1話 グロチェスター辺境伯
エミリアとの離婚によって、俺は西の辺境であるグロチェスター領に向かうことになった。
グロチェスターに行くことは初めてだ。
今までは、ずっとヴァンロージアとバリテルアの国境を担当していたからだ。
だから当然、俺の上司となるグロチェスター辺境伯のことも、父上からの情報以外は知らない状態だった。
父上はグロチェスター辺境伯について、頑固だが、真っ直ぐで良い奴とだけ言っていた。
しかし、俺はこの言葉に懸念があった。
「父上の言うことは、八割方外れてるからな……」
父上は主観でしかものを言わない。
だから、俺にとってどういう人間かではなく、自分にとってどういう人間かでしかものを言わないのだ。
――まあ、エミリアのことはあまり間違ってはいなかったが。
自然と自身の頭に浮かんだ顔に、俺は一瞬動揺した。
なぜエミリアがここで出てくるんだ。
ほかにももっといい例があるじゃないか。
そう、ジェラルドとか……。
「……チッ」
ジェラルドを思い浮かべたら、その背後にエミリアを見てしまった。
あまりにむしゃくしゃして、乱暴に前髪をかき上げる。
そして頭を一振りし、グロチェスターの状況を考えようと、思考をリセットした。
現在のティセーリンは、国境のグロチェスターにおいて隣国のネードニアと睨み合いの状態が続いていた。要するに、両国臨戦態勢といったところだ。
だが、ティセーリンは可能な限り戦争を避けたいため、こちらから攻撃することをするつもりは無いという意向を持っていた。
また、ティセーリンの方が兵力や武力が勝っていることは両国の暗黙の了解であり、何とか戦争は始まっていない状況が保たれていた。
なぜティセーリンの方が、有利だという情報が共有されているのか。
その理由に一役買っているのが、まさにグロチェスターの地で辺境を守る兵士たちの存在だった。
また、その兵士たちをまとめ上げるグロチェスター辺境伯の存在こそが、敵国が攻め入らぬ一つの大きな理由だった。
「敵も恐れる大将か……」
明日、俺はついにグロチェスターの軍営に到着する。
そこでは副指揮官、つまりヴァンロージアでイーサンが務めていた役を担う予定になっていた。
――まあ、普通にヴァンロージアと同じように働けばいい。
すべてのしがらみを忘れるように、仕事に没頭しよう。
そうすれば、すべての嫌の記憶を少しでも忘れられるはずだ。
もう二度と戦には関わりたくないと思っていたが、贖罪だと思い込めば、この整理のつかない気持ちに、なんとか折り合いをつけられるような気がした。
◇◇◇
「ここがグロチェスターなのか……」
次の日、到着したグロチェスターの地に辿り着き、俺はただただ驚いた。
臨戦状態の領地と思えないほど、意外にも人々で溢れていたのだ。
「あら、見ない顔だな。もしかして新しく来た兵士か?」
俺は今、パッと見では貴族とは分からぬ、むしろ兵士の軽装だと思われるような動きやすい恰好をしていた。
すると、街行く中年男性が声をかけていたため、ついでだと質問を返した。
「そうだ。軍営に行きたいんだが、この近くで合っているか?」
「ああ、ここを北にいったところだ」
「そうか、情報に感謝する」
その言葉を聞き、俺は太陽の向きを頼りに道なりに沿って歩いた。
すると、目の前に軍営と見られる施設を見つけた。
――環境はヴァンロージアとさほど変わりなさそうだな。
兵士たちが駐屯するため、軍営には寮のような大きな建物が立っていた。
まずはそこに手持ちの荷物を置こうと、俺は施設の中に足を踏み入れた。
「明日付けで副指揮官として働くことになっている、マティアス・カレンだ」
管理担当らしき兵士を受付で見つけ声をかけると、その兵士はハッと驚いた顔をして背筋を伸ばした。
「お待ちしておりました。お部屋へご案内いたします」
そう言うと、その兵士は落ち着きを取り戻した様子で、案内を始めた。そして、俺を部屋の前まで連れてくると、振り返り声をかけてきた。
「先に届いた荷物は部屋の中にお入れしております」
「ああ、分かった。感謝する」
「いえ、仕事ですから」
えらく生真面目なその男はそう言うと、すぐに元来た道を戻ろうとした。
俺はそんな男に、ある質問をするため後ろから声をかけた。
「一つ質問がある。グロチェスター辺境伯が今どこにいらっしゃるか分かるか?」
「軍指揮官殿は、現在自室におられるはずです」
「そうなのか。一度挨拶がしたい。案内を頼めるだろうか」
「っ……はい、承知しました」
男はなぜか驚いたように目を見開いた。
だが、すぐに先ほど前の表情を取り戻し、案内を始めた。そして、ある部屋の前に辿り着くと声をかけてきた。
「こちらが軍指揮官殿のお部屋です。それでは、私はこれにて……」
「ああ、助かった」
俺がそう告げると、男は一礼して足早に去って行った。
俺はその男の背を見送り、再び部屋の扉に向き直った。
そして気を取り直し、扉を数度ノックした。
「誰だ」
「明日付けで副指揮官に任命され参りました、マティアス・カレンと申します。到着したので、ご挨拶に参りました」
「……入れ」
「はい、失礼いたします」
妙に深みのある低音で発された了承の声を聞き、俺は軽く深呼吸をして扉を開き中に入った。
それから間もなく、俺は視界に映し出された光景に絶句した。
――これが本当にグロチェスター辺境伯なのか?
てっきり、見るからに鍛え上げられた屈強な男や、父上のように熊のような見た目をした男がいるのだと想像していた。
だというのに、今俺の目の前に立っているのは女のように美しい肌をし、芸術品のように美しく、男の俺でも麗しいと思うほどの顔立ちをした男。未だかつて見たことがないほど、絶世の美貌を誇る男が目の前に立っていたのだ。
背は高く、体格は軍人らしく引き締まっているようだったが、それでも俺は自分の目を疑わざるを得なかった。
――嘘だろう……。
あまりの衝撃に何も口にできない。そんな中、先にグロチェスター辺境伯らしき男が口を開いた。
「君がマティアス・カレンか」
その言葉を聞き、俺は我に返って挨拶を再開した。
「はい。明日から副指揮官としての任を務めます。今日は挨拶に――」
「何を言っている」
「?」
グロチェスター辺境伯が俺の挨拶を遮るように、声をかけてきた。
――もしや、うまく連絡がいっていなかったのか?
思わずそんな考えが頭に浮かぶが、先ほど俺を案内した男の反応を思い出し、俺はその考えをすぐに否定した。
そして、軽く伏せた目を上げて辺境伯に視線を戻した瞬間、蔑みの視線が俺に注がれていたと気付いた。
「軍指揮官殿? 一体どうされ――」
「誰が君を副指揮官として認めたというんだ」
「は?」
――こいつは何を言っているんだ?
俺は信じ難い気持ちで眉をひそめた。
すると、俺以上に不快そうに顔をしかめた辺境伯が、地の底から発するような声で怒声を上げた。
「マティアス・カレン。君のような男を、俺は決して副指揮官として認めんぞ!!!!!!」
亀更新ですが執筆しますので、気長にお付き合いいただけると嬉しいです。