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Act.3:二日目(1)【前半戦】朝一登校・二番煎じ


     ■


自分の限界など知らないほうが幸せだ。

知れば己の矮小さに嫌気が差す。


     ■



 入学式から翌日の朝。その日僕は目覚まし時計が鳴るよりも早く目覚めてしまった。時計が鳴るまで余裕があったのでもう少し寝ようかと考えたが、何か時間を損した気がするので起きることにした。


 朝の支度は着替えや朝食を食べる時間を入れても三十分程で終わってしまう。そんな訳で朝食を食べ終わり、現在暇を持て余している。


「……二度寝すればよかったな」


 ぼそりと呟いてテレビを見た。今はニュースが映っており画面左上端には七時丁度を報せていた。ちなみに家から学園まで徒歩で二、三十分程で着く。学園には八時半までに教室にいればいいので七時半に起きて八時少し前に家を出れば間に合う。バスもあるが歩いていける距離にお金を払うのもバカらしいので却下。申請すれば自転車登校も出来るが申請するのが面倒だからこれまた却下。


 もう一度時間を見て、家にいて暇してるのと学園にいくのどちらにしようか思案して、学園に行くことにした。この時間に出れば遅刻することもない。


「それに新しい出逢いがあるかも知れないしね」


 言って、人見知りをしやすい奴が何を言っているんだと、自分にツッコミを入れた。



  ◇ ◆ ◇



 今日は学園入学二日目にして学園生活初日。どうゆうことかと言うと今日から授業が始まるのだ。それも六時間フル授業。


 まあ、学校なのだから授業があるのは当然なのだから文句はないが、しかし初っぱなから六時間………ま、文句はないけどね。


 そんなことを思いながら六時間分の教科書とノートを詰め込んだ鞄を担いで四階にある教室に向かうために階段を登る。時刻は七時半。登校中は学園の生徒は一人も見なかったがそれは学園に着いてからでも同じで、校舎の裏側、グラウンドから聞こえる運動部の掛け声からしか生徒の存在を確認できなかった。


「………そんな、ことより」


 重い、鞄が。ツライ、階段が。朝からホントウにこの階段は人のやる気を削いでくれる。しかも鞄もそれを手伝って、朝から僕のHP残量は半分以下だ。


 鞄を担いで平坦な道を歩くのと、階段を登るとのでここまで差が出るとは思わなかった……!


 そんな重い荷物を背負いながらも僕は四階までの階段を登るという苦行を乗り越え、ようやっと一年B組の前までたどり着いた。


 ………だが悲しいことにその扉を開けてもオアシスに出るわけでもないし、ヴァルハラやエリュシオン、ニライカイナに通じているわけでもなし、キシュキンダー、ティル・ナ・ノーグ、アヴァロンなんてありえず、賞金すら出ない。なんて、達成感のない苦行だ。


 心中で軽く悪態をつきながら教室の扉を開け───


「─────」


 不意討ち。開けた扉に手を掛けながら硬直。予想外な出来事に思考が停止。状況は理解できるが対応出来ない。


 と、扉を開けた音に気付いてこちらに振り返り目があった。


「あら、お早う春夏秋冬ひととせくん。朝早いのね」

「…………」


 まあ、何が不意討ちかと言うと、誰もいないと思っていた教室に人が居たことに驚いてしまったと言うこと。しかも女の子、女子、女生徒。いや、だからどうしたと言うこともないのだけれど………何となく、気まずくない?


「あれ? 貴方、春夏秋冬すずくん、よね? もしかして間違ってた……?」


 僕があまりにも無反応だったのだろう、教室に一番乗りしてた彼女は不安そうな眼差しで窺うように見てきた。………まずい。


「い、いや、ア、合っ、てる、よ、です」


 どもった。かなり恥ずかしい。しかし、彼女は気にした素振りを見せずによかった、と表情を緩めた。


 僕もそれを見て一安心し、まだ挨拶を返してないことに気付いた。


「あーおはよう、えっと───」


 ……名前、何だっけ?

 やばい。向こうは僕の名前を知っているのに僕は知らないときた。これは非常にまずい。ど、どうするどうす───


「サトウカンミよ」


 ───と、僕の心を見透かしたようにサトウカンミさんが助け船を出してくれた。この人、いい人だ。


紗綾形さやがたの紗と、橙色の橙に美しい蜜柑で、紗橙柑美さとう・かんみよ。ふふふ、甘そうな名前でしょ」

「………紗橙、柑美」


 僕は咀嚼するように小さく声に出して名前を呟いて、紗橙さんは上品に微笑んだ。


「じゃあ改めて。おはよう、紗橙さん」

「ええ。お早う」


 紗橙さんは僕の挨拶に笑顔を返し、僕はそのまま自分の席に向かい腰を下ろした。


「………」

「………」

「…………」

「…………」

「……………」

「……………」


 沈黙。微妙に気まずい雰囲気が教室を満たしていく。………何か話した方が良いのだろうか。


 紗橙さんに視線を合わせる。背中を覆うほど長くボリュームのあるストレートの髪に左右に垂らした三つ編みが特徴的だった。それに同年とは思えない程大人びている。これで眼鏡を掛けてたら完璧。いや、別に何がってわけじゃないけど。


