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ゼロの旅路  作者: イフ
38/134

38.煉獄の過去

 

 技巧の街、リディア。そこのある鍛冶屋の一人娘として私はこの世に生を受けた。


 父は職人気質でぶっきらぼう。家族よりも仕事を愛しているような人間だった。反対に母は元気で人懐っこい性格。そんな二人から産まれた私はごく普通の少女であった。七歳の時までは。


 私は父の鍛冶仕事を見るのが日課だった。笑顔の少ない父だが、この時だけは笑みを浮かべる。そんな父が好きで私は毎日彼を見ていた。けどそれだけが理由ではない。鉄を赤く熱す灼熱の炎。私はそれにどうしようもない魅力を感じていた。


 ある日私は父に頼み込んだ。私にも鍛冶をやらせてほしいと。父は首を縦に降らなかった。それも当然だ。

 長年培った技術を用いる仕事を自分の子供とはいえ、そう易々とは教えられない。当時の私はまだ七歳。父の鍛冶には魔法が必要不可欠なのだ。ただの火では幾ら打ち込んでも鈍らなものにしかならない。


 代わりに父は私に特等席を作ってくれた。その場所は父のやや隣。火の粉が降り掛からないギリギリの所に椅子が設けられた。少し不満を覚えながらもそれが父なりの不器用な優しさだと知り、私は素直にそれを受け入れた。


 それからも私は父の鍛冶を……炎を見続けた。日を重ねるほどに火への想いは強くなった。



 私は父の鍛冶を見るのが好きだったがそれだけをしていた訳ではない。年相応に同じ子どもたちと遊んだりもしていた。


 私は元気な性格を母から引き継ぎ、わんぱくで勝気な娘であった。よく遊んでいたのは女の子よりも男の子。おままごとよりもチャンバラごっこ、といった具合だ。


 

 その日もいつものように遊んでいたのだが、ガキ大将を気取る男の子が皆を集めてコソコソと話し始めた。


『お前ら、今日は森の奥を見に行こうぜ』


 私たちが当時遊んでいた森は薄弱で無害な魔物が多少見られる程度の場所だった。それに対して森の奥はそれを食らう魔物が闊歩しているという噂が。


 この提案に普段は強気な男子達は怖気付く。提案したガキ大将も単騎で踏み込むほどの無謀な勇気がある訳ではなかった。



 私たちの空間に気まずい沈黙が流れる。それを打ち破ったのは私だった。真っ直ぐに手を伸ばし、彼の提案に乗った。周りの男子は驚き、ガキ大将自身も驚愕する。まさか幾ら男勝りとは言え、二の一番に乗ってくるとは思わなかったのだろう。


『なに? 文句ある?』

 私は挑発気味に言ってやった。プライドの高いガキ大将はすぐに顔を真っ赤にする。


『も、文句なんかねえよ! おいお前ら!! 女のこいつが乗ったんだ。お前らも行くよな!?」

 脅しと懇願が混じり合った叫びで周りの男子を焚き付ける。

 ガキ大将の声に渋々首を縦に振る。崖っぷちの男のプライドが勝ったらしい。


 私たちは恐る恐る森の奥へ進んだ。嫌々ながら足を運んだ男子たちはぶるぶると体を震わせている。歯と歯がカチ合う音が森に響く。ガキ大将はそんな彼らを嘲笑ったが、彼の声も恐怖を隠せていない。


 森は不自然な程の静謐を保っていた。普段見かける魔物が見当たらない。


『な、なんだなんもいねーじゃん』

 頗る安堵した声が群から漏れた……その時、がさりと草が揺れ動く音。皆一斉に音の方向を向く。


 草むらから黒い四つ脚の魔物が覗いて見えた。綺麗に生え揃った漆黒の体表。それを用いて闇に紛れ、鋭利な爪で獲物の肉を削ぎ、蹂躙し、貪り尽くす。

 名はパンサルト。別名、"夜の殺戮獣"


 しかし、今は真っ昼間。何故この時間にパンサルトが……。

 などと考える余裕も知識も子どもの私たちにはなく、ただ目の前の光景に恐怖するだけだ。


 パンサルトは絶賛食事中であった。口元に新鮮な血肉がこびりついている。ぐちゃぐちゃと肉を喰らう厭な音が静けさを打ち破る。


 突然その音が止んだ。パンサルトは気づいたのだ。私たちの存在に。ゆっくりと首を捻りこちらに視線を合わせる。そして、血に染まった舌で舌舐めずりをした。それは獲物を決めた合図だ。


