69.大海原へ
「オーゼ海域に魔王の魔力がいるだって!?」
ゼナは思わず大声をあげてしまい、慌てて口を塞ぐ。幸い、周りに聞き耳を立てるものは仲間しかおらず、不審な目は避けられた。
「それがシィフィムに戻ることになっても、あんたがブチギレない理由ね……」
一行はリフロナ夫婦の元を後にし、今後の作戦を練ろうと裏路地に集まっていた。
「そうだ。あの時、微かだが感じたのだ。同胞を。遥か向こうの海からな」
「じゃあ”あれ“の正体は魔王の魔力……奴はいったい何に取り憑いている?」
ゼナの問いにメイは腕を組んで首を横に振る。
「さあな。私を万能な検知器扱いしてもらっては困る。そもそもこの距離で気配を掴むことができた私をもっと賞賛するべきではないか?」
「はいはい、すごいすごい。それでどうするの? 船は出てないわけだし、海域には行けないわよ」
メイを軽くあしらいながらリーズは聞いた。
「簡単な話だ船を盗めばいい」
さも当たり前のようにメイは言い放つ。
「あんたねぇ……そんな犯罪を私達が犯すと思う?」
「ふん、そうか。ならばお前たちはこの町の連中を見捨てるんだな。おやおや、お得意のお人好しが聞いて呆れるな」
「こいつ……とうとうこっちの良心を利用しに来たわね……」
「……仮に船で出航したとして、得体の知れない奴とどう戦うんだ? 船の上での戦闘なんて経験、まるでない」
「そうならない為の奴がいるじゃないか」
メイはピッと指を刺す。その矛先は、
「俺か?」
レシュアだった。
「そう。お前の氷を海面に打ち込めば即席の足場を作れる。不安定ではあると思うが船よりマシだろう」
「承知した。俺はお前たちについて行くと決めたからにはこの力、存分に使ってくれ」
「だ、そうだ」
メイはまるで営業セールスでもしているような立ち振る舞いだ。
「……だとしても、やっぱり盗むのは反対だ」
「なら、この町を見捨てる選択をとるんだな」
「そうは言ってないよ。盗むんじゃなくて、直談判するんだ」
「そうね、その方法が私たちらしいってもんよ!」
よく言ったと、リーズはゼナと肩を組んだ。メイはたまらず呆れたため息を吐いた。
「何の実績のないガキに自分たちの大事な船を貸してくれると思うか?」
「実績ならあるじゃない! バテヴもフロッサもシクールも私たちの手で救ってきた実績が!」
「いや、だめだ……リーズ」
捲し立てるリーズをゼナが消沈しながら諭す。
「どうして?」
「救ったことは事実だけども……公的な記録がない。あくまで僕らの活躍はその街の人達しか知らないんだ」
「……っ!? そっか……くそっ。こんなことならソフィーさんにでも記事を書いてもらうべきだったわね」
二人は万事休すといった感じで、船窃盗の選択肢を迫られていた。そんな時、突風が吹き荒れ、一枚の紙が風に運ばれレシュアの角に引っかかった。
「…………二人とも。これならどうだ」
レシュアは引き剥がした紙を見せる。そこには……。
「なるほど。確かにあれなら合法的ね。お手柄じゃないレシュア」
一行の前には幾つもの小舟が浮かんでおり、近くの看板にはこう書いてあった。
『オーゼ海域ボート体験』
オールで漕ぐ小舟でオーゼ海域の浅瀬を遊覧ができる催しが開かれている。客は誰一人見えないが。
「船は船だからね。いいだろう、メイ?」
「まあ、奴のいる場所まで辿り着くための足だからな。水に浮けばなんでもいいさ」
メイは特に文句もなく了承してくれた。
受付では実にやる気のない無精髭の男が粗雑な説明で案内してくれた。そのくせ料金説明の時だけはハキハキと喋り、内容に対して割高な額をしっかりと搾取して来たのだった。
