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ゼロの旅路  作者: イフ
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74.虚しき戦い

 人影はじっとこちらを見つめる。樹々が影になり、その姿は闇に溶け込んでよく見えない。


「生き残った人じゃないのか…?」

 ゼナは疑問を口にし訝った。


 もしあの人影が助けを求めるのならば……こちらを見つけた瞬間、脇目も振らずに駆け寄ってくるのではないだろうか。


 ゼナの疑問が不信に変わる。


 あれは『人』なのか……?


 ゼナの疑問を察したのか、はたまた伝播したのか、メイを除いた全員が膠着状態に縛られた。


 嫌な時間が流れる……。

 このままいつまでもこうしているわけにはいかないと心で理解しても、体が邪悪な何かを感じ取ったのようで動けない。


 その時、人影に動きがあった。黒塗りの闇からぬっと、手を伸ばす。それは救いを求める手か、それとも、悪意を振り撒く魔の手か……。


 ゼナは前者であることを信じて一歩前に出た。


「大丈夫……で……す…………か」

 呼びかけた心配の声は最後の方にはほとんど掠れたか細い笛の音のようになってしまった。

 無理もない。普通の人生で見ることのない悍ましいものが目の前にいるのだから。



 太陽の元に現れた人影がその正体を現す。


 体格は成人男性。年齢は……わからない。

 何故? その男の肌は人間のものではなかったからだ。


 全身の肌が茶色く、ごつごつとしている。背後に生えている樹木となんら相違ない。頭髪と思われたものは全てが蔦であった。指先をよく見ると鋭く尖っている。形容するならば木の根っこという表現が正しい。極みつけは、その表情だ。


 類像現象。無秩序な模様をまるで顔のように認識してしまう現象だ。

 ゼナは幼い頃遊んでいた冒険者ごっこを思い出した。


 あの頃は木や岩を魔物に例えて戦った。中でも強敵だったのは顔のある樹木だ。二つの空洞の下にまた一つ空洞。さらにその下に一つの大きな空洞。それが恐ろしい顔に見えていたのだ。