 男子とガキ大将は顔を真っ青にして脱兎の如く逃げ出した。もはや男の維持や尊厳などかなぐり捨てた泣き顔が遠ざかっていく。


 一方の私は逃げなかった。いや……逃げられなかった。先頭を歩いていた私は肉を屠る獣と目があってしまったのだ。その慈悲など何一つない獰猛狂気な眼球に、私の体は打ちつけられた釘ように固まった。


 パンサルトは辛抱たまらずといった様子で、私に飛びかかってきた。視界いっぱいに黒い獣が映る。


……ああ、死ぬんだ。


 幼い私でもこれから訪れるものが理解できた。せめてその光景を見まいと瞼を下ろしたかったが体は恐怖に身を凍らせてぴくりとも動かない。


 獣の牙が私の眼前まで差し迫ったその時、何かが横から飛んできた。それはパンサルトの横っ腹に直撃し、呻き声を生んだ。


 パンサルトは吹っ飛ばされ、大木に打ちつけられ……そして()()()


 私は何かが飛んできた方向に首を向けた。そこには一人の男が佇んでいた。男は無表情のまま放った拳を納める。そして私を品評するように見下ろすのだった。


『あ、あの助け……て……くれたの?』

 恐怖から解放され、絞り出した声で私は聞いた。

 男は答えない。変わらず私を見下ろす。


 がさっ。


 横からまた音がした。その方向に目を向ける。


 草の根を掻き分けて黒い影が現れた。それは……パンサルトだった。


『も……う……いっぴ……き』

 再び体は硬直した。私は男に視線で助けを乞う。だが、男は動く素振りを見せず腕を組んで樹木に背を預けた。


 男に攻撃の意志がないのを確認したのか、夜の殺戮獣は揚々と私に飛び掛かる。死が再度降りかかる。


 どうする……どうすればいい?


 せっかく助かった命が今消えようとしている。こんな森の奥で、魔物の一振りで。そんなの……。


 そんなの、悔しくて堪らない!!

 

 私は死の恐怖から這い上がった。無我夢中でパンサルトに向けて拳を放つ。


 決して勝てるとは思っていない。ただこのまま死ぬのはごめんだった。死ぬのなら、一矢報いてからだっ!!


 その時、私の放った拳が熱くなった。赤く光りゆらゆらと蠢く。炎だ。私の拳に炎が生まれた。


 拳の炎はパンサルトに直撃し、吹っ飛ぶ。そして毛並みの良い体を炎で染め上げた。獣の悶え苦しむ声が森に響き、やがては消えた。



『ふふふ、ふははは、はははははっ!!』

 男は私を見て大いに笑い、こう呟いた。


『見つけた』

 その一言が何を意味していたのか当時の私にはわからなかった。只々、現出した力に慄くしかなかったから。



 男は私に手を差し伸べる。私は迷いながらも掴み取った。これがあの男、バーニンガとの出会いであり、私の人生の歯車が狂い始めた瞬間。


 ――あの手を取ってはならなかった。



 その次の日から、私は魔法を自慢してまわり、街でちょっとした時の人となった。何せ幼くして魔法を扱ったのだ。中には魔法の歴史が変わると息巻くものまでいた。けれど、それはいい過ぎだ。多分どんな歳であろうと魔力はいつもそばにあるのだ。きっかけが必要なだけ。私はそれが命の危機だった。



 私はあの日以降、同年代の子どもたちと遊ばなくなった。私を置いて逃げた彼らに失望した……という理由は建前。私は一人で森の奥に忍び、バーニンガに会いに行っていたのだ。そこであの男に魔法の修行に明け暮れた。


 私は魔法をもっと昇華させたいと思った。その理由が両親だ。

 私が一番に魔法を見せた相手が父と母。二人は私の魔法を見てもいい顔はしなかった。ぶっきらぼうな父が関心を示さないのはなんとなく予想できた。だが、なんでも褒め称えてくれる母が笑顔を見せなかったのは意外でしかなかった。


