91.月夜の二振り
ウィオネの案内により一通り里を巡ったゼナたちは空家……いや、空樹に腰を下ろす。ここがしばしの滞在場所になる。
「それにしても風の魔力があんなにいい人だったなんてね」
リーズが皮肉を込めた視線を向けながら言う。
「風の魔力は本来のロザーレに感化された。風は空気によって性質が変わる。それが作用したんだ。魔王にとっては最悪な事態だろうが私にとっては好機な現象だ。待つだけで魔力が手に入る」
メイはそんな彼女の視線に気がつくことなく悪い笑いが止まらない様子だ。
「……でも居心地が悪いよ。誰かの死を待つなんて。この里は静かでこんなにも美しいのに」
ゼナは身を縮こませため息をつく。
「確かにゼナの言うことはもっともだ。だがな、もし風の魔力が文字通り魔王の魔力であったなら、この美しい里は地獄に変わっていた。そうはならずこうして俺たちが腰を据えられることにまず安堵するべきじゃないか」
落ち込むゼナを励ますようにルセンは楽観的な視点で物を言う。
「……そうだね。ロザーレさんが消えてしまったことは残念だけど、彼女の心根が多くの命を救ったと思えば、僕のこの感情も少しは落ち着く。……ありがとう、ルセン」
照れながらゼナが礼を言うと、ルセンは白い歯を輝かせながらウインクをした。
「……そんな中、あんたはいつも通りね。レシュア?」
リーズは呆れたように銀氷のドラゴニュートへ視線を這わせる。
レシュアはエルフの特産品である薬草と木の実の山盛りを胃に詰め込んでいた。
「……肉が欲しい」
切実にレシュアは呟く。
「こいつの平常心を私たちは見習うべきかもね」
「そうだな……」
二人は気の抜けた笑顔を浮かべた。
「……………………」
皆が寝静まった深夜、ゼナは一人天井を見上げて考え事をしていた。
ロザーレ。彼女……いや、風の魔力はエルフの女王の優しい心根に触れ、魔王への忠誠を忘却した。
そして少しの間延びた命すら魔王の討滅を目指す僕らに託そうとしている。
他の魔力もそうだったらよかったとゼナは思う。それは悲しいかな、無駄な幻想で、今まで、そしてこれから対峙する魔力たちが風の魔力のような人格を持ち合わせる事はない。
「くだらない考え事をしてないで寝たらどうなんだ? お前の戯言がうるさくて眠れない」
メイはゼナの腹に足を組んで乗り掛かりながら、不機嫌な顔で言った。
「勝手に盗み聞きをしたのはそっちじゃないか……メイ、君はどう思う?」
「知るか。何度聞かれても答えは同じだ。相手が悪魔だろうが天使だろうが奪い取るのみだ」
「そう割り切れる君が羨ましいよ……」
ゼナは毛布を被り会話を打ち切って夢の世界に旅立とうとしたが中々寝付けなかった。
「……ちょっと夜風に当たってこよう」
「はあ、やれやれ」
ゼナに付き合わざるを得ないメイは大きくため息をついた。
夜は完全に老け込んでいたが、真円の月のおかげで真っ暗闇というわけではなかった。
「あれも魔法による月なの?」
「この空間が魔法なんだ。当たり前だろ。あれは月の形をした光源魔法。昼間ここに登っていた太陽と見た目を変えただけのものだ。
それにしても律儀なものだな。わざわざ昼夜の概念を再現するなんて。私には理解できん。不必要だ」
メイは心底不思議そうな顔をしている。
「きっとおかしくなっちゃうんだよ。いつもあるものがなかったら。例えそれが偽物でも欲して縋るんだ。それは人間もエルフも変わらない」
「ふん、面倒な生き物だな」
そんな価値観の違いを語りながら二人は歩いていると、どこからか空気の切り裂く音が聞こえた。
ゼナは音の鳴る方向に近づき、木の影から覗き込んだ。
「――――ッ!!」
空気を切り裂く音の正体は一人の剣士の剣舞から成るものだった。
彼女は木刀を振り、見えない敵を切り裂いていた。彼女の舞は美しく、まるで刀が舞踏のパートナーに思えるほどだ。
「……すごい……ウィオネさ――」
ガンッ!!
