90.呑まれた風
視界がぐるぐると回転する。エルフの里につながる隠匿魔法はねじ曲がった空間であり、上下の間隔が失われ意識が持っていかれそうだ。
「少しの辛抱だ。この空間の湾曲は外敵が侵入してしまった時の防衛機能の一つ。まあ、お前たちほどの者なら耐えられるだろう」
「実力を買ってもらえるのはうれしいけど……は、吐きそう……」
リーズのその一言にゼナたちは阿鼻叫喚する。
「騒がし奴らだ……どうして女王様はこんな奴らを……」
不愉快そうにウィオネは眉を顰めた。
「……着くぞ」
ウィオネがそう言うとゼナたちは空間から吐き出され、団子になってゴロゴロと転がった。
回転する視界を整え、空を見上げる。そこは先程とあまり変わらない森だった。
「戻ってきた……いや、違う。なんだが空気中の魔力が濃い……?」
「その通りだ。ここは魔力で構築された異空間。私たちエルフの里はこの空間内に存在している」
「外とそっくりね……」
リーズは吐き気を堪えながら感想を述べた。
「こっちだ」
ウィオネはまだふらつくゼナたちを顧みずに歩き出す。
「どうやら第一印象は最悪みたいだな。女王様にお呼ばれされた俺たちがどうも気に入らない。そんなとこだ」
「きっと彼女にとって女王様は特別なんだよ。……でもそんな人が魔王の魔力と関係しているのかな」
ゼナはふと疑問が生まれた。聞く限りでは風の魔力はウィオネ含むエルフたちと良好なる関係にあると推察できる。風の魔力は今まで出会った魔力たちとはまったく正反対の性質を持つのかもしれない……。
「メイはどう思う?」
「別にどうでもいい。どんなやつだろうが捻じ伏せて魔力を私の物にするだけだ」
予想はしていたがあまり参考にならない意見にゼナは肩を落とす。
「リーズは……それどころじゃなさそうだね……」
いつも元気で男勝りな彼女は今、青い顔をしながらレシュアに背中を摩られていた。
「お前たちは先に行ってくれ。俺は後から合流する」
「……頼んだよレシュア。僕らの居場所はメイの魔力を嗅けばわかるはずだ」
リーズの介抱をレシュアに任せ、ゼナとルセンは小走りでウィオネに追いつく。
「早くしろ。女王様を待たせている」
「す、すみません……。里はこの先に?」
「ああ、木々を抜けた先だ」
一同はしばし無言のまま森を歩く。やがて森のざわめきに混じり、人のざわめく声が聞こえてきた。
さらに森を進むと木々が途切れた広い空間が現れた。そこは正しくエルフの里だ。ウィオネと同じ耳を持つ者たちが生活を送っている。
「おかえりなさいませ、ウィオネ様。女王様がお待ちです」
ウィオネの姿を目視するとエルフたちは膝をつき首を垂れた。彼女はかなりの立場らしい。
「私はこの里の防人長にして、女王様の刀だ」
ゼナの興味の視線に気がついたのかウィオネは語ってくれた。
「にしてもエルフはこんな異空間に住んでいるとは驚きだな」
「以前はエルフも外の世界に住んでいたのだが……いつからか外界と隔絶するような暮らしに変わった。理由は知らない。私にはわかるはずもない。何せ私は自分が幾つなのかもわからない無知な迷い人だからな……」
そう語るウィオネの表情は憂いに翳っていた。
「もしかして記憶がないんですか?」
ゼナは遠慮がちに聞いてみた。
「ああ、そうだ。私は殆ど記憶をなくしている。あるのはここ十年の記憶だけだ。自分がどう生まれてどう生きてきたのか知らない。
私の記憶の始まりはこの里で女王様に助けられた時だ。何故この里に行き着いたのかその過程を女王様は語ってはくれなかった。きっとそれを知れば私が傷つくとお思いになったに違いない」
ウィオネは懐かしさに浸り一瞬気が緩んだ。だがすぐに表情を引き締めると、
「話しすぎた。先を急ぐぞ」
スタスタと歩いて行ってしまった。
