3話 軍指揮官の裏の顔
厳重な警備が敷かれた城門を通り抜ける。
そのまま、石造りの城壁の中にある人気のない静かな廊下を歩きながら、俺は先ほど兵士たちから聞いた言葉について考えていた。
「まさか……。いや、流石にそんなわけないだろう。あの男だぞ?」
口を揃えて皆が同じことを言っていた。
だが、俺にはあの男がそんな理由だけで、俺のことを認めていないとは思えなかった。
そう、愛妻家であることが理由だなんて……。
そんなバカな話があってたまるか。
そんなことのために俺がこんな目に遭っているなんて、いくら何でもあんまりだろう。
俺を副指揮官にというのは王命なんだ。
それを分かりながら、俺に副指揮官の仕事を与えない理由が、その程度の私情が理由であることは到底許せるものでは無い。
「っ……ありえないだろう」
思わず、心の声が口を衝いて出てしまう。
だが、その声さえも掻き消すほど、先ほど尋ねた複数の兵士たちの言葉が脳内をリフレインした。
『本当に予想なのですが、あなたの離婚にまつわる何かが、相当気に食わなかったんだと思います』
『軍指揮官はかなりの愛妻家なのです。奥様を溺愛しておられますから、あの方なりに何か思うところがあったのかと……』
聴き取った兵士たちの表情も相まって、冗談みたいな話が本当のように思えてくる。
周りにいた他の兵士たちも、その通りかと訊ねれば、気まずそうにそうだろうと返してきた。
――本当に嫁一人への思いが起因となって、俺のことを目の敵にしてるって言うのか?
苛立ちなのかもどかしさなのか、何とも言葉にできぬ気持ちを抱えながら、俺は自室へと戻った。
だが、部屋に戻ったからと言って、このモヤモヤが消えるわけでは無い。
答えを知らなければ、ずっとこのモヤモヤが続くであろうことは明白だった。
「明日、直接本意を聞き出すしかないな」
◇◇◇
明くる朝、さっそくことの真相を問い詰めるべく、俺は軍指揮官の部屋にやってきた。
――今日この場でケリをつけて、いい加減はっきりさせてやる。
燃え盛る気持ちを堪えて、適切な力加減でノックをする。
それから間もなく、いつも通りの一低音な入室許可の声が返ってきた。
「失礼します」
定型句を言って入室すると、こちらに目を向けすらしない、今や安定となった軍指揮官の姿を捉えた。
途端に、心の導火線に火がつくのを感じた。
「っ……軍指揮官、お伺いしたいことがあり参りました」
「重要なことであれば聞こう」
嫌味なほどに整った顔の男が、書類に目を向けながら偉そうに返事をするその行為は、俺の神経を逆撫でするには十分だった。
だが、俺もここ数日の軍指揮官との接触を経て、この男を前に堪えるという感情を覚えなければならないことを学んだ。
心を落ち着かせるために、ゆっくりと一呼吸を吐く。
そして、俺はさっそく本題について切り込んだ。
「単刀直入に伺います。軍指揮官が王命で副指揮官に任命された私を不当に扱う理由は、私の私事に関することでお怒りだからでしょうか?」
俺がそう言うと、軍指揮官は手元に持った紙から視線を上げた。そして、初めてこちらに顔を向けて淡々とした声を発した。
「怒ってはいない、以上だ。用が済んだなら出て行ってくれ」
いつにも増して冷ややかな軍指揮官の視線は、俺を射貫かんばかり見つめた。かと思えば、すぐに手元の書類へと戻された。
そのあまりの態度に、俺は思わず拳を作った手を更に強く握り反論した。
「っ……用が済んだわけないだろう。じゃあなおさら、なぜ私を不当に扱うのか理解できない! 公的な場面にあなたのくだらない私情を挟んでいることは事実でしょう!?」
勢いのままに言葉をぶつける。
すると、軍指揮官は軽く息を吐きながら書類を机に置き、俺に向かい合うように立ち上がった。
予想外の威圧感に、思わず息を呑みながらも負けじと視線を返す。
そんな俺に、軍指揮官は甘ったるい容姿とは裏腹なほど、にべも愛想もない様子で言い放った。
「私は君の父君からすべての詳細を申し送られている。離婚の経緯についてもだ」
「っ……!」
「私事の肝要な部分が疎かな人間に、俺は軍指揮官として副指揮官という責任ある立場を任せる気はない! 人間として信頼できない人物を、重要なポジションに置きたくないということだ。カレン辺境伯も好きにしろと仰っていた」
「なっ……」
「ここまで言えば納得しただろう? ここに居続けるなら今まで通り雑用でもしておけ。軍指揮官命令だ!」
軍指揮官はそう言い切ると、今度こそ頑として言葉を交わす気はないとでもいうように、椅子に座り書類作成を始めた。
一方、俺は頭に鉛を撃ち込まれたかのような衝撃を受けながら、先ほど向けられた言葉を脳内で反芻し続けていた。
――父上が詳しく申し送っていただと?