ゼナの隠れていた樹木に木刀が突き刺さった。
「覗きとは感心しないな」
「ご、ごめんなさい……」
ゼナは両手を上げ、投降した。
「……で、なんのようだ。こんな夜中に」
ウィオネは樹木に刺さった刀を抜き取り、華麗な手捌きで鞘に収めた。
「用というわけでは……ちょっと眠れなくて。ウィオネさんはこんな夜中に修行ですか?」
「心に翳りがさした時は刀を振る。そうすることで私は落ち着きを得るんだ」
「ロザーレさんのことですね……」
ゼナの言葉にウィオネは小さく頷いた。
「私は女王様が誰であろうと構わない。私を救ってくださったことには変わりない。……だが、以前から女王様を知っている同胞たちがその事実を耳にすればどうなるか……私はそれが恐ろしい。里の長の中身が世界を混沌に陥れた魔王。その一部だということが……」
「きっと大丈夫ですよ!」
暗く沈むウィオネにゼナは明るく励ました。
「ロザーレさんの意思を受け継いだ風の魔力は他の魔力たちと違います。里のみんなに向ける優しさだって偽りなんかじゃない。そうでしょ?」
「ふっ……お前のような子供に励まされるとは私もまだまだだな」
そう言うウィオネの顔にはもう影はなかった。
「眠れないといったな?」
「ええ……はい」
「だったら少し運動していくといい。私が相手をしよう」
ウィオネは傍に置いてあったもう一振りの木刀をゼナに差し出す。
「どちらかと言うとこれは私のわがままだ。私の一刀を防いだお前と一戦交えたかったんだ」
「あれは僕だけの力じゃなく……」
ゼナは横目でメイを見たが、彼女は知らんぷりとばかりに欠伸をしていた。
「さあ、構えろ」
否応なくウィオネが抜刀したのでゼナも抜かざるを得なくなった。
ウィオネは真剣な眼差しで刃を握る。
ゼナは緊張に少しオロオロとしながら刃を握る。手汗で刀が安定しない。
「――いざ、参らん」
それは一瞬の出来事だった。
気がつけばゼナの手の中には何もなく、ジーンと響く痛みだけが残っていた。
「何が……!?」
ゼナは首に当たる感触にびくりと反応する。喉元にウィオネの刃が触れていた。
「……真剣であれば今頃お前の首はないぞ」
「……で、ですね」
ウィオネが模擬刀を離すとゼナは安堵からヘナヘナと腰を下ろした。
「おかしいな。あの時のお前はこんなものではなかったはずだ。今の私の一刀なぞ簡単に見切れると思うのだが……」
ウィオネは不思議そうにして鞘に刀を仕舞い込む。
「それはあいつのおかげですよ」
ゼナは遠くで欠伸を浮かべる白い少女を指差した。
「それはどういう意味だ。そもそもあれはなんなんだ。創造の魔力と呼ばれていたが……」
困惑するウィオネにメイの事を掻い摘んで紹介した。
「そうか。お前たちは一つになることで真の力を発揮するのか」
「その言い方はよせ。気持ち悪い。私がこいつに力を貸してやってるだけだ」
いつのまにか近づいてきたメイがウィオネの解釈を訂正する。
「……ゼナ。それにメイとやら。今一度刃を交えてくれないか?」
「今度はメイを入れてってことですか?」
「ああ。それであの時の力を発揮できるのだろう?」
「いいかな、メイ……」
「まあ、いいだろう。負けたのは私じゃないが、負けっぱなしの寝床に横になるのは不愉快だ。軽く蹴散らしてやれ」
ウィオネにガンつけるとゼナの体の中に入っていった。
「一応はやる気みたいです」
「よし。いい試合になることを期待しよう」
改めて両者は構える。
ウィオネはゼナの構えを見て、ニヤリと笑った。
