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四十九日(2)

 ~お悔やみ~

小川久美子(45)さん=九月一五日死去。

通 夜 九月一七日一八時 

告別式 九月一八日一〇時 

場 所 〇〇斎場 

住所 △△市××町〇丁目〇—〇 

喪主 母 小川 澄子


 死亡事故は即日夕刊に報じられたが、葬儀の打ち合わせの際にお悔やみ欄の掲載はどうするか確認され、地方紙の夕刊のお悔やみ欄に葬儀の案内とともに掲載された。




 母と姉は7時には起床して準備を始めた。

 今日は斎場で一晩過ごすことになる。斎場の家族控室は、まるでホテルのようにいろいろな物が充実している。お風呂にも入れるしアメニティも様々なものが準備されている。とは言え、いつも使っている基礎化粧品やメイク用品は持参する必要があるし、一晩中喪服で過ごすことは窮屈だ。楽に過ごせるような黒い洋服を準備して旅行用のバッグに詰め込んだ。

 身支度を整え、朝食を軽く済ませた2人は家の戸締りと火元の確認をした後、姉の運転する車で銀行に向かった。葬儀代金とこの2日間に必要となるであろう現金の準備だ。

  

 私の遺体が斎場に移送されるのは10時予定と言われていたが母と姉は9時を少し過ぎた頃に斎場に到着した。

「ちょっと早かったかね。」

 母はそう言ったが、2人が到着して5分後には孝叔父さん夫婦も斎場の駐車場に到着し、早々に斎場の中へ入っていく様子を見て、母も姉も後を追うように急いで車を降りて斎場に入った。

 母が斎場の受付に行き挨拶する。

「おはようございます。今日お世話になる小川です。」

 受付の女性は立ち上がり会釈をすると、聞き取れないくらいの小さな声で

「この度はご愁傷さ・・・ます。」

 とつぶやいた後、それよりも少しボリュームを大きくした小さな声で

「それでは、家族控室にご案内いたします。」

 と言い受付の窓口の横のドアから出てきて母たちを誘導する。受付に向かって左手には階段があり、そこを上がるらしい。2階に上がるとすぐに家族控室①という表示が見えた。その横に   家というプレートが下がっているが、名前は入っていなかった。

 廊下を進み、次に見えた家族控室②に小川家というプレートが下がっていた。 

 受付の女性は控室の引き戸を開けて、中に入るよう促すと、姉、母、叔父が次々と中に入る。父の葬儀の時とは違う部屋だったが、間取りはほぼ同じようだ。

 畳敷きのだだっ広い部屋の入口正面は大きな窓がありとても明るい部屋だ。壁側には葬儀会場よりも小さいが白い花がびっしりと並んだ祭壇があり、その真ん中には私の写真が飾られている。母と姉は私のアパートから選んで持ち出したアルバムの中から、20年くらいは昔の写真を遺影にしようと葬儀屋に提出した。髪の色もヘアスタイルもほうれい線も目じりのシワも今とは全く違う。私の人生で若くまだシミもないきれいな時の写真で良かったかもしれない。

 受付の女性は引き戸の内側で正座をしてこちらを向いた。

「本日より2日間、こちらの控室をご利用いただきます。控室内のポットや冷蔵庫など設備はご自由にご使用ください。浴室はこのフロアの廊下の奥にご用意しております。24時間ご利用いただけます。・・・・・・」

 施設内や設備の説明の後、最後に

「担当の者が、現在ご遺体をお迎えに行っております。10分後くらいにはこちらに戻る予定です。ご遺体が到着いたしましたら、10時半から、納棺の儀を始めさせていただく予定ですので今しばらくお待ちになっていてください。」

 と話し終えると正座のまま頭を下げ、まるで旅館の仲居さんのような挨拶をして部屋を出た。

 落ち着かない様子の4人はもう一度立ち上がり部屋の中を探索するように歩きだした。母はポットに水を入れお湯を沸かし始めた。


 私の遺体は予定よりも少し早く警察署から引き取られ斎場に到着した。葬儀屋のストレッチャーに乗せられた私の遺体はエレベーターで斎場の2階に上がってきた。エレベーターの扉が開きざわざわとした人の動きを感じた直後に控室のチャイムが鳴る。

