望んで悪役令嬢になったのですが?
「クラリス・グレゴワール。そなたとの婚約は今この場で破棄する。私は真実の愛を見つけたからだ――そう、この聖女クララとの間に」
婚約者であるはずの第二王子アントワーヌ様が、舞踏会の会場で、公衆の面前でそうわたくしに告げました。
アントワーヌ様の隣では聖女クララが今にも泣き出しそうになっています。平民上がりのくせに、婚約者でもないくせに、アントワーヌ様のお傍から離れないなんて非常識甚だしいことです。
「そなたのクララへの所業は耳に入っている。今さら言い逃れできると思わない方がいい」
わたくしは背筋を伸ばして、お腹に力を入れました。
「殿下。発言をお許しいただけますか?」
「申開きがあるということか。許そう」
「いえ。たしかにわたくしはクララ嬢に対して、たとえば以下のようなことを行いました。彼女の持ち物を隠したり、壊したり。二階から水をかけたり。それらはすべて、クララ嬢が殿下に対して不埒な行動を取っていたことに対する『婚約者』としての警告ですわ」
クララ嬢ははらはらと涙を零しながら何度も頷きます。
アントワーヌ様は眉間に皺を寄せ、わたくしを指差しました。
「これまで貴様が婚約者だったという事実が心底腹立たしい! この者を引っ捕えよ!!」
わたくしは両側から近衛兵に強い力で掴まれます。少しも怯むことなくわたくしは笑みを浮かべました。
――だって、悪役令嬢になりたかったんですもの。
わたくしは一切の猶予なく地下牢へと押し込められました。
元婚約者にも一応情けの心があるのでしょうか? わたくしは広めの独房へ入れられました。
とはいえきらびやかなダンスホールとは打って変わって暗く、寒く、どこからか異臭と呻き声が漂ってきます。
「新入りか」
陰鬱なのによく響く声が耳に届きました。
わたくしの独房の前に、漆黒のマントを羽織った男が立っていました。
「私の名はアルトゥール。ここの管理人を務めている」
「存じておりますわ。わたくしはクラリス。貴方に会うため、やってまいりました」
「……は?」
カーテシーを披露したわたくしに、アルトゥール様は訝しげな表情を向けました。
「わたくし、あなたに一目惚れしましたの」
「正気か? そもそも貴様と私は今が初対面だろう」
「ええ、『今』は」
わたくしには前世の記憶があります。
一度目の人生では、わたくしは聖女への迫害という冤罪でこの地下牢へ閉じ込められて儚い一生を終えました。その際の処刑人がアルトゥール様だったのです。
「わたくしが殺されるまで七日間。それまで、この牢越しでかまいません。恋人になっていただけませんこと?」
「どうかしている」
「命尽きる前の最後のお情けと思っていただけると光栄ですわ」
公爵家に生まれたわたくしには、一切の自由はありませんでした。
位の高い家の婚約者に選ばれて結婚することが生まれてきた意味であり、それ以外の人生を考えたこともなく。わたくしは両親の言いつけ通り、第二王子と婚約を結ぶことができました。
ところが一度目の人生では、突然現れた聖女とやらにその座を奪われたのです。妃教育のきの字も知らない彼女はただただ朗らかさだけで殿下の心を射止め、傍にいることを許されました。わたくしは彼女へやんわりと注意をしただけだというのに極悪人扱いをされて、弁解は許されませんでした。
地下牢へ落とされたわたくしの元についぞ両親は姿を現しませんでした。
わたくしの人生とは一体何だったのか。
絶望し、打ちひしがれるわたくしの首を落としたのは処刑人。
なんて美しく空っぽの瞳なのでしょう。
射抜かれる、とはまさにこのことでした。わたくしは希望を知った瞬間に一度目の人生を終え――気づけば時間が巻き戻っていたのです。
あのお方にまた会いたい。
その一心でわたくしは貴族令嬢として生き、――今度は自主的に悪役令嬢として振舞ってきたのです。
「食事の時間だ」
いつの間にかうとうととしてしまったようです。
冷たい床でもふわふわのドレスの膨らみを下にして寝ればそこまで不快ではありません。
