表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

まんいんでんしゃ

作者: タイロン

 「吸って」


 男が言うと、幼い姉弟は素直に大きく息を吸い込んだ。


 「息、止めてみて」


 続けて、男はそう言った。

 子供たちは従う。


 男からの次の指示はない。

 そのまま、10秒、20秒。

 30を数えるより少し早く、弟の方が掃除機みたいに空気を吸い込んだ。

 つられたように、姉も呼吸を取り戻す。


 すると、男は安心したように微笑んだ。


 「耐えられないでしょ。苦しいもんね。おじさんもね、一緒なんだ」


 息を止めてみて、とお願いされたら、意識して息を止めることは出来る。

 でも、誰にどれほど強くお願いされたって、それを永遠に続けることなど出来ない。

 遠からず限界は来る。欠乏する。その苦しみを超えて生き続ける術などないのだから。

 

 男にとって、これは、それと同じことなのだ。

 呼吸を引き合いに出すのは大袈裟が過ぎると思うかもしれないが、それは確かにそうなのだろう。

 あなた方の正常で普遍的で、排他的な価値観に則って評価するならば、間違いなく。

 良くないことだから止めなさいと怒られて、良くないことだと理解したから止めてみる。

 でも、段々に耐えられなくなってくる。


 「わるくてごめんよ」


 男は刃物を振り下ろす。

 親を刺し殺した包丁で姉の柔らかい腹を捌いて温かい内臓を引き摺り出し、次いで弟の細い手足を細かく切り落とす。


 始まりは、小学生のときだった。

 朝、いつもの通学路を友達とおしゃべりしながら歩いていると、ふとビルの隙間になにかが落ちていることに気が付いた。首のない、スズメの死体だった。男の方を向いて話す友達は、赤黒くて水平な断面を歩道に向ける死体に気が付かない。見せびらかすでもなく、ひっそりと打ち捨てられた悪行に、男は恐怖と共に背徳を煽られた。

 その日から数ヶ月して、男はまた、通学路で鳥の死体を見た。今度はカラスだったし、今度も首がなかった。

 少年時代に暮らしていたあの街には、鳥の首を狩る何者かが住んでいた。男は、その悪意に惹かれたわけではない。だが、男が今日まであの異質な光景を覚えている理由は、恐怖ではなかった。

 ではないことだけを漠然と認識していた男だったが、大人になって、日々に窮屈さを感じるわけを理論立てて考えるようになってようやく、当時の心理を形容することが出来た。

 道具の正しい使い方を教えてもらったように、すとんと腑に落ちる自然なあり方を示されたように思ったのだ。生きるうえで、生理的に必要なプロセスとして、男は殺人の罪を犯している。


 静かになった血溜まりで、男は罪悪感に深く沈む。

 こんなことはもうやめよう。

 そう呟いて、男はその場を立ち去った。

 きっと3ヵ月もしないうちに、また見ず知らずの人間を殺すだろう予感にうんざりしながら。


          ●


 金曜日。 

 部屋の明かりを消して、テレビに出来るだけ近付いて、撮り溜めしたドラマを一気に見る。

 毎週楽しみにしているようで、そうでもない。

 酒と同じだ・・・と、女は思っている。女はあまり酒が得意じゃないから、本当に同じかどうかは分からないが、胃を焼く現実から逃避する手段という意味で、そう信じている。


 言い訳をいろいろ考えるけれど、結局、女が良くないのだ。

 それは分かっている。

 上司の言うことは正しい。いまのルールに則って、言うべきことを言っているに過ぎない。

 女は恐らく自覚している以上に前時代的な価値観の人間なのだ。働けば働くほど偉い―――とまでは言わないが、とにかく、休む間も惜しんで仕事にかじりついていることを美徳のように思っている。

 だけれど、世はまさに働き方改革時代。1日8時間を超えて働くのは異常。月に45時間残業したら犯罪者扱いだ。


 ただ、大事なのは、正しいとか、正しくないとかではないのだ。

 ただ、価値観が違うというだけの話なのだ。 

 