 姉が返事をすると引き戸が開かれ、さっきの受付の女性と昨日打ち合わせをした担当者の男性が立っていた。

「失礼します。ご遺体が到着いたしました。」

 手際よく私の遺体は白い布団に寝かされた。

 警察署で面会したときには、顔に大きなガーゼが無造作に当てられて髪も血まみれの状態だった。首から下の状態は確認できなかったが、おそらくあの日着ていた洋服も汚れていたはずだ。もしかすると処置のために切られていたかもしれない。しかし今の私の遺体は髪の毛はサラサラで出血の痕跡もなく、白い寝巻を着せられていた。どうやら検案を終えた私の遺体は、警察署の中できれいに処置されていたようだ。


 予定時間に納棺師が控室に現れた。

 母と姉、叔父夫婦に見守られる中、私の遺体は光沢のある白い衣装に着替え、足袋を履き手首に白い布が巻かれ、旅支度が終了した。

 化粧をする際に納棺師に促され母は白粉のパフを私の頬に当てた。

「警察で見たときは、大きな傷があったみたいだけど・・・」

 私の顔を見て母がつぶやくと納棺師は

「こちらに来る前に警察署の方で少し処置をしてきています。」

 と教えてくれた。それにしても、右目の上にあった傷も額から頭にかけてあった傷も良くわからないくらいに隠されていた。

「そうなんですね。全然わからないものですね。」

 母と姉は不思議そうにまじまじと私の顔をのぞきこんでいた。

 まあ、頭部は小さな傷でも割と出血が多くなる。救急センターで見たとき大きなガーゼの中がどの程度の損傷だったかは確認できていなかったが、想像していたよりも小さかったのか。

 交通事故死でも私の遺体はキレイな方だろう。救急センターに運び込まれる患者の中には、折れた骨が皮膚を突き破って出ていたり腕や足がちぎれてしまった状態のこともあった。

 どんなにひどい状態でも、手術やリハビリを経て元気に退院していく人もいた。あの人たちは命を取り留め、この程度の傷で私は死んだ。いや、もちろん大型トラックにはねられたのだから、傷が小さく見えたとしても内部の損傷が大きかったということなのはわかっている。『まだ生きていたかったのに・・・』という執着とも違うが、あの人たちは生きて私は死んだという不公平感は消せなかった。



 納棺の儀が終わったのは11時半だった。母は姉に近くのお弁当屋さんで昼食を調達してくるように伝え、銀行でおろしてきた現金の中から1万円札を渡した。

 姉が買ってきた焼鮭の入った幕の内弁当を食べた後、4人はお茶を飲みながら親戚の人たちの話をしていた。父の一番上の姉は最近認知症の症状が出始めていて、買い物に出かけて家に帰れなくなってしまった。2番目の上の姉の三女は離婚して実家に帰ってきた。長兄の息子が最近入院していたなど、孝おじさんは親戚との付き合いが()()で、いろんな情報を持っている。父が亡くなってから10年以上過ぎると、親戚とは年始の挨拶も年賀状で済ませ、実際に顔を合わせるのは親戚に不幸があった時くらいになっていた。ただ、孝おじさんは父の命日には毎年実家に来てくれたり、何かと気にかけてくれていた。それは他の親戚に対しても同じで、親戚との交流を大事にして生きているのだと思う。父が亡くなって10年以上経ってからも親戚付き合いが途切れることがなかったのは、この叔父がいてくれたおかげだ。親戚付き合いは煩わしいこともあるし、お金を借りて返さないような困った人がいると厄介だけれど、年を取ると人との繋がりは大事だ。この先も母と姉には叔父夫婦が寄り添ってくれるのだろうと思うと、世話焼きでちょっとお節介な叔父に心から感謝の気持ちが湧いてくる。


 14時を回ったころ控室の内線電話が鳴った。姉がその受話器を取ると受付の女性からだった。

「ご友人の方が来られているのですが、お通ししてよろしいでしょうか。」

 友人と聞いて、私は受付の前に移動する。

 そこには、めぐと陽子がそれぞれにキャリーケースのハンドルを握りしめて立っている。二人とも東京から急いで駆けつけてくれたのだ。空港から2人の実家までは、この葬儀場よりも遠いため空港からそのまま来てくれたようだ。

