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99話「数字は分かりやすい」

 翌日、陸斗はヒースロー空港から飛び立って日本へと帰国する。

 英雄の凱旋に熱狂的な騒動に……とはならなかった。

 ミノダトオルがいつどの経路で帰国するのか、薫とWeSAの関係者しか知らなかったからである。 

 おかげで陸斗はおだやかな日常を過ごすことができた。

 

「WeSAへの電話とメールが殺到しているそうよ」


 空港近くのいつものホテルにチェックインした後、薫が苦笑まじりに教えてくれる。


「そっか。まだ実感わかないけど」


 天塩と栃尾からある程度のことを聞かされたのだが、それでも陸斗は今ひとつピンと来ていなかった。

 ひょっとしてかなり鈍いのかと少し不安になる。


「まあ、何が何でもしなきゃいけないわけでもないし、いいんじゃない?」


 薫は擁護するように言う。

 彼の浮つきにくい性格は長所だと彼女は考えているからだ。

 プロ選手としての実働時間はまだまだこれからなのだから、過去を振り返るよりは明日を見て歩いているほうが好ましい。

 

「学校は明後日からでいいわよね」


 寝る前に簡単な予定の確認をおこなう。


「うん。さすがに明日はね……ここを六時に出ても間に合わないし。昼前で終わりだし」


 陸斗は笑って肩をすくめる。

 残念ながら彼が通う星峰高校は、国際空港から距離がありすぎた。

 在来線に新幹線を走らせるような暴虐でもしないかぎり、まず間に合わない。

 さらに夏休み前ということで午前中のみで授業が終わる。

 学校側も「無理して登校しなくてもよい」と言っているため、陸斗は甘えることにしたのだ。

 

(このホテルに泊まるのは何回めになるんだっけ?)


 陸斗はシャワーを浴びて藍色のパジャマに着替えてベッドに寝転がり、ふと疑問を抱く。

 このホテルは海外から帰ってきた日は必ずと言っていいほど泊まるから、今年だけで三回めくらいになるはずだ。

 一回めは三月のフランス凱旋門杯の時、二回めはアメリカのロペス記念の時……次来るとすれば、おそらくドイツのミュンヘンカップの時になるだろう。

 さすがに部屋は毎回違うのだが、内装は同じ作りである。

 すっかり覚えてしまったし、ホテルの人ももしかしたら覚えているかもしれない。

 

(WeSAの指定ホテルだから大丈夫だろう)


 と考えたところで、陸斗は睡魔に負けてしまった。

 

 次の日、彼と薫はチェックアウトするとビルではなく一度自宅のほうへ向かう。


「今日は由水さんがいる日なのよ。夜勤明けだけど」


 陸斗は知らなかったが、薫はきちんと把握していたのだ。 

 

「話し合うなら早いほうがいいでしょう」


「うん」


 彼女の気遣いに感謝しながらも、彼はひそかに緊張する。

 母との話し合いとは今後は出場する試合を増やしたいということだ。

 そのためにはまず母を説得する必要がある。

 母さえ説得できれば、学校はおそらく何も言わないだろう。

 WeSAにいたってはむしろ歓迎してくれる可能性が高い。

 有力選手の出場数が増えるということは、選手目当てでの観戦する人の数の増加につながるからだ。

 見慣れているはずの自宅も、今日の陸斗には何やら違っているように映る。


「私も同席するから」


 当然のごとく薫は言う。

 本来なら母と子の会話に第三者はいないほうがいいのだろうが、ミノダトオルの選手活動に関係しているとなると話は別だった。

 

「すまないけど、母さんが起きてくるまで時間をつぶさなきゃいけないと思うんだ」


 鍵を開け彼女を中に入れながら陸斗は言う。

 申し訳なさそうな彼に対して、薫は笑顔を返す。


「平気よ。いろいろ来ている仕事のオファーについて、いい機会だから話しましょ」


「うへえ」


 ここまでの道中、彼女はあえて何も言ってこなかった。

 とうとう時が来たのかと陸斗がげんなりすると、彼女はクスリと笑う。


「仕事の内容を知れば、由水さんも見直してくれるかもしれないわよ」


 上手い言い回しではあるが、彼は言外に含まれている情報を察知する。


「それはうれしいけど、つまりそんなオファーもあるってことなんだよね?」


「ええ。実はオリエンタル自動車からなの」

 

 薫は満点の解答用紙を差し出す教師のような顔で打ち明けた。


「オリエンタル自動車!?」


 オリエンタル自動車は世界トップクラスのシェア


 を誇る巨大企業で、桜ノ宮杯のスポンサーでもある。

 国内のeスポーツにおいて聖寿寺が率いるプレジターグループと並ぶ重要な存在だ。


「契約料も一億出すし、今後の活躍次第で増額も見当するっていう太っ腹な条件よ」


「それはすごいね……」


 一流のプロ選手であれば企業から契約料をもらっているし、陸斗も実はすでに経験がある。

 しかし、一億越えとなるとめったに聞かない金額だった。


「タイトル戦を獲るってことがどういうことか、ちょっと実感できた?」

 

