48.外来種
催眠の魔の手から逃れた――いや、生かされた者達が収容されている民家は実に酷い有様だった。外観とは比べものにならない程に朽ち果てている。床の木材は腐り、散乱しているゴミからは異臭が漂い、空気は澱んでいる。正直息をするのも苦しい。
「……こんなところに本当に人がいるの!?」
リーズは吐きそうな顔で問う。
「一階はゴミ置き場だ。俺たちが普段生活しているのは地下だ」
踏み場のないゴミの中を男は器用に進む。ゼナとリーズは時折バランスを崩し、ゴミに塗れながらもついていった。
「ここだ」
男が指し示した場所には取っ手があった。そこを力を込めて引き上げる。悲鳴のような軋みを上げながら床が開き、梯子が現れた。
男は慎重に梯子を降り始めた。二人も恐る恐る続いていく。
男が梯子の終着点に辿り着いた。そして振り返るとそこには……老婆が佇んでいた。
「母さん……」
男がそう呟くと、警戒に満たされていた老婆の顔が綻んだ。
「ダミア……? ああ、ダミア! 無事に帰ってきたんだね!?」
老婆は歳を感じさせない俊敏さで駆け寄り、男を、ダミアを抱きしめた。
ゼナとリーズはその光景を微笑ましく見つめた。しかし、急に老婆がダミアから離れ親子の再会は終幕を迎えた。
老婆の顔には再び警戒の色が浮かび上がっている。
「あんた、本当のダミアかい? 催眠にかかっているんじゃないだろうね……」
老婆の警戒はもっともなことだった。息子と言え、まず疑って掛かかることが今のフロッサの常識ののだ。悲しい事だが致し方ない。ダミアもそれを理解しているのか怒りも悲しみもしなかった。ただ虚しく笑うだけだ。
「安心してください。彼は無事です」
ゼナが一歩踏み出し、ダミアの隣に立つ。
「はて? お主らは見ない顔じゃな」
「母さん、この二人は俺を救ってくれた恩人だ。ラデニアの支配から解き放ってくれた」
「それは本当かい!?……ありがとう。わたしの息子を助けてくれて、ありがとう」
老婆は大粒の涙を出しながら何度もゼナ達に感謝を捧げた。その涙には息子が無事であったことへの安堵と、息子を助けられなかった悔しさが込められていた気がした。
「とりあえず奥に行こう。他のみんなを紹介したい」
ダミアは母親を支えながら部屋の奥に進んだ。
「……ここにいる者がラデニアの支配から逃れた全員だ」
ダミアはさらりと紹介するがゼナとリーズは簡単には受けいれられなかった。
そこにいるのは五人。ダミアとその母親を含めれば七人。そしてダミアを除く他全てが老人であった。子供も若者も初老もいやしない。
「たったこれだけ……?」
「ああ、生き残ったのは老人、それも魔力が枯れ果てた老人だ」
「魔力が枯れ果てた……」
「ああ、理由はよくわからないが、例外はなかった」
「私にはわかるぞ、理由は単純だ。魔王復活の為の魔力集めに枯れ果てた奴なんぞ不要。徒党を組まれたところで脅威になるはずもない。つまりこいつらは生きていようが死んでいようがどうでもいい存在なんだよ」
メイはダミアの疑問に対して配慮もへったくれのない言葉を送った。
ダミアがメイの声を聞き取れる力を持ってなくてよかったと、心の底からそう思った。もし聞こえていたら躊躇なく殴っていたに違いない。
「ねえ、例外はないって言うけど……あんたはどうなのさ? 老人でもないし、魔力が枯れているわけでもない。なのに最近までは無事だった。矛盾してない?」
リーズが同意を求めるようにゼナを見る。
頷き返し、ダミアに答えを求めた。
「ああ、それは…………俺はこの街で最大のフラワーショップを経営していてなあ、あらゆる花の知識を学び、そしてフロッサに輸入する為の放浪の旅に出ていたんだ。この街に戻ったのは大体一週間前ぐらいだ」
「だから、催眠を免れた……すみません。いったい、いつからこの街はラデニアに支配されてしまったのですか?」
「ここからはわたしが話そう。この街に何が起こったのか」
ダミアの母親がゆっくりと歩き、二人を椅子のある場所へ勧めた。
「ダミア、帰って早々で悪いけどみんなの世話を頼んでいいかい?」
「ああ、任せろ母さん」
ダミアは老人たちの元へ向かった。
「まず自己紹介でもしようかね。わたしはレイア。皆からはレイばあと呼ばれておるよ」
二人はレイアにそれぞれ名前と、ここに来るまでの出来事を語った。
「そうかい……あの子も使者になっていたんだね」
「使者?」