 2人は何も話さずにスタッフの対応を待っていた。私は二人に近づいてみるが、やはり私の気配すら感じていないようだった。

 門番さんは、能力によっては見えたり会話までできると言っていたが、私にも2人にもその能力は微塵もないのだと思うと少し悔しかった。


 階段を下りてきた母が2人を見つけて声をかける。

「めぐちゃん、陽子ちゃん。東京から?」

「昨日の夜に、同級生から連絡が来て、びっくりして・・・」

めぐが言葉に詰まる。

「・・・信じられなくて」

 陽子もやっと言葉を絞り出す。

『私も信じられないよ。まさか、この歳で終了だったなんてね・・・』

 2人の様子を見て悲しい気持ちになる。老後は3人で共同生活も良いね。なんて話をしていたこともあった。

『私には、老後なんてなかったね。』

 涙ぐむ二人を前に母が声をかける。

「今、控室の方にいるから・・・、会ってやって」

 2人を促し2階の控室に連れていく。

 叔父夫婦は部屋の端でお茶を飲みくつろいでいたが、2人が入ってきたのを確認し揃って会釈をした。

「お久しぶり。どうぞ、入って」

 姉が声をかけ迎え入れると、母が

「こっちから・・・顔、見てやって」

 と言い、棺の頭側に2人を連れていく。

「キレイでしょ。事故だけど傷も目立たなくて、さっきお化粧はしてもらったけどそこまで大きな傷じゃなかったみたい。打ち所が、悪かったんだろうね。」

 2人はゆっくりと棺に近づいて中を覗く。私の顔を見た瞬間に2人が同時に泣き始めた。

 私も涙が止まらない。


 高校で出会って30年の付き合いか・・・。それぞれ別の中学から入学して同じクラスで3年間、何がきっかけで仲良くなったのかはもう思い出せないけど、休み時間や放課後も、ただ一緒にいてふざけ合って、楽しくてずっと笑っていたことだけ思い出される。30歳を過ぎても、40歳を過ぎても一緒にいると高校生のあの頃と同じように、楽しいだけの時間を過ごせる貴重な友達だ。

 看護学校でも、職場でも友人と呼べる付き合いのある人はできたけれど、同業で特に同じ職場だと一緒にいるときに仕事の話をすることが多くなる。それは必然で仕方のないことだけど、せっかくのプライベートの時間が仕事に浸食されているように感じる自分がいる。

 高校の担任の先生は、高校時代に仲良くなった友達は一生涯の友達だと言っていた。卒業するときには、その言葉の意味がピンと来なかったけど、今となっては本当にその通りだと実感する。損得や利害関係なく、単純に純粋に人柄が好きだから楽しいから、気楽に一緒にいて、何の計算もなく自分をさらけ出せる友人は社会人になってからは作りづらいのだ。



 ひとしきり泣いた後、

「ほんとにキレイだね。寝てるみたい。」

 めぐがそういうと

「うん。穏やかな顔。」

 と陽子が小さな声で言う。

 しばらく私の顔を無言で見つめていためぐが口を開く。

「ちょっと早すぎじゃない?まだ45歳だよ。」

 私に話しかけているのか、陽子に話しかけているのか・・・。陽子は視線を一度めぐに向けて再び私の顔を見て

「ほんとだよ、まだ早すぎるよ。」

 と同意した。


『ごめん』

 と私は謝るけど、2人には届くはずもない。

 

 2人とは、ずっと連絡を取り合い遠く離れた土地にいても、その繋がりは切れることがなかった。高校を卒業してからは手紙で、携帯電話が普及してからはメールで、スマホが主流となってからは3人のグループメッセージで。若いころには恋愛や、職場の愚痴が多かったけれど、最近は主に健康について話すことが多くなった。

 看護学校の仲の良かった同期とは、その子の結婚や出産のあとから徐々に疎遠になって、今となっては全く連絡を取っていないくらいだ。不思議なのは、めぐは20代の前半に結婚・出産をしたけれど、疎遠になるどころか娘も友達の一員のような感覚で一緒に遊んでいた気がする。1度目の結婚が破綻し、2度目の結婚後は旦那さんも含めて、私たちが好きなバンドのコンサートに一緒に行ったりもした。陽子は5年前に結婚した。子どもはいないけれど、陽子の旦那さんも含めて全員の地元が同じだから、新年会や実家に帰って来た時にご飯を食べたり、何かと家族ぐるみでの交流が続いてきた。

 年を重ねても、それぞれにライフスタイルが変わっても、ずっと変わらない友達の関係は2人とだったから続けられたのだと、本当に思っている。この先、一緒に年を重ねて70歳80歳で死んだとしても、誰かが欠けてしまう寂しさや悲しみはきっと同じだろう。

 2人は結婚して家族がいるけれど、結婚しない人生を選択してしまった私は、母も姉も見送った後、2人もいなくなって最後に1人で残されてしまうより、3人の中で先に逝きたいと密かに思っていた。