そのうえで、俺が信頼できない人間と言っているのか……?
想定していなかった答えに、思わず動揺してしまう。
離婚したことは知っていても、詳細は知らないと思っていた。とはいえ、公私は分けて考えるべきだという考えは変わらないが……。
しかし、軍指揮官が俺のことをどんな人間として見ているのか。その想定が変わった今この瞬間は、今までと違い反射的に軍指揮官へ異議を唱える気にはなれなかった。
チラッと軍指揮官を一瞥するも、やつは何事も無かったかのように顔色一つ変えず書類と向き合っている。
俺はその姿を見てグッと歯を食いしばった。
そして、言葉でも視線でもない謎の圧に押されるかのように、何の言葉も発せないまま部屋を後にした。
――今は考えがとてもまとまりそうにないが、とりあえずやつの考えだけは分かった。
だからって、じゃあどうしろって言うんだよっ……。
部屋から出て扉を閉めるなり、素直に出てきてしまった自分にも、指揮官の態度にも今更ながらに怒りが込み上げてくる。
だが部屋に再び入るという思考に至ることはなく、俺は指揮官の扉前で激しく錯綜する感情に動けないまま立ち尽くしていた。
そのときだった。
「ごきげんよう。って……あら? あなたは――」
突然、軍営で聞くには耳を疑う程に澄んだ、女性のような声が耳に飛び込んできた。
驚きのあまり、床に向けていた視線を勢い良く上げる。
すると、俺に微笑みかけてくる華奢で可憐な雰囲気を纏った女が視界に飛び込んできた。
――この女は誰だ?
なぜこんなところにって……いや、どこかで見たことがあるような……?
目の前の女の正体を探るべく、己の脳内に張り巡らされた記憶の糸を辿る。そんな中、目の前の女は落ち着いた様子で話しかけてきた。
「もしかして、マティアス卿ですか?」
「えっ」
「その表情、ひょっとして夫から何か言われましたか? あの人ったら、真面目が過ぎるから……」
真面目かなんてことはどうでもいい。
それよりも、この女の口から紡ぎ出された聞き捨てならない言葉に、俺は内心驚きながら反応を返した。
「夫と言うことは、あなたはグロチェスター辺境伯夫人でしょうか?」
「はい、左様でございます」
「なぜこちらに――」
そう言いかけた瞬間、突然軍指揮官の部屋の扉が勢いよく開かれた。
すると、見たことのない驚きの表情を浮かべた軍指揮官が、これまた聞いたことがない、まるで別人のような柔い声音で叫んだ。
「リーゼ!? どうしてここにっ……?」
そう言ったかと思えば、軍指揮官は慌てた様子で夫人の元へと駆け寄り、彼女の頭に一度軽いキスを落とした。
その嘘みたいな光景に茫然としてしまう。
刹那、ようやく俺の存在に気付いたらしい軍指揮官が、呆気に取られる俺にそれは冷たい声をかけてきた。
「マティアス卿、まだいたのか。持ち場に戻るか、部屋に戻って――」
「エメリー様」
冷ややかな表情を浮かべていた軍指揮官の顔が、夫人の呼びかけ一つで途端に人間みのある表情へと変わった。
「リーゼ?」
兵士たちには決して向けることのない気遣いが伝わる優しい声音で、軍指揮官が夫人の名前を紡ぐ。思わず、虫唾が走りそうな甘ったるさだ。
だが、そんな軍指揮官に夫人は動じることなく微笑むと、ある驚きの提案を口にした。
「今夜、私たちとマティアス卿で一緒にお食事をしましょう」
お読みくださる皆さま、いつも本当にありがとうございます。
遅くとも更新は続けますので、どうか温かく見守っていただけますと嬉しいです。