46.静謐な楽園
どのくらい馬車に揺られ続けただろう。外の風景は殺風景な荒地から緑があふれ、多種多様な花を咲き誇らせる大地に変わった。鼻腔から体に沁み渡る、自然の吐息とでもいうべき草木と花の香りがとても心地がいい。あとはそよ風が奏でる音楽に身を預けられたなら最高だ。そう……この男の声さえなければそれは叶う。
「――であるからして、ラデニア様は我々フロッサの民の生きる理由なのです。おわかりになりましたか?」
「……ええ。十分すぎるほどに……」
ゼナは運転手の話をうんざりした顔で聞いていた。フロッサまでの移動時間でゼナはラデニアに関する話を延々と聞かされ、頭がどうにかなってしまいそうだった。真横で呑気に寝息を立てるリーズと体の奥に引っ込んだメイに腹立たしさが募る。
「……おや、見えてきましたよ!」
運転手の声につられて窓から顔を出す。土で舗装された道の終着点に花で彩られたアーチが見えた。その奥には感嘆を覚えざるを得ない豪勢な屋敷が街の主であると主張するように聳え立つ。きっとあれが領主の屋敷。ラデニア、催眠の魔力の根城。
「……わあー、すごい大きさね。領主ってのはあんな城みたいなのに住めるわけ?」
耳元に声、背中に重み。リーズがゼナに覆い被さるようにして窓から顔を出していた。
「……おはようリーズ、とりあえず重いからどいて貰え……痛っ!?」
ゼナが他意なくそう言いかけた瞬間、鋭い肘打ちが肩甲骨辺りに突き刺さり呻き声が漏れた。
「乙女にそれは禁句よ!」
乙女はあんな状況で快眠したりはしない。その言葉を発さないようにゼナはグッと呑み込んだ。今度は肘打ち所では済まされなさそうだから。
「催眠の魔力さんは随分な場所に構えたもんだな。引き摺り下ろすのが楽しみだ」
メイは不敵に笑いながらフロッサに目を向けた。
「おはよう……魔力はどう、高まった?」
「ああ、好調だ。ラデニアの話を延々と聞かされていたお前の表情もあってか、実に愉快」
ゼナはメイが何を言っているのかわからなかった。その言葉はまるで起きて隣で全てを見ていたような発言だ。
「哀れなお前に解説してやろう。私が完全に意識を落とすのは、魔力が底をつき回復の促進が必要な場合。もしくは久々に魔法を使ったあの時のように疲労した瞬間だ。それ以外の睡眠時は半分眠り半分目覚めている状態……つまり外の状態も把握できるのさ」
「じゃあ……段々と疲弊していく僕を君は痛快に観察していたわけか」
メイはお茶目なウインクを肯定のサインとして送った。
怒るほどの気力も沸かず、ゼナは座席に腰を深く沈ませ深くため息を吐き出す。
そんなくだらない話をしている内に馬車は花のアーチを通り抜けフロッサに到着した。
レンガ造りの小洒落た民家が立ち並び、その周りには必ず花壇が添えられている。さらには街頭に花の冠、歩道すらも花柄。さすがは花の楽園と言うだけはある。執念深いまでの徹底振りだ。
しかしゼナはこの楽園にどこか寒気を覚えていた。何かがおかしい……。
「何か静かな街ねぇ……」
リーズのポツリと呟いた一言に疑問が解けた。
人が見当たらない。あまりに閑散としすぎているのだ。現在の時刻は大体昼下がりの午後。まさかもう寝静まったとは言うまい……家に閉じこもっている? いや、それはない。ところどころの家はカーテンや窓を開け放っている。もし閉じこもるような精神状態ならそんな行為は許せない筈だ。
「お疲れ様です!」
ゼナがそんなことを考えていると、運転手は何かに声をかけた。急いで首を振り向かせる。そこには衛兵らしき者が一人、どうやら巡回中といった様子だ。
人っこ一人見当たらないわけではなかったが……。
馬車は衛兵の横を通り過ぎる。その時、衛兵はこちらを一瞥してきた。男の目は底の見えない虚で染まっていた。
「ねえ……あの人も……」
リーズも理解したようだ。この街全体がラデニアに支配されている。にわかには信じ難い事だが……十年以上の刻があればそれは不可能ではない。
果たしてフロッサの民はどこに消えたのか。その答えはきっとあの屋敷にある。
馬車は一度道を右に曲がり、馬車庫と思われる場所で停まった。
「どうやら我々が一番見たいですね!」
運転手のその発言は他の馬車の存在を指している。バテヴ以外の街にも催眠を施した馬車を向かわせ、言葉巧みに連れ去っているのだろうか。
「ささ、足元にお気をつけて。これからラデニア様の元へ案内いたします」
男はそう言うが二人は素直に従えずにいた。このまま行けば無策で敵の懐に飛び込むことになる。どうしたものか……。
「おい、ひとまずは指示に従え。私に考えがある」
そう言ったのはメイだ。彼女は不安を一切感じさせない自身に満ちた顔をしている。
ゼナとリーズは顔を見合わせ頷き、馬車から降りた。