 45歳はさすがにちょっと早かったとは思うけど、これで取り残される不安は解消された。

 私は、自分が思っているよりも《孤独》に不安があったのかもしれない。そして自分が思っているよりも、それは我儘な考え方だったのかもしれない。

 私は、我儘に生きてきたのかもしれない。

 生きてきた45年間、私は自分の周囲の人たちに対して配慮できていただろうか。

 私の緊急事態に全てを捨て置いて東京から駆け付けてくれた、この大切な2人の友人に私は同じ大きさで友情を返せていただろうか。


 私の1周目の人生は終わってしまった。

 でも、また会えるから。2周目の人生では2人との友情にもっと感謝の気持ちを持って返していくから。

『また、よろしくね。』



 めぐと陽子は、家族控室の奥の部屋で礼服に着替え、そのままお通夜の時間まで、高校時代の思い出や3人で行った旅行、家族ぐるみでの新年会のこと、私の失敗談など2人しか知らないことを母と姉に話して聞かせた。


 16時を過ぎたころから礼服を着た親戚が次々と到着し控室に入って来る。

 父のきょうだいである叔父・叔母の家族、母方の伯母の家族、いとこやその家族も各地から到着した。

控室に集まった親戚たちが口々に言う。

「まだ45なのに」

「まだまだこれからだったのに」

 70歳を優に超えた叔父や叔母にしてみたら、まだまだ若い私が先に逝くことはやはり驚いただろう。癌家系の父方の叔父や叔母はそれぞれ、50代60代で癌を患って手術を受けていた。大病を克服して70代の今を元気に過ごしている。まさか、40代の私にこんな死が訪れるなんて思っていなかっただろう。


 予定の時間である18時にお通夜が始まった。

 私は祭壇に敷き詰められた花の中に置かれている棺の上から参列者の様子を眺めていた。父が亡くなった時からお世話になっているお寺の住職が来てくれた。住職がお線香に火をつけてお経をあげる準備を始めている。私は少し高い位置にいるため、見下ろすように住職の所作を眺めていた。私よりも少し年上の住職には息子がいて、今は中学生と言っていた。時々母と姉と一緒に参加するお寺の法要の時には、住職の父である大住職とその息子も法衣に袈裟を着用して僧侶としての役割を立派に果たしていた。お寺や神社って、そうそう簡単に廃業するわけにいかないから、生まれたときから《お役目》が決められているのだろうな。以前一緒に働いていた先輩もお寺の娘で弟が跡継ぎと言っていた。そして、そのお寺の娘で婿を取った母と弟は霊感が有るとも話していた。その時は、そういうものかと感心して聞いていたが、世の中のお寺や神社の関係者全員に霊感が有るとは限らないだろう。

 でも、ちょっと気になる。

 生前、ご本人にそんなこと聞けるはずもなく。まあ、聞こうとも思ったことはないが、この住職はどっちだろうかと急に確かめたい衝動に駆られる。

 棺から降りて、住職の正面に立ってみるが、住職はなかなか顔を上げない。

 大きな”おりん”を数回鳴らし、木魚のばちに持ち変えて顔を上げた。

 一瞬目が合ったように感じたが、住職は目を閉じ読経を始めた。

 どっちだろう。

 もしかすると見えているのが当たり前だと反応することもないのかもしれない。

 まあ、霊体である私を住職に認識してもらったところで、そこまで伝えたいことはないのだけれど。


 喪主の席には母が座っている。同じ年齢の女性が亡くなれば、その多くは配偶者が喪主になるのだろう。年齢の順番で言えば、私が母と姉を見送らなくてはならないというのに、45歳の娘は自分の家庭をもつこともなく老いた母に全てを任せて先立った。申し訳ない気持ちになるものの、今はどうにもできないことだ。母や姉が言うように、”運命だから仕方ない”と思ってもらうしかない。

 改めて祭壇から会場を見渡してみると、広々としたフロアに一定の間隔で設置された椅子が並べられ、そのほとんどの席に参列者が座っている。後列の方には空席がちらほら見えているが、思っていたよりも埋まっている。

