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進化するロボットシリーズ

母親ロボット

 その少年は幼い頃に母親と別れた。

 どんな原因かは分からないけど、父親と母親とが離婚をしたのだ。彼の父親が再婚することはなかったが、代わりに家事全般をこなすロボットを購入した。

 「メイコさん」

 彼の父親はそのロボットをそう呼んだ。メイドロボットだからメイコさん。安直過ぎる名前かもしれなかったが、その名前はそのロボットになんだかとてもよく馴染んだ。少年もその名を気に入っていた。

 まだ幼かった頃、彼の母親代わりも、そのメイコさんがやった。

 メイドロボットだったメイコさんは、肌の質感も柔らかく作られてあり、その温もりはスキンシップの代用としても充分な機能を発揮していたのだ。だから、幼い彼は何の疑問も抱かずに、その温もりに甘えていた。

 ――ミルクを供給する鉄でできた人形と、温もりのある人形。そのどちらを母親と見なすかといった子ザルを使った実験で、子ザルが甘えて安住の地としたのは、温もりのある人形の方だったらしい。子ザルは餌を供給するモノよりも、温もりのある存在を母親と見なしたのだ。

 この例からも分かる事だが、スキンシップは子供の養育に重要で、だからこそ快感が伴うものでもある。それが欠損すれば、明らかな悪影響が出るらしい。幼い日の少年は、ロボットからそれを得ていたと言えるだろう。

 少年の母親に対するイメージは優しいものだったが、或いは、そのイメージの源泉は本物の母親ではなく、メイコさんだったのかもしれない。彼の幼い日の記憶は境界線を曖昧にし、メイコさんと母親とを混同した存在として扱っている可能性がある。メイコさんの優しいイメージが、そのまま本物の母親のイメージになってしまっているのだ。

 もっとも、それを彼自身は決して認めようとはしないだろうが。何故なら、成長して今や中学生となった彼は、ロボットを、特にメイコさんの事を毛嫌いしていたからだ。

 「こんな旧式のロボットなんて棄てちまえよ」

 彼はメイコさんのいる場所で、よく堂々とそんな台詞を吐いた。もちろん、わざとメイコさんを傷つけるつもりで言っているのだ。

 父親はいつもそんな彼の事を諌める。

 こんな感じで。

 「旧いといったって、まだまだ充分に仕事をこなしてくれているじゃないか。家族同然で暮らしてきたから、この家の事もよく分かっている。充分に優秀だ。

 棄てるなんて、もったいないぞ。あまり、酷い事は言うな」

 不器用な言い方だが、一応、メイコさんの事を気遣っているのだ。こんな時、メイコさんは、そんなやり取りを見聞きしつつも何も反応をしない。

 少年はそんな父親の言葉にも、反応をしないメイコさんにもストレスを感じる。しかし、だからといって、自分が正しいと思えるはずもなく、むしろ間違っている事を自覚しているものだから、その憤懣を吐き出す事もできず、結果として、出口の見えない葛藤をしばし繰り返すと、その全てから逃げ出すようにして部屋の中に引き込んでしまう。それがいつものパターンだった。

 そんな息子の態度に、感情の機微を見抜く目があるとは言い難い父親は困惑している。メイコさんは、そんな風にして困っている父親に向かって「気にしなくていいですよ」、と合図を送る。

 ――思春期の子供には、よくある事ですから。

 確かに、それは当たっていた。思春期の子供にはよくある事だ。親からの独立を望む気持ちと依存心、その二つの欲求の間で揺れ、更にそれとは別にある親に対する情が加わる。そして、家庭以外にもある人間との関係。友人、恋、エトセトラ。そんな様々な情念が入乱れる思春期は、言葉にできない葛藤によって苦しむ代表的な時期の一つだ。ただ、彼は普通の子供とは少々異なった事情を抱えてもいる。メイコさん。カノジョの存在がある。自分の母親がロボットであるというコンプレックス。それは、彼の思春期に大きな影響を与えていた。

 幼い頃はメイコさんに甘えきっていた彼が、ロボット嫌いになってしまったのには理由があった。……キッカケは他愛のない友人達の言葉。

 小学生の低学年。その頃になれば、彼にも自分の甘えている存在が人間ではなくロボットで、それが他とは違うという事を理解できてくる。ただし、それが特別な事だとは思っていない。軽く奇妙な違和感を感じている程度だ。

 しかし、ある日、その違和感は一種の衝撃と共に、彼の中で一気にコンプレックスへと変異してしまったのだった。

 「あいつん家のお母さん、ロボットなんだぜ」

 「マジかよ。みじめだねぇ」

 偶然だった。友人達の、自分を馬鹿にする声が耳に入ってしまったのだ。自分が輪に入っていない別の所で言われていた陰口だったからこそ、その言葉によって彼は酷く傷いてしまった。そして、母親への憧憬をもそのショックは浮き彫りにした。無意識の内に蓄積していた寂しさや不安が、その言葉によって一気に噴出をしたのだ。彼自身にもどうにもならない感情となって。