「さて! 船を手に入れたし、早速行きましょ!」
リーズが意気揚々とオールに手をかけるがゼナがそれを止める。
「今のままじゃ無理だ」
ゼナが指差す。その先にはいくつもの消波ブロックがこちらを囲むように並べられていた。ここより内が小舟の遊覧エリアのようだ。
「そういうことか……じゃあどうするの?」
「少し考える……」
ゼナは腕を組んで目を閉じた。それから三十秒ほどで、
「よし、作戦を思いついた」
「おっ! 聞かせて頂戴」
「まずは創造魔法で消波ブロックの前に坂を作る。さらにレシュアの氷でそれを凍りつかせる。そこへ方向を合わせて後はリーズの炎を推進力に舟を射出するんだ」
「なるほど、ソリュドの竜山の応用ね」
「そういうこと、早速始めよう。レシュアも準備はいいかい?」
「ああ、いつでもいける」
「よし……完成だ」
小舟の目の前には氷の発射台が待ち構えていた。
「ゼナ、オールは捨てておけ。発射の邪魔になる」
「え、でも後で漕ぐ時に必要じゃ……」
「お前が創ればいいだろう」
「確かに……それもそうか」
「上手く創れればの話だがな」
メイは小馬鹿にした顔で言う。ゼナはムッとしながらオールの姿を目に焼き付けた。
「……行こうか。リーズ、頼んだ」
「任された! 二人ともしっかり掴まりなさいよ!」
リーズは小舟の後方に座り拳を構えた。メラメラと腕が燃え上がり魔力が集まっていく。後はこれを爆発させれば、小舟は空高く舞い上がり大海原へと進むだろう。
「おーい、あんたら船の調子はどう……なんだあの氷は?」
その時、受付のやる気のない男が様子を見に来てしまった。当然、氷の発射台を見て困惑する。そしてあれはなんなのかと、問い詰めようとこちらに歩みを進めてくる。
「リーズ! 発進だ!」
「後は知らないわよ……!」
リーズの拳が赤く光り、そして爆発した。その瞬間、三人を乗せた小舟は急加速して氷の発射台目掛けて進み、見事な飛び出しを男に見せつけながら消波ブロックの壁を越えていった。
「うおおおおおッ!?」
着水の衝撃で暴れる船体を創造魔法で創り出したオールでなんとか制御する。ようやく揺れが安定した頃にはゼナはへとへとになってしまった。
「これから魔王の魔力にまみえるんだ。こんなところでへばっては困るな」
「わかってるよ……慣れないことをしたから疲れただけさ」
メイの嫌味に肩で息をしながら答えた。
「それで……あれとやらはどの方角にいるんだ?」
周りをキョロキョロと見渡しながらレシュアが聞いた。
「あっちだな。方角で言えば北だ」
「ねえ、今度の相手が何の魔力なのかわかんないの?」
「目星はついてる。海を活動拠点にしているのなら、おそらく今回の敵は水の魔力だと思う。しかし、やっかいなのはそれが何に憑依しているかがわからないことだ」
「単純に考えれば船をも呑み込む巨大な水棲生物ってとこかしら」
「………………」
リーズの意見にゼナは思考に耽る。彼女の意見はもっともらしく簡単だ。しかし、ゼナはある言葉が引っかかってそれを素直に肯定できないでいた。
『海が笑うんだ』
リフの話に出てきた、ただ一人生き残りそして、気狂いを起こした男の言葉。あの言葉をうわごとの一つで片付けてはいけないと、ゼナの心は警鐘を鳴らしている。こんなことなら無理矢理にでもその男の所在を聞き、赴くべきだったか。いや、きっと会えてもまともな話は聞けず、その男の心を傷つけるだけだろう……。
「ゼナ、平気か?」
気がつけばレシュアが心配そうにこちらを覗き込んでいた。
「ああ、ごめん。大丈夫だ」
(今はあれに辿り着くことを考えよう。正体はいずれわかる……)