「他の街に出向きフロッサまで誘う役の事さ。ラデニアはこの街だけでは飽き足らず、各地から人を集めている。いったいなんの為かはわからない」
それはおそらく魔力を収集する目的の為だろう。ゼナはすぐに理解した。しかし口にする事はなかった。余計な不安を与える意味はないからだ。
「さて、本題に入りましょう。ラデニアのことはどこまで知っているかい?」
ゼナは馬車で聞いた話を伝えた。
「……領主様が倒れ代わりにあの娘が街の実験を握った。確かに彼女は気立ても良く街の人気者だったさ。でも政治ができるとはわたしも他の大人たちも思わなかった。けど彼女は見事にやってのけた。まるで人が変わったかのようにあっという間に街の頂点に……そこからさ。この街のおかしくなったのは。
ラデニアが領主の座に着き始めてから約一年、彼女を敬い崇拝する者がちらほらと現れ始めた。彼女には確かに若さとカリスマ性があり、入れ込む理由としては充分。だけどね、その度合いが異常だったのさ。あれが魔法だとはわたしたちはすぐに気づけなかった。そして五年がたち、気がつけば街の半分がラデニアの傀儡で溢れ、可憐な少女は見る影もなく立派な教祖様へと進化した。まるで彼女はタチの悪い外来種さ。催眠という種を撒き散らし、己の支配下に置く。ああ、おそろしやおそろしや」
レイアは熱く語ったと思うと息を切らし、ぜえぜえと呼吸する。リーズが彼女の背中を優しく摩った。
「ありがとうね、お嬢ちゃん」
「気にしないで、レイばあ」
彼女は久々に人の温かさに触れたのか目頭に涙が浮かんでいる。
「それでこの街は十年とラデニアに支配されているんですか……」
「手は尽くしたんじゃ。街の正常な者を集め、抗議し、時にはあの娘の根城に乗り込んだ事もあった。そうしてどうなったと思う?」
「………誰一人帰ってこなかった………」
ゼナの言葉にレイアは力なく頷いた。
「次の日にはその半分が街の巡回兵に姿を変えられ、もう半分は姿を消した。無駄と悟ったよ。我々はあの魔女には決して勝てない。だからこうして生かされる道を選んだ。いや、選ばされたのさ」
「……街の歴史は概ね理解できました。次はダミアさんが帰って来た時の事をお聞かせ願いますか?」
ゼナは今の話を咀嚼し飲み込んだ。理解するだけで胃もたれを起こし、嫌悪で戻してしまいそうな話。しかしここで怖気付くわけにはいかない。更なる情報が欲しい。
「そこからは俺が話そう。母さんを休ませてやってくれ」
「私が連れて行く!」
リーズはレイアを支えながら奥の部屋へと移動した。
レイアが退いた椅子にダミアが座り腕を組んだ。
「俺の話だな。あれは言った通り一週間前。およそ八年にも及ぶ旅を終えてこの街に帰ってきた」
「八年……ということは既にラデニアが領主になってから二年は経過していたんですね」
「その時には街の様子がおかしいと俺は気づいていた。だから俺は……逃げた。花を学ぶためというのは真っ赤な嘘だ」
「お一人で街を出たんですか?」
その言葉はまるでダミアを責め立てるようだと、言ってからゼナは気づいた。
ダミアはその意見は当然だ、と言わんばかりに頷いた。
「……最初は家族と出る計画だった。けど、妻も娘も母さんも俺の話を信じようとはしなかった。それどころか妻と娘の目はどこか遠くを見て、口からはラデニアを称える言葉が飛び出る。それを見て次は俺の番だと思った。……怖かったんだ。自我を失いあの女の人形になることが怖くて堪らなかった。だから家族を置いて……逃げた。軽蔑するなら幾らでもしてくれて構わない」
ゼナはダミアの悲痛の声に同情を禁じ得なかった。もし自分が同じ立場なら逃げずに抵抗できただろうか。今のように力を持ち、仲間がいるならばそうしただろう。けれど以前の力のない過去の燻った自分であったなら彼と同じ道を歩んでいた。
ゼナは彼の行動を責めることは決してしないし、できない。
「……では、質問を。一週間前に帰ってきた、という話ですがそれはどうして?」
「街を出て最初は精々した。あいつの魔の手から逃れて、恐怖から解放されていい気分だったのさ。だが日が経つにつれて後悔が押し寄せた。フロッサに残してきてしまった家族が気がかりになってな。
俺は旅の道中、腕の立つ冒険者を雇いここに帰ってきた。街はえらい静けさに包まれて、俺の知っているフロッサは失われたと悟り、そしてどうしようもない怒りが湧き出た」
ダミアはその時の情景を思い出したのか拳を赤くなるほど握りしめている。
「それから何が……」
