代わりに妊娠してくれてありがとうございます
「エドゥアール様と婚約破棄してくださいませんか」
ある午後の日、エドゥアールがいない間を狙って、女が面会にやってきた。彼女の名はアンヌという。なんとかいう男爵の娘だったと思う。確か。忘れちゃったわ。
ここはダルシアク侯爵家のタウンハウス。私の婚約者である、エドゥアールはダルシアク侯爵家の嫡男である。ちなみに私はランブラン伯爵家の娘なのだけれど、このお嬢さんは何を言っているのかしらね?
「どうしてエドゥアールと別れなければならないの?」
思い出した、ダントン男爵令嬢だ。
「私達、愛し合っているのです。エドゥアール様も、これは真実の愛だと仰ってくださいましたわ」
「まあそう。あの人もそんなことが言えるようになったのね」
「ごまかさないでください! これは本当のことです、ベルティーユ様」
ごまかしてなどいない。エドゥアールはかなりの照れ屋で、そんな歯の浮くようなセリフ一度だって言ったことはないのだ。お互いに10の頃から10年婚約者をやっているが、誓って聞いたことはない。
「エドゥアール様は私に、ずっとそばにいてほしいと仰ってくださいました。ベルティーユ様といると辛いと。いつも蔑ろにされていて悲しいと。だから私がいると嬉しい愛していると仰って抱きしめてくださいましたの……」
蔑ろにしてたら、結婚前に婚約者の家に住んで花嫁修業なんてしたりしないと思うけれど。
「エドゥアール様からの伝言ですわ。この家にいる必要はない。君の代わりにアンヌがいるから大丈夫だ。安心して家に帰ってくれ。以上です」
そもそも私達の結婚って、親同士の約束でもあるから、この男爵令嬢が伝言する内容ではいそうですかって言えるわけがないのよね。わかっているのかしら。
「申し訳ないのですが、お腹の子のこともありますし、今日中に出て行っていただきたいのです。荷物は置いて行っていただいて大丈夫ですわ。後ほどお送りいたします」
いやそれ送られてこないやつでは……って、ちょっと待って。
「今、お腹の子って仰ったの?」
「ええ、言いました」
「誰の子?」
「エドゥアール様と私の子ですわ」
青天の霹靂とはまさにこのことか。
「ええええっ!?」
あまりの衝撃に、大声で驚いてしまった。淑女にあるまじき行動ね。いけないわ。
「それは本当のことなの?」
「本当ですわ」
「エドゥアールの子……?」
「ええ、そうです」
「まああ……」
もう声も出なかった。つい、アンヌ様に詰め寄ってしまったし、持っていた紅茶など床に落としてしまった。机を経由したので、机の上のお菓子も紅茶でぐちゃぐちゃだ。
周りで聞いていた侍女たちも、驚きの表情を隠せないでいた。
けれど、それが本当なら……!
「嬉しすぎて死んでしまいそうだわ!」
「――は?」
アンヌが訝しげな目でこちらを見る。それはそうだろう、言うなればこれは女同士のマウントなのだ。あんたなんか愛されていない、あんたより私の方が愛されているから子供にも恵まれた。そういう、勝負みたいなものだ。
でも、私は負けたなんて思わない。この事実の前には、マウントなんて些細なことなのだ。
「お義父様、お義母さま! ジェン、お義父様たちをお呼びして! 大ニュースよ!」
「畏まりましたお嬢様!」
ジェンは私の専属の侍女だ。私のことはすべて理解してくれている。
「ちょ、ちょっとなんなのよ! ダルシアク侯爵様は領地にいらっしゃるのではなかったの!?」
「情報が古いわね。エドゥアールと入れ替わりで、ご夫婦で王都に戻られたのよ」
「き、聞いてないわ!」
驚くアンヌ。でも、あんな衝撃発表したんだから落ち着いて説明してほしい。
なんせ、あのエドゥアールとの子を成したのだから。
「ベルティーユ! ジェンから聞いたぞ!」
「ああ、ベルティーユ……! 良かったわ……!」
お義父様とお義母様が、部屋に入るなり私を抱きしめてくれた。なにせこんな吉報。嬉しくないはずがないのだ。
「本当に良かったわ……! あの子ったら一言も相談しないんですもの」
「ええ、お義母様。本当に。私夢みたいに嬉しいですわ」
「君は……ダントン男爵のご令嬢だね。安心しなさい。悪いようにはしないから」
「ちょ、ちょっと待ってよ。なんなのよ! 一体何の話をしているの!?」
アンヌは本当に「わけがわからない」というような顔をした。ということは、この子は知らないのかしら?