 今ならその理由がわかる。幼い私にとって魔法とは過ぎた力だったのだ。それで私が破滅してしまわないか母は不安だったのだろう。


 私はそんな母の心配を読み取らず、もっとすごい魔法が使えれば母も笑顔になる。そう解釈した。してしまった。



 私の狂い始めた歯車が完全に軋み砕けたのは魔法を覚えてから一ヶ月が経った頃だ。


 私は母とともにピクニックに出掛けていた。街から少し離れた美しい花畑がある森。そこはバーニンガがいた場所のように凶暴な魔物はいない平和の象徴のような場所だ。


 母と一緒に作ったサンドウィッチを食べ、花を愛で、たわいもない会話を挟む。実に幸せな時だった。


 けれど、それを打ち壊すものが現れた。

 花を踏み荒らし、汚らしい涎で汚す。


『あいつは……!』

 夜の殺戮獣が再び昼間に、それもこの平和そのものの場所に現れた。


 パンサルトを前に母は恐れ慄き、私の手を引っ張って逃げようとした。私はその手を優しく外す。


 今の私には確信があった。


 ――勝てる。


 あの時とは違う。魔法がある。それにただの魔法じゃない。バーニンガの力を与えられ強くなっている。そして私自身もそれに釣り合うように鍛えた。


 私は拳を引き闘いの構えをとった。


 パンサルトは勢いよく飛び掛かる。私はそれに向かって地面に滑り込む。視界にパンサルトの腹が映った。


 拳に魔力を集める。拳は熱を帯び、やがては炎に生まれ変わった。炎の拳は夜の殺戮獣の腹にめり込み、そのまま火葬まで連れて行った。


『どう、お母さん! わたしの魔法すごいでしょ!!』

『リーズ……』

 母は私の魔法を見て驚き、そして褒めてくれると思った。しかし、そこには相変わらず恐怖に染まった顔。何故? 魔物はもう――

 


『う、後ろ……』

 母は震える指で私の背後を指し示した。

 振り返る。そこにはパンサルトがいた。


 今まで見たものよりも一回り大きい個体。見ているだけでもすくんでくる。


 私はここで初めて冷汗をかいた。これはまずい……。

 なまじ、力を持ったから理解したのだ。相手の実力を。勝てる未来が浮かんでこない。しかし、腰を抜かした母を連れて逃げるのも不可能だ。だったら――


 今ここで戦うしか道はない。


 私はバーニンガとの会話を思い出した。


『俺が与えた力は全てを焼き尽くす。お前が扱えるのかどうか楽しみでならない』


 私は深呼吸をして、拳を全力で握りしめた。魔力を集める。拳が熱を帯び、やがては灼熱に至って肘辺りまで伝播した。私の腕は焼き入れされた鉄のように赤い。


 大きいパンサルトは黙ってその様子を見る。私の攻撃を真正面から受け取る気だ。


 やってやる……この炎を私のものにして母を救う。私の心も燃え盛った。


 私は煉獄の炎を放った。


 


 私が今見ている光景が現実が疑いたかった。けれど、両腕に宿り揺らぐ炎が現実であると突きつける。

 

 母とともに出掛けた花畑は今、地獄と化していた。花は焼き焦げ、樹々は灰に染まり、草原は炎を絶やさず燃やす燃料のようだ。


 この炎は私が生んだ。私が放った攻撃はパンサルトに直撃し、そこが爆心地となってこの惨状と化したのだ。大好きだった場所が無慈悲にも焼けていく。


『あああああっーー!!』

 その時苦しみ喘ぐ悲鳴が聞こえた。振り返る。


『ああ……そんな……』

 弱々しく呟いた。私の目に火だるまになった母が映った。


『お母さんっ!?』

 私は母を助けようと近寄る。けれどそれが無理なことだとすぐに悟った。私の手は未だに炎を紡いでいる。この手で母に触れることは出来ない。目から熱い液体が流れる。それもすぐに蒸発して、悲しむことすら許されない。


 母はこちらに手を伸ばし、何かを口走っている。その言葉は炎に遮られ、私には届かない。



 ……私は魔法で母を殺してしまった。母に自慢したかった魔法で。母に褒めて欲しかった魔法で。


 私は一人慟哭した。その声も大地が焼き焦げる音に呑まれて消えた。



 気が付けば私は家のベットに寝かされていた。両腕には包帯が巻かれていた。


 あのあとどうなったのか。それは父が教えてくれた。母を失った悲しみを背負いながらも気丈に真実を伝えてくれた。


 森は黒焦げになり、私の大好きな美しい花たちは私の魔法で蹂躙された。母は……母の体は原型もなくただの灰になったという。当の私は腕だけに火傷を残して倒れていた。現場を見たものは何とも奇妙に思えただろう。


 正に地獄のような体験をした。けどそれは始まりの火に過ぎなかった。


 私は努めて普段と同じ生活をしようと決めた。それは父がそうであったから。

 父は私に重荷を背負わせまいとしていた。それに私は応えたかった。


 鍛冶仕事する父の背中を見ながら私専用の椅子をもって近づいた。はずだった。けれど足は待ったく動かない。体はぶるぶると震え。目は血走る。呼吸が乱れ、胃の中のものがこみ上げた。



 私は炎がトラウマになっていた。大好きな父が生み出す炎がどうしてもあの日母を救い殺した魔法を思い出させる。


 それからの私は自室に籠るようになった。火が決して生まれない空間が唯々心地よかった。父はそんな私を咎めはしなかった。きっと父もどうすればいいのかわからなかったのだ。妻を殺したのが娘という現実に。


 日々を何も考えずに過ごす。一日中天井を眺め無を想像し、過去を見ないように生きた。けれどもどうしようもなくフラッシュバックする瞬間がある。そのときはっと思い出した。あの男はどうしている?


