45.楽園への道筋
ラデニア
「――魔王の魔力。次の敵はすぐそばにいたようだ」
メイのその発言はゼナとリーズに衝撃を走らせた。
「どういうこと……あの馬車にそんなもの特に感じないけど」
リーズが目をつむり神経を馬車に向けるが手ごたえを得られない。
「いくらお前でも無理だ。あの馬車にいるのはあくまでただの人間だからな」
魔王の魔力。なのに人間。二人はますます混乱した。
「まあ、急くな。ちゃんと説明してやる。あの馬車の人間には魔方がかけられている。よく観察しないとその詳細まではわからないが……おそらくは微弱で単純な術式だろう。だから魔王の魔力を取り込んだばかりのお前では違和感に気づかない。その点、純粋種の私は微かなものでも見つけ、拾い上げられるわけだ」
最後は溢れ出る自慢げな顔でこちらを見た。
「はいはい、あんたがすごいってのは伝わった。それでどうするの? あれに乗り込むわけ? 言った通り、あれはシィフィム行じゃないわよ」
「それにきっと何かの罠かも……人を魔法にかけて何かを企んでいる……」
ゼナは心の奥から悪い予感を覚えた。具体的に説明しろと言われれば難しい。だがどうしようもない不安が心の中に溜まっていく。
「罠だろうな。けど、罠と知って飛び込むんだ。無策無知よりも圧倒的な優位性を持つ。それに我々の目的は魔王を倒す為に魔王の戦力を削ぎ、その力を我が物すること。こいつは降って湧いた好機さ」
「ま、私は賛成かな。どうせ戦うなら早めに片付けた方がいいでしょうね」
リーズはメイの意見に寄り添い、相性の悪い二人の気が合った。これにゼナの意見で反論するのは難しい。妥当な理由が浮かばない、ただの予感なのだから。
「……そうだね。僕も賛成だ」
ここは首を立てに振るしかなかった。
「よし、では行くぞ!」
一行は件の馬車へ歩みを進めた。
「いらっしゃいませ! こちら花の楽園フロッサ行馬車でございますっ!」
明るい男性の声が馬車の運転席から聞こえてきた。
ゼナは魔法にかかっているというこの男を少し観察してみた。歳は三十代と言ったところ。目鼻立ちは柔らかく親しみを覚える。こちらに向ける笑顔もそれを手伝っている。しかし……その笑顔がどうにも不気味だ。まやかしの笑顔。まるで無表情の仮面の口角を無理矢理引き伸ばしたような……。
そして、その不気味さを後押しするように瞳は奥にいくにつれ濁り、虚ろである。
これがかけられた魔法の効果なのか、今の所はわからない。仮にそうだとしたら今度の相手はバーニンガのように力押しでくる者ではない。きっと狡猾で悪逆な……。
「お客様? わたくしの顔に何か……」
馬車の男は困った顔で聞いてきた。
「い、いえ……別に……あの! フロッサってどんなところですか? 僕たち興味があって」
ゼナの誤魔化しの言葉を聞いた瞬間、男は顔をほころばせた。
「でしたらどうぞお乗りください! 道すがら花の楽園フロッサについて、さらにその領主を務めるラデニア様について、心ゆくまでご教授させていただきます。お話を聞いて頂ければ料金は無料で構いません!」
ラデニア……そいつが術者にして魔力の宿主なのだろうか。それにしても……話を聞くだけで運賃はいらないとは怪しさ満天である。そうまでしてフロッサとやらに連れて行きたいのか。
花の楽園とその領主……危険な香りしかしない。今ならまだ間に合う。ここは一度作戦を練ってから――
「ゼナー! 何してんの、乗りなよ」
