75.弔いの戦い
「終わったか?」
「……うん。これでしっかりと天に旅立てるといいんだけど」
ゼナたちは灰となった木屑を集め土に埋めた。操り人形に成り果て、生と死の狭間にいた哀れな男を弔う為に……。
「行きましょ……」
リーズは拳を燃やしこちらを見下ろす大樹を睨みつけながら言った。彼女の言葉に全員が無言で頷き、巨悪が生える根城の森に足を向けて入って言った。
大樹が生えている森はカルグの森と呼ばれている。ジュダの人たちがそう名付けたらしい。カルグとは、彼らの言葉で平穏を意味する。
平穏な森に名付け親が滅ぼされるなんて皮肉な話だ。
「なんだが不気味ね……」
不意にリーズがそう呟いた。言われて辺りを見まわす。
確かに不気味だ。
時刻はまだ昼時。なのにこの森はどこか薄暗い。鬱蒼としているからそう感じる。と言われれば納得はできるが……釈然としない。
「何というか……生きている感じがしないな」
ルセンが言った。
彼の言葉は極めて的を得ているとゼナは思った。
そう、生きていない。この森には生命の息吹を感じ取れないのだ。
普通の森ならば……吹き付ける風。揺れる木々。鳥の囀り。そんな森の音楽隊が演奏を披露している筈だ。だが、ここにはそんなものない。今ここにあるのは一行の足音。土を踏み締め沈み込む足音だけだ。
「……木々が死んでいる」
レシュアが樹木に触れて呟いた。
死んでいる。
穏やかな森は殺されたのだ。大樹という大自然を支配されて。
大樹に近づく度にそれは顕著に見えてくる。樹々は立ち枯れ、枝は重力に引かれて下がる。まるで大樹以外が命という色を漂白されたような感じだ。
一向は無言なまま死んだ森を練り歩いた。そして、ついには大樹の元へと辿り着いた。
大樹を目の前にすると思わず感嘆のため息をついた。遠くから見るのとは違う。厳かにそれは聳え立ち、一行を見下ろしている。神とさえ誤認するほどに。いや、実際ジュダの村人達にとっては神に等しかったに違いない。昔から森を村を見守っていた神に。
だからこそ許せない。
その神に乗り憑り、あまつさえ村を滅ぼした。
許せるものか絶対に……!!
ゼナは背の剣を抜剣し、大樹の幹に向けて叫んだ。
「正体を現せ。土の魔力」
場の空気がより一層静まる。その静けさは劇場の開演前の雰囲気と似ていた。もっともこれから始まるのはそんな楽しいものではない。
大樹が揺れ出す。
幹の腹に穴が開く。
二つの深淵。その下に一つ。大きいのがもう一つ。
目、鼻、口。
大樹の幹に顔が生まれた。顔は深淵の瞳で一行を舐め回すように見つめると口であろう穴をニタリと動かした。
「待ち侘びたぞ。わしの招待状はいかがだったかな?」
頭の中に直接声が響く。老婆のようなしゃがれた声。いや、それだけではない。若い男女の声、子どもの声、赤子の泣き声までもが聞こえた。
複数の声が混じり合って言葉を紡いでいる。
気持ちが悪い……ゼナは吐いてしまいそうだった。様々な人々の声が頭に流れてかき乱される。
「おい、土の魔力。今度からはもっとマシな招待状を書くんだな。あれじゃあナンセンスって奴だ。まあ、こんなアドバイスに意味なんてないが」
メイが悪態をつけながら自嘲した。
「ほう、何故だ?」
「お前はここで終わるからだよ、土の魔力さん?」
「ふぇふぇふぇっ! そんな有象無象をつれてよく言えたものだ」
「半端な創造の魔力とその入れ物、矮小な火種の小娘、片翼の人龍、ただのゴーレム使い。寄せ集めにも程があるわ」
大樹はさらに顔を歪めて笑い飛ばした。
その態度に怒りが心頭したのか、リーズが拳を燃やしながら一歩前に出た。
「私たちはこれまで炎と催眠を倒してきた。あんただって倒せる!」
「水の魔力に大敗した口はようけ回るのお」
「…………っ……!?」
「言っておくがわしはあやつのように甘くない。逃がしてもらえるなどと――」
その時、大樹の顔は醜い笑みのまま氷漬けになった。いくつもの氷結の楔によって。
「レシュア……」
「こんな奴の戯言に惑わされる謂れはない」
一人冷静なレシュアが言い放つ。
「……手癖の悪い混じり物だ。ふぇふぇふぇっ……」
あの身の毛のよだつ笑い声が再び響いた。
氷漬けにされた奥で顔が蠢く。中から食い破るようにして樹木が隆起した。
「化け物め……」
ルセンが戦々恐々と呟いた。
「お前たちを片付けるのは簡単だ。だがそれではちっとも面白くない。もっともっと楽しく遊ぼうではないか! お前たちの絶望をわしの養分にさせておくれよ!」
大樹はそう言うと、頭の葉を揺らした。落ち葉と共に何かが……蔦に絡まれた何かがいくつも蓑虫のように吊るされた。
「さあ、目覚めの時だ。存分にその命を生やせ……」
大樹の言葉と共に蔦がちぎられぼとぼとと地面に落ちる。包まった蔦、繭とも呼ぶべきそれから何かが一本飛び出た。
手だ。人の手だ。所々が樹木化しているがそれは確かに人の肌を残している。
蔦の繭から次々と人の手が飛び出す。それから頭が、顔が、身体が。
それはまるで墓地から這い出る死体のようであった。
「タスけテ……」