「……巡回を潜り抜け、屋敷の侵入に成功した俺たちはラデニアを探して探索を始めた。そしてあの部屋に――っ!」
ダミアは途端に顔を恐怖で歪ませ頭を抱え震え出した。
「だ、大丈夫ですか!?」
ゼナが背中を摩ると徐々にだが震えが止まる。顔はまだ青白い。
「すまない、取り乱した。とにかく恐ろしいものを見た。何があったかはうまく言えないが……それに気を取られていたら背後にラデニアがいて、それから……記憶がない。気がつけばお前たちに助けられていた」
恐ろしいもの。きっと彼はラデニアの企みを見てしまったのだろう。催眠の魔力はこの街を魔力を集める餌場にした。住民は傀儡と化し、彼女の意のままだ。魔力を差し出せと言われれば……雑巾のように自らの体から絞り出す。
見知った顔のそんな姿を見たとすればむしろ催眠に掛けられてよかったかも知れない、とゼナは思ってしまった。
「ゼナ、そろそろダミアさんを休ませないと。だいぶ疲れてる」
リーズに言われて目をやると彼の額には脂汗が浮かび唇は蒼ざめている。
「すみません! 無理をさせて……」
「気にするな。俺の話は役に立つだろうか……」
「ええ、有益な情報です。後は僕たちに……必ずあなたの家族を、街を助け出して見せます!」
「はは、子どもに頼らなくちゃいけないなんて……大人として情けないな」
ダミアは深く息を吸って椅子についたまま眠りについた。
「リーズ、話をどこまで聞いていた?」
「大体は聞き耳を立ててたわよ」
「よし、じゃあとりあえず……ここでは話しにくい。上に上がろう」
ゼナが人差し指を上に立てるとリーズは露骨に顔を顰めた。
「まさか、あそこで話をするわけ? だったら出るのは意見じゃなくて胃液よ」
リーズはわざとらしく口元を抑える仕草を決める。
「でもここじゃあ、ダミアさんたちの邪魔になる」
「だったら外で話せばいいだろうが」
メイが二人の会話に苛立ったのが吐き捨てるように言った。
「あんた案外お馬鹿さんなの? 巡回に見つからないようにここに入ったんじゃない」
リーズはなんだか勝ち誇った顔をしてメイの意見を否定する。
「はっ、馬鹿はそっちの方だ。お前たちはラデニアにバレていないか心配しているが無駄なことだ。何故ならもうバレている」
メイの言葉に二人は顔を合わせて驚愕した。ここに来るまであの倒した見張りを除いて誰にも見られていないはずだ。バレているとは一体どういう意味だ?
「催眠魔法のような対象に持続的に発動する魔法はその効力が切れると術者に感覚的に伝わるのだ。我々はダミアの催眠を解いた。その瞬間にはもう筒抜けだ」
「じゃあ、どうして追手がこないんだ?」
ゼナは当然の疑問を投げつけた。
「おそらく奴はわたしの存在に気がついた。同胞を相手に下手を打てば痛い目を見るかもしれないと思ったのだろう。だから仕掛けてこない。我々の挑戦を待っている。獲物を待ち伏せする獣のように」
「じゃあ外に出よう。メイの言葉が真実なら何も起こらない。だろ?」
メイは当たり前だという顔をして、リーズは渋々の納得顔で一行は外に出た。
空は宵闇を告げて、暗澹に移ろうとしている。それはまるでこの先の未来を暗示しているみたいだ。馬車に乗る前から感じていた嫌な予感は拭えないどころか強くなる。
ゼナは遠目に聳え立つ屋敷を睨みつけた。あそこにラデニアに魅入られ囚われた人々が……。
「ゼナ、本当見たいよ! ほらっ、これ」
リーズの声に振り返る。
彼女の手には埋めた衛兵に被せたばけつが。
視界を解放された衛兵達はみじろぎどころか声一つあげず、ただ虚な目で真っ直ぐ前を見つめていた――かと思うとゼナの方にギョロリと目を動かし……。
「ラデニア様がお待ちです。どうぞお屋敷へ」
抑揚のない声で何度もそれを繰り返す。壊れた録音機のような役割を与えられた衛兵に不気味さと恐怖を覚える。
「……とりあえずもう一回被せよう」
「ほいっと!」
リーズはバケツを戻しそして……その上に腰を下ろした。彼女の肝の座った、いや、遠慮の無さはにはもはや尊敬と言わざるを得ない。などと何処かの魔力から出そうな皮肉を思いついている場合ではない。これからの事を話し合わなければ。
「これは奴からの大それた招待状ってわけだ。待ってろラデニア、その首を綺麗に洗っておけ。私がお前の全てを奪い去ってやる!」
高笑いを浮かべるメイを横目にゼナは言いようのない嫌な予感を消そうと努力した。しかし、それはいつまでも心の中に渦巻くのだった。