それは決して嘲笑などではない。好敵手に相対し思わず笑みが溢れたのだ。
先程の少年とは全く違って見える。ただの木刀が本物の刃に思えるほどにゼナの立ち姿は剣士のそれであった。
「こんな夜更けというのに私は高揚している。お前たちと戦えることに闘争心が疼いているんだ」
ウィオネはこの試合に歓喜し期待が止まないといった様子だが、ゼナは複雑な気分だった。
「……さっきとまったく違うテンション……。まるでメイがいない僕がつまらない相手と言われている気分だ。まあ、否定は出来ないし、しないけど!」
ゼナは悔しさに刀を握りしめる。
「……だけど、メイの助力があろうともこの体を動かすのは僕なんだ。僕の旅路で培った剣技を叩き込んでやる。行くよ、メイ!」
「やれやれ、ムキになりやがって。だが、まあいい。私はあいつの鼻っぱしを一発へし折りたい気分だ。しっかり打ち負かしてやれ」
意外なメイの激励にゼナのやる気が込み上げた。
その思いが伝わったのかウィオネの体が震える。
「この感覚……武者震いなど久しぶりだ。ゼナよ……加減は難しいかもな」
「いりませんよ。今度は受け切れますから」
ウィオネの挑発にゼナは怖気付くことはなかった。
「その言葉、真か確かめさせてもらう――いざッ!」
ウィオネは一歩踏み込む。その瞬間から、彼女は加速度的に前進しそれと同時に刃が抜き放たれる。目にも見えぬ抜刀術。だが……メイの力押しがある今のゼナには――見切れる!!
「……っ!?」
ウィオネの視界に鍔迫り合う刀が見えた。
「言ったはずです。今度は受け切れるって!」
ゼナはぐっと握った拳を少し緩め、右脚を軸に体を捻った。
力の均衡が崩れ、ウィオネが斜め前にふらついた。
「――っえあ!」
崩れた所を右に薙ぎ払う。
ウィオネの右脇腹に一撃が下る。だが、それはあくまで掠っただけだ。彼女も一筋縄とはいかない。
「なるほど……口だけではないということはよくわかった。なら、これはついて来れるか!」
再びウィオネは踏み込み、加速する。今度は見えない!!
「はや――」
感想を呟く間もなくウィオネはゼナの背後に一瞬で回った。
「――ッ!?」
ゼナはかろうじて感じた気配から振り向き様に刀を振るう。が、その時にはウィオネの姿はなく……脇腹に鈍痛だけが残っていた。
「……なんてスピードだ。それに攻撃が鋭く重い。木刀じゃなかったら僕は死んでいたかも知れない――」
「――よそ見をしている暇はないぞ!」
間髪入れずにウィオネが襲いかかる。目にも映らない一振り――だが、それは空を切った。
「避けられた!?」
「さっきはちょっとびっくりしただけです!」
メイの力でウィオネのスピードを創造したゼナが背後をとった。刃を振り下ろす。
ウィオネは振り返ることなく刀を真横に構え、頭上に掲げて一刀を受ける。
「やるじゃないか。私のスピードについてきたのはお前が初めてだ」
「嬉しい褒め言葉ですね……!」
両者はニヤリと笑い、互いに距離をとる。
「……居合にて果たし合うことを所望する」
ウィオネは刀を鞘に戻し、腰を落として抜刀の構えを取った。
ゼナも同じ構えで果たし合いに合意した。
静寂が流れる。しんとした空気の中では何も聞こえない。何か別の音が聞こえたとすれば……それは――開戦の合図になる。
ゼナかウィオネかはわからない。だが、確かに聞こえた。地面の土くれと靴が擦れる音が――。
両者は同時に踏み込んだ。ゼナもウィオネも風のように加速し、ただ一刀を振ることだけを考える。決着は一瞬にして決まるだろう。そう二人が思った時――!
