ジェラルドの練習台〈イーサン視点〉
「お兄様、相談があるんだ」
どこか暗い顔をして俺の部屋にやって来たジェラルドが、椅子にちょこんと座るなり、そう呟いた。
「どうしたんだ?」
「あのね、マティアスお兄様があの人と帰って来たでしょ? それから、何だかリアの元気がないんだ。少しでも元気にしてあげる方法って無いかな?」
あの人というのは、エドワード・オルティスのことだろう。
兄上が盲目的に愛を捧げる、あの女の兄……俺もあまり好きではない男だ。
当然だが、妹も好きじゃない。
だが、今起こっている問題の一番の元凶は、何にせよ自分本位過ぎる兄上だった。六歳の子どもにこんな心配をさせるなんて腹が立つ。
目元を微かに潤ませたジェラルドの顔を見ると、俺は心臓を鷲掴みにされたような気持ちになった。
そして、兄上の分まで俺が兄として、ジェラルドを支えてやらなければという気持ちが、グッと込み上げた。
「元気にしてあげる方法か……。なら、子犬をまた一緒に見に行くのはどうだ?」
「もっと別のことが良いな」
「そうか……。じゃあ、何かプレゼントをあげるのは?」
「もうクロードと一緒に花をあげてきたよ」
そう呟くジェラルドは、その後も色々と提案をしたが、どれにも微妙な反応を示すのみだった。だが、さすがに俺の引き出しにも限界がある。
――そろそろ案が尽きそうだ……。
そう思った矢先、ジェラルドがさりげなく重要なことを呟いた。
「もっと、僕が直接してあげられることがいいんだ」
「ジェラルドが直接? なら、ジェラルドが元気に過ごして、一緒に居てあげることでもいいんじゃないか?」
「そんなことじゃないよ! もっと何かっ……」
俺の提案は容赦なくジェラルドに却下された。ちょっと悲しい。
だが、ジェラルドは俺にそう言った直後、「あっ!」と何か閃いたような声を上げた。
「何か思いついたのか?」
「うん! 前にティナが言ってたんだ! 髪形を変えたら気分が変わるって。それに綺麗にもなるから、リアも喜んでくれるって。僕もリアの髪を結んであげよう!!」
「え!? ジェラルドがか?」
「うん、そうだよ!」
いくら大人びていてもさすが六歳児。発想が大人とは違って極端だ。
俺には到底思いつきもしない方法には驚かされる。
――しかし、本当にそれでエミリアさんが喜ぶのだろうか?
それに、髪を触るのも……。
そんな懸念が脳裏をよぎる中、ジェラルドが考え事をするように、顎に手を添えふと小さな声を零した。
「でも、したことないな……」
その言葉が耳に届き、ハッとジェラルドに顔を向ける。
すると、俺の視線に気付いたジェラルドが俺の目を見つめ返してきた。途端に、その大きくつぶらな瞳がキラキラと輝き始めた。
――何だか嫌な予感がする。
俺の本能が続く言葉を悟ったかのように、脳内でけたたましい警笛を鳴らす。
すると案の定、ジェラルドは俺のある一点を見つめ、にっこりと微笑み恐ろしい一言を放った。
「イーサンお兄様は髪が長いね」
◇◇◇
「なあ、ジェラルド。髪は女性の命だろう? いくらジェラルドでも触っていいのか?」
「嫌って言ったらやめるけど、多分いいと思うよ。このあいだも、リアの髪を梳いてみたいって言ったら、いいよって触らせてくれたよ?」
きっとエミリアさんの侍女が梳いているのを見て頼んだんだろう。だとしてもだ。
――ジェラルドに髪を触らせてくれるなんて、どれだけ心が広いんだ?
