105話「プロ試験・はじまり」
WeSAのプロ試験は東京、大阪、福岡の三拠点で開催される。
このうち福岡だけ必要と判断された場合のみ臨時でおこなわれていた。
栃尾安芸子と景石天塩のふたりがやってきたのは東京拠点である。
ふたりの家に届いた試験案内状に書かれているアクセスにしたがい、彼女たちは夏の太陽の下やって来た。
ただし、場所はWeSA協会の日本本部だったから彼女たちにとっては二度目となる。
「ここかぁ……初めてじゃないのはよかったのかな」
天塩は珍しく不安そうな声を出す。
「よかったと考えましょう。少なくとも、試験が終わるまでは」
前向きなことを栃尾が言う。
今回、陸斗は不在である。
知り合いが受けると言ってプロが来てはいけないという決まりはないのだが、彼なりに空気を読んだ。
「プロ試験って結局何をするのか分からないよね」
「富田君が受けた時はプロ選手との対戦だったらしいけど、基本的に変わるらしいものね」
天塩と栃尾はそう言い合う。
時刻は午前九時二十分であり、試験会場が開く九時半まで多少の余裕はあった。
「……中に入ろうよ」
天塩はうんざりした顔で空を見上げ、栃尾に話しかける。
この暑さ、太陽の光を浴びながら十分も待つのは大変な試練だというのは、栃尾も同感だった。
「ええ、そうしましょうか」
ふたりは建物の中に入ると、一気に体感温度が変わる。
エレベーターホールまで行くと三人の男性が立っている。
年齢は十代後半くらいの少年がふたり、二十前後と思しき男性がひとりだ。
前ふたりは学校の制服、後のひとりは白いシャツにスーツである。
年齢と服装からしておそらくは彼らもWeSAのプロ試験を受けに来たのだろう。
三人とも茶髪でふたりの少女に対して、興味深そうな視線を送ってきた。
彼女たちはそれぞれ高校と中学の制服を着て来ている。
男たちとの違いは天塩は白、栃尾は藍色のサマーセーターを着ている点だろう。
彼女たちは男の視線に当然気づいていたが、知らぬ顔を決め込む。
声をかけられたら面倒だなと思ったものの、さすがに試験前にそのようなことをする者はいなかった。
やがて三基のうち一番左のエレベーターがやってきて、五人の男女は無言で乗り込む。
案内状に書かれていたように八階のボタンを、スーツを着た男性が押す。
「君たちも受験者かな?」
高校生くらいの少年が栃尾に話しかける。
「ええ、そうですよ。選手の方ならおそらくスーツでしょう」
きれいな女の子と仲良くなりたい程度の下心しか感じなかったため、彼女は無視をせずに返事をした。
(もっとも富田君はどっちなのか分からないけど)
彼女と天塩だけの秘密である。
「僕は栃木から来たんだけど、君たちは都内なの?」
「答える必要はありますか?」
話題探しの一環なのだろうが、栃尾には初対面の異性に住所を教えるつもりはなく、手厳しい答えになる。
「ご、ごめん」
少年は慌てて謝った。
「ほっとけばいいのに」
天塩がぼそりと言ったが、少年の耳にも届く。
少年は真っ赤になって黙ってしまう。
栃尾は彼女の非礼をたしなめるべきだったのかもしれないが、感謝する気持ちのほうが大きくて何も言わない。
やはりと言うか、このような状況でこのような少年に好意は持てなかったからだ。
エレベーターを降りて左手は床から天井まで窓ガラスで、雄大な景色が視界に飛び込んでくる。
右側には「WeSA日本支部 プロ試験東京会場」という立て看板が設置されていて、スーツ姿の四十代の男性と三十代の女性が立っていた。
「受験者の方でしょうか?」
男性がおだやかに話しかけると、男たち三人が前に出る。
どうしてか目を丸くしていた栃尾と、天塩のふたりは女性が対応してくれた。
「ようこそ。栃尾安芸子さんと影石天塩さんですね。部屋に入った先にある椅子におかけになってお待ち下さい」