 数字に囚われた、より幸福な社会像。

 示された模範に支配された、より自由な社会像。


 「別に、働きたくて働いてるわけじゃないっつの」


 ―――それ、誰のための仕事なの。


 分からせようとしたのだろうが、そんなことを言われた。

 他の人はみんなのための仕事をしてるから、仕方なく残業をしている。君は違うでしょ。君は自分のためにダラダラと残って、やりたいことをやっているだけでしょ。


 そんなはずがない。


 真に自分のためを思うのなら、会社なんて辞めているし、そもそも働いてなどいない。

 そもそもみんなのための仕事とはなにか。

 まるで自分のところには誰のためにもならないゴミのような仕事だけがあるようではないか。

 

 「実際そうなんだろうけど」


 自信はない。

 まあまあの学校を出たけれど、それになんの価値がある。

 もう10年以上、人に褒められた記憶がない。


 希望はない。

 クリスマスイブも、大晦日も。

 生まれてこの方「早く明日がこないかな」なんて台詞を言ったことがない。

 

 欲望はない。

 他者にも、物にも、情報にも、大した価値を見出せない。

 なにを勧められたって、それって本当に必要ですか、と心の中で嘲笑うだけだ。


 この通りだ。虚無の魔物である。

 自分のためにも、誰かのためにも動かない。

 人が、そんな怪物になにかを期待するわけがない。

 それはそうとしか言いようがない。


 女が、女を部下に持つ上司だったなら、女に大事な仕事なんて任せない。

 大事な仕事を任せてもらえないから、信用されていないことを理解する。

 信用されていないと分かるから、役に立ってあげたいなんて感情も芽生えない。

 貢献意欲がないと分かるから、大事な仕事なんて任せられない。


 それでも本当は役に立ちたいのだ。

 役に立つ手段を持たないだけで。

 

 たった一言、心から「ありがとう」と言って欲しかっただけなのだ。

 たったの一度も言われたことがないだけで。


 この鬱屈を誰にも相談出来ないだけなのだ。

 自分がされて嫌なことは人にしちゃいけないと教えられて育ったがために。


 孤独は好きだが、好きで孤独なわけじゃない。


 その矛盾が、女もまた人の子ではあったことの、唯一の名残だった。

 

 

          ●



 「おめでとう、君たちは選ばれた!!」


 見るからにインチキなヤツだった。

 ヘリウムでも吸ったように甲高い声はキンキンと響くし、顔なんて隅から隅まで果てしなくいじくり倒していて、もはや男だか女だかも分からない。美容整形によって人工的に産み出された、令和の妖怪だ。明日、姿も声もまったくの別人が同じ名前を名乗っても、信じてやっていいとさえ思う。


 男と女は、互いの顔を見合わせて、苦笑した。

 良かった。こちらの異性の感性は分かりそうだ。

 ―――なんて思うことを知っていたように、妖怪はニッコリと笑う。これだけ整形しておきながら、笑顔になることを想定していなかったかのように、不気味な皺の数々が浮かんだ。


 妖怪は、それから、とんでもないことを口走った。

 感涙しながら、本当に、碌でもないことを言い放った。


 「素晴らしいっ、会って早々に仲良くなれそうで良かった!やはり社会不適合者同士、波長があうんですねっ!!」


 でも、言い返す気も起きない。

 男は楽しくもないのに半年と人を殺さずに過ごせないシリアルキラーで。

 女は頑張るフリだけに勤しんで無益な労働から抜け出せない給料泥棒。

 それで社会に適合するのは無理がある。

 

 と、それぞれが自分にそう言い聞かせる前に、妖怪によって素性は互いに暴露された。

 

 女が、顔を引き攣らせて男から一歩離れた。

 当然だ、と男は受け入れた。三六協定を守れないことと、刑法に触れることとでは、不適合のレベルが違う。男と同列に扱われては、女も堪ったものではなかろう。

 だが、女は数秒の思考を経て、うつむき、男の前に戻ってきた。


 「・・・すみません」


 「いえ・・・」


 なにがすまないのかは、女の考えになかった。

 単に自分の命が惜しくなっただけで、男の本性にはまるで興味がないことに気付いた。男が殺人鬼であることを嫌悪するのは、自分が殺されたときで良い。

 女の脳内でそのような認識の言語化はなかったが、要するに女は目の前にいるのが殺人鬼だろうと健常者だろうと、失礼な態度を取ってしまったなら、反射的に、社交辞令で謝罪する人間だったという話である。