子どもの頃に、一度母上の髪を触ったことがある。
そのとき、俺はライザに「女性の髪に触れてはなりません!」とこっぴどく叱られた。
まあ、母上自身がどんな反応をしていたのかは、よく覚えていないが……。
「エミリアさんが、優しい人で良かったな」
「うん! だから僕リアが大好き! ねえ、リアにはどんな髪形が良いと思う?」
真剣な眼差しをジェラルドに向けられ、知っている限りの髪形を頭に思い浮かべた。
しかし、侍女みたいに技術を持っていない限り、出来る髪形には限りがあるだろう。
ましてや、ジェラルドは6歳だ。あのエミリアさんの長い髪の毛を、うまく扱いきれるとは思えなかった。
でも、一房くらいなら何とかできそうな気もする。
「じゃあ……三つ編みはどうだ?」
「三つ編み? どうやってするの?」
ジェアルドがきょとんと首を傾げる。
その表情に俺はクスリと笑い、ベルトを3本取り出してジェラルドの前に並べた。
そして、そのベルトを用いて三つ編みの手順をジェラルドに教えた。
すると、要領の良いジェラルドはすぐに手順を把握した。
そして、想定通りの言葉を続けた。
「お兄様、教えてくれてありがとう! ねえ、お兄様の髪で練習しても良い?」
――来ると思っていたが、やっぱりそうだったか。
「……いいけど、その代わりエミリアさんの髪で絶対に失敗しちゃだめだぞ」
「うん! いっぱい練習するね!」
その言葉を聞いて俺はそっと目を閉じた。
――俺の髪、生き残ってくれよっ……。
そう願ってから数分後、俺はジェラルドの練習台としてフル活用されていた。
「あれ、ここの髪が無い!」
「ジェラルド、そんなに引っ張ると痛いよ」
「あ! ごめんね!」
ジェラルドはそう言うと、俺の頭を「痛いの痛いの飛んでいけ~」と言って撫でた。
俺はどんな気持ちでこの状態を続ければ良いんだろうか。
ジェラルドの一生懸命さは分かるが、俺の心には何となく恥ずかしさが募り始めていた。
それから数分が経ち、俺は付き合い切ろうと開き直った。そして、ジェラルドにアドバイスを入れ続けた。
すると、ついに俺の髪をいじっているジェラルドが喜色に満ちた声を上げた。
「一番うまくできたよ! お兄様、ちょっと待っててね!」
「えっ、どこに――」
まさかの想定外のジェラルドの行動に、俺は茫然とその背を見送ることしかできなかった。
――待っててって……まさかエミリアさんを連れてくる気じゃないよな!?
彼女にはあまりこんな姿を見せたくなくて、つい髪紐に手を伸ばしたくなる。
だが、その欲求をなんとか堪えて我慢していると、ジェラルドがある人物を引き連れて戻ってきた。
「ジェローム、どう? これな上手くできてるかな?」
その言葉が扉の向こうから聞こえた瞬間、俺は一気に安堵のため息を吐き、扉へと視線を向けた。
すると、入室早々に目が合ったジェロームは、俺の髪を見るなり、ピクリと気まずそうに口角をひきつらせた。
「イーサン様、その髪は……。いえ、何でもございません」
その言葉に手を振って微笑みを返す。
――同じ長髪同士だが、お前がターゲットにならなくて良かったな。
そんなからかいも込めて見つめると、ジェロームはさらにその苦笑を深めた。
一方、ジェラルドは満足げな笑みを浮かべている。その表情を見て、俺は内心でホッとしながら、自然と口元を緩ませた。
ジェラルドが、誰かのために何かをしてあげたいという思い一つを原動力に、ここまで行動できるようになった。それをしみじみと痛感したのだ。
俺たちの不在時、どれだけエミリアさんがジェラルドの力になってくれたか。
その表れでもあるジェラルドの行動に、俺は感謝するとともに心を痛めた。
――本当にエミリアさんが嫁ぐのが、兄上でない人だったら良かったのに……。
俺もせめて彼女が過ごしやすいようにしてあげないと。
「なあ、ジェラルド」
「なあに?」
「エミリアさんが息抜きできるように、散歩に誘いに行ってみるか?」
そう訊ねると、ジェラルドはぱあっと顔を輝かせて「うん! 行こう!」と元気よく頷いた。
こうして、俺たちはエミリアさんの部屋へと向かうことになった。
その後、ジェラルドはエミリアさんの髪で、今までで最も綺麗な三つ編みを完成させた。
そのとき、花の咲くような笑みを浮かべたエミリアさんと、そのエミリアさんを見て嬉しそうに笑うジェラルドを見て、俺の心にフッと温かい気持ちが宿ったのだった。
お読みくださりありがとうございます!
実は初めてのイーサン視点でした。
お楽しみいただけたでしょうか?
次はマティアスのお話に戻る予定です。
どうぞよろしくお願いいたします<(_ _)>