「おはようございます。アルトゥール様直々に持ってきていただけるなんて光栄ですわ」
「……」
「スープも冷たくて薄い。パンもかたくてぱさばさ」
「それが囚人の食事というものだ」
「アルトゥール様は流石にあたたかな食事を召し上がっていらっしゃいますよね?」
「当然だ」
「それならよかったですわ」
アルトゥール様がわたくしを睥睨します。
彼がわたくしを見ているという事実に、ぞくりと体が震えました。
「お前はどうかしている」
「えぇ、わたくしもそう思います。あと六日でこの命が尽きてしまうというのに、今この瞬間が人生でいちばん幸せだと感じているのですから」
今まで一日の休みもなく淑女教育を受けてきたわたくしにとって、何もすることがない時間というのは新鮮なものでした。
床に横たわっても誰からも咎められなません。あくびをしても、怒られない……流石に手のひらで口元は覆い隠しましたが。
とはいえ『暇』にはすぐ飽きてしまいました。
わたくしはどうやら常に動いていたい性質のようです。そこで、わたくしはドレスの裾をびりびりと破きました。
「貴様、何をしている!?」
門番が慌てて飛んできました。わたくしは裂いた布きれを檻越しに差し出して、門番を見上げます。
「このドレスに施された刺繍をご覧になって? 小粒ではあるけれど本物のルビーですのよ。売れば十年分くらいの稼ぎに匹敵するでしょうね」
ごくりと門番の喉が上下に動きました。
元婚約者には感謝しなければなりません。だって、何も考えずにわたくしを地下牢へ押し込んだのですから。ちなみに、わたくしがドレスの裾に宝石を刺繍していたのは、両親も知らないことです。
「流石にここから出すことは難しいぞ」
「滅相もございません。わたくしが欲しいものはここにありますから。強いて言えば、本を一冊と、オイルランプを貸してくださらない? あと数日の命ですもの、穏やかに過ごしたいのです」
「それくらいならいいだろう」
門番はルビーを受け取ると、しばらくして、本とオイルランプを持ってきてくれました。
そしてこのまま王都を出ると言いました。地下牢勤務に辟易していたようで、地方へ逃げて新しい生活を始めるそうです。幸運をお祈りしたところ、「あんたもな」と苦笑いして去って行きました。
受け取った本は、貴族学院で流行していた恋愛小説でした。
はしたないと言われて、わたくしには読むことが許されていませんでした。
平民の少女が聖なる力に目覚めて王国にはびこる瘴気を払い去り、同時に王太子と結ばれる物語でした。わたくしはかすかなオイルランプを頼りに一気に読み終えました。
「悪役令嬢としては、わたくしもまだまだですわね」
恋愛小説を読み終えた感想でした。物語の中では、主人公の少女に対して貴族令嬢がありとあらゆる迫害を行っていました。婚約者をたぶらかされたから、というのがその理由でした。
わたくしと一緒。
「……たぶらかされる方が悪いというのに」
そしてわたくしはオイルランプのカバーを開けると、読み終えたばかりの本を炙りました。ゆっくりと本が燃え始めて、煙が立ち昇ります。
周りの囚人たちも異変に気付いて騒ぎ始めました。
当然のようにアルトゥール様が姿を現します。
「何をしている」
「地下牢を燃やそうかと思いまして」
「ふざけるな。第一、何故、そんなものがお前の牢にある」
「さて、どうしてでしょう?」
わたくしが笑みを浮かべると、アルトゥール様は溜め息をつきました。
そして鍵を開けてわたくしの牢へと足を踏み入れます。
「≪水よ≫」
アルトゥール様が呪文を詠唱すると手のひらから水流が生まれて、あっという間に小火を消してしまいました。
一度目の人生で、処刑時に魔法の発言を目にしていましたが、とてもきれいな魔法でした。
「オイルランプと本は没収する」
「残念ですわ。ですが、アルトゥール様とこんなに近くでお話しできて、うれしく思います」
「やはりお前はどうかしている」
「わたくしは正気です。期間限定でいいから、恋人になりたいのです、あなたと」
わたくしはアルトゥール様を見つめました。黒曜石のような、黒いのに光を持った瞳。