 人間の反応としては、さっきの苦笑と変わらないものだった。

 妖怪は、恍惚として、ふたりの覚束ない初対面を眺めていた。


 「ああ、素晴らしいですね・・・!その他人への無関心!」


 まちなかの、カフェの2階の休憩室。

 だいたい、どうして今日、ここで初対面の異常者ふたりが引き合わせられたのか。

 なぜこのふたりが見出されたのか。

 そういえばその話をしていなかった。


          ○


 そのカフェは、コーヒーの味に対する評価もまあまあだったが、なによりゆっくりと本を読みながら長居出来る隠れ家的な店として親しまれていた。大きな店ではなかったが、文庫本、専門書、雑誌、漫画、たくさんの本は置いていた。ここにあるものを求める客が、求めていたものを得られるように、テーブルよりも本棚を優先して置いていた。音楽はなく、ただ陶器の触れる音と紙をめくる音だけの世界だ。


 休日。服装への気配りもほどほどのお一人様が、ふたり、つまらなそうな顔をして来店した。

 つまらなそうな顔をした客は、ふたりとも愛想笑いと慇懃な口調でコーヒーを注文し、店員が去るとまたつまらなそうな顔に戻った。

 義務的に、その顔をしているように見えた。言い換えるなら、生きていることを申し訳なく思っているようであった。孤独を許すこの空間であっても、ここにいることに引け目を感じているようであった。笑わず、いつも俯いていることを条件に社会の片隅に棲み着くことを許されているのです、と自己紹介をするようであった。いつも、そんな風であった。


 そんなに後ろめたいのなら自室に引き籠もっていればよいものを、なぜかここに来ずにはいられない。

 休みの日、自責の念に苛まれ、浅い眠りから陰鬱な気分で目を覚ます。

 どこに行きたいわけでもないけれど、どこへも行かないのは変だと思われるから、どこかには行かないといけなくて、ひとまずここへ逃げてくる。

 テーマを決めて手に取るが、書物に求めるものなどなにもない。ページをめくれば、前のページの内容なんてなにも覚えていない。コーヒーは好きなようでいて、家に帰れば味なんて思い出せない。


 そんな感じの、男と、女。


 妖怪は、そんな彼らを店に仕掛けたカメラからずっと見ていた。

 このカフェに通う人間の多くは孤独を愛する人種だが、時折紛れてやって来る。孤独しか知らず、孤独の中でしか生きられない。妖怪と同じ、人間の真似をするので忙しい社会不適合者が。

 そんな彼らが、たまたま同じ日の同じ時間帯に来店して、同じ雑誌を手に取ろうとして目が合った。

 雑誌の表紙の隅っこには、うつ病診断、という不躾な文言が大きく書かれていた。それを見つけて手に取ろうとした時点で自分がおかしいと分かっている証明だろうに、そういう人種は自分を傷付けるための余計な行動に余念がない。コンビニで見掛けたとき、彼らがきっと手に取ると思った。置いておいて良かったと小躍りした。

 声のかけ時だと思い、妖怪は1階の店に降りた。


 「社会は生きにくい?」


 男も、女も、キョトンとしていた。言ってから、妖怪もまたやってしまったと落胆した。

 見ず知らずの、性別も年齢も得体も知れない何者かが開口一番にそんなことを問うてくれば、気持ち悪いに決まっている。

 妖怪だって、本当は「いらっしゃいませ」から言い始めたかった。でも、止められない。意識と行動が合致することなんてあり得ない。

 いつもそう。いつも考えを巡らせているが、行動はいつだって考えより先に現れてしまう。


 正しい順序を理解していなければ、間違い続けることは出来ない。妖怪は、RPGのダンジョンで下のフロアに続く階段を見つけたとき、道を引き返していまのフロアの探索を続けるように、正解を試すのは一番最後に回す人種だ。でも、社会はそんな迂遠でネガティブコストしか生まない性癖を迎え入れてはくれないし、時間は巻き戻らないから人生の選択肢にやり直しもない。

 妖怪は、間違えるために生み落とされた。妖怪が間違いを犯すのではない。妖怪の行いを間違いと呼ぶのだ。妖怪がなにかをするとき、それが間違いとなるよう、世界は誰にも気付かれずに姿を変えていく。

 妖怪が1+1=2を証明したとき、妖怪以外の1+1は3となる。そんなことが起こりうると、妖怪は本気で信じている。そして、それが起きたことを証明する手段はなにもないから、妖怪はその確信をただ胸に秘め続けている。


