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100話「恩返し」

 話し合いが終わり、オリエンタル自動車に前向きな返事をしたところで、由水が夕飯の支度をはじめる。


「あ、手伝います」


「いえ、私にやらせて。たまには母親づらしたいの」


 由水は薫の申し出をやんわりと断った。

 こう言われると彼女は食い下がるわけにもいかず、仕方なく陸斗とふたり待つことにする。

 手持無沙汰になった彼らのうち、薫が陸斗に問いかけた。


「どれくらい試合数を増やすつもりなの?」


「無理するなって言われたし……グレート十二以外はできる範囲でってことになるね。夏休みにあるのは何だっけ?」


 陸斗はグレート十二以外の大会名をとっさに思い出せなかったのだが、薫はさっと口にする。


「栄急トーナメントが今月の第四週の土日にあるわ。開催地は都内で、まだエントリーも受けつけているみたい。エントリーする?」


「都内なら在来線で行けるしね。エントリーしようかな」


 彼の言葉を聞いた薫はエントリー手続きをおこなう。


「栄急トーナメントはゴーナンカップよりも賞金が少ないし、ポイントももらえないのよね。だから日本選手権のトライアル、電子新聞杯に人気が集中しているみたい」


「そりゃグレート十二とそれ以外じゃ差は大きいよ。欧米だと差が小さい大会もあるみたいだけどさ」

 

 嘆息するマネージャーに陸斗は仕方ないと応じる。

 残念ながら日本はまだ欧米ほど大きくなっていない。

 栄急トーナメントに出るより、トライアル大会でチャンスをつかむべきだと考える選手はかなりいる。

 もちろん、両方出るという選手だっているだろうが。


「日本電子新聞杯は今週なんだっけ?」


「ええ。でも陸斗君はエントリーできないわよ」


「知っているよ」


 陸斗は答えてから薫とふたり笑いあう。

 日本電子新聞杯は日本選手権への出場枠がかかったトライアル大会で、まだ出場資格を持っていない選手が中心となる。

 海外とは違って出場資格を持っている選手の参加を認めていないのは、アンバーと陸斗の会話で出たとおりだった。


「じゃあ栄急トーナメントについて、ちょっと情報を仕入れておこうかな。初出場だし」


 今まで出たことがないため、彼はほぼ何も知らない。

 だから栄急トーナメントの情報を集めようと携帯端末を操作する。


「それはかまわないけど……たった今、大会主催者からメッセージが来たわ。本当に出てくれるのか、ですって。気持ちはわかるわ」


「そんな、大げさだね」


 陸斗は反射的に言ってから、疑問を声にした。


「それともタイトル戦優勝者はそう思われているのかな?」


「久しぶりに出た日本人優勝者ですもの。余計にそういう風に思われやすいと考えたほうがいいのかもしれないわね」


 薫の予想になるほどと彼は思う。


「大変じゃない?」


 気遣うような視線を向けてきた彼女に対して、彼は笑みを返す。


「とんでもない。非常に光栄なことだよ」


 もしかしたらただ鈍いだけなのかもしれないが、彼は「タイトル戦優勝者」という肩書をさほど重荷に感じていない。

 そのことを薫は頼もしく思う。


「もちろんですって返したら、喜んでシードを用意するそうよ」


 タイトル戦獲得者が国内の大会でシードされるのは、むしろ当たり前である。


「そっか。ありがとう」


 それでも報告しておくのが彼女の役割だったし、陸斗は落ち着いていた。


(私が気づいていないだけで、この子はスーパースターの素質があったのかもしれない)


 期待感に胸が高鳴るが、大人のエゴで潰れるようなことになってはいけないとも考える。


「栄急トーナメントのテーマはシューティングらしいわね。……狙っていたわけじゃないのよね?」


 薫は主催者からのメッセージを見て、ついつい陸斗にたしかめたくなった。

 ミュンヘンカップとテーマジャンルが同じであれば、彼女でなくとも勘繰りたくなっただろう。


「いいや。それだったらちゃんと覚えているよ」


 今月に試合があることすら知らなかったのだから、計算しているはずがないと陸斗は肩をすくめる。

 

