9話「皇蛇」
次話は7月16日(土)午前9時ごろ更新する予定です
グリージョたちは休憩と進軍を繰り返して、いよいよ腐乱の皇蛇がいるエリアに足を踏み入れる。
そこは背の高い木々に囲まれていくつかの毒の水たまりがあるうす暗く不気味な場所だった。
「腐乱の皇蛇は毒ブレス、毒牙かみつき、しめあげの三つが主な攻撃パターンだったよな」
フミアキが確認をかけてグリージョに話しかける。
「うん。一番面倒なのはしめあげだな。毒牙かみつきとほとんど同じモーションで来るから避けるのは難しいんだ」
「アルジェントくらいよね。どちらも普通に対処できるのは」
グラナータがどこかなつかしそうに言うと、ヨシヒコがぎょっとした顔になった。
「えっ? グリージョでも無理なのかい?」
「恥ずかしい話だけど、かれこれ五、六回は食らってしまったかな」
グリージョは本当に恥ずかしそうに目をそらしたものの、フミアキは怪訝そうに問いかける。
「倒した回数は?」
「三十から先は数えてないな」
彼が記憶を掘り起こしながら答えると、フミアキとヨシヒコの二人はそろってため息をついた。
「あんたも十分すぎるほど化け物だよ……」
三十回以上戦って食らった回数がほんの数回しかないのであれば、ほとんど避けているのではないか。
彼らはそう考えてあきれたのである。
「はい。おしゃべりはここまでにしましょう」
グラナータが注意をうながした為話は終わり、彼らは前方に視線を向けた。
そこには毒々しい紫の霧をまとった巨大な黒い蛇が出現し、まがまがしい赤い眼光で彼らを射抜く。
今回の目的であり、このエリアの主である「腐乱の皇蛇」であった。
その毒はHPを削るばかりではなく、プレイヤーを麻痺させたり装備の能力を一時的に低下させてしまう。
恐ろしいボスの登場にフミアキとヨシヒコは生唾を飲み込む。
「グラナータ」
グリージョの一言でグラナータは味方全員に状態異常対策のバフをかける。
それが合図となったかのように皇蛇は鎌首をもたげて「シャァアア」と金属質の声を発した。
「皇蛇の攻撃を後衛が一発でももらうと一気に厳しくなる。そのつもりでいてくれ」
彼の言葉にフミアキとヨシヒコはこくりとうなずく。
その間にも皇蛇は静かに間合いを詰めてきている。
フミアキとグリージョの二人が同時にスキルを発動させ、皇蛇のヘイトをあおると赤い瞳がフミアキの方を向く。
ヘイトに大きな差がない場合はHPが低い者、あるいは弱い者を的確に狙ってくるのが皇蛇というボスなのである。
グリージョがそのまま黙って見ていれば、フミアキが蹂躙されてしまうかもしれない。
もちろん彼にそのような意思はなく、皇蛇の側面に急いで回り込んで剣で攻撃する。
ところが剣は鈍い音とともに跳ね返されてしまう。
皇蛇はダメージを一定数蓄積させないかぎり、必ず攻撃が跳ね返される結果になるのだからあわてる必要はないのだが、標的はフミアキに固定されたままだった。
今の一撃では切り替わるほどのダメージを与えられなかったのである。
それでもフミアキに心理的な余裕を生む効果はあった。
(腐乱の皇蛇に先手をあっさり当てるようなプレイヤーが味方にいるんだ)
そのおかげか、皇蛇の噛みつき攻撃を冷静に盾で防ぐ。
牙を盾で止められた皇蛇は高速で飛びすさる。
どのようなメカニズムでそのような動きができるのか、フミアキには理解できない。
それでもボスの最初の一撃を無傷でしのげたというのは、彼にとって自信になる出来事だ。
彼が息をつき、皇蛇が着地して次の行動に移すまでのわずかな硬直時間。
まさにそのタイミングを狙ってグリージョは地を蹴って、敵との距離を一気に詰める。