「ありがとうございます」
ふたりは中に入ると、大きな広間に椅子が五十脚ほど用意されていて、七割ほど埋まっている。
そのうち三割ほどが女性だった。
「さっきの男性、岩井選手よ」
栃尾は天塩にだけ聞こえるように小声で言う。
「岩井選手って、ミノダトオルと並んで日本2トップの人?」
場所が場所だけに天塩も富田陸斗の名を出すことは避ける。
「ええ。先に行った三人、気づいていなかったみたいね」
「じゃあ大したことない相手かも?」
親しくない相手には辛らつになる天塩が容赦ない発言をしたものの、栃尾は同意しなかった。
「天塩ちゃんみたいな例外もいるかもしれないでしょ」
「……たしかにボクはプロ選手の顔、全然分からないね。ボクがどれくらい強いのか知らないけど」
天塩はうなずきながらも心底同意したわけではない。
彼女は自分のことはアマチュア選手としてはそこそこのほうではないかと思っていたのだが、最近本気を出すようになった陸斗に叩きのめされてばかりなせいで、自信をなくし気味なのである。
陸斗並みの強さを持った選手など世界中でもひと握りしかいないのだと分かっていても、感情のほうがついてこなかった。
「そのあたりは今日分かるって思っておきましょう」
栃尾は年下の友人に言い聞かせつつ、自分にも言い聞かせる。
「うん」
空調がよく効いている部屋の後方で待っていると、ふたりの後にさらに何人か男女がやってきた。
そして室内の電気がいきなり消えて、前方の壇上にスポットライトが当てられる。
そこへあがったのは三十代くらいのスーツを着た男性だ。
「お待たせしました。ただいまより、WeSA日本支部のプロ試験を開催いたします。皆様にはゴーグル型のVR機を配布いたします」
男性の声に合わせて何人かの男女が受験者たちにゴーグルを配っていく。
「筐体型はないのかな?」
「筐体型をこの人数に合わせて用意するのは無理だろ」
少年の声で疑問が聞こえると、すぐに誰か男性が答える。
筐体型とゴーグル型は前者のほうがずっと高い。
その分プレイヤーにかかる負担を軽減してくれるから人気商品なのだが、現代においても数を仕入れられるような金額ではなかった。
全員にゴーグル型がいきわたったところで、マイクを持った男性が口を開く。
「では早速試験を行いましょう。今回の試験はパズル、アクション、シューティングで試験官と対戦して頂きます。その結果を見て判断いたします」
「試験官って現役のプロだよな?」
「たまに元プロもやるらしいけど、プロ級の実力があるのは間違いないでしょうね」
受験者たちの間で起こる声をとがめず、静まるのを待ってから男性は言う。
「試験官を務める選手たちはすでにログインして、皆様を待っております。今回は全員が現役のプロです」
「岩井選手は違うのか。会場に来ているから、てっきり試験官なのかと思った」
誰かが口にした通り、岩井は会場の後方で待機している。
試験官全員がすでにゲームにログインしているということは、つまり彼は今回の試験官ではないということだ。
「えっ? 岩井選手がいたの?」
気づいていなかったらしい人たちからざわめきが起こる。
日本を代表する選手の名前はさすがに知っていたようだが。
「岩井選手がいないほうが都合はいい?」
天塩が小声で栃尾に話しかける。
「合格基準は同じだろうから、あまり関係はないと思うわ。試験官が合否判定を出すなら、分からないけど」
「そこが分からないんじゃ、たしかに関係ないかも」
陸斗はこの件について何も教えてくれなかった。
聞いたところで試験官の好みに合わせたプレイをするような器用さをふたりは持っていない。
彼なりの節義のようなものだろうと彼女たちは解釈して、ゴーグル型VR機を装着する。