 一方紗橙さんはすでに僕の方を見ておらずブックカバーを付けた文庫本に目を落としている。


 ふむ。どうやら気にしているのは僕だけのようだ。


杞憂きゆうってやつか」

「えっ? 何か言った?」

「───あ、いや」


 文庫本から目線を外し僕を見やる紗橙さん。失言。静かな場所では欠伸あくびでさえ耳につくというのに僕としたことが………何とかして誤魔化そう。独り言を呟いていたんだってバレるのは、なかなか恥ずかしいモノがある。


「紗橙さんっていつもこんなに早いの?」


 よしっ。話題としては悪くない。


「ええ、そうね。何時もこれぐらいかしら。そうゆう春夏秋冬くんは?」

「僕はたまたま早起きしてね。時間を持て余してたから早く登校したんだ」

「そう。なら、毎回って訳じゃないのね?」

「うん、まあそうなるね。……えっと……紗橙さんは部活か何かやってるの?」

「いいえ」

「え……じゃあ、何で早いの?」


 紗橙さんは僕の問いに「これよ」といって持っていた文庫本を見せた。


「本?」

「そう、本」

「………」


 えーと。あれですか? わざわざ本を読むために早起きして学園に来ていると? ………ば───いや、酔狂なお人だ。


「………何かしら、その眼は」

「いえ別に。ただ、家で読んでも同じじゃないかなって思っただけ」

「それはそうかもしれないけどね。でも学園の方が集中出来るのよ」

「ふうん」

「それに私、こうゆう場所好きなの」

「こうゆう場所って教室のこと?」

「ちょっと違う、かな。私はね、人がいない静かな場所が好きなの。特にこの教室みたいに普段は人が居るのに居ない場所がね」


 普段人が居るのに居ない場所、ね。なるほど、分からなくもない。同じ場所でも人が居るのと居ないのとではまったくの違う空間になる。


「人の匂い、人の残留、人のいた形跡、人の思い出───そんなのを感じ取れる場所がね、私は好きなの」


 そこで紗橙さんは話を区切り、


「こんなの変よね」


 と、はにかむように微苦笑した。


「そんなことないと思うよ」僕は言う。「何となくでしかないけど君の言いたいことは理解できるよ」


「ふふ、ありがとう。優しいのね」

「そんなことないよ。それより───なんか悪いことしちゃったね」

「? 何のこと?」

「本」

「あー……ふふ。いいのよ、そんなこと気にしないで。こうやって話している方が楽しいわ。春夏秋冬くんは楽しくないかしら?」

「退屈じゃないよ。早起きしたかいはあった」

「早起きは三文の徳ってやつ?」

「そんな所かな」

「ふぅん。私は三文の女か」

「待って。そんなことは一言も言ってないし思ってないよ」

「ふふ。冗談よ」


 そう言って紗橙さんは悪戯っぽく、でも上品に笑った。この風向きはマズイ。話を反らそう。


「それより、よく僕の名前憶えてたね」

「ん、ええ。珍しい名前だったからね。それに───」


 紗橙さんは僕の言葉に至極当然といった感じで答えた。


「クラスメートなら当然じゃない?」


 耳が痛かった。



  ◇ ◆ ◇



「すずっち、お昼ご飯どうする?」


 三時間目の授業が終わり、四時間目の授業が始まるまでの十分休みの時間、月夜くもなしは僕のところまで来て、その様なことを尋ねてきた。


「僕は学食で食べようかなって。ほら、ここ食堂あるじゃん? 一度試してみたくてさ」

「ほぉー。なるほどなるほど。じゃあさすずっち、一緒にご飯食べよー」

「ん? いいけど……何で?」

「だってすずっち友達居ないじゃん」


 かなり失礼な物言いだが悔しいことに否定する材料がないので黙ることで僕は自身のちっぽけな誇りに膜を張り、自衛する。


「それとさ、あたしの友達も一緒にいいかな?」


 月夜はやや窺うように黒目がちな瞳で見てきた。


 人見知りしやすい僕にしては結構気後れするものがあるのだが………まあ、円滑な学園生活の為にもここは頑張り所か。


「………僕はいいけど、その友達はいいって言ってるの?」

「モチ。事前に聞いといてあるよ」


 八重歯を見せながら得意そうに言う月夜。───と、そこで聞き慣れない声がした。


澄風すみかぜ、ちょっといいかしら」


 見れば、ポニーテールの女の子(もちろん生徒だ)がすぐ脇に立っていた。


「およ、爽花そうかちゃんどうしたの?」

「うん。あんたのとこ社会の授業あるでしょ」

