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第6章-1 サーシャの回想

夜。

宿の部屋。

薄い毛布の中で、サーシャはじっと天井を見ていた。

(あの頃と、同じ気持ち)


隣には誰もいないのに、息を潜めている自分がいる。

あたしは、また——

 

視界が、暗がりの奥へ沈んでいく。


【1】幸福な始まり


陽の光が、白い石畳に斑に落ちていた。

庭の芝は朝露でしっとりと濡れ、遠くのバラ園では蝶が遊んでいる。

春の風が吹いていた。


「サーシャお姉ちゃん、見てて!」


リゼが花壇の前で両手をそっとかざす。

指先から、ふわりと土が浮きあがり、つぼみだった小花がぱん、と弾けて咲いた。


「……わあ」


思わず声がこぼれる。

サーシャは花びらをそっと指に載せる。


リゼが笑いながら手を取ってくる。


「ほら、お姉ちゃんもやってみて! わたしと一緒なら、きっとできるよ!」


「え……えへへ、できるかなぁ……」


サーシャも両手をかざしてみる。

でも、土は動かなかった。蕾も揺れない。


リゼは笑う。


「だいじょうぶ! お姉ちゃんは風とかの方が合ってるんじゃない? それか剣術! この前すごく上手だったよね!」


「あ……うん」


胸の奥に、少しだけしゅんとした何かが落ちる。

けれど、リゼの笑顔を見ていると、すぐに消えていった。


 


古い石の噴水の裏手。ふたりだけの秘密基地。

風のよく通る小さな広場。


リゼが花を咲かせて。

サーシャが影になって木の葉を集めて。


ふたりでひとつだった。


 


「誕生日、またここでお菓子食べようね!」


「うん……でも、今年はお父様が“来客がある”って」


「そっか……じゃあ、夜にこっそり抜け出そうよ」


「えへへ、うん!」


そう言って、リゼが小指を差し出す。

サーシャもからめ返す。


あたたかい指先。

それだけで、全部大丈夫な気がした。


(この手を、ずっと離したくない)


――そう、心から思っていた。


【2】病の訪れ

夏が過ぎ、秋風が冷たくなったころだった。

リゼの笑顔が、ふとした拍子に薄れていった。


最初は「疲れただけ」と笑っていた。

でも、朝になると身体が起き上がらず、昼には高熱を出していた。


医師は診断書に「病名不詳」と記した。

次第に彼女は、歩くことすらできなくなっていった。


 


(……どうして、リゼが……?)


花を咲かせる指が、冷たくなっていく。

光を宿していた目が、焦点を結ばなくなっていく。


サーシャは、ほとんど食事も取らず、妹のそばを離れなかった。


 


ある夜、リゼがうわごとのように呟いた。


「お姉ちゃん……あの庭、また行こうね……また、お花咲かせようね……」


サーシャは、震える手を握りしめた。

それだけで、答えは決まっていた。


 


【3】祈りの夜

神殿の奥、光の届かぬ石の間。

夜の祈室には誰もいなかった。

けれど、サーシャはそこへ向かった。


祈りの所作も、神語も正しくなかったかもしれない。

それでも、ただ一つの願いだけを心に置いた。


(リゼだけは、助けて)


(私が、代わりでいい)


(何もいらない。全部、あげる)


 


ひとりぶつぶつと唱えていると、不意に背筋が冷えた。

誰もいないはずの空間で、空気がよどむ。


——“ほんとうに、そう願うのか?”


言葉ではなかった。

でも、確かにそう問われた気がした。


サーシャは頷いた。


(うん。お願い。お願い……!)


光は降らなかった。

けれど、不思議と心が静かだった。


 


翌朝、リゼは熱を下げていた。


目を開き、手を伸ばし、呼吸が穏やかに戻っていた。

奇跡のような回復だった。


「……お姉ちゃん……?」


そう呼ばれたとき、サーシャの目に涙が浮かんだ。

それが祈りの代償になると、本気で思っていた。



【4】 鑑定の儀

冬。

王家の印章を戴いた鑑定師が屋敷を訪れた。


王国統合法により、9歳の誕生月にスキル鑑定を受けるのが貴族の義務。

サーシャとリゼは、ふたり揃って壇上へ進んだ。


先に手を載せたのは、リゼ。


彼女の手の下で、水晶板が眩い光を放つ。


まばゆいほどの緑と白の光。


「……二つ。支援系と治癒系。

非常に強い波長です。“複数スキル持ち”で間違いない」


場がどよめく。

「神託の器だ」「これは家の誉れだ」

父が静かに頷き、母が微笑み、来賓の貴族が口々に賞賛を口にした。


 


そして次。

サーシャが、同じように手を板に載せる。


光は……なかった。


しばらく、誰も何も言わなかった。


やがて鑑定師が、ためらいがちに口を開いた。


「反応……ありません。スキル、無しです」


沈黙が、屋敷を包んだ。


 


父が一歩、前に出た。


「王国統合法第七条に基づき、スキル無しは貴族籍除外。

サーシャは、本日をもって召し使い階級に編入する」


サーシャは、何を言われているのか、最初はわからなかった。

でもリゼの小さな手が、そっと自分の袖を掴んでいることに気づいた。


「お姉ちゃん……っ」


その手を握り返そうとしたとき、父の視線が冷たく走った。


「リゼ、離れなさい。スキルを持つ者と持たぬ者は、もう立場が違う」


リゼは唇を噛んだまま、静かに手を離した。


 


(あれ?)


指先が、こんなにも、冷たい。


【5】召し使いとしての生活の始まり


制服は、灰色だった。

裾の短い、動きやすい形。襟元には家紋も飾りもない。

姉妹で揃って着ていた柔らかな綿のドレスとは、比べようもなかった。


「……これが、今日から私の服」


広間に置かれた古い姿見の前で、サーシャは小さく呟いた。


背後には誰もいない。

ただ、控えの間の奥で、使用人たちが忙しなく動く足音が響いている。


 


「サーシャ様、お食事はメイドの交代後ですので、厨房裏でお取りください」


年配の家令が、事務的にそう告げた。

「様」は形式に過ぎない。

もう誰も、貴族としての“席”を与えてはくれなかった。


 


翌朝から、仕事が与えられた。


「水汲みは二階の花台まで。朝のうちに済ませて」


「皿拭きは傷物を出さないで。予備がないの」


「笑わないと、貴族のお客様は気分を害されるわよ」


 


最初は皆、目を合わせないようにしていた。

けれど日が経つにつれ、“元お嬢様”という肩書きは、

笑い話か、逆に忌避すべき過去になっていった。


 


ある昼下がり。

来客の給仕役に回されていたサーシャは、グラスを運ぶ最中に足を滑らせた。


「……きゃっ」


ワインがテーブルクロスにわずかにこぼれる。

慌てて布を持ち上げようとした瞬間、貴族の娘の声が響いた。


「まぁ、なにしてるのよ。やっぱり“能無し”じゃない。召し使いにしても粗相ばかり」


「“元お姉様”なのにねぇ。情けないわ」


「でもリゼ様はすごいよね。光魔法も癒しも使えるし、お顔も綺麗で、品があって」


「ほんと、"能無し"と違って、貴族の華ですわ」


 


サーシャは何も言えなかった。

ただ布を握ったまま、謝罪の言葉も口にできず、頭を垂れた。


(……恥ずかしくなんかない。平気……)


自分に言い聞かせるたび、胸の奥が痛くなった。


 


その夜。

食事の時間には、厨房裏の木箱にスープの入った器がぽつんと置かれていた。


まだあたたかい。

けれど、スプーンはなく、名前も添えられていなかった。


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