 今、目の前にいる男の表情は正にそれであった。

 眼球がない。鼻がない。口は開きっぱなし。


 表情と呼ぶのは不適切かもしれない。そこにあるのは闇……暗闇……深い深い深淵だ。


「なんだよ……あれ!? 人間じゃないぞ!」

 恐怖を抑えつけるようにしてルセンが叫んだ。


「………っ……!」

 レシュアは静かに息を呑んだ。静寂な故か、その音が酷く響いた気がする。


 リーズは普段からは想像のできないほどに表情が青ざめている。唇はわなわなと震え、恐怖に包まれていたのが理解できた。


 それは僕も同じだ。いや、誰よりも恐怖しているのは僕だ。


 一歩踏み出し、歩み寄ったおかげで男との距離は近い。お互いが大股で二、三歩進めばぶつかる程度に近い。


 離れなければ。

 足が動かない。


 目を背けなければ。

 目が離せない。


 金縛りにあったようにゼナは固まってしまった。


「こいつはもう死んでいるな。死霊術みたいなものだな。魔力を流し込んで人を木に変え、動かしている。これが本当の植物人間だな。ふふふ……」

 ただ一人メイだけが冷静に分析している。彼女の不謹慎な言葉を律する気力もゼナにはなかった。



「……う……アア……い……オオオオオオ!?」

 男がうめき声をあげる。木々のざわめきにも聞こえるその声は一同をさらに恐怖に染め上げた。


「おい、お前たち。何を呆けている。戦え。さもなくばやられるのはこっちだ」

 メイが全員を叱咤する。それと同時に男が手を振り上げ襲いかかった。誰も動けない。だが、そんな中、恐怖を感じずに立ち向かったものがいた。


 一同と男の間に割って入る。茶色いゴツゴツとした大きい背中が視界に広がる。


「ゴッちゃん……」

「ゴゴゴゴッ!」

 ゴレムは振り向き頷いた。『任せろ』と、聞こえた気がした。


「ゴゴッ!」

 ゴレムは拳を握り込むと強烈なパンチを喰らわせた。男は奇怪な悲鳴をあげ、四肢をあらぬ方向にねじ曲げさせながら吹っ飛び、樹木に叩きつけられた。


「さすがだな。怯えすくむ人間(お前たち)どもよりよっぽど優秀だ」

 皮肉な笑顔を浮かべながらメイは拍手した。


「…………ッ」

 ぐうの音の出ない言葉にリーズは唇を噛むしかなかった。


「倒したのか……!?」

 ルセンがゴレムの横に立つ。他の三人も後に続く。ゴレムのおかげで恐慌の金縛りから脱して、なんとか体勢を立て直した。


「いいや、まだだ」

 メイは冷静な表情に戻して言った。

 男はまだまだピクピクと痙攣している。


「だったらトドメを! それが彼にしてあげられる弔いだわ」

 リーズが震える拳を抑えながら言った。声の震えまでは抑えられていない。



「……ワ……れ……ジュと……なりて…………ウアアアオオオオオオ!??」

 男は折れた四肢で操り人形が部隊から飛び出すように立ち上がった。そして、先ほど自分が叩きつけられた樹木に抱きついた。


「何かするつもりだ……」

 レシュアが構える。冷気を纏わせ、竜爪を研ぎ澄ませた。しかし、目の前で起きた信じられない光景に腕はゆっくりと重力に引かれた。


 男が取り込まれている。抱きついた樹木に体が入り込んでいる。


 木と木が擦れ割れる嫌な音が響く。それは男の断末魔のようであった。


 やがてはその声も消え去り、男は完全に樹木の中へと消えた……かと思われた。


「…………うオオオオオオおおお!??」

 樹木から叫び声が……いや、これは産声なのだろう。何故なら、木の幹には男の顔が……苦悶に恐怖に悲壮に歪んだあの顔が浮かび上がっていた。


 幼い頃の冒険者ごっこが思いつく限り最悪な形で現実のものになった。


 男は、いや、人面樹と呼ぶべきそれは、自分が一体化したのを確認すると笑い出した。

 人と樹々のざわめきが合わさった笑い声は狂宴に満ちていた。


 ひとしきり笑うと人面樹は動き出した。生えている地面から這い出る。自身の根を脚のようにして蠢いたのだ。その様はまるで蜘蛛のようであった。

 幹からは枝が生える。その先端は人の手を再現したような形をしていた。


 吐き気を催す邪悪。そう形容するのがもっともな存在が今、目の前に誕生した。


「くそっ! やるしかねえ……行くぞ、ゴッちゃん!」

 ルセンは大斧を構え、ゴレムと共に突進していく。


「……続こう」

 レシュアが爪を立て、二人の後に飛翔する。


 ゼナとリーズの二人がポツンと取り残された。


「ふんっ……なんだ怖いのか?」

 メイが蔑んだ目でリーズを見る。彼女は未だ手を震わせながら人面樹を見ていた。


「ええ、怖いわよ。あんな得体のしれない奴……」

 リーズは恐怖を隠すことなく言った。


「でもね……このまま震えて何もできない方が私は怖い」

「ならどうする?」

「戦うわ。この炎でその恐怖心ごと焼き払う。私にはそれしかできない!」

 リーズは両腕に炎を宿し、閃光のように戦いに走った。後には一人、ゼナだけが残された。


「聞かなくてもわかるが聞いておこう。怖いか?」

「怖いに決まってるよ。あんなの……人が木に……。僕はどうすれば……!?」

「どうもこうもない。戦うんだよ」

「相手は人間だ!」

「もう人じゃない。死体が木の化け物に変わった。ただそれだけだ」

「そう簡単に割り切れる問題じゃ――」

「割り切るんだよ……ゼナ。お前が戦うのは人じゃない。化け物なんだ。そんな躊躇は捨てろ。バーニンガもラデニアも外見は人間だが中身は化け物だった。お前は戦った。今度は外も中も一緒だ。ラデニアのようにその体を自らの手で貫ぬけばいい。同じ事をするだけだ。何が違うというんだ?」