「それもそうよね」


 彼女もそうだろうと思い、すぐにうなずいた。


「ところで薫さん、天塩と栃尾の試験日程、分からないかな?」


 陸斗の唐突な質問に薫は目を丸くし、からかうような表情になる。


「スケジュールが大丈夫なら見に来て、なんて頼まれたりしたの?」


 ズバリその通りだったため、彼は一瞬言葉に詰まってしまった。

 彼女にはそれで充分である。


「協会に問い合わせてみるわね。教えてもらえるかどうかまでは分からないけど」


 彼女の回答に陸斗は安心した。

 

「できればちょっとゲームしたいんだけど、止めたほうがいいかな」


 彼がつぶやくと、薫は大きく首を縦に振る。


「止めておいたほうがいいわよ。由水さんががっかりするでしょう。たまにはゲームをしない時間を作ってみたら?」


「うん、そうするよ」


 陸斗は素直にしたがう。

 母が料理を作ってくれている間、じっと待つのも子としての時間ということだ。

 彼がゲームをしに行ってしまえば由水はがっかりする。


(だとしたら申し訳ないな)


 これもまたひとつの母親孝行なのだ。

 

「端末を操作するのは許してもらいたいけどね」


「それは仕方ないんじゃない? じっと待っていられても由水さんは気を遣うでしょう」


「そういうものなんだ」


 誰かのために料理をした経験がない陸斗には、想像しにくい。


「俺も料理のひとつくらい、できたほうがいいのかな?」


 そのせいかこのような疑問を持つ。


「できないよりはできるほうがいいのでしょうけど、陸斗君の場合は専門職を雇うという手があるからね。私もそこそこできるし」


 薫は彼の気持ちに水をさすようなことは言わなかったが、安易な肯定もしなかった。


「うーん、それはそれでちょっと申し訳ないと言うか」


 陸斗が情けない顔をしたため、彼女は彼の遠慮を笑い飛ばす。


「あなたの健康管理も私の仕事のうちだから」


「いつもお世話になっております」


 頼もしいマネージャーに真面目に礼を述べる。


「結果で返してくれたらいい……といつもなら言うところだけど、つい最近すごい結果を出したわよねえ」


「うん。ダービー優勝したよ。恩返しになった?」


 彼が笑顔で聞くと、薫は苦笑交じりにうなずいた。


「ええ。最高の恩返しだったわ。私だけじゃなくて、スポンサーにもね」


「ならよかった」


 彼がスポンサー契約した時、「何であんな子どもと」という声が複数あったことを、彼はまだ覚えている。

 今となっては「先見の明があった」と言われるようになるだろう。

 

「過去の栄急トーナメントの優勝者……日本選手権に出てない人もいるんだね。出ている人もいるけど」


 陸斗が知っている名前もいくつかある。

 彼らは要注意選手だと警戒しておく。


「まあ余裕があれば連戦するでしょう。結果を出さないと赤字になるけど、結果を出せばけっこうもらえるでしょ?」


「優勝賞金が五百万、準優勝で二百万、ベストフォーで百万、ベストエイトで五十万だもんね」


 八位以内に入れれば充分利益は出ると言える。


「何とか決勝まで行きたいね」


「陸斗君の場合、優勝が義務レベルでしょ。負けていいのは岩井さんがいた時くらいよ」


 控えめと言うよりは弱気な発言をする陸斗に、薫が突っ込みを入れた。


「……勝つのが当たり前って、言うほうは気楽でも言われる側はプレッシャーになるんだよなあ」


 彼はぼやいたが自分の立場の自覚がないわけではない。

 相手が薫だからじゃれているのだ。

 

「あ、そうだ。栃尾と天塩と三人で勉強会やろうって話になっていたんだった。それも七月の下旬に」


 彼がポンと手をたたくと、彼女はジト目になる。


「まさか栄急トーナメントの日じゃないでしょうね?」


「いや、具体的な日程は決めていなかったから……」


 陸斗は慌てて否定した。


「たぶん第三週とかでもいいはずだよ」


 彼がエラプルで確認してみると、幸いすぐに返事が来る。

 ふたりとも第三週の土日でかまわないとのことだった。


「日帰り?」


「当たり前だよ!」


 薫の問いに陸斗は力いっぱい即答する。


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