 それまで、メイコさんに深い親しみを感じていたからこそ、その反動は激しかった。何故だか、彼はメイコさんに裏切られたかのような錯覚を覚えてしまったのだ。そうして、その日から、彼の態度は豹変してしまった。

 メイコさんと一緒に眠らなくなる。食事も一緒には取らない。乱暴な言葉をぶつける。メイコさんを避けるようにして、自分の部屋に閉じこもってしまう。

 はじめ、少年の父親はそれを一時のものだと考えていた。時間が流れれば、前の状態に戻るだろうと。しかし、少年のその態度はいつまで経っても変わらなかった。原因は恐らくは母親の欠損だった。彼はその態度の裏で、母親への憧憬を強く持っていて、悲しみと劣等感を募らせていたのだ。少年はいつも考えていた。何故、母親は自分を見捨ててしまったのだろう?と。これまではその思いがメイコさんへの甘えとなって現れていたのが、逆に反発になって現れるようになってしまっていたのである。

 メイコさんは、もちろん、そんな彼の反応に困惑し、様々なアプローチを取った。しかし、メイコさんが優しく接すれば接するほどに彼の反発はむしろ強くなってしまう。原因を考えれば、それは当然だったのかもしれない。

 メイコさんが優しく接すれば、その態度はどうしても彼の中で母親像と重なってしまう。母親像と重なれば、メイコさんがロボットであるという現実が強調される事になり、結局は、母親への憧憬とコンプレックスが更に刺激されてしまうのだ。

 少年は成長と共に、徐々に素行が悪くなっていった。良くない友人達と付き合うようになり、煙草を吸い、そして万引きもするようになった。

 それは彼の存在しない母親への反発であり甘えでありアプローチでもあった。彼は存在しない母親を困らせてやろうと、必死になっていたのだ。自分を棄てた母親に対する復讐のつもりだったのかもしれない。しかし、少年の母親は、同時に存在してもいたのだ。彼の中の現実に。しっかりと。

 (メイコさん)

 「あまり、お父様を心配させてはいけません」

 部屋の中で煙草を吸っている少年に向かって、メイコさんがそう言う。少年はいかにも煩わしそうに、投げやりな口調でそれにこう返す。

 「うるせぇ ロボットがえらそうに言ってるんじゃねぇ」

 メイコさんはそれを受けてしばらく逡巡をすると、更に言葉を続けた。

 「お身体に毒です」

 “お”

 その丁寧な口調が彼には気に食わない。皮肉にも聞えるし、情を裏切られたような気分にもなるし、なにより、メイコさんがメイドロボットでしかないのを強調されたような気がしてしまう。

 「ばーか。くだらねぇよ。お前はロボットだから、そんな風にオレの事を心配している感じで言うだけだろう」

 「もちろん、それはそうです。ですけれど、それだけじゃありません。あなたが傷つくのが、ワタシにはとても辛いのです。だから、煙草などは吸って欲しくないのです」

 「そんなのニセモノだよ」

 お前がニセモノの母親であるのと同じ様に。

 少年はそんな風に思っている。

 そのいじけた気持ちには、多少の独立心のようなものも含まれてあったのかもしれない。親から分離して、自分の選択した行動で自分の道を行く、その欲求。だから、親の言う通りにはしたくない。しかし、少年の行動をその現れだと言い切ってしまうには、彼はあまりに幼すぎた。

 メイコさんはそう言われて、言葉を続けることができなくなってしまった。彼の言葉に傷ついた訳ではない。彼の寂しそうな様子を見て、自分にはどうする事もできないのを悟ってしまったのだ。

 この時代のロボットの中には、人間の心理に敏感なものも現れ始めていた。特に、メイドロボットのような家庭に入るものにはその傾向が強かったのだ。

 メイコさんが彼の部屋から去ると、少年は微かに罪悪感が痛むのを自覚した。

 何をやっているのだろう?僕は。

 少年は煙草を消す。こんなものを美味しいと思った事などは一度もなかった。全てが気に入らない。でも、一番嫌いなのは、こんな馬鹿な事を繰り返す自分自身だった。

 

 ……ある日、少年は戸棚からキーを持ち出し、父親の車に黙って乗った。友人達に車を乗ってきてみせると大見得を切ってしまったのだ。

 こっそり車に乗り込むと、恐る恐るアクセルを踏み、ゆっくりと車を発進させる。時間が経つと、恐怖よりも快感の方が大きくなってくる。少年は鈍感さを勇気と勘違いし、アクセルを強く踏み込む。車は加速し、道を進んだ。顔を見られるのはまずかった。自分が運転しているのが誰かに見られたら、間違いなく通報される。時間帯は夕暮れ刻だった。人気のない道を行けば、誰かに見られる危険も少なそうに思えた。