「オねがイ……」
「コロし……」
「クルしい」
「イたイよお……」
人々は口々に救いの呪詛を吐き出しながら、立ち上がりゼナたちに向かって歩み出した。
「こやつらはまだ、完全に樹木化しておらん。意識をそのままにしてある。果たしてお前たちに殺せるかな? 救いを求める彼らを」
大樹は口を三日月のように裂いて笑った。
「悪趣味野郎が。まあ、想定内だがな……やるぞ、ゼナ」
メイがそっとゼナの肩に手を置いて耳元で囁き、身体の中へと入って行った。
ゼナは無言で頷く。
心は驚くほどに落ち着いている。動揺も緊張も恐怖もない。波紋一つない湖面にでも立っているような気分だった。
メイはこの状況を見越していた。
人面樹がいるならばそれになる前の存在、ほとんど人の姿をした、樹人とでも名付けるのが相応しい存在がいるはずだと踏んでいた。そして土の魔力はそれを最初の一手に繰り出すとわかっていた。何故ならば、まだ心をなくしていない異形ほど、人間に刺さるものはない。
とっくに死に絶えたあの人面樹にさえ全員が狼狽していたのがなによりの証拠だ。
メイが既に打った一手とは……先の人面樹戦でゼナの心を落ち着かせるために送った魔力を回収せずに残しておくことだった。
普段のゼナであれば今の光景に愕然と恐怖するところを眉一つ動かさない状態に持っていくことに成功した。
土の魔力……この盤面取らせてもらうぞ!
樹人は救いを乞いながらゼナに攻撃を仕掛けた。
両手を振り下ろし掴み掛かろうとする。
ゼナはひらりとかわして、剣の柄を首に穿った。意識を落とそうと試みたのだ。
ガンっ! と硬い音が響く。見ると、樹人の首は完全な樹木に変わっていた。先程までは確かに人の肌であった見えていたはずなのに……。
『どうやら一瞬で人間の肌組織を木に変換できるらしいな。気絶させるのは難しそうだ』
頭の中にメイの声が反響した。
「殺すしかないのか……」
『残念ながらな』
「……わかった」
あっさりとゼナは事実を認めた。
樹人の腹を蹴りつけて怯ませる。
「うあ………うウウ……」
樹人はよろめき隙を晒す。
「僕を恨んでくれ……」
ゼナは小さく呟くと、刃を胸に突き刺した。
肉を切り裂いたのか、木を切り裂いたのか、よく分からない嫌な感触が剣から伝わってくる。それから液体が漏れ出る。鮮血が……いや、違う。これは血ではない。妙に粘つく液体。色も赤とは程遠い。剣から滴り、手に流れ着いたのは樹液であった。
「……ああ、ア……り……」
なにかを言いかけて樹人はぐったりと倒れた。
ゼナは剣を抜き、ゆっくりと樹人を地面に下ろした。
びくんと跳ねて、瞳が濁っていった。
「ゼナ……本当に手をかけたの?」
リーズは震え声で語りかけた。表情は恐怖に包まれている。それはこの状況に、というよりもゼナに……といった感じだ。
「リーズ。彼らは見た目こそ人だが、中身はもう樹木だ。表面を人の肌でカモフラージュしているに過ぎない。その証拠に瞬時に肌を樹木に変換していた。きっと僕たちを動揺させる為にあいつが細工したんだ」
ゼナは大樹を睨みつける。大樹の口角がしたりと裂けた。
「……でも――」
「……リーズ」
ゼナが言葉を遮る。
「僕たちが彼らにしてあげられる唯一のことは安らかに眠らせることだ。咎を背負ってでも、そうしなければならない……でなければ――――」
ゼナはふっと一息ついた。そして……、
「お前が殺されるぞ、リーズ」
その言葉を放ったゼナの表情と声色はメイにそっくりだった。
愕然とするリーズを後にして迫り来る樹人にゼナは向かって行った。
「……クソッ!」
リーズは行き場のない怒りを地面に叩きつけた。その時、影が刺す。見上げと樹人が石を武器にリーズに振り下ろそうとしていた。
「…………っ!!」
「ごメ……なさ……イ――」
掠れた謝罪の声を述べながら石を振り下ろす。が、何かが樹人の心臓部を貫き、それは未遂に終わる。
「アあ……ヤ……っ……」
樹液を口から吐き出しながら後ろへゆっくりと倒れた。もう動かない。
リーズは振り返る。そこには氷結の楔を打ち込んだであろうレシュアがいた。
「……レシュア」
「リーズ、戦わなければならない。あれを見ろ」
レシュアは大樹の葉の部分を指差す。先程落とした蔦の繭が幾つもあった。
「嘘でしょ……!? まだあんなに……」
「奴は村人全員をあの姿に変えたんだ。あの数を一斉に消しかけられたらこちらに勝ち目はない。奴が愉悦に浸っている今、数を減らすチャンスなんだ」
「そう……みたいね。くそっ……くそおおああっ!」
リーズは悲鳴のような雄叫びを上げながら自分を奮い立たせた。こうでもしないとこの拳は握ることもできそうにない。
「タスけ……お……か……サ……」
少女の姿をした樹人がルセンに迫っていた。
ルセンは大斧を構えたまま何も出来なかった。この少女をルセンは知っている。村に訪れた時、村の中を案内してくれた子だ。明るく元気で……将来の夢は……。
ルセンは大斧を落とした。武器を掴む力などなく、変わり果てた少女を見ているしかなかった。
ざっ!!