「アンヌ様はご存知なかったのね。ならば教えてあげましょう……エドゥアール様は、幼少期に疫病で高熱を出したせいで、子を儲けられない体になってしまったのよ」
いよいよアンヌは目を剥いて驚いた。声も出ないほどこちらを見つめている。そうよね、子ができないと言われていたのに、なんの奇跡が起きたのかしら。私にもわけがわからないわ。
「私達家族は、このダルシアクの血を継ぐ子はエドゥアールで最後だと、諦めていたの。ベルティーユも同時期に疫病にかかって……。薬の副作用で子を儲けられない体になったから、お互いにもう結婚する意味もないって……二人とも泣いて泣いて……」
「だが、エドゥアールが婚約解消を嫌がってね。子供など遠縁の子を養子にすればいいと言い張って、ベルティーユにその場でプロポーズをしてね」
「懐かしいですわ……」
アンヌ様を放っておいて、つい三人でしみじみしてしまった。
この10年、割り切ったつもりでも、やはり気にしていたのだなと思った。せめてどちらかが不能でなければ、万にひとつの可能性にだって賭けることはできたのに、と枕を濡らしたのは何度あったか。
「でも! 今! 諦めていたエドゥアールの子があなたのお腹にいると言うじゃない! 夢みたいだわ……。代わりに妊娠してくれてありがとう。私、母としてきっと立派に育ててみせますわ。安心なさってアンヌ様」
「は? 待ってよあたしの子なんだけど!? 何勝手に母親名乗ってんのよ!」
「いやだわアンヌ様ったら。エドゥアールの子でしょう? ひいてはダルシアク家の子です。あなたは孕み腹として立派に務めを果たしてくださいな。生まれるまではこの屋敷にいていただいて結構よ。産んだらすぐに引き取りますけれど、あなたの生活は保証しますわ。そうね……この国にいて今後接触されても困りますし、海の向こうの北方小国家群へ移住なんていかが? 小国家と言いますが、緑が多くて住みやすい気候のようでしてよ」
「いや人の話聞いて!? 出てくのはあんたなのよ! あたしが! エドゥアール様の妻になるんだから!」
でも、ここが大事なのよ。私はエドゥアールの血を引く子が欲しい。けれどアンヌはどう見ても人としてよろしくない。エドゥアールや、ダルシアク家の瑕疵になりかねないのだ。婚約者のいる男と寝て子供を作ってそれを盾に婚約者を家から追い出そうとするなんて、相当にヤバい女なのだ。
私は狭量ではないので、子供を作ってくれたのならば、寝取ろうとしたことに関しては水にながしても良い。でも、視界に入れるのは今後のためにも良くない。ならば、消えてもらうのが一番良いと思う。
「ベルティーユ! 無事か!?」
大きな足音で部屋に押し入ったのは、エドゥアールだった。慌てて帰ってきたようで、息を切らしている。
「まあ、エドゥアール様。お早いお帰りでしたのね」
「ただいまベル。僕につきまとっていた令嬢が王都に戻ったと聞いてね。嫌な予感がしたから戻ってきたんだよ。何もされていないかい?」
「私は大丈夫ですわ。それより、あなたの子が出来たんですって?」
ここまで来ると、なんとなく察してはいるけれど、一応きちんと聞いておかねばならない。
「は? 何の話?」
「あらあなた、ダントン男爵令嬢と夜を共にしたのではないの? あなたとの子が出来たってこの方仰っていたけど……」
「嫌だな。僕はベル以外と寝るつもりはないし、そもそもそんな機能はもうないんだよ? 虚言さ。その女の言っていることは」
「まあ……」
私は目の前が真っ暗になるようだった。だって、本当に嬉しかったのだ。エドゥアールの子を抱きしめ愛を注げると思うと、涙が出そうになるほどに。
どんなクズの子でも、ダルシアク家の嫡男として立派に育てて、愛を注いで、良き家族として幸せな家庭を作りたいと思っていた。貴族として成すべきことを成し、この国に貢献したいと……。それなのに……。
「嘘、だったなんて……」
私もお義母様も、衝撃で心臓が痛い。お義母様は泣いていた。
一度は期待して喜んでしまったんだもの、当然よね。私も、突っ伏して泣きたかった。
「なんて酷い……我らの願いにつけ込むような真似をするなど」
お義父様は、怒りをなんとか抑えているようだった。固く握りしめた手は震えている。