 住宅街の大き目の道。道幅は広いが、人気はそれほどでもなく、明かりは街灯程度しかないから暗くて運転している者の顔までは見えない。

 少年はそういった道を選んで、車を走らせた。そうして、友人達に待っていろと約束した広場を目指す。

 が、そうしている内に、少年の中から徐々に興奮が引けていった。今の自分を冷静に把握できてくる。そうすると、自然、また恐怖が浮かび上がってきた。ただし、先のような車を運転する恐怖ではない。自分の執っている行動の、社会的な意味を考え、怖気づき始めたのだ。そしてその時に、少年は後部座席の気配に気が付いたのだった。

 ――ガササ。

 「もうお止めください」

 それは、メイコさんだった。

 少年の表情がにわかに変わる。

 「なんで、お前が乗ってるんだよ!」

 うわずった声で、そう怒鳴った。少年は恐怖を抱き始めていた時にハプニングが起こったことで動揺していた。だがしかし、メイコさんの存在をそこに認めた事で安心感を感じてもいた。――ただし、少年は、そんな自分自身を許せなかった。

 「お父様の戸棚から、車のキーを取っているのを見ていました。それで、先回りして車に乗っていたのです。

 近くを運転して、直ぐに帰るようなら何も言わないでいるつもりでした」

 少年はそんな自分を思いやるような、保護しているような、メイコさんの態度と口調にストレスを感じる。

 バカにするな、と。

 それで、車のアクセルを強く踏んだ。

 「お前のニセモノの心配なんて、知るか!」

 少年はそう怒鳴った。

 お前はお母さんじゃない!

 お前はロボットだ!

 「おやめください。危険です」

 メイコさんは、その少年の態度に慌ててそう言う。しかし、少年はその言葉に、いや、その丁寧な言葉遣いに反発をして、更にアクセルを踏み込む。

 辺りの闇が加速する。

 ヘッドライトに映し出される景色は、物凄い勢いで後方へと流れていた。

 「お前が、オレを本当に心配しているはずなんかない! なんだ、その丁寧な言葉は! お前がオレに優しいのは、ロボットだからじゃないか! ウソなんだ! お前の気持ちなんか、全てニセモノだ!」

 「違います! 確かにワタシはロボットです。でも例えロボットであっても、ワタシのあなたを心配する気持ちは本当なんです。あなたが傷つくことが、ワタシには耐え切れないほどに辛いのです。何故なら…」

 「うるさい!」

 曲がり角。

 少年はスピードをほとんどゆるめないでそこを曲がろうとした。目の前には鉄でできたフェンスが見える。

 曲がり切れない。少年は、完全に運転を誤っていた。フェンスに激突する。

 そして、そのタイミングだった。

 「いい加減にしなさい!」

 怒鳴り声が聞えた。まるで、本物の母親のような。いや、その声は間違いなく、本物の母親のものだったのだ。

 メイコさん。

 幼き日の、彼の本当の母親。

 その次の瞬間、少年の身体は思いっきり後に引っ張られた。何か、強い力で掴まれている。浮遊感があった。少年は自覚する。自分は飛ばされている。しかも、かなり強い力で。少年はそれを分かった。しかし、それでいて何故か少年はとても安心していた。少年は大きくて優しい、温かいものに包まれていた。だから、そこが不安な場所な訳はなかったのだ。その安心できる世界は、真っ暗だった。まるで、遠い夢の中のように。

 少年はその中で言葉を聞いた。

 

 「ワタシ達の気持ちは本物です。何故なら、あなた達人間が、そう望んだから。その望みの海の中から、ワタシ達ロボットは、生まれたモノだから。

 ワタシは、

 ……子供を、助けたいのです。

 つまり、あなたの事を」

 

 再び目覚めた時、少年は病院のベッドの上にいた。

 

 ――後日。

 少年が車を暴走させ、そしてフェンスに車を激突させてしまう刹那に、どうやらメイコさんが彼をかばったらしい事を、少年は聞かされた。メイコさんは、少年を思い切り引っ張り、その身体で包み込んで護ったのだ。そして、彼の身代わりとなって、メイコさん自身は壊れてしまっていた。

 ただし、少年がそれほどの悲しみを感じる必要はなかった。もっとも、罪悪感の方は充分過ぎるほどに感じたのだが。

 何故なら、

 少年は自分の右腕をさすり、こう呟いた。

 「ごめんね。お母さん」

 少年の右腕は、事故で負傷し切断されていた。そして、そこには義手が代わりに取り付けられてあった。義手として使われていたのは、元メイコさんの右腕である。ただし、ただの右腕ではない。電子頭脳がそこには埋め込まれてあった。それも、メイコさん自身の電子頭脳が。

 「イインデスヨ」

 メイコさんは、電子音によって少年の言葉にそう応えた。

 義手のサポートをするのは、彼の事を一番よく知っている電子頭脳がベストだったのだ。そして、彼を一番よく知る電子頭脳は、メイコさん以外には有り得なかった。

 少し生活し辛くなるな、と思いつつも少年は何故だか満足感を感じていた。

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