 あの男とはバーニンガのことだ。私に強大な力を与えた存在。最後にあったのはいつか思い出せない。あの男は何者だ? なぜ私に力を与えた? 会いに行かなければ。


 私は重い足を動かし自室の窓から宵闇へと駆け出した。



 どこにいるかなんてあてはない。それでも私は駆けた。


 そしてたどり着いたのはあの場所。もはや誰も立ちよることはなくなった私にとって忌まわしき地。二度と訪れることなどないと思っていたが誘われるようにここへ。


『よお、リーズ』

 背後から声がした。あの男の声だ。


『久しぶり、でもないか』

『…………ねぇ、教えてよ』

『ああ?』

『どうして私に力を与えたの!? あんなものがなければ……お母さんは……」

 私はボロボロと涙を流しながらバーニンガに詰め寄った。そんな私をバーニンガは冷たく見下ろす。


『俺は俺の魔法を、炎を紡げる人間を探していた。お前は命の危機で幼いながらも魔力を発芽させた。お前なら……と思い魔力を与え鍛えあげた。けど、俺がけしかけた魔物を前に暴走。結果としてそれはお前にトラウマを植え付け、魔力を体の奥底に封じ込めた。実に残念遺憾でならない』

 バーニンガは深く溜息をついた。


『おれがけしかけた……? あなたなの? あんたが魔物をここに……?』

『ああそうだ。お前の現状の実力を知りたかった。だが誤算だったよ。リーズという人間は俺の求めるものじゃなかった」

『ふざけないでよ……お、お前のせいでお母さんは!!』

 私は涙と怒りで顔をぐちゃぐちゃにしてバーニンガへと掴み掛かった。


『お前のせいでお母さんは死んだんだ!!』

『ふはははっ!』

『何がおかしい……!』

『とんだ責任転嫁だな。母親を殺したのは、焼き殺したのはお前だろ? リーズ』

『ち、違う! お前さえいなければこんな――』

 途中で息が詰まった。バーニンガが私の首元を掴み持ち上げたのだ。


『いいや? お前のせいだ。お前があの時魔力をしっかり扱えていれば母親は助けられた。全てはお前の弱さが招いたことだ!!』

 バーニンガの言葉。それは私の心を暗い闇へと汚染させた。


『最後のチャンスだ。今ここで力を発揮しろ。俺が憎いだろ? 怒りで炎を呼び戻せッ!!』

 バーニンガは空いたもう片方の手に炎を灯し、私に近づける。私はどうすることもできず、恐怖に喘ぎ嗚咽するだけだった。


『全く期待はずれだ。やはり人では無理だったか』

 バーニンガは手を放し地面に突っ伏した私をゴミくずを見るような目で蔑む。


『じゃあな、リーズ。お前は殺す価値もない役立たずだったよ。精々親殺しの異名に苛まれて生きるんだな。ふはははっ!』

 バーニンガは去っていった。後にはあの男の笑い声だけが残響した。


『………………』

 私の心はバキバキに砕かれかき乱された。できることなら私もここの黒焦げの大地と同化して全てを忘れられたらと思う。でもそれはまだだ。私にはやることができた。確かに母を殺してしまったのは私。それは揺るがせない事実。けど、その要因を作ったのはあいつだ。あの男だ。


 私はあの男を殺さなければならない。母を殺めた罪を背負って生きるためにはケジメをつけなければ。


 私は決意し、それから鍛錬の日々が始まった。バーニンガを殺すため、覚悟を決めるため、自分を痛めつけるように鍛えた。父はそんな私を止めたが、私の目の奥にあるものを見てたじろぎ退いた。きっとその目は愛らしい娘のものではなかったのだろう。



 七年の自己鍛錬を終えた私は故郷を後にし、バーニンガを探すための旅を始めた。旅の途中にも鍛えることは忘れず、時に立ち止まりそうにもなったが、不屈の闘志で前に進んだ。


 そしてたどり着いた。復讐の相手が目の前にいる。なのに……なのに……!



 どうして私の体は動かない!?

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