ゼナが頭を悩ませている間にリーズはとっとと馬車に乗っていた。素直。というか危機感のない行動だ。ゼナは眉間を抑え込んだ。
「どうしたの? 乗るんでしょ」
「そうだけど、もっと慎重に……」
ちらりと運転手に視線を移す。男はにこやかな笑みでゼナが乗り込むのを待っていた。
「早く乗れ、ゼナ。こんなチャンス逃すわけにはいかないんだ」
メイも急かす。さらに意見しづらい状況になってしまった。三対一では叶わない。ここは罠に乗っかるより道はないようだ。
「ありがとうございます。それでは花の楽園フロッサに向けて出発いたします」
運転手の男はより口角を裂く。ゼナにはどうにもその笑顔が獲物を捉えた歓喜の表れに思えてしかたがなかった。
「私が間を持たせとくから、魔法の解析は頼んだよ」
リーズは耳打ちで囁いた。
彼女の一見考えなしの行動は実は意味を持っていた。そうだ。この時点で敵の魔法、正体が判れば対応はいくらでも思い浮かぶ。先の行き当たりばったりさと己の臆病もあって、慎重に沈みすぎていた。時には彼女のように大胆に切り込むことも必要だ。それが必ずしも危機に直結するわけではないのだから。
ゼナは心の中で静かに猛省した。
「フッ、脳筋女にしては気がきくな」
メイが無礼千万に笑い、その笑顔にリーズは無言で拳をチラつかせた。
このままでは僕の顔面が殴られそうだ。ゼナは嫌な未来を想像した。
「よし、では始めるか。ゼナ、お前はなるべく無意識の状態を維持しろ。雑念があるとこの手のは解析しづらい」
雑念呼ばわりにムッとしたが、下手に反論して運転手に怪しまれてもいけない。ゼナは大人しく目を瞑った。
「運転手さんっ! 早速聴かせてちょうだい、フロッサの話」
「ええ、是非とも。我らが楽園、そしてそれを治める領主様について……」
男は子どものように目を輝かせて話を始めた。
花の楽園と呼ばれる街フロッサはバテヴを北西よりに進んだ場所にあります。
フロッサはかつて、ただの花の群生地でしかありませんでした。そこにフロッサの産みの親である初代領主様が現れます。
彼は花畑に一目惚れをし、そこに屋敷を建造しました。しかし、それだけでは不満だった。この美しい光景を自分独り占めなんて勿体無い。そう考えた彼は屋敷から道、道から住居を造り、そして人々を呼び寄せました。こうして華の楽園は完成し、今この時代まで生き続けているのです。
「へぇー、この目で見るのが楽しみだわ」
リーズはなるべく内なる感情を出さない返事で答えた。
花畑と聞くとどうしても厭なものを思い出してしまう。過去の傷を。もしこの負の感情を隠す事なく、崇拝迸る男に向けたらどうなるか……。きっとろくなことにはならない。ここは大人しく聞き手に回ろう。リーズは決心した。
「続きましてはラデニア様についてお話しいたしましょう」
ラデニア様は我が街フロッサを治める領主様にございます。彼女はまだ二十四とお若いながらその座につき、フロッサの為に日々奮闘しておられるのです。しかし、それには涙なしでは語れない理由が……彼女の父親、つまりは領主様です。以前は彼がフロッサを治めていたのですが、ある日……約十年ほど前でしょうか、病に倒れ伏せてしまったのです。それから寝たきりの生活を……フロッサの街は悲しみに包まれました。ですがそんな時、ご令嬢であるラデニア様が立ち上がったのです! 彼女は猛勉強を重ね、政治を学び、見事に街を統治して見せました。その彼女の姿勢に我々も沸き立ち、以後民は彼女の為に、彼女は民の為に……。絶望から尊い絆が生まれたのですっ!