ゼナは両手に力を入れ舟を漕いでいく。
それから三十分ほどたった。海に変化が現れ始める。先程までは透き通るような海だったのに、まるで深海と錯覚できるほどに海が暗い。それにどうにも舟が漕ぎづらい。オールが思うように動かせないのだ。まるで泥沼を進んでいるようなそんな感じだ。
「メイ……これって……」
「ああ、気配を感じる……近いぞ」
その言葉に三人は気を引き締める。辺りを警戒し、あれが現れるのを待った。
「こ、こないわね……」
「……うん。メイ、気のせいってことはある?」
「私に限ってそんなことがあるものか。確かに気配がするんだ。ただ、姿が見えない。もしかしたら奴はとてつもなく小さなものに憑依しているのか? いや、だとしたら船を飲み込めることに疑念が浮かぶ……うーむ……」
メイは腕を組み頭を悩ませて必死にあれの、――水の魔力であろう――の姿について考える。
「メイ……」
「なんだ。考え中だ、邪魔するな」
「魔王の魔力が憑依できるのは生き物だけ?」
メイのあしらいをお構いなしにゼナは質問する。
「チッ……基本的には生き物だ。既に完成された物を動かすだけでいい。むしろ生き物以外は0からそれを動かす必要がある。非効率的だ…………待てよ、もし、あれがその非効率をやってのけたのなら……? この海、そしてこの気配……まさか――」
メイが何かに気がついたその時、小舟が三人諸共上空へと打ち上げられ。
ゼナとリーズは突然の視界の変わりように何が起こったのか把握できずにいた。ただ一人レシュアだけが空中で身を翻し、氷の翼で飛んだ。そして、唖然とする二人を掴み、水面に氷結の息吹で足場を形成して着地する。
「……よくやった、レシュア」
メイはレシュアを素直に褒めた。彼女にしては珍しいことである。いつもの憎たらしい口調を混ぜて
いる余裕はこの状況にはなかったのだ。
「サンキュー、レシュア。危うく海の藻屑になるとこだった」
「そうだね……ありがとう、レシュア。それにしても……やっぱり嫌な予感が当たっていた……!」
「どういうこと!? ゼナ」
「もし、魔王の魔力が生き物意外に憑依できるなら……そして、あれが水の魔力なら……うってつけのものがある」
「……もしかして!?」
リーズは驚愕し、顔を顰める。そんなことがあるのかと、にわかには信じられないって顔だ。しかしそう考えるのが妥当なのだ。
「奴は……海に……!」
メイは白い顔をさらに蒼白させ、震え声で呟く。彼女があんなに狼狽することはかつてない。それほどまでに相手は規格外のものに憑依していた。オーゼ海域という、大海原に……。
目の前の海がゴポゴポと音を立てる。やがて、間欠泉のように噴き出すとそれは形を作った。
ああ、そう言うことか。
三人は理解した。
――海が笑うという意味を。
目の前には水のベールを纏った女性が立っていた。体の全てが群青色の海水で形成され、その全長は十メートルは超えるだろう。
海は笑う。眼球や唇のない形だけの顔面から笑みを浮かべ、口を開いた。
「ほう、これはこれは……創造に炎とお揃いじゃないか。我に何用だ。水の魔力であるこのオーゼに……」
水の魔力は自らを海域の名から取ったのか、オーゼと名乗り、高みから三人を見下ろす。その圧倒的プレッシャーに押し流されそうになるがゼナは踏ん張り、毅然と立ち向かう。
この時のゼナには勝てる目算は薄くとも、戦える自身があった。これまでの旅路が彼にそう囁いたのだ。……それがとんでもない驕りだとは露も知らずに……。
故に彼は思い知らされるだろう。海というあまりに広大な敵と戦う無謀さを。悲痛を伴って。