そして反応すらできない皇蛇に三発入れて距離を取った。
さらにそこへグラナータが炎の魔力矢、フレイムアローを叩き込む。
皇蛇に大きなダメージこそ与えられなかったが、戦いの主導権は彼らが握っている。
フミアキとヨシヒコがそう思うには十分な光景であった。
「基本的に今の繰り返しだけど、体力が減ったら毒ブレスとしめあげが来るからそれに気をつけてくれ」
「了解」
グリージョの警告に彼らは再び集中する。
先ほどの攻防で皇蛇のヘイトはグリージョに切り替わったようで、赤い眼光が彼に向けられた。
彼にしてみればその方がよほど戦いやすい。
高速の飛びかかりからの噛みつき攻撃を双剣の片方で見事にさばいてみせる。
「マジか……目の前で初めて見た」
フミアキとヨシヒコが異口同音につぶやく。
噛みつき攻撃のたぐいを武器で受けとめ、部位に属性ダメージを与えるのは上級者の戦術として知られているが、それを実行できる者は多くない。
グリージョはその少数の一人なのであろう。
皇蛇は攻撃の失敗を悟ると素早く距離をとる。
この慎重な行動の多さが、皇蛇がやっかいな理由のひとつだ。
炎竜や灼熱獅子のように強引に攻めてくるのであればそれを利用して一気にラッシュをかければよいのだが、なかなかそれをさせてくれないのである。
通常ならばグラナータが爆撃をおこない一気にHPを削りにかかるところだ。
しかし、やはり皇蛇相手だと慎重にならざるをえず、数発撃っただけにとどまる。
皇蛇は再び鳴くと口から紫色の霧状ブレスをはいてきた。
「マジか? もう毒ブレスかよ?」
フミアキとヨシヒコはあわてて後方へ逃れる。
彼らの予想よりもグリージョとグラナータが与えたダメージは多かったらしい。
皇蛇の毒ブレスは触れただけでもやっかいな状態異常を引き起こす。
彼らの反応は当然のことだった。
ただ、グリージョはそれをせずにブレスの射程範囲外から回り込む。
毒ブレスの時にプレイヤー全員が皇蛇から距離をとってしまうと、かえって危険になるからだ。
ブレスを吐いている時は尻尾が無防備になる為、ダメージを与えるチャンスになる。
必殺スキル「真・飛燕斬り」を発動させ、激しく尻尾を斬りつけた。
この必殺スキルは与ダメージが減少する代わりに敵の防御力を無視でき、さらにダメージ判定回数を増やせるのである。
皇蛇のように防御力とHPが高いボスと戦うのに向いたスキルだった。
スキルが切れると同時に彼はできるだけ急いで皇蛇から離れる。
残念ながらまだ尻尾は切れなかったが、深追いは禁物だ。
「GUOOOOOOOOOOOOO」
皇蛇は低いガラガラとしたうなり声をあげて、体の色が赤紫へと変色する。
「怒り状態……ここからが本番なんだよな」
ヨシヒコはぺろりと唇を舐めた。
「そうですね」
グラナータは短く応じると必殺スキル「ディザスターレイ」を放つ。
怒り状態に切り替わった瞬間の皇蛇は無敵だが、そこから十分の一秒以上経過すればダメージが入ることはすでに検証されている。
エルフはそれを狙って成功したのだ。
先ほどグリージョが必殺スキルを撃ち込んでいたからこそ、この瞬間エルフも必殺スキルを使える。
皇蛇の弱点である火属性をまとった強力な矢がその頭部に撃ち込まれた。
HPがじわじわと減っていくが、皇蛇もいよいよ動き出す。
その動きは怒っていない時よりも三割ほど速く、フミアキとヨシヒコの虚をついた。
怒った皇蛇が最初に狙ったのは自分に最も攻撃を加えたグリージョである。
彼の方は当然それを予期していた為、攻撃を間一髪のところで避けた。
