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自傷

作者: 泉田清

 「ある発見」は偶然の産物だった。暑気を避けるためインターネットカフェで過ごしていたのだ。席を立つと、向かいの席、82号室の扉が開いていた。ドキリとした。空席ではない。食事のあとがある。パソコンのモニターはショッピングサイトを映していたし、ファッション雑誌が何冊か開かれていた。82号室はショッピング中だったのである。そこへ利用者が戻ってきた。アッ、という表情をして。そして扉は閉じられた。

 据え付けのスリッパがなければ利用者は部屋にはいない、一分は戻って来ない、部屋で何をしていたか数十秒もあれば推理できる、が「ある発見」である。何より、他者の部屋を覗き見るのは、言いしれない快感があった・・・


 上司から電話があった。外回り中に。「安否確認がいってるはずだけど、すぐに返信してくれ」、「ああ、わかりました」。そういえば昼前に大きな地震があった。案の定、地震に対する安否確認のメールが来ていた。無事です、出勤中です、と返信をした。

 安否確認システム!私が出勤中なのは職場の誰もが知っているはずである。返信が無くて心配しているのは会ったこともない上の連中やシステム会社の奴らであり、私の安否ではなくシステムから外れた事を心配しているのだ。まさに本末転倒。システムが我々に奉仕するのではなく、我々がシステムに奉仕するようになってしまった。それでなくても四六時中電話がかかってくるというのに。


 休日。休みであっても電話は容赦なくかかってくる。「〇〇か?昨日の件だけど」「書類がまだ未提出だぞ」、「アレどこにやったっけ」、「次の休み変わってくれないか」、ほとんどが現時点の私を介さなくても解決できる、後で連絡すればいいものばかりだ。待ちわびた休みに傷をつけられた気分になる。おかげで電話恐怖症になった。着信音は切ってある。いつ電話が来るのか?しょっちゅうスマートフォンに目をやらなくてはならなくない。エアコンが夏を前にして壊れてしまった。そこで暑気と電話から逃れるように、インターネットカフェに駆け込んだのだ。


 昼過ぎ。駐車場に停める。直射日光が降り注ぎ、車を降りる前から汗が滲み出る。スマートフォンに着信はない、よし。車を降り、店内に入った。受付は無人だ。席を選ぶ。76番のカードを受け取る。いいぞ。私は76番、「〇〇」ではなくなった。なんという自由!店内はそれほど涼しくは無い、姿無き大勢のヒトがいるからだ。ブランケットを手にして席に向かった。まずは仮眠。このところ熱帯夜が続いてロクに寝れてなかった。薄暗い部屋で横になると、すぐにも深い眠りに落ちた。


 30分後。目覚ましよりも先に目が覚める。着信はない、よし。寝起きのトイレへ。貴重品を身につけ、据え付けのスリッパを履いて部屋を出た。トイレの後、フリードリンクを注ぎに行く。カプチーノを二杯。味見する。なんという甘さ!砂糖が入りすぎだ。甘すぎるカプチーノを啜り大画面のモニターに映されたものを眺める。どこからともなく料理の匂いがする、グウグウと高いびき、キーボードのカチャカチャ音、チイッ!チイッ!大きすぎる舌打ちが聞こえる。あまりに騒々しい。ここにあるのは生活。数時間に過ぎないが、番号をふられた我々は、誰とも分からぬ者たちと薄い一枚の壁を挟んで生活を共にするのだ。


 着信はない、よし。またトイレだ。80番の部屋の前には、据え付けのスリッパがなかった。薄暗い感情が芽生える。80番は席を外している。一分は帰ってこない。音を立てずに扉を開ける。中には何冊ものマンガ本が積み上げられていた。暴走族やヤクザをテーマにしたものだ。おやおや、傍らにはゴツゴツした鰐皮の財布もある。80番はかつての不良少年、それか現役のヤクザ者。ここは早めに引き上げよう。

 78番にもスリッパがない。よし。扉を開ける。モニターには複数のオークションサイトが開かれていた。周りには封筒、ハサミ、セロハンテープ、梱包材、預金通帳、細々としたキャラクターグッズたちが散乱している。78番はオークション商品を出品中だ。おっと、やけにゴテゴテ飾りのついたキーケースが置いてある。女だ!78番は若い女。インターネットカフェでのロマンスも悪くないではないか?いやまて、ケースには写真入りのストラップも付いている。赤子の写真が入りの。扉を閉めた。他者の幸せに手を出す必要はない。


 トイレを済ます。すっかり気分が昂っていた。自分が自分でなくなったみたいだ。システムが何だ、電話が何だ、上司が何だ、真の生活は仮想現実の中にこそある。またもやスリッパのない部屋を見つけた。勢いよく扉を開ける。モニターには動画サイト、オンラインゲームのプレイ画面、ゲームの攻略サイトが開かれていた。これはこれは!コイツは動画漬けのゲーム漬け、すっかりインターネット中毒だ。哀れなヤツめ。傍らにはカプチーノのカップが二つあり‐‐、ああ、この部屋は76番、つまり私の部屋である。・・・それからしばらくは、モニターの前で過ごした。腰が痛くなるまで。


 滞在時間が3時間に迫る頃、帰り支度を始めた。スマートフォンに目をやる、着信がある!それは非通知のものだった、まったくどこのどいつだ。胸をなでおろしたのもつかの間、非通知の次に、職場からの着信もあった。クソッ!とうとう来た、どこに逃げ込もうと私は私、他の何者にもなれない。潔く出頭しよう。まずはここを出るんだ。清算を終えると、私はもう76番ではなくなった。

 夕方のはずだったが、外は相変わらず暑い。蒸し風呂みたいな車の中で職場へ折り返しの電話をする。「すいません、着信があったんですけど」、「〇〇さん?ちょっとまって」。どうせ上司だ、かけてきたのは。「誰も電話してないようだけど」、「えっ、そうでしたか、勘違いだったみたいです」。電話を切った。いったい何が起こったのか?着信履歴をよくみる。こちらから職場へ電話を二回かけたことになっている。二回目が今であり、一回目が数分前。つまり職場からの着信だと思っていたのは、こちらからのかけ間違いだったのだ。非通知を確認した際、動揺して、誤操作をしたようだ。


 クソッ!クソッ!バカな間違い電話もあったものだ。これさえなければ待ちわびた休みは無傷だったというのに。ようやくエアコンが効いてきた頃、車はアパートの自室に向かって走り出した。

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