56.最後に笑うのは
「こ……んな……はずで……は……!!」
ラデニアは息も絶え絶えに苦悶の声をあげる。彼女の真紅のドレスはより真っ赤に染まっていった。
ゼナは必死に剣を握る。手にはしっかりと肉を切り裂いた感覚が伝わってくる。決して気分がいいものではない。しかし手放すわけにはいかなかった。ここが催眠の魔力を倒す絶好のチャンスなのだから。
「よし、いいぞゼナ! そのまま握ってろ。後は私がこいつを奪う」
メイがそう言うとラデニアの体から光が漏れ、剣を伝いゼナの体に流れてきた。
胸に未知の感覚を覚える。今まさにラデニアの魔力を吸収しているのだ。
「このまま……では、おわら……な……い!」
ラデニアは自身に刺さっている剣を両手で掴む。力任せに掴んだのか、掌は簡単に切れて、血が滲む。彼女は最初に感じた優美さからかけ離れ、泥沼でもがき苦しむ哀れな存在と化していた。
「これ以上抵抗するな! お前はもう――」
ゼナの呼び声を無視してラデニアはさらに剣を握りしめた。とめどなく出血が溢れ、剣は真っ赤に染まる。やがてその血はゼナの手にも侵食し――。
「…………!?」
ゼナは激しい頭痛を感じた。痛みのあまりに剣を手放し、後ろへよろめく。
「おい、ゼナ! 何をやって……これは……!?」
メイは怒号を叫んだが、すぐに気がついた。ゼナの体に魔法が刻まれていることに。催眠の魔法が。
「ラデニア! お前いつの間に……」
ラデニアに問いただしながらも必死に考える。
一体どこから魔法をかけられたのか。外部からの魔法は全て遮断しているはずだ。だとすれば……。
その時、メイは気がついた。ゼナの手の甲に異様に血が付着している事に。確かにラデニアにつけられた傷だが擦り傷だ。しかしあんなに出血はしていなかった……まさか……!?
『……血と魔力。私はお前を乗っ取ろうとした時、心臓に魔力を流し込み、血管を通して全身に行き渡らせたんだ。しかし魔力が足りず、それは無駄に終わった。その時放流した魔力は血液と結合し、お前の血は創造の魔力が含まれた特異な血に変わったのさ』
「不完全な私でも血と魔力が結合した。お前もそうであると想定できたはずだ……」
メイは己を責め、悔いるように言った。魔力を奪うことに集中して油断をしてしまった。
「あ……ハハっ、後悔しても遅いですよ。もう魔法は発動しているんです。これから何が起こるか……わかり……ゔっ! ますかぁ!?」
ラデニアは笑いながら胸な突き刺さった折れた剣を引き抜き、ゼナの足元に投げた。血肉が飛び散る。
ゼナはそんな光景に声一つ上げず、剣を掴み取って――。
「……させるかっ!」
自らの胸に刃を突き立てようとする腕を止める。
ゼナに刻まれた催眠魔法は自害を促すものだった。寸前のところでメイが割って入ったが、膠着状態。跳ね除けることまではできない。
「そのままそうしていてください……今のうちに……」
ラデニアはだらだらと流れる血を抑えながら、魔力が詰まったガラスの箱へと足を運ぶ。
「魔王様の為の魔力ですが……致し方ありません」
ラデニアは箱に背を預ける。すると光が傷へと集まり徐々にだが確実に彼女を癒していく。
「……はぁ……はぁ……ここまで計画が狂うとは思いませんでした。ですがまだ修正は――」
その時である。部屋の扉が乱暴に開けられた。誰かが外から蹴りつけたように。
「……ラデニアッ!!」
現れたのはリーズだった。彼女は部屋に入るやいなや、容赦のない火球をラデニアに放った。怪我で疲弊している彼女はまともにくらう。衝撃で背後のガラス箱も砕け散り、光が霧散した。
「小娘が……!」
吐血を吐き、火傷を負ったラデニアは恨めしそうに立ち上がった。
「さあ、観念しな……ゼナ!?」
ここでようやくゼナの異常に気がついた。急いで駆け寄り握っている剣を叩き落とす。