 薫は口元をゆるめながら、からかうような目で陸斗を見る。


「できたねえ。数字は分かりやすい」


 彼はまだ数字がすべてだと割り切れていないのだが、プロである以上数字は無視できないということは弁えていた。

 

「プレイヤーネーム制度の適用を止めれば、広告やコマーシャルにも起用できるから、収入はアップしやすいわよ。マテウスとモーガンと言えど、プレイヤーネーム制度を使っていたらもう少し収入は下がっているでしょう」


「……うん」


 将来的には適用外になることを視野に入れようと陸斗は思う。

 細やかな打ち合わせをしていると、由水が起きてくる。

 薫が立ち上がったのを陸斗は制して、自分で麦茶を入れて母に手渡す。


「ありがとう」


 冷蔵庫でよく冷やした麦茶をグイッと飲み干し、ようやく由水の顔に明るさが戻る。


「それで? どんな話があるの?」


 彼女は息子とそのマネージャーにおだやな視線を送った。


「分かりますか」


 薫が目を軽くみはると、彼女はうすく笑う。


「そりゃ今日にかぎっていつもと違う行動をすればね。母親の勘、甘く見たらダメよ」


「恐れ入りました」


 陸斗はおとなしく兜を脱いで白旗を振る。

 由水はもう一度笑うとキッチンの椅子に座り、ふたりにも勧めた。


「座って聞くわ」


 ふたりは彼女と反対側に腰を下ろし、陸斗が口を開く。


「率直に言うと、出場する試合を増やしてみたいんだ。そうするとランキング上位の維持が狙えるし、グランドチャンピオンシップへの出場も見えてくる」


「いいわよ」


 まずは自分の希望と理由か話してそれから説得を、と思っていたらあっさりと由水は許してしまった。

 唖然とする息子に彼女は切なそうなまなざしになる。


「ダービーの結果の報道、見て思ったの。もしかして私は、息子の邪魔しているんじゃないかって。自由にさせれば大空に羽ばたいて行ける力があるのに、私が無理に鎖でつなぎ止めようとしているんじゃないかって」


「そ、そんなことないよ!」


 思いもよらない母の言葉を聞いて、陸斗は全力で否定した。

 彼の心情としては何が何でも否定しておかなければならない。


「俺がこうしていられるのも、母さんが女手ひとつで懸命に育ててくれたからで、邪魔なんてとんでもない!」


 由水は黙ってうつむく。

 しばらくの間を置いて、ぽつりとつぶやいた。


「そうだといいけど……」


「うん、そうだよ。母さんは気にしすぎだよ」


 陸斗はここぞとばかり力強く言い切る。

 息子の言葉を何度も聞かされて、ようやく由水は安心したようだった。


「無理しない範囲での活動は認めるわ。このタイミングでこんなことを言うのはどうかなと思うんだけど、これだけは譲りたくないから約束してもらいたいの」


 彼女は真剣な顔して、息子と薫に告げる。


「ええ。彼の体調を最優先するマネジメントを行うと、私が約束いたします」


 薫がきっぱりと言った。


「それなら安心だわ」


 由水はうれしそうに微笑む。

 陸斗には望ましい展開なのだが、ひとつだけ引っかかる点があった。


「あれ? もしかして俺より薫さんのほうが信用されていたりする?」


 不本意そうな顔と声の彼に対して、母親は遠慮のない言葉を投げる。


「当たり前でしょう。あなたは集中したら人以上に頑張れる子だけど、だいたい頑張りすぎて体調崩していたじゃないの。私が何回看病したと思う?」


「あ、はい。すみません……」


 幼かった頃の話を持ちだされてしまうと、彼に勝ち目はなかった。

 いさぎよく敗北を認める以外に道はない。


「ところでふたりきりの時、どんな話をしていたの?」


 由水の問いに薫が正直に答える。

 もともと説得材料に使おうと思っていた内容だから、ためらう理由はなかった。


「オリエンタル……いちおく……」


 具体的な話はさすがにインパクトが強すぎたらしく、彼女はすぐに次の言葉を発せずにいる。


「お金入ったら、車を買う? それとも家のリフォーム代にする? マッサージ機器のいいやつ、一台くらいなら買っても平気だよね」

 

 陸斗が親孝行になると思って言葉を並べると、我に返った由水が言う。


「それよりもできるだけ貯金しなさい。いつまで稼げるか保証のない、厳しい業界にいるんでしょ」


「えっ……」


 彼は困惑したものの、今回はすぐには引き下がらない。


「ダービーの賞金もあるし、他にも仕事の話も来ているんで、ちょっとくらいは平気だよ」


「親孝行できたほうが、陸斗君のモチベーションになると思いますよ」


 薫が彼に助け舟を出すと、由水もしぶしぶ受け入れる。


「分かったわ。考えておくから」


 陸斗はホッとして、マネージャーに感謝した。

 


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