 打ち合わせの時、母は会場の規模を50名くらいで良いのではないかと言い張ったが、叔父は100名くらいの規模で考えた方が良いだろうと母を説得した。私が働いていた職場の規模や、これまでの付き合い、新聞に事故の記事が載ったことも少なからず影響があるだろうと、母の見積もりよりも多い人数の参列を予想してのことだった。結局、150名が入れる会場での葬儀となった。私自身も、そこまでの広い会場じゃなくても良いのではないかと思ったが、ここよりも狭い部屋は50名くらいの広さであるということで、結局この広さに決定した。

 広すぎたのではないかと思った会場には、しばらく連絡を取っていなかった高校の同級生や看護学校の同期、今は別の病院で働いている元同僚など、懐かしい顔がたくさん集まってくれていた。もちろん、現在の病棟の師長をはじめとする同僚たちも参列してくれていて数名の医師もいた。

『私って、意外と人望があったんだ。』

 時間を割いてここに来てくれた。しばらく連絡を取っていなかった同期や中学、高校の同級生も来てくれるとは思っていなかった。

 参列者の席を眺めていると、知らない顔も何人か見えた。しばらく会っていない人なのか、そもそも私の知り合いじゃなく姉や母の繋がりの人なのかもしれないと思ったりする。


 同窓会やクラス会といったものには参加したことがなかった。仕事が忙しく休みの日は休みたいというのが一番の理由だった。高校のクラス会は割と定期的に開催されているようだったが、一番仲の良いめぐと陽子が参加しない飲み会に行ったところで、楽しめる自信がなくいつも辞退していた。いつも開催の連絡を回してくれる美紀が私の事故についてめぐと陽子、その他の同級生にも連絡を入れてくれたとめぐが母に話していた。その美紀も参列してくれていた。こんなに薄情な私のために動いてくれてありがとう。これまでの自分を振り返ると申し訳なさが湧いてくる。

 後列には、病棟の人たちが並んで座っていた。時折ハンカチで目元を拭う人も見受けられる。ここ数年、仕事ばかりしている私のほとんどの時間を共に過ごしてきた人たちだ。おそらく、夜勤の人以外はみんな来てくれているようだ。他の病棟に異動になった人や産休中の後輩も来てくれている。意外なことに、いつも不愛想で必要最小限のことしか、いや、必要なことすらも話さないような佐渡先生が来てくれるとは思っても見なかった。

 

 会場にいる一人ひとりの顔を見ているうちに、ずいぶんと時間が経っていたようだ。

 住職は両手に持ったシンバルのような楽器を打ち鳴らし、今日のお通夜は終了となった。住職が退場後、司会者の声がけにより喪主の母と施主の叔父が並んで前に立ち挨拶をし、そのまま参列者の見送りとなった。

 参列者は、次々と焼香を済ませ、足早に母と姉に会釈をし静かに会場を後にした。

 会場を出た後、すぐに帰る人もいたがロビーで話し込んでいるグループもいた。読経中に顔を見ても誰だかわからなかった人もいたが、近くでそのグループの話を聞いてみると、どうやら中学の同級生だ。わざわざ来てくれたのに、わからなくてごめんなさい。一緒に来ていた2人の顔と名前はうっすらとした記憶を引っ張り出して一致した。確かにあの頃は仲良くしていた。

 「〇〇病院で、バリバリ働いてたんでしょ?」

 「中学の時はさ、すぐ結婚してお母さんになってそう。とか話してたのにね。」

 「そうだよね、久美子が独身貫くとか意外だった。」

 「・・・この歳で死んじゃうなんてね。」

 死んだことに対してだけではない〈哀れみ〉のようなものを感じて、胸の奥にしまって見ないようにしていた劣等感が顔を出す。

 まだ()()()()だった中学生の頃は、恋愛や結婚は憧れでしかなく現実的ではなかった。私も、人並みに恋愛や結婚に夢を持っていたし、同級生たちと無邪気に理想の結婚や旦那様の話をしていたものだ。

 独身で生きることを最初から決めていたわけではない。

 

 「真里は?下の子大学生だっけ?」

 「そう、福岡の大学行ってて、もう仕送りで大変。」

 久しぶりの再会の場所がここだったのだろう。みんな結婚し、子育ても一段落して自由な時間が増えていく頃だ。まあ、学費や仕送りといったお金の工面が大変さは変わらないのかもしれないが・・・。日々の生活に疲れ、愚痴を聞いてくれる人を探していたのだろう。