背後で足音がした。
振り返る。
涙し、絶望に震える少年が跳躍していた。その右手は鋭い木の枝になっており、正確にルセンの首を貫く軌道を描いている。
死ぬ。
そう悟ったその時、何かが飛んできた。それは少年の胸を貫き、そのまま近くの樹木に突き刺さる。少年は磔のような格好になり、絶命した。
少年を殺したのは剣だった。その剣の柄に見覚えがある。ゼナが腰に携えていたもう一本の剣だ。
「――ルセンッ! 危ない!」
ゼナが叫ぶ。
ルセンの正面にいた少女が今にも襲い掛かろうとその繊細な小さな手を凶悪な鋭い樹木に変質させていた。
ゼナは走り出し、少女に体当たりをくらわせ、そのまま馬乗りになる。
「…………ッ…………!」
ゼナは血が滲むほどに唇を噛み締めながら、刃を少女の心臓に突き刺した。
少女から涙が流れ、そして動かなくなった。
ルセンは茫然と少年が少女を殺す光景を見て、これは夢では、出来の悪い悪夢ではないかと思った。しかし、
「危ないところだった。大丈夫、ルセン?」
語りかけるゼナがこれは現実だと突きつける。
どうすればいいのかわからなくなって、ルセンはゼナの胸ぐらを掴んだ。それが誤った行動だとしてもこの憤りを吐き出さなければならなかった。
「……ゼナ、お前……お前ッ!!」
「……ああしなければ、君が殺されていた」
「あの二人はお前よりも幼い子どもなんだぞ! どうしてそんな――」
冷静にものが言える。そう言いたかった。けれど、ゼナの表情を目の当たりにするとそんなことは口が裂けても言えなかった。
ゼナは哀しみとそれに伴う痛みを抑えつけ押し殺したような顔をしていた。決してそれは冷静でもましてや冷酷でもない。そこには無理をして何もかもを背負おうとしている少年がいるだけだ。
「……すまねぇ」
ルセンは力なく手を離した。
「構わない。こんな状況だ」
ゼナはゆっくりと首を振った。
「……ルセンが彼らを足留めてくれ。僕が止め刺す」
「待てよ、その役は俺が――」
「ルセンの武器じゃ、彼らを……なるべく綺麗に送ってあげたいんだ。それがせめてもの報いだから」
「だったらあの剣を俺に貸してくれ! それならいいだろう?」
ルセンはちらりと横を見た。樹木に突き刺さった剣を。
「……でも……」
「……ゼナ、その気持ちはわかるけど、必要ないわ」
「リーズ……」
「……私たちも背負うから。あんただけに苦しい思いをさせはしない」
彼女の腕は氷で固められ、槍のように鋭くなっていた。その槍に樹液がこびりついている。レシュアも同様だ。ルセンとの会話の間に樹人を相手取っていてくれたようだ。
「仲間じゃないの、一人で背負い込まないで」
「……ごめん」
「そこはありがとうって言って欲しいな」
リーズは微笑んだ。
「第二陣が来るぞ」
レシュアが言った。
大樹から蔦の繭が切り離され、哀れな樹人が再び生まれる。
「あいつらを救ってやれるのは俺たちしかいない。やるんだ。やれるだろう、ルセン」
ルセンは独り言を呟きながら、樹木から剣を引き抜き、少年の遺体を……少女の遺体の元に優しく地面下ろした。この二人が恋仲であったことをルセンは知っていた。
「……助けられてなくて、ごめんな……」
少年少女の瞳を閉じてやる。すると安らかな死に顔になった。
「……いけるかい、ルセン」
ゼナは振り向かず言った。
「ああ、こんなことをしたクソ野郎を叩きのめすッ!」
「苦しめずに逝かせてあげるの、いいわね!?」
リーズの言葉に全員が頷いた。
一行の前に樹人の群勢が迫っていた。
今、まさに弔うための戦いが始まろうとしていた。