 メイは訳がわからないと言った顔で見る。彼女の言葉は正論で、ゼナもその言葉を掴んで武器にしたかった。ただ、そのためには足りない。あと一歩。ほんの一つの――。


「……メイ、僕に勇気をくれないか?」

「何っ?」

「あれと戦うのは嫌だ、怖い。けど、このまま逃げるわけにはいかないってことは僕にだってわかる。だから君の助けが必要だ」

「随分と情けない話だな」

 メイは蔑み笑う。けど、その笑みはいつもよりどこか柔らかい。


「弱い僕の心を埋めてくれ。僕はまだ()()()()()()から」

 ゼナは恐怖を抑えつけ、精一杯の笑顔で返した。


「こんなところで躓いては困るからな。あんな奴、とっとと片付けろ」

 メイが体に入り込む。すると、乱れていた心の波が静まるのを確かに感じた。打ち鳴らされた動悸が穏やかに。体の震えが止まった。


 人面樹を見ても心は掻き乱されなかった。今はただ、あれを倒す。仲間と共に。そんな想いが全身を駆け巡るのみ。


「……一気に終わらせる。苦しませはしない……!」

 背中の剣を抜き、魔力を込めて魔剣に変える。



「くそっ、こいつ! 意外に素早いぞ」

 蜘蛛のように動く根っこにルセンは飜弄されていた。

 ルセンがその動きに気をとられていると蔦が触手のように伸び襲いかかった。


「しまっ――」


「ゴゴゴゴッ!」

 ゴレムがその攻撃を庇った。蔦が土の身体に巻き付く。


「助かったぜ、ゴッ――」

「ゴゴゴゴッ!?」

 ゴレムに絡みついた蔦は止まる事なく成長を続けていた。土の身体を凄まじい速度で覆い尽くす。


「戻れっ! ゴレム!」

 切迫した声でルセンは叫んだ。

 ゴレムの体が崩れ土に戻る。魔石だけが宙に飛び上がり、一人でにルセンの手の中に向かっていった。


「取り込まれるところ――」

 安堵したのも束の間、蔦が間髪入れずに襲いかかる。――避けられない!!


『――炎を持って緑を斬る――!』

 少年の声。それと同時に炎の弧を描いた斬撃が飛び出し、蔦を焦がし切る。


「ゼナ……!」

「ごめん、みんな! 待たせた」

 ゼナはその右手に燃え上がる剣を構えていた。リーズの炎を想像して刀身に宿し創り出したのだ。


 人面樹は燃える蔦を地面に打ちつけ必死に消している。素早い足が止まった。


「レシュア! あいつの足元を凍らせてくれっ!」

「……了解した」

 レシュアは飛び上がり、体の周りに冷気を漂わせる。それが鋭い針となって発射された。


「オオオオ……オオッ!?」

 人面樹を地面に固定することに成功した。


「リーズ、ルセン! あいつの攻撃を足止めてくれ! 僕が力を溜めて一気に蹴りをつけるッ!」

「オッケー! 任せなさい!」

「頼んだぜ、ゼナ!」

 二人は勇んで構え、人面樹に向かっていった。


「よしっ、今の内に……!」


 ゼナは剣を両手で構え、瞳を閉じて集中した。

 イメージするのは燃え盛る炎。何もかもを焦がし、溶かし、焼き尽くす光炎の刃――!



「はあッ――!」

 リーズは掌から炎を放射し迫りくる蔦を灰にしていく。それでも炎を迂回する蔦をレシュアが氷で撃ち落とし、ルセンが切り払う。


「オオオオオオ……アア……ヴヴ…………ガァー!!」

 人面樹が雄叫びを上げた。蔦を引っ込め、幹から生えた二本の枝を伸ばす。先端を槍のようにして目の前にいたリーズとルセンを標的に穿った。獲物を仕留める大蛇の如く、地を這う。


「そうはいかないぜ!」

 ルセンは懐にしまった魔石――ゴレムの核を取り出すと、地面に向けて投げ刺した。


「そうだろ――ゴッちゃん!!」

 