「魔王の魔力が他人の心配なんてするのかね」
ルセンがぼそっと呟く。
「風の魔力は他の魔力とは違うのかもしれない。行こう。直接会えばその真相もわかる」
「この先に女王様がおられる。くれぐれも無礼のないよう――」
その時、影が差し込み、翼あるものが舞い降りた。
「ごめん、みんな! 待たせちゃった」
レシュアに抱き抱えられながらリーズが合流した。
「丁度よく揃ったようだな。では、何度でも言うが無礼のないように」
ウィオネは再度忠告し、女王がいる謁見の間の扉に手をかけた。
エルフの里の建築様式は実に不思議だ。地面に立てられた建物は何一つない。ではどこに家があるのか。それは木の中だ。エルフの里に生える巨大な大木の中を部屋として加工し、生活を送っている。
異空間の中、さらには木の中とひたすらに隠れて生きるエルフたちには何かそうさせるだけの過去、歴史が存在するのだろう。
機会があればその歴史を聞いてみたい。ゼナはそう思いながらも被りを振って思考を打ち切る。
今は風の魔力のことに集中しなくては……。
扉が開かれた。目に飛び込んでくるのは、花と草木で彩られた玉座に鎮座する女性。彼女も当然エルフだ。だが、他のエルフと相違する点があった。
女王である彼女は一回りも二回りも大きかった。座っている姿勢だけで三メートルは裕に越えているだろう。この中でも背が大きいルセンすら首を痛める角度に成らざるを得ない。
「大き――」
素直な感想を述べそうになったリーズだが、鋭い視線を感じてすぐに口を両手で覆う。
「女王様、連れて参りました」
ウィオネは跪き、深く首を垂れる。
「ご苦労でした。ウィオネ」
緑髪の美しい輝きを放つ長髪と可憐で美麗な表情を持ち合わせた女王は瞳を閉じたまま口を開く。あの時吹いた風と同じ、柔らかく優しい声がした。
「私はこれで失礼致します。何かあれば――」
「いいえ。あなたもここに残りなさい」
「……は?」
意外な言葉だったのかウィオネは気の抜けた声を出した。
「これから話すことをあなたの耳にも入れて欲しいのです。これは命令です。よろしいですね?」
「……かしこまりました」
ウィオネは反論をすることなく命令を受け入れ、ゼナたちから少し離れた位置に移動し、跪く。
「私はこのエルフの里の長。皆から女王と呼ばれる者。名をロザーレと申します。そしてあなた方が求めている物です」
「じゃあやっぱりあなたが……」
「はい。私は風の魔力です」
ロザーレの言葉にゼナたちはわかってはいた事だが、ざわめきを漏らさずにはいられなかった。
ウィオネは敬愛する者の言葉の意味を捉えられず、眉を顰めながら話しを聴いている。
「で、お前はここでどういった活動をしているんだ? 女王を乗っ取ってエルフ共の魔力を吸い尽くそうとでも言うのか」
「貴様ッ! 女王様になんて態度を――」
ウィオネが憤怒と共に立ち上がり、腰の刀を掴む。だが、ロザーレそれを片手で制する。ウィオネはすぐに刀を離し、謝罪と共に頭を下げた。
「……私も初めはその考えでした」
ロザーレは懐かしむように忌むべきように口を開き始めた。
魔王が倒れ、世界に魔力が散らばったあの日。私、風の魔力もその一つでした。
風の向くまま流れ、行き着いた先に出会った物を依代に魔王復活の為の行動を。そうして出会ったのはこの体ロザーレです。
エルフの女王である彼女はじゅうぶんな魔力を持ち合わせていました。動かすのにはお釣りが来るぐらいに。しかし、その体には問題点がありました。
ロザーレの寿命は、魂は、吹けば消えそうな灯火でした。私が出会った時には虫の息で、最後の余生を過ごしていた。
当然、私はロザーレから離れようとしました。いくら魔力があって強力でも命の終わりが近い体に魅力は覚えません。すぐにでも別の依代を探しに行こうと……その時です。私を、まだ実体のない私をロザーレの魔力が掴みました。私は抵抗虚しく彼女の体の奥底に引きずり込まれます。そうして私は触れたのです。彼女の心に。
