72.絶望が這いずった
ジュダの村は鬱蒼とした森の中に存在する。以前訪れたフロッサを花の街とするなら、ジュダは自然の村と言えるだろう。
樹々の隙間から家屋が見えてくる。ひとまずは腰を降ろしてこれからのことを考え……いや、頭を休ませるべきだ。オーゼのことをあまり考えすぎるもよくない。
焦ることはない。慎重に動けば事は成せるさ。
ゼナはそんな言葉を頭に浮かべ、土を一歩一歩踏みしめた。既に起きた惨状を知らずに。
「――わっ!? ちょっと! 急に止まらないでよルセン!」
ルセンの鞄に頭が埋まったリーズが若干眉を吊り上げて文句を垂らした。しかし、それに帰ってくる謝罪や言い訳はなかった。
「どうしたんだルセン? 何が――」
ゼナがルセンの横に立つ。当然のことながら彼と同じ景色が飛び込んでくる。ゼナも同じように固まりざるを得なかった。
「二人して――なに……これ!?」
二人の隙間から覗き込んだリーズがかろうじて声を上げた。
「……穴だ」
レシュアがただ一人動揺することなく呟いた。
ジュダの村の地表には真っ暗闇の穴がそこらに開いていた。大きさはまちまちだが決して底の見えない闇が大いなる自然の村を穢している。
「…………情けなく呆けてる場合じゃねえ! 村人たちの安否を確認するぞ!」
ルセンは振り返り一喝する。それはゼナたちに向けたものというよりも己を奮い立たせるものであった。
「俺は空から探す」
レシュアが翼を広げ、片翼に氷の翼を造るとすぐに上空に舞い上がった。
「頼もしい限りだぜ……俺たちは三人に別れよう。俺は中央、ゼナは左、リーズは右だ。ゴッちゃんはここに置いていく。何か力仕事が必要なら頼ってくれ」
「ゴゴゴゴッ!」
ゴレムは力拳をつくると、その場にどっしりと構える。
「頼りにしてるわ。それじゃあ、行きましょ!」
三人はそれぞれに分散した。
「……メイ、いったい何が? この村はどうなってしまったんだ!?」
「さあな。一つわかるとすれば走り回って村人を探すのは無駄ってことだな」
メイの言葉にゼナはドアノブに手をかけたまま止まる。
「……それはどういう意味だ」
「いちいち説明しなくちゃだめか? 言葉から読み取れ。私はお前の先生じゃないんだ」
決してメイの言葉がわからなかったわけじゃない。解りたくなかっただけだ。
ゼナは扉を開けた。中は空虚な空間であった。人の気配をある感じはない。あるのは破壊された床と暗闇の穴だ。
「この村の人たちはもう……」
「一人も生き残っていない」
無慈悲にメイが言葉のその先を引っ張り出す。
「………………」
「そして別のものを私は感じとった。残り香だがな」
「まさか……そんなっ!?」
「こいつは魔王の魔力の仕業だな」
「水の魔力のすぐ近くに別の魔力が……」
「どうする? 見なかったことにするか?」
メイが挑戦的な視線で見つめる。
「馬鹿言うな! このまま放って置くことなんて……」
「できない。でも――また負けるかもしれない。それが怖い」
「…………っ!?」
「なんて、くだらないこと考えている……馬鹿を言っているのはお前だ、ゼナ」
メイがゼナの胸ぐらを掴み凄んだ。
「戦う前から負けを認めることは許さん。オーゼとの戦いは明らかな戦力不足だ。撤退に迂回は恥じゃない。だがな、正体もわからない相手に怖気つくなどあってはならない!」
「……僕が迂回の提案を受け入れたのは仲間を失いたくないからだ。オーシを救うことよりも逃げることを選んだ。オーゼとの戦いで生き残ったのは偶然でしかない。今度の相手が僕らの首を確実にとってくるような奴だとしたら? 嫌な想像が止まらないんだよ!」
「……あいつらは見たこともない相手にやられるほど弱者か?」
「…………!」
メイの言葉にハッとさせらせ、彼女の瞳を見つめた。
「あいつらは強いさ。お前よりもよっぽどな。お前は勘違いしている。オーゼとの戦いを避けるイコール逃げると思っているだろう。誰ももう二度と戦わないとは言っていない。リーズの闘争の炎は消えていないし、レシュアの翼はまだ翔ける。お前だけが負けた事実に押しつぶされて、したくもない選択を握りしめている。いいか、よく聞け」
メイがゼナの胸に拳を当てる。
「お前が負けたと心の底から思わない限り、それは負けたことにはならない。戦いは未だ続いている。本気でお前は負けたと思ったのか?」
メイの言葉が思いが、身体中に響き渡る。
たった一回の失敗で諦めるなんて……でも、その一回で死にかけた。失いかけた。次は……ない。いや、わからない。そうだ、わからない。わからないんだ! 誰も未来はわからない。未来を決めるのはいつだって自分自身だ。勝つか負けるかも!
