Act.6:二日目(4)【インターバル】おひるやすみ戦役・後編〜赤き粉塵〜
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この世界は地獄だ。
だから神様がいない。
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───とりあえず、ゴタゴタがあったがようやくお昼ご飯を食べることが出来ることになった。
三人で仲良くいただきますをして各自各々の食事に手をつけたところで僕はあることに気付いた。
ま、どうということはないのだけれど月夜と弐条さんは全く自分の昼食に手を出さず、僕が来るのを待っていてくれたようなのだ。僕だって二人を待たせないように迅速に行動したつもりだけどやはり、それなりに時間は喰ってしまったのは事実だ。にも関わらず遅くなったことに文句も言わず(月夜には別の件で文句は言ったが)待っていてくれたのはとてもありがたいと同時にすまないと思ってしまう。月夜はまだしも、まだまともに口も聞いていない僕を待ってくれた弐条さんには罪悪感───というには大袈裟かもしれないけれど、少しばかり悪いという気持ちが出てくる。
まあ、口が裂けても先に食べてればよかったのにとは言わない。というか、言えない。それを言ってしまえば彼女たちの善意を踏みにじって無下にしてしまうからだ。
「ねーねーすずっち」と、ぺりぺりとサンドイッチの包装破きながら月夜は僕に言った。「明日も学食で食べるの?」
いや、と首を振りながら啜っていたうどんを飲み下した。
「明日から弁当にするよ。元々学食は一度経験してみたかったからだし。それも体験しちゃったし、もういいかな」
無駄にお金もかかるしね、と冗談めかして肩をすくめて見せた僕に、そっかーと月夜はサンドイッチに食らいついた。
はむはむと、サンドイッチを咀嚼している月夜の隣を流し見れば弐条さんはお弁当箱の蓋を外した所だった。弐条さんのお弁当は一段の小ぢんまりしたもので、僕は詳しい方でもないし平均なんてものは知らないが、弐条さんのお弁当は少ない方ではないだろうか。
お弁当の中身は真っ白なご飯に仕切りで区切られたスペースに卵焼きやタコさんウインナー、彩り豊かな野菜と小さなスペースながら多種多彩なレパートリーに富んだおかず。僕の素うどんと比べるとその食欲をそそる絢爛豪華さに目が眩みそうである。まるでお弁当の宝箱やーと言いたくなったが明らかにオチが見えているので自重。
そこに、あるものが視界に入り僕は首を傾げた。弐条さんお弁当箱の脇にある二つの赤い筒。なんてことはない、誰でも一度は目にしたことはあるだろう一味唐辛子と七味唐辛子だった。
僕はそこで改めて首を傾げる。この学食にそんな物はない。いや、唐辛子はある。小さなビニールに入った物があるにはあるがあのタイプの唐辛子はない。必定、あれは弐条さんの私物ということになる。
むぅ、どうゆうことなのだろうか。ワトソンな僕にはまったく検討がつかない。…………ああ、そうかなるほど。僕はホームズばりに閃いた。唐辛子とは薬味だ。唐辛子を薬味として使用する料理の中にそばやうどんが頭に浮かぶ。うどん。僕の手元にそれがある。つまりあれは弐条さんが僕のために用意してくれた物だと推理した。しかし、その推理が当たっていたとしても何故弐条さんがそんな物を持っているのかという謎を解明するには至らない。まったくもって僕にホームズの役はこなせそうにない。
心内で煩悶する僕を尻目に弐条さんは七味のフタを“きゅぽん”と外し、
「───────!」
それをご飯へとぶっかけた。
突然の、予想だにしなかった行動に目を白黒させ自失する僕。なんだろう。いつの間にここは僕の住む世界と入れ替わったんだ?
あの穢れを知らない新雪のような白米は今や赤き死の灰ならぬ七味唐辛子の鮮烈で強烈な色合いによって面影をなくしていた。あれは決してふりかけの類いではなかったはずだ。当惑する僕のことなど知らずに(当然だ)弐条さんは次に一味を装備し、それを色彩に富んだおかずエリアに振りかけた。
───なんか使い分けてるっ!?