「嘘よ! わ、私は妊娠しているのよ! お腹にあなたの子が……!」
そう言いながら、アンヌはエドゥアールの左手にすがりつく。でもエドゥアールは右手で私の肩を抱いてくれていたためか、すぐに振り払われてしまったが。
「アンヌ・ダントン嬢。あなたは男爵家の令嬢でありながら、貴族の令息たちや金持ちの令息に目をつけては、妊娠していると偽って家に上がり込み、貴金属を貢がせ時には金目のものを盗む。あげく流産をしたからと家を出る、ということを繰り返しているようだな」
「う、嘘ですわ!そんなことしておりません!」
結婚詐欺か何かかしら。
「クラブでは有名な話だ。そんな有名な女が自分の周りをうろついているんだぞ。警戒するのは当たり前だ。まさか、僕の留守中に、家に上がり込むとは思ってもいなかったが」
クラブとは、男性貴族の社交の場だ。女性にお茶会という社交があるように、男性はクラブハウスで社交が行われる。どういう社交が行われるのかは女の私はよく知らないけれど、情報交換は間違いなくそこで行われる。
アンヌ様は私を睨みつけた後、エドゥアールも睨みつけた。でも、エドゥアールに睨み返されてからは、ガクリと項垂れて、ドレスのまま床に手をついてしまった。
自分のしたことを認めてしまったのね。
「連れて行け」
アンヌ様は、ダルシアク家の騎士に連行されて出ていった。少なくない被害が出ているようだし、軽い罰では済まないかもしれない。でもそれはもはや私には関係ない。裁判がなされて、裁かれて終わりだ。
それにしても、男爵令嬢にしては手癖が悪すぎないかしら。
「ベル、大丈夫かい」
すべてが終わった夜、エドゥアールが優しく声をかけてくれた。普段はとても恥ずかしがり屋なのに、こういう時はきちんと私のことを考えてくれるのだ。
「ええ、大丈夫。でも、期待してしまったから……。騙されたのは悔しいけれど、それ以上に悲しいわ……」
お義父様ともお義母様とも、手を取り合って喜んだ。なのにそれが嘘だったなんて、あんまりだ。
「ベルあのね、一応言っておくけど、あの女とはなんにもなかったからね。全部あの女の舌先三寸だから。それに、僕は君との子じゃないと嫌だよ」
「でも、そうでもしないとダルシアク家は……」
「無理に存続させるものでもなし。いざとなれば親戚の子もいる。誰かが継ぐさ」
だから気にすることなんてないんだよ、とエドゥアールは頭を撫でてくれた。そして、とうとう私の目から涙がこぼれてしまった。
なんて優しいんだろう。だから、私に子が成せないというのに、こうして今まで甘えてしまっているのだ。
この人の隣にいるためなら、何があっても受け入れたいと思うほどに。
「今日、僕が出かけていた理由だけどね」
泣いてしまった私の涙をハンカチで拭いながら、エドゥアールは話を続けた。
「あら、領地に行っていたのではないの?」
ダルシアク家の領地は王都の隣だ。数時間で行き来出来てしまう。
「実はね、あの疫病のせいで不妊になった人は結構いるらしくてね。なんとか治療できないかと研究している医師がいるという噂を聞いて、会いに行っていたんだよ」
「まあ! 本当なの!?」
それが本当ならば……! 期待で胸が膨らむ。聞けば、まだ研究段階なのだという。治療方法は投薬他、ということなので、治験が必要になるそうだ。
「本当さ。ねえ、ベル。二人で頑張ってみないかい? 僕はどんなに時間がかかっても、努力したいと思っているんだ」
「私もそう思うわ! 頑張りたい!」
「でもね、ベル。もしそれがダメでも、落ち込まない、悩まない。怒らない、誰かのせいにしない。二人で解決していくんだ。どうだい?」
「もちろんよ。エドゥアール、あなたって最高だわ!」
10年前、私たちは未来の希望のひとつが失われた。でもこうして、二人で悩んで努力できるのは、きっと何物にも代えがたい幸せなのかもしれない。
時間はかかったものの努力の甲斐があり、私達の間に玉のような双子の赤ちゃんが生まれたのはまた別の話だ。
12月2日付で、ジャンル別日間ランキング1位、12月4日確認で月間総合ランキング15位になりました。
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