僕は負けていない。まだ戦っている、戦える。オーゼも未知の敵とも戦う。負けない。戦う。戦って――勝つ!
ゼナは真っ直ぐに顔を上げた。
「戦うよ。僕は、僕たちはまだ負けていないから。こんなところで震えてられない」
ゼナはメイの拳にそっと手をのせた。
「ふんっ、手の掛かる奴だ。……あと、触るな気色悪い!」
ゼナの手を払いのけ、そっぽを向く。
「ありがとう、メイ」
「感謝は実力で示してくれ」
「そうだね。とりあえず、今は何が原因なのか探ろう」
ゼナは駆け出した。
一方のその頃リーズは、地面に空いた穴を観察していた。
「ここにも……これはどう見ても……」
穴の近くにしゃがみ込むリーズの側にレシュアが降り立った。
「どう、空から何か見えた?」
リーズの言葉に首を振る。
「生存者は確認できない。地表に空いた穴しかなかった。ただ……」
「ただ?」
「穴の場所が村の家屋に近い。それに穴の付近にこういったものが落ちているのが見受けられた」
レシュアが差し出したのはごく一般的な帽子だ。土で汚れ、鮮やかな色が失われている。
「私の嫌な予感が当たっちゃったかも。これを見て」
リーズが地面を指差す。そこには手形が土に刻み込まれていた。まるで何かに引っ張られ、必死に抵抗した跡のような手形が。
「これで自然現象の線は消えた」
「ええ……。間違いなく目的を持った何かがこの村を襲ったと見ていいわね」
自分の言葉にリーズは苦笑を漏らした。
「あれの次は"何か"か……」
「おーい! 誰か見つけたか!?」
二人の元に息を切らしたルセンとゴレムが駆けつける。
「いいえ。生存者は見かけなかった。代わりに原因は見つかったかも……」
「原因?」
「みんなっ!」
ゼナも駆けつけ合流した。
リーズは全員が揃ったのを見て、今し方見つけたものを話し始めた。
「……確かに手形だ。それにこの帽子見覚えがある。派手だったから印象に残っていた。愉快な男だったよ」
ルセンは土汚れた帽子を手に取り、唇を噛んで悲しみに苦しんだ。彼がこの村にいたのは長い期間ではないだろう。それでも一度知り合えば他人ではなくなる。小さな絆が生まれるのだ。
彼の痛みがゼナには伝わる。旅をしなければわからなかった痛みだ。
「この穴は村のあちこちにあった。さらに家の床にも同じものが。まるで人間を狙いうちにしている。どこのどいつなんだ……! くそったれが!」
ルセンは怒りに震える。主人の怒りにゴレムはオロオロと困り果てた。
「ルセン……もし、敵の正体がわかったらあなたは戦う?」
「……当たり前だ。こんなこと放っておけねえっ!」
「それが人間を、魔物をも越えた悪意。魔王の力だとしても……かい?」
「ちょっとゼナ!?」
いきなり魔王のことについて語り始めるのでリーズは慌ててゼナに詰め寄った。
ゼナは片手でそれを制する。
「戦えるかい、ルセン?」
「ああ、戦える。相手がどんな野郎だろうと俺は戦う。こんな光景を見て知らんぷりなんてできるかッ!」
ルセンの啖呵にゼナは満足そうに息を漏らした。
「リーズ。ルセンには話そうと思う。僕たちのこれまでを包み隠さずね。彼を巻き込むことになるけどその覚悟はもう問えた」
「もしかしてこの騒動も……」
ゼナはゆっくりと頷く。リーズは逡巡し、笑顔をつくった。
「そう。ルセンならきっと大丈夫ね」
「おい、いったい何の話だ?」
困惑した様子でルセンは聞いてくる。
「これから話すことは突拍子もなくて信じられないかも知れないけど、どうか聞いてほしい」
ゼナは深呼吸して話を始めた。
「つまり、まとめると……十四年前に倒された魔王はその体、魔力を世界中にばら撒き、それが配下として魔王復活の為の魔力集めをしている。バテヴで暴れたチャンピオンもオーゼ海域に巣食う奴も魔王の魔力が乗り移ったもの。お前たちはそれを倒す為の旅をしていると……。想像の魔力、メイとやらと共に……」
ルセンはにわかには信じられないという顔で眉を顰める。
「メイの姿が見えれば話は呑み込みやすいんだがな。いかんせん俺の魔力が至らずそれは叶わない」
自嘲しルセンはおどけて見せた。
「ゴッちゃんには見えるのになぁ……」
ルセンは隣のゴレムにそっと触れる。その瞬間、目が会った。全身が白い幽霊のような少女と。
「ほう……そういうことか」
「お、おい! 俺にも見えたぞ! 白い少女が。彼女がメイだろ?」
「どういうことだい、メイ。ゴレムに触れた瞬間、君が見えるようになるなんて」
「簡単なことだ。ゴレムの心臓である本体の魔石。あれは相当な魔力が込められてている。そうだろ?」
メイはルセンに語りかける。戸惑いながらルセンは肯定した。
「このゴーレムバカは魔石に魔力を注ぎ込んだ。自分の魔力総量を減らしてでもな。その結果、ゴレムは私が見えるどころか意思疎通までを可能にしたのだ」
「おい、ゼナ。こいつ口悪いな」
「ごめん。教育不足で……」
ゼナは素直に謝罪する。
「私は褒めているのだ。お前のゴーレム技術は素晴らしい」
「確かにメイがこんなに褒めることはないわね。基本的に嫌味と皮肉で形成された存在だし」
リーズがここぞとばかりに皮肉を飛ばす。メイは気にもしない。
「まあ、ゴッちゃんは俺が天塩に育てた子どもみたいなもんだ。褒められてこいつも喜んでいる」
「ゴゴゴゴッ……」
ゴレムはもじもじとして照れくさそうにしている。
「メイもこれくらい素直だったら……」
ゼナはわざとらしくため息をつく。
「ふんっ、マリアの性格までモデルにしたらそれは私が私でなくなる」
「マリア?」
メイの口から出たその名前にルセンが反応する。
メイはニヤリとゼナに笑いかけた。嫌な予感がする……!