フミアキは彼をフォローしようと近づき、彼に怒鳴られる。
「ダメ! そこからしめあげが来る!」
ハッとして飛びすさろうとしたがすでに遅い。
皇蛇の太い胴体はフミアキの全身に巻きついている。
初めは痛みはなく、ただ身動きがとれないだけだった。
しかし、それでも彼の体力ゲージは少しずつ減っていく。
皇蛇の鱗に触れているとそうなってしまうのである。
「やばい」
ヨシヒコが助けようと接近すると、皇蛇は毒ブレスを彼を狙って吐く。
「うわああああ」
まともにブレスを浴びた彼のHPは一気に半分減ってしまう。
さらに彼は気を失ってその場に倒れこんだ。
「仕方ないか」
グリージョは腹をくくると一気に距離を詰め、皇蛇の尻尾を狙って必殺スキルを発動させる。
皇蛇が彼に目標を変えてかみついてきたが、彼は何とそれを剣の柄で受けた。
「えっ?」
遠くから見ていたグラナータが思わず目を剥いた神技である。
皇蛇はかみつき攻撃を止められてしまうと、次のモーションに移るまで一秒ほど硬直してしまう。
グリージョはその隙に一気に尻尾を切断してしまった。
これによって皇蛇は大きな苦悶の声を漏らしフミアキから体を離し、倒れこむ。
ダウン状態となった皇蛇の頭部にグラナータはすかさず集中攻撃を浴びせる。
グリージョの攻撃でHPが削られていたと思われる皇蛇は、そのまま倒されることになった。
呆気にとられているフミアキに対して彼が話しかける。
「いやあ、とっさにやってみたけど上手くいってよかったよ」
「あ、ああ、すごかったな」
フミアキが言ったのは攻撃の最中に皇蛇の牙を剣の柄で止めた行為だろう。
「まぐれ、まぐれ、大まぐれさ」
グリージョは自分でも白々しさを感じるほどまぐれを連呼する。
「まぐれでもすげえよ」
フミアキはそれに気づかず、彼の言葉を素直に信じた。
狙ってやったと言われるよりもはるかに信じやすかったのである。
だが、グラナータは訝しげな視線をグリージョに向けていた。
(このゲームもそろそろやめ時かな)
エルフの方をごまかすのは難しいと彼は感じる。
己の行動に後悔してはいないが、若干寂しくなりそうなのも事実だった。
「とりあえずヨシヒコを起こそうよ」
グリージョが言えばフミアキはあわてて仲間のところへ向かう。
それと入れ替わるようにグラナータが近づいてくる。
「グリージョ、あなた……あれがあなた本当の実力なのね?」
彼は無言で美しいサファイアブルーの瞳を見つめた。
敵の攻撃をグリージョがやった方法で防ぐことでよりダメージを稼げるというのは、机上の空論と言われている。
「できるとしたら一流のプロゲーマーくらいだろ」
というのが通説であった。
ゆえにあくまでもまぐれだと言い張れば、グラナータは反論できないに違いない。
それでもグリージョは否定しようとしなかった。
元々異分子に近い存在だという意識があり、何かあればすぐにゲームから消えなければと思っていたというのもある。
それ以上にゲーム内でつき合いが長いこのエルフに今まで罪悪感のような感覚もあった。
本人もよく分からない複雑な心理が彼に沈黙を守らせる。
そしてグリージョのこの反応こそが肯定だとグラナータは解釈した。
「……アルジェントは知っているの?」
「知らないはずだ。一度も見せた覚えはないからな」
彼は本当のことを答える。
「そう。彼らの為にあえてそれをやったあたり、何だかあなたらしい気がするわ」
グラナータは微笑む。
子どものいたずらを許す慈母のような優しい表情だった。
それが高校生になったばかりのグリージョを困惑させる。
「怒らないのか?」
「怒れないわ」
エルフは再び笑った。