 生きづらかった。

 かった―――が、妖怪はその苦悩を乗り越えた。

 いまも生きづらいことに変わりはないが、落とし所を見つけた。

 工夫したわけではない。

 年の功だ。

 無価値で消費するだけの自分など死んだ方が正しいのだが、常に間違った道を進む妖怪は、それ故に死ぬことは出来ない。常に脳裏を死がよぎるが、別に死にたいわけではなかったから生き続けてきた。そのうちに、時間が潔く諦める精神を育んだのだ。


 社会に適合出来ないなら、しなければ良い。出来ないことにこだわるから、なにも出来ないのだ。なにも出来ないから、つまらないのだ。人間、出来ないことは何年かけても出来るようにならないし、好きにもなれない。健常者にはなれないのになろうとするから、そんなつまらなそうな顔をしているんだろう。

 妖怪は、社会の外に自分の居場所を見出した。どうせ全て間違いだから、会社を辞めて、好きなことだけすることにした。意味や価値など感情のいち側面に過ぎないと悟り、大衆の感情を誘導する社会通念に迎合出来ない妖怪は、自分だけの価値観に率直に生きることにした。

 誰にも頼らない。誰にも期待しない。自分以外の基準が存在しない世界なら、なにも間違いにはならない。他人など、勝手に来て、勝手にくつろいで、勝手に金を落として帰れば良い。キャッシュオンリー、会話を簡略化するうえで便利な貨幣経済のシステムだけで現実と淡く繋がる、このカフェが集大成だ。


 しかし、他者と関わることを止めて充足を得た妖怪だったが、唯一、積極的に関わることにしている人種があった。言わずもがな、社会不適合者だ。

 彼らに、自分のような生き方を教えてあげたいのだ。必死に崖っぷちで陸に留まろうとしている彼らの背中をそっと押して、楽にしてあげたいのだ。母なる海の知られざる自由な深淵を覗けば、無限に広がる無明の闇が彼らを社会から分け隔てるたったひとりの居場所を提供してくれる。その真実を。


 「ようこそ、”カフェ・まんいんでんしゃ”へ。2階へどうぞ、社会からあぶれたお一人様方。超法規の世界にご案内いたしましょう!」


          ○


 「かく言う私もね、君たちと同じなんです。社会人として生きていくのが無理だったから、社会と距離を取って生活しているんですよね」


 「でも、こうしてカフェを持っているじゃありませんか。バイトの子だって雇っているし」


 知った風な口を利かれると、それもそれで腹が立つものだ。男の声に嘲りが混じった。

 理解者は欲しいが、求めるほどに現れれば強く拒絶したくなる。人間が望むのは、望んでも叶わないからだ。望んで叶う程度のことなんて、望むまでもなく叶えられるし、叶えている。 


 「だって私は私の淹れたコーヒーが好きでしたし。あの子もバイトじゃないよ?開店時間にふらっと来て、勝手に店番をして、閉店時間にふらっとどこかに行くだけ。私、あの子にバイト代なんて渡したことないですよ?」


 「それって、違法なのでは?」


 「んー。そうですけど、言ったじゃないですか、超法規の世界へご案内って」


 つまり、妖怪も、バイトの子も、あらゆるルールから解脱して、勝手にここにいるだけなのだ。

 妖怪は、店を開けたら勝手にやって来るバイトの子に、コーヒーを淹れる以外、店の全部を任せて、客の相手もせず思い付いたことだけして過ごす。客から味の感想を求めてもいなければ、バイトの子に居場所を提供してやっていることの礼も求めていない。そもそもそんな恩着せがましい意識もない。

 馬鹿げた話だ。そう思いつつ、女は、少し高揚していた。隣を見ると、男も段々と羨ましそうな色を浮かべ始めていた。

 同じ場所にいながら、孤独。ホームページに書いてあるカフェのコンセプトのとおりである。


 「社会不適合者っていうのはね、円グラフでいう”その他”なんです!十人十色なのに十把一絡げ、一見するとサイレントマジョリティなマイノリティ。けどね、そんな社会不適合者にもひとつだけ、確かに共通することがあると思うんですよ」