「私のこの体はゼナの記憶から読み取った人物を模している。そいつはゼナの――」
「い、今はそんなことよりこの穴のことが重要だ! そうだろ!?」
ゼナは狼狽しながら叫んだ。メイの姿が初恋の幼なじみの姿と知られるのはあまりにも辱めがすぎる。
「そうね。この穴、そして私たちの敵を知る必要がある。だがら……事が落ち着いたらじっくりと聞かせてもらいましょう」
リーズが悪い顔で肩を組んできた。こうなってしまったら鎖を全身に巻かれたようなものだ。逃げられやしない。ゼナは恨めしそうにメイを睨んだ。彼女はにっこりと笑い返す。全ては掌の上だった。
「……わかったよ。もうっ…………レシュア? どうしたんだい?」
そんなくだらないやりとりをしているうちにレシュアが小難しい顔で頭を悩ませていた。
「この穴を掘った者の正体を考えていた。しかし、どうにも検討がつかない。俺はドラゴニュートだ。お前たちよりも鼻が効く。なのに何も感じ取れない。生き物が掘ったものならその残り香があるはずなんだ。あるのは土と植物の匂いだけだ……」
「なら、手掛かりは魔王の魔力だけになる。なんの魔力かわかれば、何に乗り移っているのか絞れるかもしれないけど……」
ゼナは周りを見渡した。どこもかしこも樹々だらけでここからメイの鼻だけを頼りに探すのは無理があるだろう。
「一つ方法がある」
レシュアが穴に近づき言った。
「俺がこの穴に入り、先に進む。そうすれば敵の居場所を特定できるかもしれない」
「それは無茶だよ。その先に敵がいるかもわからない迷路を君に進ませるわけにはいかない」
「でも、このままいたずらに時を過ごすのはよくない。まだ陽が出ているうちに手を打たなければ……おそらく敵は俺たちを把握している。そうは思わないか?」
「………それは……」
レシュアの言葉に反論はできなかった。
相手は地中から飛び出し、村人を一人残らず引き摺り込む芸当がなせるのだ。この場に踏み込んだ時点で相手がこちらを補足していないという保証はない。
「わかった。ただし約束してくれ。何か異変があったら必ず引き返すんだ。自分の命を最優先にしてほしい。それだけはお願いだ」
「心得ている。拾われたこの命、みすみす捨てることなど有り得ない」
レシュアは静かに笑って見せた。その笑顔はゼナの心配など吹き飛ばすほどに眩しくあった。
レシュアは手のひらに冷気を纏わせ、魔力を込めた。すると淡い光を放つ氷晶が一つ生み出された。それを掴むと穴の中に投げ入れる。暗闇に小さな光が生まれた。
「この深さ。生物が掘ったにしては深すぎる。やはり生き物では……いや、考えるのは後にしよう。この目で確かめてくればいいだけだ」
誰に向けるでもない独り言を呟きながら、レシュアは穴の淵に立った。肩越しに仲間に振り返る。
「頼んだわよ、レシュア!」
リーズが親指を立てて笑い、
「無茶すんじゃねーぞ!」
ルセンが不安そうに腕を組み、
「君の無事を祈る」
ゼナが真っ直ぐな瞳で見つめ、
「精々役立つ情報を持ち帰ってきてくれ」
メイが半分期待した態度で、
「ゴゴゴゴッ!」
ゴレムがおそらく見送りの挨拶をした。
レシュアに恐怖などなかった。これほどまでに勇気づけられれば、そんなものは塵と化す。
「――行ってくる」
ただその一言を残すとレシュアはその身を暗闇に投じ、光を目指して落ちていった。