 止まらないおしゃべりに興味をなくした私は、また会場に戻る。


 年齢層がばらばらの集団が列になって母と姉の前を会釈しながら通り、一番後ろにいた師長が立ち止まって挨拶をした。

「山本です。昨日はご連絡ありがとうございました。この度は、本当にご愁傷さまでした。」

 母と姉は私の職場の人に会ったことはない。

「お忙しい中、来ていただいてありがとうございます。本当にお世話になりました。」

「私は、2年前に今の部署に異動になってから、久美子さんには本当に助けられていて頼りにしてたんです。年下のスタッフたちにとっても、頼りになる存在でしたし・・・大切な柱を一本もがれたような・・・こんな形で仲間を失うことになるとは思ってもみなかったので、本当に残念で仕方ないで・・・。」

 言い終える寸前に言葉に詰まった師長の目には涙があふれてくる。

 《そんな風に思ってくれてたんだ》

 どんな時も冷静沈着な師長が涙ぐみながら深々と頭を下げた。師長の後ろにいた職場のみんなも一緒に一礼する。その中に、大きな目からこぼれる涙を白いハンカチで何度も拭うともちゃんの姿が見えた。

 夜勤明けのあの朝が最後になるなんて思ってなかったね。

 泣きながら母と姉の前に立ち、師長に続いてともちゃんが話し始める。

「私は、新人の頃から久美さんにお世話になってきて、彼氏のこととか結婚のことも本当にいろんな話を聞いてもらって、もちろん仕事のことも、お世話になってきて頼りっぱなしで・・・、こんな・・・」

『ともちゃん・・・』

 ともちゃんは7歳下だが、とても明るくて感性が少し変わっている子だった。周囲は不思議ちゃんとして扱っていたが、私は彼女のもつ面白い感性やノリが好きだった。

 お酒が飲めない体質のともちゃんは、ジュースでも酔っ払いのテンションに合わせて宴会を盛り上げることができる特技を持っていて、彼女の仕切る飲み会は本当に楽しかった。彼氏とのデート中に遭遇した面白い話や、時には真面目な相談もしてくれるようになっていて、プライベートでも一緒にご飯を食べに行くことが多かった。今の職場では一番共通の思い出がある同僚かもしれない。

 ともちゃんの隣で静かに目元を拭っているのは、いつも感情を表に見せない佐藤さんだ。私のために涙を流してくれているの?

「私も、いつも優しく気遣ってくれる小川主任が好きでした。」

 佐藤さんが口を開いたのは意外だった。そして、佐藤さんの気持ちを知れてうれしかった。

 看護師は良くも悪くも人を評価的に見てしまう癖がある。それは患者さんに対しては必要なことでもあるけれど、先入観と思い込みで他人を判断し、自分の判断を他人にも共有することは歪んだ人間関係を生むことになると私は思っている。きっと、佐藤さんなりに自分の評価や、他の先輩たちからの当たりの強さに傷ついたことがあっただろう。

『私もけっこう好きだったよ。』

 佐藤さんの涙につられるように、まわりの後輩たちも鼻水をすすり始めた。

 今は別の部署に異動してしまった米田師長さんもいた。私が新人の頃からかわいがってくれていた。気さくで話しやすくて8歳も離れていたが、大好きな先輩だ。

 

 人生を最初からやり直すということは、同じ人生を繰り返すことではない。

 “死”は、それまでの日常の終わりだ。

 1周目の人生の中で出会ってきた、たくさんの人たちとの“出会い”を“関係性”を私は大切にできていただろうか。

 今、ここに残ってくれている人は、これまでの私の人生のひとつの答えだ。

 私は患者さんの死を前にして自分の人生には何もないような虚しさを感じることが多かったけれど、見えていないものがあったのかもしれない。見ないようにしてきたものもあったのかもしれない。

 2周目の人生でどんな選択をするかはまだ決めていないけれど、目的のためには看護師の道を選択することはないだろう。家族や親戚は変わらないけれど、今ここに集まってくれた看護学校の同期や看護師として一緒に働いた同僚たち、医師や出会ってきたたくさんの人たちとは、もう一緒に働くことはないし二度と会うこともないのかもしれない。

 『ありがとうございました。お世話になりました。』

 

 今ここに集まってくれた人たちには、アイドルに会うために人生を生き直しますなんて口が裂けても言えない。

 こんなふざけた理由で人生の2周目を生きようとしている私でごめんなさい。


 

 門番さんは「お疲れ様でした。」と声をかけてくれた。

 私はこの人生を労ってもらうほど頑張っただろうか。

 次は、もっとうまく生きられるだろうか。

 自分も自分の周りの人たちも大切にして、目的を果たすことができるだろうか。



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