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ゼロの旅路  作者: イフ
82/134

82.帰還、そして出航

 時刻は午前11時。日は登り切り、もうすぐで昼飯の時間になる。腹の虫は素直に鳴き声を上げた。

 こんな歳になっても、こんな憂鬱な気分でも腹は減るのだと。港町オーシの飲食店リフロナの店主リフは、店の二階、自室の窓から煙草の煙を吐きながらそんなことを思った。


 かれこれ十本目だ。とっくにやめたはずなのにどうしても吸わなければこの気分は誤魔化せそうにない。だがそれでも、頭の中には三人の子どもの顔が浮かんでくる。


 二日前、ここリフロナを訪れた冒険者を名乗る純真な少年。活発な男勝りな少女。寡黙で大喰らいの人竜。彼らは王都へ渡るために船を探していた。しかし、ここ港町オーシではその海路は通れなかった。


 彼らは当然その原因を聞きたがった。俺は話してやった。ふらりと現れ、しかも、閑散とした店を訪れてくれた客人に話すべきことではないことは頭で理解していた。だが、語らずにはいられなかった。きっと女房も同じ思いだったはずだ。だから俺に話を振ったのだろう。


 子どもが相手だろうと聞いてほしかった。この苦しみを。少しの同情や慰めでももらえれば気持ちは晴れた。だが、この選択は間違いだったことに気づく。


 その日の午後、廃業同然のボート観光の店主がうちに駆け込んできた。


 何事かと、リフは興奮する店主を宥めて冷静な面持ちで話を聞いた。



 観光に来たという少年たちがボートで消波ブロックを飛び越えて海域に出た。それからいつまでも戻ってこない。店主は狼狽し、どうすればいいのかと助けを求め周りの人々にこのことを言いふらしながら回った。その流れで少年たちがここリフロナで昼食を食べことを知り、訪れた。何故、少年たちがあんな行動をとったのか、何か訳を知らないか、と。


 その話を聞いてリフは膝から崩れ落ちた。冷静な面持ちは当に消え去っていた。


「お、おい!? どうした!?」

「俺の……せいだ……」

 今にも消えそうな声でリフは言う。


「落ち着いて答えろ、な?」

 店主はしゃがみ込みリフの背中を宥めるように撫でた。


「お、俺があの子たちに話したんだ。"あれ"の存在を。誰かに吐き出したかった。けどまさか、あれを退治しに行くなんて思わなかった……」

 ルセンはまるで神に懺悔するように口を開いた。


「そうか……お前は悪くねえさ。あれに挑もうなんて発想はこの町の奴らには考えもつかないからな」

「……うぅ……う……」

 リフは子どものように泣きじゃくっていた。


「町の漁師や警備が捜索に当たってくれるらしい。もっともオーゼ海域の手前までだが……何もしないよりはいい」



 その時、店の扉が乱暴に開かれた。


「あ、あんた! 聞いたかい!? あの子たちが……」

 血相を変えた顔でリフの女房、ロナが飛び込んできた。


「今、話したところだよ奥さん……。リフ、俺も捜索に加わってくる。監視を怠った俺にも責任があるからな。奥さん、後は頼んだ」

 リフの肩を優しく叩き、ボート観光の店主はその場を後にした。


「あんたぁ……」

 ロナはよろよろと崩れながらリフに近づき、すっかり縮こまった夫を抱きしめた。




 十二本目。このままのペースで行けば灰皿は煙草のまるで山に埋もれるだろう。だからといって吸うことをやめられない。こうでもして気を紛らわせないと罪悪感に溺れ死にそうだった。


「海が憎いと思えたのは初めてだ……」

 リフは窓から見える海を睨みつけた。その時、妙なものを見た。絶えず打たれる波とは違う、一つの波がこの町に向かって進んでいるのが見えた。

 幻か蜃気楼でも見ているのか……。リフは両目を擦るがその光景は変わらない。


「あんた、昼飯ができたわよ〜」

 ドアをノックしてロナが入ってきたが、返事をする余裕はない。リフはまだ十分に吸える煙草を灰皿に押し付け、ロナの呼び声など振り切り、外に出た。


 港に行くと、そこには町の人々がざわざわと集まっていた。皆同じものを見に飛び出してきたことがわかる。


「あ……あんた……いったいどうしたってんだい? それにこの集まりは一体なんの騒ぎなのさ……」

「あれを見てみろ!? あれは……"あれ"に違いない……! とうとう俺たちを食いにきたらしい……」

「嘘……そんな……あ、あんた……」

 リフとロナはお互いに身を寄せ合い、まるで最後の時を過ごすかのように震えた。周りも同じような行動をとる。誰もが死を覚悟したその時……。


「どうも怖がらせちゃったみたいだ……」

「こんな移動方法じゃそうなるって」

 人の声がして全員が顔を上げる。


 波の上には岩が乗っており、さらにその上に四人の人間が見えた。一人は見覚えがないが、後の三人は知っている。生きていてほしいと願ったあの三人の子どもだ。


 リフは人の波をかき分けて前に出た。


「お、お前たち……無事だったのか!?」

「ええ、もちろん! 無事どころかみんなを怯えさせる"あれ"を倒してきたんだから!」

 リーズの言葉にどよめきが起こる。


「おい、それ本当なのか!?」

 群衆の中から声が上がる。声の主は格好からしつ漁師に思える。懇願するように四人を見た。漁業を崩壊させた元凶が本当に消えたのか。その確信たる答えが飛び出るのを待っている。

