第十四話 呪殺の聖女
「あ……あぁ……」
首筋からドクドクと鮮血が噴き出し、倒れ伏す門衛、ライラは治癒の祈りを唱えながら走り込む。
「そこまでだ」
ピタリ、ライラの首筋にチャクラムの冷たい感触が走る。
「……光あれ! 治癒の奇跡をもたらせし大天使の息吹を今この手に!」
ライラは止まらなかった。首に痛みを走らせながら、自身の持てる限りの魔力を治癒の祈りに込めた。掲げた両手に眩いばかりの光が灯る。
「なん……なんだこの魔力は」
チャクラムの男は光に怯み、周囲のものはその神々しい輝きに自然と祈りの手を結んだ。
数世紀に渡り、治癒の力とその信仰に心血を注ぎ込んできた古式派の祈り。それは今なお人々の心に天使の御姿を形作るに足る力を持っていた。
「う……ぐ……」
ただ治癒の力で強引に傷を修復するライラの技法は、今は推奨されていない。それでも真新しい傷に対しては、絶大な回復力をもたらしていた。
「はぁ……はぁ……」
光と共に魔力が消える。怪我は塞いだ。出血は止まった。それでも、彼が生きられるかどうかはわからない。
「気が済んだなら……大人しく従え。元よりお前が逃げなければ、誰も死なずに済んだんだ」
冷たい声が、ライラに告げる。
「貴方がやったんでしょうが……!」
「違うな。メディスン家は対価を受け取った。お前はロンドミルの正当な奴隷であり、その契約を反故して多大な犠牲をもたらした」
「それは……」
「その門衛と、殺された商人や傭兵は何が違う? 彼らはただ自分に与えられた仕事を果たそうとしただけだ」
淡々と、冷たい声がライラの心に突き刺さる。
「それなのにお前は与えられた役割から逃げ、彼らを死なせた」
「……違う!」
「違わない。お前が殺したも同然だ。これ以上お前が抵抗するなら、この場にいる者も死ぬ」
チャクラムが回り、鈍い光を放つ。
「私は……」
私は、大人しく奴隷になるべきだったのだろうか。そうすれば、彼とも出会わず、私のために人が死ぬことも無かった。
そうなれば、ヴィクトル様とも出会わなかった。
……。
――そんなのは、イヤだ。
「私が従わなかったら、他の人を殺すと言うんですね」
「そうだ。まずはその男から、息の根を止める」
「それは、悪いことです」
「……は?」
ライラはすくと立ち上がって、聖句を唱え始めた。
「おお、神の教えを理解せぬ愚か者よ。大天使エセリエルは言った。悪しき者の手を取ってはならぬと」
ライラは祈りの手を結び、その手のなかに小さな骨を握り込む。
「なんだと……?」
「汝悪しき道を行くのなら、その先に私はいない。汝悪しき者となれば、治癒の光は届かない」
「いい加減にしろ、今度こそ」
「悪しき道には悪しき影が満ちよう。悪しき手には悪しき血が満ちよう。その病は消えず、その毒は消えず」
構わず唱え続けるライラの手が、光を飲み込むような影に覆われていく。
「その病は黒き死の刻印となる。その毒は黒く血を濁らせる。その道には百万また百万もの死者の行進が続くであろう」
「やめ、やめろ……」
「黒いミアズマ……じゅ、呪殺の魔法だ!」
誰かが叫び、その声を聞いて次々に悲鳴があがる。
握り込んだ骨を短杖に見立て、ライラはチャクラムの男に向けた。
「神は影を作らない。神は病を作らない。神は毒を作らない。ならばこの影は堕ちし我が身の作り出す影なれば、汝疾く我が前から消え失せよ!」
光通さぬドス黒い影が、ゆっくりと指し示す方向へと向かっていく。
「さもなくば汝、死よりも恐ろしき不治の呪いに蝕まれん!」
かつて、人々が畏怖し異端扱いした呪殺の魔法。それは膿と毒、麻痺と病。人体に致命的な不可逆の反再生を与える、恐るべき呪いであった。
「くそ、どけ……!」
チャクラムをしまい、風に乗って闇夜に溶けるように、男は走り去った。
「「ウワァァァァ!」」
周囲はライラから伸びる影に騒然となり、倒れ伏した門衛もまた、ライラから離れようとズリ下がっていた。
「……意外と、やればできるもんですね」
片目を閉じて、魔力を閉じる。
ライラは呪殺の詠唱なんて何も知らない。まして古式派では禁忌とされている呪法。彼女はただそれっぽい聖句を唱えながら魔力を解放しただけだった。
実際、光の逆相を顕現出来ていたのだから、呪いの効果もあったかもしれない。とは言えライラからしてみれば精一杯のハッタリであった。
――ガンガンガン!
「門を空けてくれ!」
いつの間にか閉じられていた門が強く叩かれ、聞き慣れた声がした。
ライラは既に門の内側、門衛は……一応まだいる。
「門衛さん、帰りたいので開けてもらってもいいですか?」
「……まて、あの男の素性と、君の身柄を」
門衛は立ち上がろうとして、ぐらりと倒れた。
「……ごめんなさい、無理しないでください」
「明日まで……待てと伝えろ」
「……わかりました」
これ以上、この街にも迷惑はかけられない。
「ヴィクトル様! ライラはここです! 無事ですからどうぞ明日まで待っててください!」
「……ライラ!? 無事なんだな!」
「はい!」
「わかった……明日朝一番に迎えに行く!」
やがて人が戻り、保護された門衛とともに、ライラはその身をジュナイブに預けた。
その晩ライラは、エセル教会の一室を借り受け、懐かしくも眠れぬ夜を過ごした。