驚愕の光景を前に自失を飛び越えて精神崩壊を起こしそうになる僕。当然のことだがあの彩り豊かなおかずは痛々しいまでの赤の一色に染まっていた。無惨だった。絢爛豪華なお弁当は地獄絵図に変貌していた。哀れだった。
「……………」
唖然呆然とするしかない僕はただ弐条さんの次の行動のみに注視してた。弐条さんな箸で唐辛子まみれのご飯を口に含んだ。弐条さんは眉一つ動かさず涼しい顔でそれを食べていた。耳を澄ませば聞こえてくる“じゃりじゃり”という音は多分、唐辛子を噛み締める音だろう。おお。僕は今、辛い食べ物を見て汗を流すことはあれど寒気を感じているという貴重で稀少な奇妙な体験をしている。
奇跡で悪夢のような体験をリアルタイムで継続させている僕を他所に弐条さんはその箸を止める素振りは見せなかった。次に取ったのはこれまた真っ赤な物で何が何だかさっぱりだったが、微かに覗く黄色い表皮を確認すればそれが卵焼きだったことが伺えた。もぐもぐと静かに卵焼きを食べる弐条さん。果たしてアレに唐辛子以外の味がするのだろうか。あ、弐条さんと目が合った。
「どうかした?」
聞かれた。問いかけられた。……望むところだ。
「……おいしい?」
「ええ。甘くて美味しいわ」
あ、あまいのか? あの、どう見ても甘さとは対極に位置する毒々しい赤色が甘いと仰るのか? 本当に? 嘘だろう? あり得ないよ。あんな、オレ赤き三倍速、暴走反糖ブッチ切りのケーキは抹殺対象、砂糖は一掃射殺、パティシエなんて生物は駆逐、コーヒーにシュガースティックを入れるなんて邪道、甘さ控えめなんて生ぬるいことは許さずの甘味料撲滅運動のシンボルカラーになりそうなモノが甘いわけがない。それにこんな自己主張が激しそうな天上天下唯我独尊を地で行けて卵焼き共和国蹂躙制覇、辛帝国設立、我らが神はハバネロであるぞ、みたいなヤツが甘味という繊細な天使とうまくやっていけるわけがない。付き合った直後に破局必定、直後殺し合い開始みたいな。そんな一万年と二千年前から憎しみあってる究極に相性が合わない最悪の組み合わせだ。
僕の意識が混濁しかけて支離滅裂なことが頭を占拠してる間、弐条さんはじっ、と顔を見て、思い至ったように言った。
「お一ついかが?」
勧められた……!
「いえ、結構です」
「美味しいわよ」
引き下がらない……!?
い、以外だ。しっかりと拒絶(かなり失礼な表現だが)すればそれで終わると思ったのにっ。
「遠慮しなくていいのよ」
「遠慮とかじゃなくてね、僕は他人の、しかも女の子のお弁当に手をつけるなんて僕のポリシーに反する行為なんだ」
僕の言い訳にもならないような言葉に弐条さんは残念がることもなく「そう」と言って引き下がってくれた。
「ん? すずっちなんか顔色悪くない?」
弐条さんとの熾烈な心理戦を終え、一息ついていた僕に月夜が聞いてきた。
……それより君はあのお弁当を見て何で普通にいられるんだ。弐条さんのあれは日常茶飯でもう慣れたと仰るのか。
目で訴える僕。
月夜はそれを察してきゃらきゃらと笑った。
「なるは辛いの好きだから」
当然だ。あれで、辛いの嫌いなんです不倶戴天の敵なんです親の敵なんですぅと言われたら僕は泣く。この世界の不条理に涙を流すことだろう。
「そんなことより」
僕にとっての衝撃的体験はそんなこと呼ばわりだった。
「部活とか入る予定ある?」
「いや、ないよ」
「なんでよっ!!」
「何故怒鳴る」
「え? んー……ノリ?」
ノリで怒鳴るのか君は。
「それより明確な理由を述べるといいのだわ」
「別にこれといってやりたいこともないし」
「ないし? それで? ユー続きを言っちゃいな、ユー言っちゃえばいいさ」
「それと家事とかやらなくちゃいけないからね」
「ふぅん、それじゃあ無理だね」
口調が変わるのは癖と見るべきかキャラが不安定と取るべきか。
「で、そんな月夜はなんか入ってるの?」
「ふふふ……すずっち、よくぞ聞いてくれたっ」
「ごめん。今のなし」
「もう遅いよっ! あたし発表しちゃいまーすっ。なんと、あたしが所属してる部活は───」
「部活は?」
「吹奏楽なのだっ!」
「ふぅん」
普通だった。大袈裟な言い回しをするから何かと思えば……。まあ、以外と言えば以外か。
「ラッパとか吹くの?」
「ぷ」
あれ? 今笑われた?
「ぷふふ……ラ、ラッパって……トランペットとかコルネットとか知らないの?」
「なにそれ?」
「もう、すずっちはだめだめだねー」
経験者と素人との差を舐めちゃいけない。知識の落差がありすぎる。
「じゃあ、何やってるの?」
「ティンパニだよ」
「へぇ」
まったく知らん。
「太鼓みたいな感じなんだけど、わからないかな?」
「うん、全然。あ、ねえ月夜」
「なぁに?」
「紗橙さんと涼原さんも吹奏楽部なの?」
「うんん。違うけど、何で?」
「いや、親しげだったから」
「あー、なるなる。んっとね、柑美ちゃんは中等部の時委員会が同じだったの。爽花ちゃんは合唱部でね、学園祭の時やった吹奏楽部と合唱部との合同イベントで仲良くなったの」
委員会に部活ね。普通その程度の接点で仲良くなれることあるのかな。せいぜい顔見知り程度だと思うけど。まあ、月夜は人当たりはいいし好感が持てやすいんだろう。
「あ、弐条さんは部活入ってるの?」
僕は寡黙に唐辛子弁当を食べる弐条さんに聞いてみた。弐条さんは口を開くことなく首を横に振るという行為だけで応えた。
ふむ。応えてはくれたけど反応が芳しくないのはお弁当を断ったことが尾を引いているのだろうか。
そんなことを思いながら僕はうどんを啜った。