「んと……確か六時間目にあったかな」

「悪いんだけど教科書貸してくれないかしら。次の時間にあるんだけど忘れてきちゃったの」

「だめだめー」

「そうね、はいはい。で、貸してくれるの? くれないの?」


 ………ふむ。どうやらこの女の子───爽花さんは別のクラスの人で、教科書を忘れたので月夜に借りに来た、ということらしい。


「ふふん。実はかく言うあたしも忘れたのだっ!」

「………」

「………」


 胸を張り、高らかに宣言する月夜の思考回路がワカラナイ。そしてどうやら爽花さんも僕と同じ心境らしく、冷たい眼差しで月夜を見ていた。


 で、その月夜本人は───


「ちょ、二人してそんなに見つめないでよ、て、照れるじゃん!」


 ───と、ピョコピョコと髪房を揺らし、頬を赤らめ本気で照れてる月夜。君が本当にワカラナイ正体不明意味不明。


 照れてる月夜から視線を外し爽花さんを見ると今度は呆れた眼差しで見ていたが、すぐに気を取り直し新しく教科書を貸してくれる人を探そうと視線を泳がし───ちょうど近くを通った紗橙さんに声を掛けた。


「あ、ねえ柑美」

「あら、爽花。何か用?」

「私今日、教科書忘れちゃったの、だから───」

「嫌よ」


 即答。有無を言わせない確固たる意思の元に断言した。しかもフライング。


 うーん……朝話してるときはこんなお座なりな返答はしなかったのに……もっと丁寧に受け答えする、話上手で聞き上手な印象があったんだけどな……。まあ、「爽花」なんて呼び捨てにする程なんだから仲がいい証拠なのかな?


 しかし、そんなことを言われた爽花さんは穏やかにいられる筈もなく形のよい眉をしかめ、声のトーンを低くし紗橙さんを睨み付けた。


「………ちょっと、何でよ」

「だって、爽花ったら他人の教科書なんて関係なく書き込みいれるだもん。だから嫌なの」

「いいじゃない。要点をまとめてあげてるのよ? 感謝はされても文句を言われるの筋違いってものじゃない?」

「恩の押し売り? そうゆうのをありがた迷惑っていうの知らない?」


 僕の机の周りで見えない火花を散らす紗橙さんと爽花さん。蚊帳の外の僕と月夜。そして周りからの視線。………ん? 心なしかその視線の殆んどが僕に集まっている気がする。


 周りを見渡す。………うん、なんか、こう、冷たいというか、非難の眼差しというか、決して友好的な眼差しでなく、なんか、視線が痛い。


 状況整理。

 僕の机の周りに女の子三人。

 三人とも美少女と銘打っても問題ない容姿。

 その内二人は僕の前でいがみ合い。

 残りの一人はおろおろと目を泳がし僕を見る。

 周りからみたら僕が原因に見えるかもしれない。


 んーもしかして修羅場か何かと勘違いされてたりして…………。………。あは、あはは。まさか。


 …………。早急に手を打とう。このままじゃ入学二日目ですずっち株大暴落。僕の決断は速かった。


「あ、あのー」


 恐る恐る挙手。紗橙さんと爽花さんが僕を見る。


「僕のでよかったら貸すよ」

「え、いいの?」


 最初に声を出したのは爽花さんだった。僕はうん、と頷き、机の中から教科書を出し爽花さんに手渡した。


「……ありがとう。えっと……」

「春夏秋冬すず」

「ありがとう、春夏秋冬くん。私は涼原爽花すずはら・そうか

 それじゃあ有り難く借りさせて貰うわ。早めに返すから」


 そう言うと涼原さんは軽く頭を下げ、優雅な足取りで教室を出ていった。


「本当に貸してよかったの? ぐちゃぐちゃにされるわよ?」

「おおー。すずっち、おとこ上げたじゃんっ。やるっー」


 僕の行動に対する二者二様の反応。とりあえず月夜は無視しておく。


「まあね。別に落書きするわけじゃないんでしょ? ならいいよ。それに要点をまとめてくれるならありがたいしね」


 これが結構本音だったりする。するとそれを聞いた紗橙さんはクスクス笑い、


「物好きね」


 一言、そう言って去っていた。立ち去った所で月夜はねーねーと僕の服の袖を引っ張った。


「なに?」

「すずっち、いつから柑美ちゃんとフレンドリーになったの?」

「今日からさ」

「へぇー」


 僕がそう答えたところで休み時間の終了を伝えるチャイムがなった。


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