分たちの責任だと思える人こそがマネージャーに向いているともね」
先輩としての助言だと気づいた栃尾は神妙な顔で耳を傾ける。
「その覚悟を今すぐ持てとは言わないけど、ないよりはあったほうがいいわよ」
「選手のパフォーマンスを支える責任と誇りをですね」
と返す栃尾は怖気づくどころか、むしろやりがいを見つけたと言わんばかりに目を輝かせた。
(思ったよりも見込みがありそうね。陸斗君には悪いけど、ひょうたんから駒が出たかしら)
薫は運転しながらそのようなことを思う。
一方で栃尾は声を低めて聞いた。
「富田君に聞こえちゃったと思いますが、よかったのですか?」
「彼は私の想いや覚悟に気づかないほど鈍感じゃないもの。とっくに承知していたはずよ」
薫の答えにはよどみがない。
「あいにくと何にでも鋭いわけじゃないようだけどね」
という言葉は、声にはせずに自分の胸にしまっておく。
女として「もう少し何とかならないか」と思わないこともないが、「まだ十六だし」という気もする。
栃尾はちらりと彼女をさぐるような視線を向けたが、彼女は感情を読ませなかった。
「ええっと、どのあたりで止めればいい? 家の前でもいいの?」
不意に放たれた薫のこの問いに、栃尾は慌てて思考を切り替える。
「い、家の前はちょっと……次の交差点あたりで大丈夫です。歩いて十分もかかりませんから」
「了解」
薫がそう言ったところで、車の中での会話はとぎれた。




