102話「久しぶりの学校」
陸斗が登校するとダービーの話でもちきりだった……とはならない。
残念ながら彼が顔を出すまでに熱は落ち着いてしまったようだ。
(まあこっちのほうが気楽でいいや)
彼は周囲の称賛を浴びて得意になれるような性格ではない。
居心地の悪い思いをせずにすんでよかったと思える。
期末テストは終わってしまっていたが、これもまた彼にとっては幸いだった。
補習を受けて終わりのほうが遥かに楽だからである。
「おお、久しぶりだなー、富田」
彼が席に座ってぼーっとしていると、小林と水谷がやってきた。
「ああ。そうだな。水谷はテストどうだったんだ?」
「久しぶりに会ったのに、いきなりそれかよ……」
水谷は思い出したくないことを思い出してしまったように肩を落とす。
この反応と顔色の悪さから、陸斗にもおおよその見当はつく。
「補習だな。おかげで当分VR機は戻ってこない」
「くそう……バカ親父め、何が『学生の本分は勉強だ』だよ。学生の本分は遊びだよ、なあ?」」
水谷は悔しそうに髪をかきむしりながら同意を求めたが、陸斗は何も言わなかった。
どう言えばいいのか判断しかねたからである。
代わりに小林が言う。
「遊びもいいが、勉強も忘れたらダメだろう。困るのはお前なんだぞ」
「勉強ができなくても何も困らないだろう。何が困るって言うんだ?」
水谷は開き直ったのか、胸を張ってそのような主張をする。
「そうか、そうか、何も困らないのか。じゃあ勉強に付き合うのは止めにするよ」
小林が冷ややかな声で言い放ってそっぽを向くと、たちまち彼は降参した。
「ま、待ってくれ。俺が悪かったです。勉強を教えてください」
懇願しながら小林の両肩をがっしりとつかむ。
「お願い、見捨てないで」
突如として発生した愁嘆場についていけないものを感じた陸斗は、そっと距離をとった。
「あ、富田、てめー、薄情者!」
「巻き込むのはやめろよ。大体お前が悪いんじゃないか」
陸斗は水谷に言い返しつつ離れていく。
と言っても、自分の席から離れたところでアテがあるわけではない。
クラスで話せる知り合いは水谷と小林以外ではせいぜい佐野くらいだろうか。
「またはじまったのか、あいつら。富田も災難だな」
そう思っている彼に一人の男子生徒が話しかけてくる。
「うん」
爽やかなスマイルの茶髪の男子生徒に彼は目を向けたが、名前はすぐに出てこない。
「小野寺だっけ」
「そうだよ」
半信半疑な気分で名前を聞くと、正解だったらしく小野寺はにこりと笑う。
「そろそろ七月なのに、富田は人の名前を覚えるのが得意ではなさそうだね」
「ああ、ごめんな。物覚えもあまりよくないんだ」
同じクラスの仲間に対して失礼だという自覚はあるため、陸斗は自虐をまじえて詫びる。
「これまであんまり話したことがなかったものな。仕方ない、気にしなくていいよ。これからよろしくな!」
白い歯を見せながら手を差し伸べてくる小野寺の姿に、彼はコミュニケーション能力の違いを思い知らされた。
「うん、よろしくな」
さらりと返事が出てきたのもきっと小野寺のコミュニケーション能力のおかげだろう。
陸斗はそう考えてながら彼と握手をかわす。
担任がやってきたため、彼に「またな」と言って席に戻る。
その後連絡事項が伝えられ、最後に陸斗の名前が呼ばれた。
「富田ー、期末テストを受けられなかった件について話がある。またあとで職員室に来るように」
「分かりました」
彼が答え、担任が出ていき、すぐに授業がはじまる。
一限目の休み時間に職員室に入ると、笑顔と拍手で出迎えられた。
「おめでとう!」
まさかのスタンディングオベーションに彼は驚き焦る。
「ちょっ」
慌てて周囲を素早く見回したが、幸い誰もいなかった。
「や、止めてくださいよ!」
「いやーすまん。でも、おめでとうだけだったら、何のことか分からないだろうと思ってな」
少しも悪びれず笑顔で話す担任に、陸斗はがっくり肩を落とす。
普通に言っても無駄だとしても、釘を刺さないわけにもいかない。
そのため、脅すような内容にする。
「秘密漏えいの原因になったりしたら、最悪WeSAに訴訟されますよ。それでもいいんですか?」
「さ、裁判はやばいな……」
ことの重大さが伝わったのか、先生たちの顔色が一気に悪くなった。
実のところ陸斗も栃尾や天塩たちとの時は、かなり危うかったのである。
(二度とならないように気をつけなきゃな)
と強く思っているし、だからこそ教師相手にやや厳しい言い方になってしまったのだ。
「マスコミがかぎつけて取材に来るかと予想していたのに少しもそんな気配がないから、おかしいなとは思っていたんだ」
担任はそう言って腕組みをする。
「そりゃそうでしょう。散々釘を刺されているはずですからね」
陸斗は苦笑まじりに答えた。
報道機関が全力で調査すれば、ミノダトオルの本名や住所は絞り込むのは難しくない。
それをしようとする会社が現れないのは、相応の理由があるからだ。
「ううむ、私たちは分かっているつもりで、認識は甘かったということか」
先生たちは真剣な面持ちで反省しているようである。
陸斗も目上の人間にうるさいことを言わずにすんで何よりだと思った。
「では本題に入っていただいてもいいですか?」
彼が催促すると、先生たちは仕事に戻り担任が話をはじめる。
「ああ。校長先生と教頭先生、学年主任と相談した結果、お前の補習は免除することになった」
「えっ? 本当ですか?」
目を丸くする陸斗に、担任は笑顔を向けた。
「なんせ世界一になってしまったんだからな。当然と言うか、ささやかなご褒美みたいなものだ。お前は成績自体はいいほうではないが進級できないほどひどくはないし、授業態度はまじめそのものだ。免除してもいいだろうと判断された」
「そ、そうでしたか」
話を聞いた彼は、まじめに授業に出ていてよかったと心底思う。
由水や薫が口うるさく授業や課題はできるだけまじめにやれ、と言っていたことは本当だったのだ。
「そのかわり、いつの日か本名と通っていた高校を公表してくれよ。そうすりゃうちは一気に有名校の仲間入りだ」
担任は笑いながら言うが、表情にも声にもいやらしい打算のようなものは感じられない。
おそらく本気での発言ではないのだろう。
「ははは、そんな上手くいけばいいんですが」
だから陸斗も軽い気持ちで言葉を返す。
「話はそれだけだ。教室に戻ってくれてかまわないぞ」
「はい、それでは失礼します」
彼はぺこりと頭を下げて職員室を出て行く。
相変わらず誰もいなかった。
(もしかして、生徒が来ないように調整されていたのかな?)
そのため陸斗の頭にはこのような考えが浮かぶ。
でなければひとりも生徒の姿がないのは、いくら何でも不自然だ。
何だかんだで必要な配慮はされていたのだろう。
(言い過ぎちゃったかな?)
過敏な反応をしてしまったかもしれないと反省し、守ろうとしてくれている学校側の配慮に感謝もしながら、陸斗は教室へ戻る。




