80.出航
朝焼けの光が重い瞼をこじ開ける。それでもまだ夢の世界に旅立とうと思い、瞼を閉じようと試みるが、細波と空腹を刺激する匂いで覚醒を促される。
「…………朝か」
ゼナはポツリと呟き、隣に目を見やった。
「……ぐぅ……ぅ……」
あまり女の子らしくない格好でリーズが眠りこけている。ゼナは自分の藁を彼女にそっと掛けてあげた。
「のんびり寝ちゃってさあ……」
ゼナは恨めしそうな顔をリーズに向ける。当の本人は何も意に返さず寝息を立てるだけだ。
昨夜は……大変だった。
リーズに根掘り葉掘りマリアとメイのことを聞かれた。唯一助け舟になりそうなルセンまで彼女の味方になり、議題のメイはとっくに奥深くに眠り込んで一切出てこない。
ゼナは一人、羞恥に塗れて尋問をされているように口を開かなければならなかった。
「はあ……」
「ゴゴゴッ?」
ため息をつくと頭上から声がして振り返る。
見張り兼、寝床になったゴレムがつぶらな瞳で見つめていた。
「何でもないよ、ゴッちゃん。それより昨日はありがとう。安心して眠れたよ」
「ゴゴゴッ!」
ゼナの言葉にゴレムは嬉しそうに微笑んだ。
「リーズのこと、頼めるかい?」
「ゴゴゴッ! ゴゴッ!」
頼もしい限りにゴレムは言う。
ゼナは安心して寝床の精霊から離れ、空腹を刺激する匂いの元を辿った。
「よお、起きたか!」
匂いの元は焚き火に炙られていた魚の串焼きだった。調理師はルセンだ。
「おはよう、ルセン」
「昨日はよく眠れたか?」
ルセンは笑顔でそう言うが、ゼナは口をへの字に曲げる。
「よく言うよ……リーズと一緒に僕をからかったくせに……」
「悪かったって! あれは俺も変なテンションだったんだよ。ほれ、一番でかいのやるからこれで勘弁してくれ」
ルセンは焼き上がった魚の串焼きを地面から抜き、仕上げに塩を塗してゼナに渡した。
こんなことで埋め合わせなんてしないぞ。と、思いはしたが、香ばしい匂いにそれはかき消され、気がつけば魚は骨になっていた。
「うめぇだろ?」
「うん……すごいおいしかった」
ただの焼き魚がこれほどに美味であるとは思わなかった。ルセンの腕がいいのからかと思ったが、少し違う。それもあるが、この朝日と共に乗り越えた昨日を思い出しながら食すのが美味しさの秘訣だとゼナは思った。
「まだあるから食っていいぞ。優秀な漁師もいることだしな」
そう言ってルセンは海の方を振り返る。そこにはレシュアが海面を見つめながら羽ばたいていた。
「レシュアが漁師? 釣竿なんてもっていないけど……」
「まあ、見てろって」
ルセンが自慢げに言うのでゼナはその通りに従った。
レシュアはじっと海面を睨む。その目はかすかな揺らぎを決して見逃すまいと鋭く尖っていた。
「――――ッ!」
波打ちとは異なる小さな動きが見えた。その瞬間、レシュアは腕を振り上げ、その手に氷で大きな竜爪を築き、掬い上げた。
水しぶきと共に数匹の魚が朝日に晒され、砂浜に墜落していった。
「よーし。そのくらいでいいぞ、レシュア! 戻ってきてくれ」
「漁師というより熊の狩りに見えたけど……」
「まあ、漁は漁だよ。それより、寝坊助嬢さんを起こしてきてくれないか? みんなで食事にしようと思う」
「わかったよ。彼女の夜更かしの原因は僕だからね。納得いかないけど」
ゼナはリーズの元に歩み、彼女の寝顔を除いた。
相変わらず夢心地に浸った顔をしている。
「おい、さっさとこいつを叩き起こせ。作戦会議が始められん」
苛立った声と共にメイがゼナの体から起床した。
「おはよう、メイ」
「……おい、何だその眠そうな顔は? これから水の魔力と戦うんだぞ。そんな腑抜けてどうする!」