アルトゥール様は何も言わずに去って行きました。
わたくしはドレスを没収されてしまいました。
代わりに薄い布でできたワンピースを与えられて着替えます。
殺されるまであと五日。
アルトゥール様は着替えたわたくしを見て、やはり表情乏しく言いました。
「他に隠し持っているものはないだろうな」
「ご覧の通りでございます。……くしゅんっ」
急に薄着になったため、くしゃみが出てしまいました。
「……これくらいなら許可しよう」
するとアルトゥール様がフードマントを脱いで、檻越しに差し出してくださったのです。
隠されていた銀髪があらわになりました。
端正なお顔立ちに、胸が高鳴ります。わたくしはつとめて平静を装います。
「ふふ。よろしいのですか?」
「何をしでかすか分からないのであれば、こちらから制しておくことも時には必要だ」
わたくしはフードマントを受け取って、思わず、両腕で抱きしめてしまいました。自然と笑みが浮かびます。こんなに温かな気持ちになったのはいつ以来でしょう。
「ありがとう、ございます」
「さっさと羽織れ」
「はい」
頭からかぶると、ほのかにアルトゥール様の香りが残っているような気がしました。
「うれしいです。あたたかい……」
「おかしな女だ」
お前のことを調べさせてもらった、とアルトゥール様は続けました。
「公爵家に生まれ、貴族学院では常にトップの成績を維持。第二王子の婚約者に内定していたが救国の聖女が現れてからは執拗な嫌がらせを行い、第二王子の命によって地下牢へ幽閉された。……一体、何がお前を狂わせた?」
「わたくしに興味を持っていただきありがとうございます。繰り返しますが、わたくしは正気です。あなたに会いたくてここまでやって来ました」
そのとき初めて、アルトゥール様が眉根を寄せ、わずかに感情をあらわしました。
何も言わずアルトゥール様は去って行きました。
次の日、姿を見せることはありませんでしたが、わたくしはフードマントのおかげでちっとも寂しくはありませんでした。
「お前はこの手紙が読めるか?」
殺されるまであと三日。
素顔を晒したままのアルトゥール様は、わたくしへ一通の手紙を差し出しました。
「わたくしが拝見してもよろしいもので?」
「中身について話す相手もいないだろう。それで、どうだ? 読めるか?」
それはわたくしが貴族学院在学中に専攻していた他国の言語で書かれていました。
小国であり研究者が少ないということで興味を持ち調べていました。
わたくしが亡き後、誰かが資料を活用してくれることを願って。
アルトゥール様がこれを差し出したということは、わたくしについて調べた結果、手紙を読めると判断してのことなのでしょう。
「失礼いたします」
開封済みの封筒から手紙を取り出し、わたくしは目を見張りました。
そこにしたためられていたのが、国王陛下の暗殺計画だったからです。
しかも首謀者は聖女クララ嬢。なんということでしょう。彼女の正体は小国の諜報員だったのです。
「何て書いてある?」
「お教えしてもいいですが、ひとつお願いがございます」
「内容による」
「残り三日間。わたくしのことを、名前で呼んでいただけませんでしょうか。――クラリス、と」
ささやかな取引条件です。わたくしはじっとアルトゥール様を見つめます。
逡巡の後、苦々しそうにアルトゥール様は口を開きました。
「クラリス」
「ふふふ、ありがとうございます。それではお伝えいたします」
わたくしは手紙に書かれていた内容を事細かに伝えました。
アルトゥール様は段々と険しい表情になっていきます。
「……やはりそうか」
「わたくしが嘘をつく可能性を想定されてはいないのですか?」
「理由は分からないが、クラリスは私のことを好いているのだろう。それならば私が不利益を被るような行為はしないはずだ」
「まぁ! アルトゥール様の仰る通りですわ」
こんな状況でも信頼していただけたのがうれしくてたまりません。
「早速上に報告してくる」
「お気をつけて行ってらっしゃいませ」
独りになっても、ちっとも寂しくありませんでした。
どんなに地下牢の環境が劣悪でも。