 相棒の叫びに土は応えた。魔石の刺さっている地面が隆起したかと思えば、顔が生まれ、腕が生えた。その場に上半身だけのゴレムが現れた。


 ゴレムは迫りくる枝をその大腕でしっかりと掴み固定する。人面樹の武器は数を減らした蔦しかなくなった。


「――ゼナっ!」

 リーズは振り返る。するとその目に眩い光が飛び込んできた。


 ゼナの剣が煌々と燃え上がっている。まるで太陽を剣に加工したかのように思えるほど光り輝いていた。リーズは一瞬、戦いの中という事を忘れ、その輝きに、炎の揺らめきに見惚れてしまった。


「ありがとう、みんなッ!」

 ゼナの声に我に帰った。

「……やっちゃいなさい、ゼナ!」

「ああ、任せてくれ!」

 ゼナは人面樹に目掛けて走る。リーズとルセンの間を駆け抜け、地面に埋まったゴレムの背中を踏み台に跳んだ。

 宙に浮いたゼナに残りの蔦が集中攻撃を浴びせるが、ことごとくをレシュアが狙い撃ち、蔦は虚しく霧散する。


 もうゼナと人面樹の間を阻むものは何もない。


「終わらせる……!」

 火剣を矢の如く引き絞り、人面に狙い澄ます。


「タスケ……」

 その時、人面が呻いた。今までで一番はっきりとした声。人間となんら変わらない……いや、完全な人の声。

 ゼナの動きが一瞬、硬直した。だがそれは本当に一瞬であった。まるで()()()()()()()()()()()()火剣は人面樹の眉間に刺し込まれた。


「うあああああッ――!!」

 ゼナは無我夢中な叫びと共に炎を振り上げる。

 幹が二つに枝分かれ轟々と燃える。やがて、人面樹は黒焦げ、灰となって崩れた。



「俺たちにかかればこんなもんだな」

 ルセンが調子よく言う。虚しい戦いを紛らわせるために彼は空気を取り持った。


「そうね……うん、こんなもんだわ!」

 できればこんな戦いはなかったことにしたい。そんな意思の表れか、リーズもルセンと同じ行動をとった。


「………………」

 ゼナは灰と化した木屑の前に佇む。人面樹の最後の言葉が頭に残る。

 彼は生きていたのか……助けられたのか?

 後悔が濁流のように押し寄せる。


「奴はもう死んでいたさ」

「メイ……」

「あくまであれは土の魔力が喋らせただけだ。『助けて。』お前たち人間を止めるのに最高な呪文を使われた。ただそれだけの話だ」

「……ありがとう」

「……ああ?」

 メイは気味の悪い顔でゼナを見る。


「僕を慰めてくれて。それにあの時、動きを止めてしまった僕の代わりに君が刃を握ってくれて、ありがとう。メイがいなければ僕は……」

「ふんっ、私がいなければお前は何もできない。それは今に始まったことじゃないだろ」

 いつものように憎たらしく言い放った。


「まったく、遠慮がないなぁ」

 ゼナは微笑した。変わらない彼女の言い草が戦いの後の空虚さを埋めてくれる。


「ゼナ、大丈夫か?」

 レシュアが側に降り立った。


「ああ、無事だ。みんなは?」

「俺たちは無事だぜ、ゼナ。それにしてもよくやったな。カッコよかったぜ!」

 ニカっとルセンは笑う。


「確かにすごかったけど、ゼナ……私よりすごい炎を創るんじゃないわよ。ずるいじゃない!」

 リーズが頬を膨らませて冗談混じりに怒る。


「ふふふっ、悔しいかリーズ?」

 ここぞとばかりにメイはでかい顔をした。


「別にあんたに嫉妬しないわよ。あの炎を創ったのはゼナだし。あんたのことなんかなんでもないわ」

 リーズは舌を出し、メイに一瞥を送った。また、二人の言い合いが始まる。


 ゼナは止めやしなかった。今はこの喧騒がどうにも心地よく愛おしかったから。

 

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