「絶妙な登場だな、リーズ……!」
リーズの手助けにより、メイは体の中へと入り込めた。そしてゼナの脳神経を支配していた魔法を解除することに成功したのだ。
「……僕は……今何を……」
「……ラデニアはどこだ!?」
メイの叫びに二人はハッとする。もうこの部屋にはラデニアはおらず、血の跡だけが残っている。
「くそッ! 逃げられた……」
「メイ、奴の場所を特定してくれ! 今なら間に合う!」
「……よそう」
メイの口から予想外の言葉が出た。
「リーズは体力の疲弊が激しく、お前は催眠に掛けられたばかりだ。奴と対面するのは危険だ」
しおらしい彼女の声に口を閉ざさるを得なかった。
「とりあえず何があったのか聞かせてもらえる?」
リーズに問われ、メイは一連の流れを語った。
「つまりあと一歩の所で逆転されたわけね」
「ごめん、僕のせいであいつを逃してしまった……」
「お前の擁護をするつもりはないと断った上で言う。あれは私の責任だ。血に魔法がかけられていたという可能性を失念していた。目の前の餌に釣られてな」
メイは吐き捨てるように言った。
「でもあいつが生きているかぎり、この街の人達は……」
ゼナの言葉にリーズも顔を伏せた。あれだけの啖呵を切っておきながら、結局誰も救えなかった。その事実が重くのしかかる。
「その点は心配いらない。不幸中の幸いってやつだ」
「どういうことだ、メイ?」
「あれだけの大怪我だ。この街の連中にかけた魔法を維持することは今のラデニアにとっては自殺行為でしかない。さらに奴の魔力の四分の一程は奪い取った」
「ということは……!」
メイの言葉通り、人々にかけられた催眠魔法は綺麗さっぱり消え去っていた。リーズと戦った者も、養分と化していた者も全員、目に光を宿している。
人々は混乱しながらも自由の身になったことを理解していく。
「……うっ、ここは……」
「目覚めましたか、ダミアさん」
気絶したダミアが目を覚ました。
「ここは安全です。ラデニアは一応……撃退しました」
「ほ、本当か! じゃあ、街は……」
「はい、それに見てください」
ゼナは一歩横にずれた。ダミア視界に二人の人物が映る。
「……ああ、ああ……!」
ダミアの目から大粒の涙がボロボロと零れ落ちた。
「……あなた」
「お父さん!!」
二人はダミアの妻子であった。
三人は抱き合い再会を喜び合う。
「すまない! 俺は臆病でお前たちのことを……」
「気にしないで。この子たちから全部聞いた。あなたは私たちを、街を助けようと戦ったんだって」
「そうだよ。お父さん、カッコいい!」
二人の言葉にダミアは子どものように泣きじゃくった。
「なんとかハッピーエンドになりそうね」
「うん…………でもやっぱりラデニアのことが心残りだ。あいつはきっとまた仕掛けてくる」
「その時は今度こそあいつの魔力を根こそぎ奪い取ってやるだけだ!」
メイが臆する事なく奮起する。
「そうよ! 今度あったらボッコボコにしてやりましょう!」
リーズも同調し、拳を打ち鳴らす。
「……ああ、そうだね。僕たちならきっとできる!」
ゼナは希望の笑顔を見せた。
今はこの街を救えたことに喜び分かち合おう。ラデニア。お前との決着はいつか、必ず果たす。
時は宵闇を告げている。日は沈みかけ、これからは暗澹の世界だ。森はより一層と鬱蒼さを増していく。つまりは身を隠すのにはちょうどいい。この血に塗れた真紅のドレスはあまりに目立ちすぎる。
「…………っ……」
胸の痛みに耐えきれず、ラデニアはその場に倒れた。出血は止まらない。最後にあの小娘の邪魔さえ入らなければ……顔に刻まれた火傷を恨めしそうに抑える。
視界がぼやけてきた。ここで終わるのか。
たった二人の子供と出来損ないの同胞に全てを狂わされた。こんな惨めな事があってなるものか……!
