第四話 治癒師ライラの温泉ライフ
「やれやれ、爺のせいでずぶ濡れだ。風呂に行ってくる」
「お風邪を召しませんよう、お着替えはご用意しておきます」
「まったく、誰のせいだと……ハックション!」
ポタポタと水を滴らせ、ヴィクトルは外へと向かって行った。
「こちらの砦は、お風呂があるんですか?」
貴族の屋敷であれば珍しくはないが、廃墟同然のゴブリンの巣にお風呂があるとは思わなかった。
「えぇ、アルガス山から引いた温泉がございます」
「まぁ、温泉が!」
気づけばライラもここ数日、まともに体を清められていないうえ、ろくな着替えもできていなかった。
「ライラさまも入られますか? お着替えはこちらでご用意いたしましょう」
なんてできる執事なのだろう。ついライラは何度も頷いてしまった。
「ですが、入られるなら坊ちゃんがいるうちに入ることをお勧めします」
「え……えぇ!? そ、それはちょっと……」
湯がもったいないからだろうか? さすがに家族以外に肌を晒すのは恥ずかしい。
「……湯にはゴブリンも入りますので」
もっと切実な問題だった。
「どうしてもと言うならワシが付き添いますが……」
気のせいか、好々爺の目が垂れ下がって見えた。どうせ昨夜覚悟したのだ。今さらためらうより、お風呂に入りたい。
「いえ……いま入らせていただきます」
「では、ご案内しましょう」
ブランドルはスッと立ち上がり、先導した。
砦の外から少し階段を登った先に小屋と湯けむりが見える。さらに奥では黒い煙と製鉄のような音も響いていた。
「小屋の中に沐浴着も拭き布もあります。ご自由にお使いください。ワシは着替えを用意してまいりますので、どうぞごゆっくり」
「ありがとうございます」
こなれた礼で見送るブランドルを背に、ライラは階段を登った。
「……メディスン家の治癒の血ならば、申し分あるまい」
ブランドルは踵を返し、老獪な家臣の目で独り言ちた。
――
湯けむりの中、湯船に浸かる青年の影。
「ヴィクトル様……お邪魔いたします」
「……ふぁ!? ライラ?」
「は、はい……ご一緒してもよろしいですか?」
「あ……あぁ」
少し離れたとこで桶に湯を汲み、硫黄の匂いにツンとしながら湯をかぶる。
「あ……つぅ」
「大丈夫か? こっちの方は少しぬるいぞ」
恥ずかしいが……そうも言ってられないようだ。ライラはヴィクトルのそばで湯浴みをはじめた。
薄い沐浴着が透け、肌に張り付く。この状態でいるよりは、白い湯船の方が良さそうだ。
「お隣……失礼します」
「あぁ……」
――チャポン
「ふぅ……芯から温まりますね」
「あぁ……」
さっきからヴィクトルがあっちを向いたまま生返事だ。意外とうぶなのかもしれない。もしかすると年下なのかも。
「……もうこちらを見ても大丈夫ですよ」
「うん……そうか?」
ちらり、ヴィクトルの視線がこちらを向くと安堵しつつもまたあっちを向いてしまった。
見られるのは恥ずかしいが、こうも恥ずかしがられると逆に反応が気になってしまう。
「ブランドルさんから、ゴブリンも入ると聞いたのですか……」
「あぁ……そう教育してる。ゴブリンに入浴の習慣がなかったからな」
「どう躾けられたんですか?」
「女ゴブリンに命令したんだ。風呂に入ってない奴とは番うなと」
「あぁ……なるほど」
「だから風呂に入るゴブリンはみんなお目当てがある。ライラもあまり心配しなくていい」
……騙されたのだろうか? いや、ゴブリンが入るには違いないけど。
「それでも……ヴィクトル様の隣が一番安全ですから」
「あぁ……」
温泉は気持ちいいが、温度が高すぎて長湯できそうにない。ライラは手早く体を清めて出ることにした。
「ヴィクトル様、ずいぶんお顔が赤いですが、まだ入られるのですか?」
「あぁ……先に出ていいぞ」
「では、お先に失礼いたします」
ふぅ……小さく息をついてライラは外気で体を涼めた。
着替えは簡素だが良い肌着とローブが用意されていた。久々のお風呂に機嫌よく、ライラが階段を下る。
――ザバッ!
「ぷはぁ! ヤバいヤバい、のぼせるところだった」
大きく息を吐いてバタバタと布を仰ぎ、ヴィクトルは火照った体を涼める。
「……結構、着痩せするタイプだったんだな」
逃れられぬ男の本能耐えながら、ヴィクトルは体の熱を沈めていた。
――
翌日、疲れからかぐっすり寝入ってしまったライラは、陽射しを浴びて慌てて飛び起きた。
「わ……お肌ツルツル!」
温泉効果に気を良くしたライラは、食卓にヴィクトルを見かけ挨拶を交わした。
「おはようございます、ヴィクトル様」
「おはよう、ライラ。ご機嫌だな。今日は冒険者ギルドに向かうが……一緒に来るか?」
「はい、お供いたします」
「着替えは……まぁそのローブでいいか。顔が隠せるほうがいいだろう」
「……できれば、下にもう一枚お願いします」
「……悪い、ゴブリンとは違うよな」
メイド服を着たゴブリンがシャツを一枚持ってきてくれた。
「では朝食をとったら出発だ。爺、今日は二人で行くからゴブリンを頼んだぞ」
「かしこまりました。お気をつけて」
ライラが支度を済ませ入口に向かうと、昨日までの鎧ではなく、軽い革鎧を身に着けたヴィクトルが馬に乗り待っていた。
「すいません、お待たせしました」
「気にするな、馬を馴らしていたところだ。……こうやって見ると、白魔導士みたいな格好だな」
「……? 白魔導士とはなんでしょう?」
「いや、なんでもない。ライラは乗馬は?」
「あまり……」
「では後ろに。アロ、しゃがめ」
ヴィクトルが命令すると、大きな馬がスッと脚を畳んだ。
「すごい、ゴブリンだけじゃなく馬も言うことを聞くんですね」
「あーまぁ、長い付き合いだからな」
馬にまたがり、ヴィクトルの背にしがみつく。
「む……」
「どうかしましたか?」
「い……いや、落ちないようしっかり捕まってるんだぞ」
「はい!」
言われたとおりにギュっとしがみつく。
――パシン
しなる鞭の音。
ライラは初めて体験する疾さと風、見知らぬ土地の光景に胸をときめかせていた。