ロザーレの思いが、言葉が、私に流れ込みました。彼女はこう言ったのです。
『あなたが何者かはわかりません。ですが、この体をどうにかしようと言うのならお願いがあります。どうか、私の仲間たちを同胞を導いてあげて……』
私に彼女の言葉に従う義務はありません。そんなもの無視して体を乗っ取ればそれで済む話しです。
けれど私には出来なかった。彼女を支配するということは彼女を殺すということです。私にはその行為がとても残虐に思えてならなかったのです。
……何を言っているんだ。と言う顔をしていますね、創造の魔力。
あなたからすれば、魔王の魔力からすればその疑問は当然のこと。
ロザーレの心に触れられた時点で、私は魔王の命令を遂行するという意思は消え失せていました。これは彼女の作戦だったのか。いいえ、きっと違います。彼女はただ、同胞のことが不安でただ一心に願ったのでしょう。その願いが功を制した。
私の中から命令だけでなく悪意すら消え失せました。
それから十四年この里の長であり続けた。エルフにしたら短い一瞬の時間ですが私にはかけがえのないものです。
「そんな話しで私を追い返そうとでも?」
重苦しい空気が充満する中、メイだけがいつもと変わらない口調で聞いた。
「いいえ、そうではありません。むしろ私はあなたに協力しようと考えています」
「ほう? それは意外な答えだな」
「私の風があなた方の思考を読み取り運んでくれ ました。あなた方は魔王を倒す為に旅をし、魔王の魔力を討滅している。既に炎、土、水の魔力を手にかけ、今度は風である私を」
「その通り。だから私はお前と戦いお前を吸収する腹積りなのだが……不思議なことにお前から敵意を感じない。これはどういうつもりだ?」
メイの疑問にロザーレは寂しそうに笑った。
「先程のお話しを覚えておいでですか? この体ロザーレには寿命の終わりが近づいていた事を。それは私が入ろうとも変わらない。少しの延命が精々です」
「もうすぐ寿命が終わってしまうんですか……」
乾き切った喉をなんとか震わせながら、ゼナは聞いた。
ロザーレは深く頷く。
「ですから私とあなた方は争う必要は無いのです。私の寿命が終わるその時に、私を奪い去れば良いのです」
「余計な労力を使わないで済むなら願ったり叶ったりだ。お前の死を待つとしよう」
納得したのかメイは帰って行った。
「………………」
一気に場が静まりかえり、重苦しい空気がまた充満する。メイの遠慮のない声を求めてしまうのは初めてだ。
「……ウィオネ」
「…………は、はい」
どこかぼんやりとしていたウィオネにロザーレは声をかけた。
「今の話しはここだけの内密にお願いします。今の私しか知らないあなただからこそ聞かせたのです。もちろんそれだけではないのですが……それはいずれわかること」
最後に意味深な言葉を残すとロザーレは会話を打ち切り、
「皆さん。しばらくはこの里に滞在していってください。私の寿命が尽きるその日が来る間、この里をご自由にお使いになって構いません。私たちエルフはあなた方を歓迎します。ウィオネ、ご案内を頼みましたよ」
「…………はい」
彼女にはいろいろと聞きたいこと、問いただしたいことが多々あるのだろう。しかしこの場でそれは不適切と理解し、飲み込んだ。
「里を案内する。ついてこい」
ウィオネは扉の前で一礼して出ていった。
ゼナたちは戸惑いながらも後をついていく。
謁見の間にロザーレがただ一人残された。
「ウィオネ……どうか私を許してください。何もわからないあなたに戦う宿命を与えた私を……」
静寂の中に女王の嗚咽と涙が溢れ、それは風に攫われ消えた。