早々に眠りこけたメイは事情を一切知らず、ただゼナを怠惰だと叱咤する。
「文句なら彼女に言ってよ。おーい、リーズ。朝、朝だよ。起きて」
ゼナが揺さぶるとリーズは眠気まなこを擦り、あくびをしながら状態を起こした。
「ん〜、おはよう……って、もしかして私が最後?」
「そうだ。とっととその寝ぼけ顔をどうにかしろ」
寝起きにメイの罵倒を浴びせられたリーズは一瞬面食らったが、ゼナとメイの横並びの姿を見てニヤリと口角を吊り上げた。
「メイ、その赤いリボンよく似合ってるじゃないの」
「はあ?」
リーズの唐突な発言にメイは素っ頓狂な声をあげる。
「聞いたわよ。それ、ゼナからプレゼントされたものなんでしょ? あんたたちいい仲みたいね。普段はあんなにツンツンしてるけど、二人っきりの時はどうなのかしら……ふふふ」
リーズはニヤケ面を抑えられない様子だ。
「おいゼナ、こいつは何を言っているんだ」
苛立ちというより困惑の顔をメイは見せる。
「なるほど……そっちは自覚がないけどこっちは多少ある……そんなところか。まだ始まったばかりね。これからが楽しみだわ」
言うだけ言ってリーズは焚き火の方に向かって行った。
「何なんだあいつの態度は……おい、ゼナ! 何があったのかを話せ」
メイの剣幕に洗いざらい吐いた。
「ふん、余計な餌を与えやがって。おかげでうざったくって仕方がなかったぞ」
困惑は完全に苛立ちに変わっていた。
「元はと言えば君が変に僕を揶揄うから、リーズに変な火がついたと思うんだけど……」
「……っ、うるさい。そんなことまで予想してられるか。行くぞ」
「……はあ。行こうかゴッちゃん」
ゼナは顔を上げゴレムに語りかける。土の精霊は屈託のない笑顔で同意し、そっとゼナを抱きしめた。今、味方になってくれるのはゴレムしかいないのかもしれない。
「はい、ゼナ。食べな」
焚き火の元へ行くとリーズが焼き魚を差し出してきた。ゼナは裏があるのかと警戒して直ぐには受け取らない。
「そんな顔するんじゃないわよ。からかったのは謝るから、今日はもうしないって!」
今日は、ということは別日にはするつもりなのだろう。
ゼナはそのことに深く突っ込むことはせず焼き魚を受け取った。リーズがどうにか忘れてくれることを祈って――無駄な祈りだとは思うが――焼き魚を口に運んだ。
「しっかり味わえよ、ゼナ。それで最後だからな」
「え? さっきレシュアがいっぱい取ったんじゃ……」
ゼナの言葉に二人は苦い顔をして首を振り、視線を一人の人物に移す。
「まさか……」
ゼナも視線を這わせた。
「すまない。どうにも食欲を抑えられなかった」
まるで大罪を犯したかのように反省するレシュアの姿がそこにはあった。彼の周りには骨の欠片が散らばっていて、それは魚を丸ごと噛み砕いた証拠だ。
「あの何匹もいた魚……全部食べた?」
「……すまない」
普段は冷静で寡黙な大人びたレシュアだが、この時ばかりは年相応の子どものように縮こまっていた。
「あんたのその食欲はどうにかしなくちゃね。このままじゃ私たちはひもじさで死んじゃうわ」
「……言う通りだ。すまない」
リーズの言葉にレシュアはより縮こまった。
「まあまあ、そのくらいに。僕は大きのを食べたから平気さ。リーズ、早い者勝ちという言葉もある。今回は多めに見てあげても……」
「別に本気で怒ってるわけじゃないわよ。遅れた私が悪いのもわかってる。ただ、いつかその食欲でこっちが痛い目をみる可能性があるから言ったまでよ」
リーズはばつが悪そうにする。
「すまない本当に。どうにか自制しようと思う。この竜の本能を抑えつけて見せる」