二人の間を割って入るように竜巻のような暴風が吹き荒れた。
「うわあ!?」
「……ッ!?」
勢いのついた二人は竜巻にぶつかり、弾かれて地面に転がされる。
「この風は……!?」
竜巻は一点に集まり、やがて旋風に変わり、それから緩やかな風になって二人の間を吹き抜ける。覚えのある風だ。答え合わせのように声が流れゆく。
『おやめなさい。お二人とも』
「じょ、女王様!?」
ウィオネはロザーレがいるであろう方向に膝をつき頭を垂れた。ゼナも習うようにして頭を下げる。
『皆が起きてしまいます。今日はこのぐらいになさい』
優しい叱咤の声が妙に心地よかった。
「申し訳ありません。つい熱が入りまして……いえ、いい訳は見苦しいですね。大変もうしわけ……」
ウィオネ言葉を遮るように風が吹き荒んだ。
『そこまでの謝罪は必要ありません。私は少し嬉しかったです』
「嬉しかったとは……?」
『あなたが純粋に楽しんでいる姿を久しぶりに見れたものだから。いつもは防人長として気を張っているから中々そんな顔を見られないもの』
「……これはお恥ずかしいとこを」
ウィオネは耳を赤くして顔を伏せた。
『さあ、お二人とも今日はお眠りなさい。刃を振りたければまた明日にしましょう」
「は! かしこまりました」
「はい!」
二人は恥を胸に毅然とした返事を風に送った。
ロザーレは納得したのか、風は幻想のように消えていく。
「ふん、くだらない時間だったな。もう私は寝るからな」
内側から欠伸混じりメイの声。体が軽くなったのを感じて彼女が眠りに落ちたことがわかる。
「メイも寝ちゃったし、僕も……眠いし、今日はお開きにしましょう」
「……そうだな。楽しい時間だった。おやすみ。よく休め」
ウィオネが木刀を回収して踵を返す。その背をゼナは呼び止めた。
「なんだ?」
「あ、あの明日! 僕に修行をつけてはくれませんか? メイなしでも戦えるほど強く!」
「……思うところがあるらしいな」
ウィオネは樹木に背を預けて腰を下ろした。
ゼナはその隣に座り込む。
「……以前、メイ抜きで強敵を相手にしなければいけない場面がありました。その時は相手の手加減のおかげで命は助かりましたが……そうならなかった場合、僕はここにはいない。だから……強くなりたい! 一人になっても、あいつがいなくても僕自身が強く!」
「生き残るために強くなりたいのか。本当にそれだけか?」
ウィオネは見透かしたように言う。
「敵わないですね……ウィオネさんには。本心を言えば、メイの為です。あいつのおかげで僕は旅立てた。外の世界を、魔法の世界を見ることができた。だから、僕を引っ張ってくれた彼女の力になりたい。頼りっぱなしの僕じゃなくて彼女の横に並び立てる男になりたいんです」
少し照れながらもゼナは毅然と言って見せた。
「……よし。その心意気に打たれた。修行をつけてやる」
ウィオネは立ち上がり、満足げに笑って手を差し伸ばした。
「……! はい、よろしくお願いします! ええと……師匠!」
ゼナも笑顔で答え手を握り立ち上がる。
「師匠はよせ。ウィオネでいい。堅苦しい敬語もなしだ。その代わりビシバシ鍛えてやろう」
「……わかったよ。ウィオネ!」
改めて二人は硬い握手を交わす。
幻想の月の下、エルフと人間の師弟関係が生まれた。二人は平和な里で切磋琢磨と鍛錬を積むだろう。だが……。
そんな時間はどのぐらい続くのだろうか。エルフの女王が寿命で死するまでか。はたまたそれとも――破滅が現れる……その時までか。