どんなに、支給されるパンが硬くぱさついていても。
アルトゥール様がわたくしを見てくださっているという事実が、心の底で、わたくしを支えてくれているからです。
残り二日。
今日は現れないかと思っていたアルトゥール様は、夜――といっても地下牢は常闇なのでわたくしの肌感覚ではありますが――に地下牢へ姿を見せました。
「無事に片付いた。礼を言う」
「とんでもございません。お役に立てて光栄ですわ」
アルトゥール様は、何かを手に持っていました。
「今回の功績で、君の罰を軽くするための書類を用意した。サインしろ。そうすれば、地下牢から釈放しよう」
「結構です」
「……なんだと?」
わたくしが即答したことに、アルトゥール様は目を見開きます。
「殿下から婚約を破棄され、実家からは勘当状態。社交界にわたくしの居場所はありません。今さら戻って何になるでしょう? わたくしは、貴方に殺していただければそれで満足なのです」
「何故、君はそこまで私に執着するのだ」
「さぁ、どうしてでしょう。正気ではないのかもしれませんわね……」
家の駒として生きてきたわたくしにとって、自分の意志で反旗を翻し、死を選ぶのは最初で最後の反抗です。
一度目の人生ではそれすら流されるままに起きた出来事でした。
せめて二度目の人生では、自主的に命を終えたいのです。
こうやってアルトゥール様とも交流できた今、悔いはありません。
「君はほんとうにおかしな女性だ」
「お褒めの言葉として受け取っておきますわ」
地下牢での生活もいよいよ最終日となりました。
最後に出された食事は、あたたかく、きちんと味付けのされたものばかり。
ゆっくりと食べ終えたところでアルトゥール様が迎えに来られました。
「……処刑台に向かう」
「はい。その前にこちらをお返しします」
わたくしはアルトゥール様へフードマントをお返しします。
それから、両手に枷をはめられました。
処刑場は高台にあります。
一度目の人生では多くの民衆に野次を飛ばされ、注目の的になっていたものです。ところが今回聞こえてくるのは野次ではありませんでした。
――偽聖女から国を守ってくれてありがとう!
――クラリス様は冤罪だ! 解放しろ!
「あらまぁ」
クララ嬢が偽の聖女だったことは既に民衆にも明らかにされているようです。
「人々は君の釈放を望んでいる。君こそ真の聖女だと言っている」
「大仰な話になってまいりましたわね」
「提案がひとつある」
アルトゥール様が言いました。
「居場所がないから社交界に戻れないというのなら、私の婚約者になるというのはどうだろう」
「あらまぁ」
想定外の申し出に、わたくしが目を見張る番でした。
「君のご両親には了解を得ている」
「信じられませんわ」
「申し分のない身分だと言ってもらえた」
……言われてみれば、一度調べたことがあります。
アルトゥール様は侯爵様であり、王国の司法を担っている一族だということを。
侯爵家ではありながら国政に絶大な影響力のある一族。
たしかに、わたくしの両親の希望には叶っていそうです。
「これからも力を貸してくれないだろうか」
そう言うと、アルトゥール様はわたくしの手枷を壊しました。
「随分と強引ですのね」
「初対面の君に比べたら、かなり穏やかだと思うが」
「それもそうかもしれませんわ」
アルトゥール様とわたくしは並んで処刑台の前に立ちました。
高らかにアルトゥール様が宣言します。
「皆も知っての通り、こちらのクラリス・グレゴワール嬢は、偽聖女の陰謀によって一度は牢へ落とされた。しかし彼女の聡明さは彼女自身だけでなく王国をも救ってくれた。改めてこの度の非礼をお詫びし、彼女をここに解放する!」
一気に民衆が沸き上がります。
そんなつもりはなかったのですが、まぁ、いいでしょう。
これからもアルトゥール様のお傍にいられるのであれば、問題はありません。
「愛していますわ、アルトゥール様」
読んでくださってありがとうございました。
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