 彼だけではない。他の誰もが安寧に浸れる答えを待っている。


「ここは僕が話すよ」

 ゼナは岩から港へ降りた。他の三人も降り、一向を乗せていた波は静かに沈んでいった。

 

「皆さんを脅かしていた"あれ"。その正体は海洋スライムでした。あれは……何かしらの突然変異が原因なのでしょう。スライムとは思えない知性を持ち、人々を襲い出した。ですが、もう安心です。僕たちが"あれ"を倒しました。僕たちがこうして生きて海を渡ってきたのがその証拠です。――もう二度と、オーゼ海域が脅かされることはありません!」

 魔王の魔力のことを隠して答えた。今の彼らには下手な真実より純粋な安心がもっとも必要だからだ。


「じゃあ……本当に漁に出られるのか!?」

「はい!」

 ゼナの頷きにオーシの人々は沸き立った。この町を覆っていた暗澹たる絶望は齎された希望の波に掻っ攫われ、満たされていく。


「リフさん、ロナさん。ご心配をおかけしました」

 ゼナは頭を深く下げる。


「馬鹿野郎が、本当に……」

 リフは怒りの表情を浮かべるがその瞳には大粒の涙が浮かんでいる。


「あたしの旦那は素直じゃないね、まったく……さ! あんたたち疲れててんでしょ? 美味いもん食わせてやるからたくさん食べな!」

「お! そいつは嬉しいね、おばちゃん。腹ペコでさあ」

「おや、息のいい男がいるねぇ! その舌唸らせてやろうじゃないか!」

 初対面のルセンとロナは早速気が合ったようで足早に店に向かって行った。


「…………」

「別にお祝い事の時は自制しなくてもいいんだよ」

 涎が溢れ出しそうなレシュアにゼナは優しく言った。


 次の瞬間、レシュアは超速で先に行った二人を追いかけた。


「たくっ、あんまり甘やかすと苦労を被るのはこっちなんだからね、ゼナ」

 リーズは少し嫌な顔をしてレシュアを追いかけた。


「僕たちも行きましょう、リフさん」

「……ああ、そうだな。今日はパーっと盛り上がろう!」

 リフは涙を拭い捨てた。その顔には満面の笑みが浮かんでいた。



 翌日、一行は港に立ち、オーシの人々に見送られようとしていた。


 まだ王都への定期便は出せる状況ではないが漁師が漁船で運んでくれるらしい。そのまたとない好意に遠慮なく乗っかった。


「では、出航するぞ」

 一行を乗せた漁船が動き出した。


 オーシの人々が感謝を叫びながら手を振る。

 ゼナも振り返した。


「――また来い! 今度はもっと美味いもん食わせてやる!」

 もはやぶっきらぼうな性格などかなぐり捨てたリフが大きな声で叫ぶ。


「はいっ!!」

 ゼナはその叫びに負けない声で返事をした。


 そんなやりとりは潮風に攫われ、港町オーシが小さくなっていく。



「はあ〜。王都に行くってなってからまさか、魔王の魔力、それも二日連続で戦うとは思わなかったわ。いくらなんでもハードすぎ!」

 駄々っ子のようにリーズは言う。


「まあそう言うなよ。散っていった命を弔うことができたんだ。彼らの苦しみに比べたら俺はどうってことないぜ」

「そんな言い方はずるいじゃない」

 リーズは拗ねたように頬を膨らませる。


「ところでゼナ。調子はどうだ? 水の魔力を吸収して何か変化はあったか?」

「うーん、僕自身はそんなに変化を感じない。魔力が増えたことはわかるんだけどね。これに関してはメイに聞いた方がいい」

「そういえばあいつ大人しいわね」

「魔力を自分に馴染ませるのには時間がかかるらしいんだ。多分もう終わってるから呼べば来てくれると思うよ」

 ゼナは自分の胸をノックするように叩いてメイを呼んだ。


「……何かようか。どうせくだらんことだろう。ゆっくり寝かせろ」

 いつもの悪態をつけながら飛び出てきた彼女だったが、その姿はいつもとは様相が違っていた。


 メイの白い髪に水色の髪が差し色のように入っていた。瞳もどことなく碧みがかっている。


「気になるか? これは水の魔力が完全に私のものとなった証拠だ」

 メイは嬉しそうに髪を靡かせた。


「オシャレに目覚めたただの女の子じゃない、あんた。……それでも、ふふ、髪色が変わってもそのリボンは手離さないのね。今のあんたの色合いには合わないのに」

 リーズはニヤニヤとしながらメイとゼナを交互に見た。


「……外すのが面倒なだけだ」

 メイはそっぽを向いてそう言った。


「ま、そう言うことにしてあげる」

「……チッ、その腹立たしい顔をやめろ」


 一行を乗せた漁船は平穏の証である二人の喧騒と共に、本来の目的地、王都への海路を突き進んで行った。



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