レシュアは覚悟を決めたような顔で宣言した。
「かっこよく言ってるけど……食欲の話よね」
リーズが冷めたような目で口に食べカスが残ったレシュアを見つめた。
「ははは、いいじゃないか! 朝から賑やかで」
ルセンはどうも楽しそうだ。後ろのゴレムも同調して嬉々に満ちている。
「そうだね、こういうのは初めてだ」
自然とゼナの口角は上がっていた。
「おい、茶番は終わったか? 水の魔力を倒す会議を始めるぞ」
ゼナたちとは裏腹に苛立ちの顔でメイが飛び出た。
「そんなにイライラしないの。魚でも取ったら? あ、ごめん。あんたは食えないか」
リーズは食べかけの魚を嫌味ったらしく振って見せた。
「……私に実体がないことを感謝しておけ。でなければお前は今頃ボロ雑巾だ」
メイはリーズの顔面スレスレで睨みつけた。
「……はあ、二人とも大人になろうよ……」
結局いつもの雰囲気に戻ってしまった。
「気を取り直して……水の魔力、オーゼを倒す会議を始める」
メイは一度咳払いして、改めて宣言した。
「レシュアが凍らせ、リーズが砕く。そうして奴の身体を小さくする。すると、水の魔力が宿っているであろう海洋スライムの核が露わになる。そこをゼナが貫き、見事魔力は私のものになるわけだ」
頭の中のシミュレートか上手くいったのかメイは目を閉じながら笑みを浮かべている。
「倒しかたは理解したけど、問題は戦場じゃないの? 海の上でどう戦う気?」
リーズがもっともな疑問を口にする。
「抜かりない。いいか? よく聞いて、よく見ろ。海の上で戦う。それを可能にするのは――」
「――どうだ? これなら海だろうと関係ない」
メイの説明を聞いて一同は納得の声をあげた。
「確かに。この前みたいに溺れることはないかもね。でも、それにはあんたたちに相当な負担がかかると思うけど……」
リーズは不安げにゼナ、メイ、ルセンの三人を見つめた。
「何だ、しおらしく心配してくれるのか? よせ、気持ちが悪い」
メイがいつもの調子で突き放す。
「……ッ! 別にあんたの心配はしてませんけど!? 私はゼナとルセンに言ったの!」
顔を紅くしてリーズはそっぽを向いた。
「リーズ、何も心配いらないよ。僕らは勝つ。負けたと思わない限り、信じる限り、勝利はどこにでもあるんだから」
「その通り! お子さまに心配されるほど俺はやわじゃないからな」
ルセンが調子良く答える。リーズは緊張の糸が少しずつ弛むのを感じた。
「そうね。心配なんていらなかったわ。私はがむしゃらに戦う。あんたたちがサポートしなさい。ね、レシュア!」
「ああ、俺はお前たちを信じて戦うのみだ」
レシュアは真っ直ぐな瞳で見つめた。その目を見ると応えなければという覚悟が生まれる。
「団結は済んだか? そろそろ行くぞ」
「……まったく、風情がないんだから。ところでどうやって行くの? 船なんてここにはない――」
「いいや、あるぜ!」
ルセンが割り込む。
「そこの小屋に沖釣りようの船がある。四人でも詰めれば乗り込めるさ」
確かにルセンの言う通り小屋に船が外付けてあった。
「決戦に挑むには不安な船だけど……」
「だったらお前は泳げばいいだろ。そのバカ体力の使い所だ」
「ふーん。その喧嘩、買ったほうがよろしいのかしら」
再び二人はお互いに顔面をスレスレに近づけ、睨み合った。二人の間に火花が迸った気がした。
「はあ……行くよ、二人とも……」
まるで中の悪い姉妹を引っ張るようにゼナは言う。
「本当に上手く行くのか、これ?」
「どうだろうね……」
「………………」
男三人の間には微妙な空気が流れる。そしてそんな空気のまま、一行を乗せた船は大海原を出航した。




