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これほど沢山ある本の中でも、とびっきりお気に入りの本がある。
明日を迎える前に私はその本をもう一度読みたくなった。
王宮も街も私が十六歳の誕生日を迎える準備で忙しい。……というか、騒がしい。
活気に溢れて、景気も良くなるのなら、私も嬉しいけれど、たまに私の誕生祭に一体いくらかかっているのだろうと思う。
こんなにも贅沢に祝われることに感謝しなければならない。
「あった」
私は迷路のような図書室をぐるぐると回り終えて、探していた本を手に取る。
ボロボロになった表紙に書かれた薄い題名を指でなぞる。この古書は誰かが書いた日記だ。
題名には「ダニエル・ローズ」とだけ書かれている。私の先祖に「ダニエル・ローズ」などという人間はいない。
そもそもローズという氏を持った者はこの国にはいない。
私はその日記を抱きしめながら、近くのソファに腰を下ろす。窓から日差しが差し込み、少し暖かい。
ここがいつもの私の定位置だ。
「姫様は本当に本が好きですね」
「本に囲まれた空間って落ち着くでしょ?」
「眠たくなります」
「寝ても良いわよ」
いつも図書室に付き合ってもらう時、いつもジュリックには寝てもらっている。
私の近くから決して離れることなく、壁にもたれながら浅く眠る彼の姿を見ることができるのは姫である私の特権であると少しだけ優越感を抱くことができる。
「姫様は本だけで満足しているのですか?」
いつも黙って寝るのに、今日はジュリックが珍しく私に話しかけてきた。
私は驚きつつも「ええ」と頷く。静かに肯定、これが正しい回答。
「私の知らない世界に連れてってくれる媒体だもの」
「実際に自分の目で見てみたいと、その世界に触れてみたいと思ったことはないのですか?」
もちろんあるわよ。
けど、私がそれを強く望んではダメだもの。世の中の秩序を守るのが王族の使命であるのなら、私はそれに従わなければならない。
それが私の運命だというのなら、喜んで受け止めてみせよう。
「姫様、最後に一つだけ聞いてもいいですか?」
グレー色の瞳を見つめ返しながら「ええ、何でも」と私は小さく微笑む。
どこで誰に見られているか分からない。この命燃え尽きる最期の瞬間まで私は「姫」を突き通さなければならない。
姫という肩書を失えば、私という存在が消えてしまうと思っている。
「なぜ本が好きなのですか?」
「……多くの本を読んでいるとね、良き友に出会えることもあれば、憎き敵に出会えることもある。……私はずっと友を探しているんでしょうね」
「友、ですか」
不思議そうにジュリックは私を見つめる。
そのクリッとした目に可愛らしさを感じてしまう。第一騎士団で最も強いと言われている彼に対して、そんな風に思ってしまうのは失礼かもしれないけれど。
「私は友など作れないから」
私の言葉にジュリックは寂しそうな表情で「そうですか」と呟く。
そんな表情をしないで、私は幸せだから……。この環境を幸せだと感じないなんて、国民に失礼だもの。
「明日は素敵な日になると良いわね」
「そうですね」
ジュリックは私に笑みを向けた。
彼なりの気遣いだったのだろう。私はそれが嬉しかった。十六歳を迎える前に、少しだけジュリックとの距離が近づいた気がする。
私が書物に目を通し始めると、ジュリックは黙って目を瞑る。
きっと、本当に寝ていないのだろう。微かな物音で目が覚めるほどの浅い眠りだろうけど、私は彼が眠ってくれていることで読書に集中できた。
『私は海になりたい。大海となり、ただ、この波に身を任せたい』
この文章が好きだ。
海をこの目で見たことはないが、絵ではなんどかある。
きっと、大きなものなのだろう。果てしなくどこまでも続く海という存在を感じてみたい。私はこの文章だけで海に憧れを持った。
ただ、私が海を見ることなど、これから先あるはずのないこと……。
私はゆっくりとページを捲る。
『冒険を恐れてはいけない。……しかし、恐れる者こそが一歩を踏み出すからこそ、無敵になれるのだ』
ダニエル・ローズという人物はきっと魅力に溢れた人だったのだろうと、文章だけでも伝わってくる。
私は彼と良き友になれるに違いない。……彼の方が私を友だと判断するかは分からないけれど。
もし、彼が生きているのなら、私はもっと逞しくなってからじゃないと会えない。
『花は偉い。雨の日も、風の日も、どんな日も、文句も言わず、美しく咲き誇っているのだから』
この言葉にいつも救われてきた。