 「生きづらい、理由・・・」


 「どうして幸せになれないのか」


 「そのとおり!私もね、いままでいろんな人を見てきましたよ」


 口を開けば人のせいにばかりするけれど、本当は常に自責の念に駆られている青年がいた。

 信じる者は足元を掬われる、が座右の銘の未亡人がいた。

 自分がなにかをしたところで迷惑がられるだけと、仕事を取り上げられるままの中年がいた。

 他人がなにを考えているのか全く想像出来ず、誰も求めていないことしかしない少女がいた。

 物欲はないが、盗めそうだからと盗んでしまっては処分に困って盗品を売り払う公務員がいた。

 他にも、他にも、他にも。

 誰も世界の本当の姿なんて知らないけれど、それぞれ別のフィルター越しに世界を見ていたけれど、画一的な健常者たちがみんな同じことで喜ぶように、社会不適合者たちはみんな一様に同じことで苦しんでいた。

 社会不適合者は、社会に適合しないというだけであって、異常者ではない。異常者は苦しまない。異常者は不幸も不自由も感じない。社会不適合者は、それなのに自分自身を異常者だと思い込まされているから、苦しいのだ。


 「私たちが幸せになれないのは、人間がいるから!他人がいるから異常になる!常に恥ずかしくて、常に申し訳なくて、常にいたたまれなくなる!」


 全く同じ文言を、男も、女も、呟いたことがあった。

 一度や二度ではない。絶望する度に、同じ言葉を繰り返した。

 どうしていつも傷付いているのだろうか。

 原因を突き詰めれば、いつだってそこに辿り着いた。

 健常者と同じようであろうとすればするほど、些細な差異で大きな傷を負ってきた。

 健常者は他人と繋がろうとするから、真似をして、傷付くのだ。

 だから本当は他者と関わることを一切止めてしまえば良いと分かっているのだが、踏ん切りが付かず、また明日も傷付く。どんなに居心地が悪くても、いまの居場所から逃げ出せば次の居場所なんて見つけられないし、誰も消えた自分を探してもくれないと思っていたから、死ぬよりマシな矢の雨の中にうずくまって耐える他なかったのだ。


 だが、逃げ場所は提示された。

 超法規の世界、と妖怪は言っていた。

 もしも、本当にそのような孤独が許されるのなら。


 「君は、人を殺さずにはいられないんでしょう?だったら殺せば良いじゃないですか」


 「好きで殺しているわけではないのです」


 「でも我慢していたら苦しくなるんですよね?」


 「まあ・・・」


 「君は、24時間働いていないと虚無感から逃げられないんでしょう?だったら働けばいいじゃないですか」


 「いや、働きたいわけではないんだけど」


 「でも家に帰ったってなにもしたいことなんてないんですよね?」


 「それは、そうだけど」


 「これからは君たちが意味を感じることをしましょう。本当に意味があるかどうかは大切じゃない。というかこの世の全てに意味なんてない。意味は個人が勝手に決めるものですからね!感情、感情なのです!生きていくうえで一番大事なものですよ!」


 妖怪がデスクの引出から取り出したのは、2冊の小さな手帳だった。妖怪は、それを男と女に手渡した。手帳の表紙には、カフェの看板と同じマークが描かれていた。

 世の中には、社会不適合者が無理に社会と折り合いをつけずとも、生きていて許される組織が存在している。

 

 「私が30年くらい前に立ち上げた組織・・・まぁ、組織なんですけどね。円グラフの4割を占める社会不適合者をただ排除するだけでは、国も立ち行かないでしょ、なんて試しに突っかかってみたら、こんなことになっちゃって。まぁ、それはそれとして。君たちが社会に適合しない限り、君たちはどんな法にも縛られない。君たちが生きるうえで避けて通れない道に、組織は方針と報酬だけ用意します。誰のためにも行動しなくて良い。君たちは、君たちだけの法に従って世界に痕跡を残せば良い。君たちは、誰に頼んだわけでもなく、そう生まれてきただけのこと。なんら恥じることはないんですよ!」


 神の啓示か、悪魔の囁きか。


 たとえば、男が心を穏やかに保つために人を殺すとして、組織はターゲットを用意してくれるのだろう。そして、男がターゲットを殺したら、人殺しの後始末という数日かけても終わりそうにない仕事が、女の虚無を埋めてくれるのだろう。飽きるまで働いた女は、気持ち良く帰って、ぐっすりと眠れるのだろう。

 妖怪とバイトの子のように、男と女も自分を満たすために行動していれば勝手に救われるのだろうか。

 再び、男と女は互いの顔を見合わせる。


 愛想笑いを交わす。

 妖怪は微笑む。


 改めまして、”カフェ・まんいんでんしゃ”へようこそ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