epilogue:涙のあと
「貴方は平気で人を殺すことが出来るのね」
昼休み、昼食を食べ終わりお腹を満たし充足感に沈んでいた僕に彼女は何の前触れもなく、何の下準備も必要とせず、僕のことなどお構いなしで、でも周りの目を気にしつつ、それは完全な不意討ちで、鼻唄を奏でるような気軽さで切り出した。
「躊躇うことなく、憐れむことなく、貴方は死神のように人に死を押し付けることが出来る。罪悪感なんて月の裏側まで探したってないわね」
断言されてしまった。ここまで言われてしまったら怒ったって文句は言われないだろう。でも僕はそんな野暮なことはしない。彼女がずっと話す機会を伺っていたのは気付いていたし、今は調度よく月夜も部活のミーティングだとかで席を外している。内緒話をするには絶好のシチュエーションだ。それに僕自身も彼女が何を言うのか興味がある。
彼女は空になった弁当箱を鞄に戻し、目線を僕に合わせ話を続ける。
「───私はそれが羨ましいわ」
「ふうん。そんなのが羨ましいなんて変わってるね」
「だって私には出来なかったことだもん。羨ましいと思って当然でしょ。貴方は自分の中にルールがあってそれを無差別に他人に適用できてルールを破った者には容赦なく獄を断ずることが出来る。しかもそのルールは社会世間一般と重なってる部分が多くて質が悪い。けど重なっていない所はとても残酷で非道で死に行き着く。でも貴方は罪悪感なんて感じてなんかないわ。ルールを破った者に死を与えるのは当然のことだから」
だからあるのは義務感や使命感だけよ、と彼女は言った。
別に義務感や使命感なんて大層なモノは持ってはいないが……なるほど、流石だ。短い間でここまで見抜かれるなんて。でも───
「一体そんなののどこが羨ましいんだい?」
とても羨ましがることではないような気がするけど。
「だから言ったでしょ、私には出来なかったって。つまり私はそれを望んで、でも手に入れることが出来なかった……。私は人を殺せるわ。でも貴方みたいにはなれない。私は大義名分がなきゃ殺せない。しかもどんな大義名分があっても必ず罪悪感に侵される。私はこんな弱さを捨てたいの。貴方みたいな強さが欲しいわ」
彼女は強い瞳で見据えてくる。まるで羨望するかのように。渇望するかのように。妬ましく。恨ましく。呪うように。懇願するように。
僕はため息一つ吐いて、「それは勘違いだよ」と言った。
「君の僕に対する考察は概ね間違っていないと思うよ。でもね君のそれは決して弱さじゃないし、僕は強くない。君はただ単に優しすぎるのさ。いいかい、罪悪感って言うのはね人間しか持っていない感情なんだよ。野生の動物にはそんな余分な感情はないだろ? それは生きるためには必要ないんだ。でも人間として生きるにはその感情は必要なんだ。いや、社会で生きていくにはかな。そんな感情がなきゃ人間の世界は破綻する。そして罪悪感っていうのは思い遣り。突き詰めてしまえば罪悪感というのは優しさだよ。優しさがなければ生きていくことなんて出来ない───罪悪感を持っていないなんて人間失格さ」
僕は一旦間を置いて黙って聞いている彼女の黒曜石のような瞳を見る。一体彼女にはどんな風に僕が見えているんだろう。僕は言葉を紡ぐ。
「それに羨ましいというなら僕も同じだ。僕は君が羨ましいよ」
「え───私が?」
きょとん、とする彼女。初めて見る。なかなか子供ぽくって可愛い表情だ。
「うん」軽く頷く僕。「君のいう僕の強さというやつは僕からすれば弱さだ。欠点と言ってもいい。それにルールに縛られて生きていくだなんて面倒この上ない。僕は楽に生きたいんだ。こんなの、重りにしかならない。そして君の弱さ──いや、優しさか、それは僕にはない、僕が手に入れられなかったモノだ。もしその優しさがあれば、もしその優しさが残っていれば僕は楽に生きることが出来たんだ」
「……そう。なら私たちって案外似た者同士ね」
「ああ、そうだね。でも決して同じじゃないんだよね」
僕は彼女に持っていないモノを持っていて、彼女は僕に持っていないモノを持っていて、僕はそれを羨ましいと思い、彼女はそれを羨ましいと思い、目の前に自分達が求めるものがあるにも関わらず手に入れることが出来なくて、お互いがお互いに自分の持っているモノに不満を抱き、その不満を抱いている姿に嫉妬するしか出来ない己をお互いに恥じている。
天は二物を与えないが、一つだって与えないこともある。まさに僕たちがそれだ。こんな役に立たないならないのと同じで、だから自分で作ろうとして、でもそれが出来ずにいる。
───僕たちは決して同じではない。似ているだけだ。赤と紅は違う色。
「ねえ。私たち友達にならない?」
「……そんなこと一々言うことじゃないよ」
いきなりの彼女のちょっとズレた提案に僕は少し怯み、呆れた。彼女はそんな僕なんてお構い無しにどうなの、と首を傾げ聞いてきた。そんなの答えは決まっている。
「いいよ。君となら友達になりたい」
「よかった。なら、貴方のこと下の名前で呼んでいいかしら?」
「ああ、構わないよ。友達なら当然さ。その代わり僕も君のこと名前で呼ばせてもらうよ」
「友達なら当然よ」
彼女は、そして、唄うように透き通った声で僕の名前を呼んだ。
「よろしくね、すず君」
開花した花のように綺麗に微笑む彼女。初めて僕に見せる彼女の笑顔。僕は少し照れ臭くなり、それには応えず、半身を捻り体ごと彼女から目を逸らし、黒板の上から教室全体を見下ろす時計に目をやった。あと十分足らずで昼休みが終わる。その後は当然午後の授業が待っている。だが、その授業は潰れるだろう。始まるのは──あいつが僕の“期待”を裏切っていないのなら──臨時集会だ。僕にとっては三回目の臨時集会で最後の臨時集会。
あいつの生死なんて実際ドウデモイイが、どっちを選んだかは些かの興味はそそられるのは事実だ。
チャイムが鳴る。それはいったい、始まりの合図なのか終わりの報せなのか。果たして僕にはどんな風に聞こえたんだろう。まあ、どちらにしろ僕には関係ない。立ち止まっていない僕に始まりも終わりも関係ないことだ。
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Quod Erat Demonstrandum.
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“Lacrimosa dies illa,qua resurget ex favilla
judicandus homo reus:
Huic ergo parce Deus.
pie Jesu Domine,Dona eis requiem. Amen”
≪ad initio...≫