男は涙を流し、ラデニアに向けて感謝を捧げた。
リーズはそれを冷え切った目で見つめていた。
本人は至って普通の話をしているつもりなのだろうが、こちらからしてみたら狂信者が教祖を布教しているように思える。
それにしても……十年前か……。
リーズはメイの話を思い返した。
十四年前に魔王が敗れ、そして魔力を世界中にばら撒いた。魔力は意思を持ち、人間を乗っ取り魔王復活の為に暗躍する。おそらく今回はラデニアという奴に魔力が乗り移った。きっと領主が病で倒れたのも偶然ではない。街を意のままにしようが為に。バテヴの実質的支配者となったバーニンガと同じだ。
しかしながらどうしても解せない部分がある。
いくら街の悲しみを拭ったからと言ってもここまでラデニアを崇拝するだろうか? 男の言動は常軌を逸している。
「解析終わったぞ」
頭を悩ませていると声がした。
「……こいつはどんな魔法に掛かっているの?」
リーズは声を潜めて聞いた。
「この男にかけられたのは催眠魔法だ。ラデニアという者への崇拝、そして人をフロッサに連れ去る命令が術式に刻まれている」
「……っ!?」
リーズは溢れそうになった声を抑えた。
催眠魔法。なるほど……それならばこの狂信具合も頷ける。
「リーズ、話は大体聞いた。今度の敵は厄介そうだ」
ゼナが小声で囁いた。
「聞いたって……あんた無意識に落ちていたんじゃ……」
「あの人の話し声がそれを貫通して入ってきたんだよ」
「おかげでやり辛くて仕方がなかった」
メイは運転手を睨みつけた。
「まあ、とにかく話を聞いてたなら説明が省けて助かるわ」
リーズはほっとして座席に腰を深く沈ませた。
「……敵は催眠魔法か。お前注意しろよ」
メイがゼナに指を刺す。
何故、と質問しようとしたその時、メイの言葉の意図が理解できた。ゼナは催眠魔法と似たものを既に経験済みだったからだ。
『チャーム』
武闘大会でのラビリとの一戦でゼナは意識を乗っ取られ、メイは苦渋を舐めさせられた。そのことを危惧しているのだろう。
「わかってる。今度は……大丈夫さ」
「だといいがな。まあ、あれはお前の女への耐性の低さが招いた事だ。催眠魔法は精神の弱さにつけ込んでくる。お前ならその点はあまり心配していない」
めずらしく褒めるような言葉をかけられ、ゼナは呆気にとられた。メイがそんなことを言うなんて、一体どういう風の吹きまわしだろうか?
メイの褒めるような言葉、これは嘘でもおだてでもなく率直な感想であった。バーニンガ戦で、身一つで戦い抜いた根性に人目置いているのだ。あの無茶としか言えない行為を考えつき実践した人間の精神は簡単な事では折れない。メイはそう思った。もちろんこのことをゼナに伝える気は毛頭ない。ゼナ を調子に乗らせるのは癪だからだである。
「むしろ不安が大きいのはリーズの方だ。お前は脳筋の割に精神が打たれ弱い。そこを付け狙われると厄介だ。だから――」
「……すぅ……すぅ……」
「………………」
「……この図太さなら大丈夫そうだけど」
リーズは気持ちよさそうに寝息を立てて夢の世界に旅立っていた。
「こいつは……人がせっかくアドバイスしてやろうと……はあ、何だか萎えついた。私も寝る!」
「え!?」
「どうせフロッサに着くまではすることもないし、魔力を高めておくほうが建設的だ……ああ、お前は起きていろよ。何かあった時に対応する為に。じゃあな」
メイはゼナの胸の奥に引っ込み静かになった。
二人が寝静まったことにより馬車は気まずさに包まれた。もっともその気まずさを感じているのはゼナだけだ。
運転手は未だに譫語のようにラデニアの事を語っている。こちらが話を聞いていようがいまいがお構いなしといった様子だ。背後から覗ける瞳は相変わらず虚と狂気を孕み、もしたった一人でこの馬車に乗っていたならその狂気に呑まれていたことだろう。
ゼナは懐から地図を取り出し外の風景と照らし合わせる。現在地はまだバテヴよりでフロッサに近いとは言えない。馬車のペースから到着時間を算出した。
約一時間……フロッサに辿り着くまで少なくともその時間を要する。つまりその間この運転手と二人っきりである。
人生初の馬車体験に浮ついた気分が急速に冷めつくのを感じた。
どうか何事もなく花の楽園に着きますように。
ゼナは運転手に負けじと祈りを捧げた。