気がつけばラデニアは涙を流していた。
最期に人間らしい感情表現をするなんて皮肉ですね……。
ラデニアが虚しく自嘲したその時、遠くからこちらへと歩いてくる二人の人物を見た。
一人は背丈から見て少年。もう一人は長身の女性だ。少年が先行し、女性が付き人のように後を続いてきた。
少年の歩みはラデニアの目の前で止まった。
「随分なやられようだね、催眠の魔力ラデニア。せっかく集めた魔王様の為の魔力も無駄にしちゃってさ」
こちらの事情に詳しいようだ。まるで今まで見てきたかのように。
「どちら……様……でしょうか?」
「おやおや、怪我がよっぽど酷いみたいだ。仕方ないなぁ……」
少年はめんどくさそうに頭を掻きながらしゃがみ、ラデニアに手を翳した。掌に滅紫の光が宿る。その光はラデニアに向けて放たれた。
「……ゔっ!?」
心臓を貫かれた以上の痛みがラデニアを襲う。しかしその痛みはすぐに消え去り、ゼナにつけられた傷が消滅していた。
「君の傷を破壊した。これで僕のことがわかるだろ?」
少年に言われて素直に頷く。目の前にいるのは同胞、それも魔王の信頼をもっとも受けている、右腕と言ってもいい存在だ。
「助かりましたよ。危うく死んでしまうところでした」
「礼はいらないよ。それにしても創造の魔力が人間と手を組むなんてね。まあ、なんとなく予想はついたけどさ」
「……あなたはいつからわたくしたちの戦いを見ていたのですか?」
「ずっと前からさ。あの二人が炎の魔力を打ち倒した時からね」
「…………!?」
「気が付かなかったのかい? あのリーズって少女の中には炎の魔力がいる。倒されて吸収されたんだ。そして君もそうなるところだった」
ラデニアは火傷に触れる。あの時動転していてわからなかった。確かにあの威力はただの人間が扱えるものではなかった。
「君も節穴だね。自分の楽園に酔っていたんじゃないかい?」
「………………」
蔑み笑うその目に口を閉ざし、歯軋りするしかなかった。人間への驕りが敗北の原因なのだから。
「それでこれからどうする? また新しい餌場を探すかい?」
「……いいえ。わたくしがしなければならないのはそんなことではありません」
「聞こうか」
「復讐ですよ。わたくしをこんな目に合わせた彼らに制裁を与えなければなりません!」
ラデニアの目は憤怒に染まっていた。
少年は冷ややかな視線を送るが、ラデニアは気がついていない。
「……まあ、好きにするといい。ついでた。その火傷も破壊しようか?」
少年に言われて顔の火傷を撫でる。そして笑みを浮かべた。
「いいえ、結構です。これは残しておきたいのです。人間を驕った戒めと復讐の狼煙として」
「君も物好きだね。じゃあ、僕はこの辺で帰るとするよ。君の吉報が聞けることを願おう」
少年は背を向け歩き出した。付き人の女が後を追う。
「……よろしいのですか?」
女が少年に聞いた。
「ああ、構わないさ。あれがどこにどう転ぶのか興味がある」
「こちらに仇をなす可能性は」
「その時は僕が壊すだけだ」
少年は屈託のない笑顔を向け、女はそれ以上提言しなかった。
二人は闇の中へ消えた。
「……ふふふ、あははは、アハハハッ! ゼナ、メイ、リーズ! 催眠の魔力ラデニアが必ず、あなた方を殺しにいきます。その首を綺麗に洗っておいてください!」
ラデニアの狂に満ちた笑い声が闇夜の森に響き渡った。