「よし、二人とも耳だけ貸せ。今からこの男の催眠を解く。その為には誰にも見られる心配のない暗所が必要だ。さっきの衛兵に知られ、厄介事になっては困るならな。催眠は私とゼナで解除する。リーズは男を抑えつけ、口を塞げ。いいな? ……よし、あと数メートルで良さげな路地に近づく。私の合図で実行しろ……………………今だっ!!」
メイの掛け声に二人は素早く動いた。男がこちらの動きを悟る前にリーズは背後からヘッドロックをしかけ、そのまま側面の路地にバックステップで侵入する。ゼナは誰にも見られていないことを確信してそれに続いた。
リーズは膝裏を蹴り、抵抗激しい男を組み伏せ、寝技へと持っていく。足で動きを固め、男はリーズという磔に縛られた。締め上げられた男の顔は青白く、催眠を解く為とは言え少々不憫に思える。
「さすがだな。お前は優秀な誘拐犯になれるぞ」
「……それ褒め言葉のつまり? いいから早くやりなさいよ」
「言われなくても、ゼナ! こいつの瞼に手をかざせ」
「……手? わ、わかった」
戸惑いながらゼナは従った。男の両瞼に手を伸ばし、覆うようにかざす。すると掌に何かが伝わってきた。これは……。
「魔力……」
「そうだ。こいつは視覚から催眠魔法をくらった。催眠魔法というのは五感から伝達されることが多く、その中でも……」
「御託はいい! 結構踏ん張ってるんだから早く!」
メイの蘊蓄を顔を赤くしたリーズが遮った。話を削がれてメイは不満そうな顔をする。
「ゼナ。今から魔力を吸い取り魔法をとく。しっかりと魔力を捉え、内に流すイメージをつくりだせ」
目を瞑る。視界は暗闇へと沈んだ。その暗闇の中で光るものをゼナは見た。薄く淡い紫の摩耶。そうか……あれが魔力。
ゼナは摩耶を手繰り寄せ、そして飲み干すようなイメージを作り上げる。体に不快なものが流れこんできた。だがすぐにそれは消えた。どうやら体の中の住民が手早く済ませたようだ。
ゆっくりと目を開ける。目の前には安らかに眠る男の顔があった。
「や、やった!……のか?」
「成功だ。私にかかればこの程度たわいもない」
「それでこの後はどうするの? 街の衛兵もこんな感じで正気に戻していくわけ? 骨が折れるわよ」
「安心しろその必要はない。というより……できない」
メイは自虐的に笑った。
「できない? どうして」
二人には当然の疑問が浮かんだ。確かに運転手の男に比べて衛兵は厄介ではある。けれど不可能と断言するのはどうも彼女らしくない。ゼナは率直に答えを求めて聞いた。
「……催眠魔法というの言うならば潜伏する癌みたいなものだ。刻が立てば立つほどその効力を発揮し、対象の心を蝕む。この男が魔法にかけられたのはここ最近。だから解析に時間がかかり、そして解除は一瞬だった。あの衛兵はその逆、何年も前から催眠魔法を患っている。一目で魔法に掛けられていると判断できるが、解除は困難。というよりあそこまでいけば言った通り無理だ。術者を倒すしかない」
癌のようなもの……メイのその例えは言い得て妙だ。ゼナは深く納得した。催眠の魔力ラデニアはここ十年余りで花の楽園を我が物の支配下においた。魔王復活の為に。いや、それだけじゃない。この街に着いた時から感じ取れたものがある。悪意。そして愉悦。楽しんでいる。
まだ顔も見えないその相手は催眠という精神を弄ぶ魔法で人を、街そのものをおもちゃのように転がしている。
「……催眠に掛けられたのが最近ならもしかしたらこの人は事情を知ってるかも……」
リーズは寝静まる男を楽な姿勢にさせながら言った。
「そうだね。ともかく情報がないとどうにも動きづらい」
ゼナもその意見に納得した。最近まで魔法に掛けられていないということはずっと逃げ延びていたのだろう。……もしくは生かされていただけかもしれないが。愉悦の為に。だとしても魔法を解いた時点でこちらに武がある。
「リーズ。こいつの腹でも何でも殴って叩き起こせ。この時間が無駄だ」
「あんたは私を目覚ましかなんかだと思っているの? まあ、時間が勿体無いのは同意だけど……さっ!」
リーズは不満な顔をしながらも躊躇する事なく男の腹に拳を沈めた。
「うっ!?」
一瞬にして男は覚醒した。目を見開き腹を抑えて悶える。あれをくらった同志としてゼナは同情を覚えずにはいられない。
「な、なんだ!? どこだここ……お前ら誰だ!?」
男は酷く混乱している様子だった。しかし彼の瞳には光が宿り、声の抑揚も実に人間らしい。こちらが本来の人格なのだろう。
「突然すみません、乱暴な真似をして。僕たちは今、あなたにかけられた催眠魔法を解いたのです」
ゼナの言葉を男はすぐに飲み込み、悔しそうに項垂れた。やはりよく事情を知っているようだ。
「お疲れのところすみませんが、話を聞かせてください。僕たちはあなたを……この街を救いにきました!」
ゼナは男を安心させるように笑みを溢した。




