33.メイ=アストリア
視界を淡い桃色の光が覆い尽くした。それは一瞬の出来事であったがゼナ目にはとても色濃く映った。
今の光は……そう疑問を口に出そうとした時、頭が妙に浮ついた。考えがうまくまとまらない。僕は今何を考えていた? そもそも僕は何をしていた、何をすればいいんだっけ?
わからない。誰か教えてほしい。
僕は頭を抱えて叫びたかった。しかし、目の前の人物を見とめた瞬間、それはできなかった。
今、目の前にいるのはラビリ……様だ。そうだった。僕は彼女の忠実な下僕なのだ。どうして忘れていたのだろう。僕は彼女の命なしには何もできない存在。ラビリ様の為に僕はある。
ああ、ラビリ様、どうか僕にご命令を! あなたのためなら僕は命だって投げ捨てます!!!
「おいッ! 目を覚ませ馬鹿野郎!!」
メイは張り裂けんばかりの怒号でゼナを呼ぶ。しかし、その声はもう、魅入られた少年には届かない。
「くそッ! 外からダメなら……」
メイはゼナの中に入る。内側からならゼナの意識を取り戻せると思った。
「これは……」
ゼナの体の中でメイは狼狽した。ゼナの意識がどこにもない。あるのはラビリの魔力だけだ。最初にくらった遅効性のチャームが侵食を始めていた。
「考えろ考えろ、こんなことで敗北を味わってたまるかッ! 何かあるはずだ……」
メイは頭を抱え、妖艶の中で必死に考えを巡らせる。
「ウフフ、どうかしら私の魔法は? あなたは今とても気持ちのいい気分になってるはず。そして私に尽くしたいという欲求で満たされているそうでしょ?」
ラビリが蛇のような絡みつく手つきでゼナの顎をさすりながら、耳元で囁く。
魔法にかかった少年の顔は完全に蕩けてしまっている。
「坊や、あなたは私のなに?」
「僕はあなたの下僕です!」
「下僕にそんなもの必要ないわよね」
ラビリはゼナが握っている剣を見た。
「はい、その通りです!」
ラビリに言われるがまま、ゼナは剣を投げ捨てようとした。けれども剣は簡単に離れなかった。まるで誰かに握らされているように。
何故自分は剣を握っている……?
剣を持つ理由は……戦う為だ。
誰と? それは……。
「どうしたの坊や、そんな危ないもの早く捨ててちょうだい? これから始まる欲望と快楽にまみれた時間に武器はいらない」
ゼナはラビリの言葉を聞き、目を見ると、今何を思ったのかすっかり忘れてしまった。きっとくだらないことに違いない。
ゼナは剣を遠くへ投げ捨てた。
「よくできました。えらいわ」
ラビリの言葉が触手のように絡みつく。彼女が一音発する度にゼナの心はどこか遠くへ行ってしまう。
「坊や、あなたは私の椅子。そうよね」
ラビリが唐突にそんなことを言い出した。もちろん、下僕であるゼナは反発一つせず、砂岩の地に手足をつけ椅子と化した。
「ふふっ、とても座り心地がいい椅子だこと」
ラビリは無遠慮にゼナに座り、観客に向かって投げキッスなどのパフォーマンスを始めた。彼女の姿に会場の男衆が湧き上がる。
「ああ、やっぱりこの瞬間が一番気持ちいい……坊やにはわかる? 誰も彼もが私に視線を送る。愛っていうのはなんて尊いものなのかしら。
けどね、私が一番快楽を得られるのは好意の愛じゃない。あなたみたいに私の魔法で堕ちた男からの愛情が、崇拝が、敬愛が私を一番満たしてくれる。
特にライオネルみたいな男を堕とした時がたまらないの。色に惑わされないって顔をしておいて、奥底では欲望が渦巻いている。それを私がちょっと触れれば瓦解して、私の愛の奴隷になってしまう。愉快で堪らないわ。
あなたは逆に簡単すぎて物足りないって感じ。まあ、まだ子どもだもの仕方ないか。これも人生経験ね」
ラビリの話を椅子と化したゼナは蕩けた顔で聞いていた。未だ意識は遠い彼方。
「……もっとあなたで遊びたいけど、私は早く決勝に進みたいの。チャンピオンを堕とせたら私の評判にも箔がつくじゃない? だから……愛しい主人からの命令、私を勝たせるための言葉があるでしょ坊や?」
甘く婀娜っぽさのある声が耳から入り、脳に到達する。
「はい、ラビリ様!」
何の抵抗もなくゼナはハキハキと答える。
「ふふっ、みんな聞いてちょうだい! 私の下僕ちゃんから話があるって!」
ラビリが高らかに観客にそう言うと、騒がしさが失せた。皆ゼナの言葉を、降参の一声を待っている。
ライオネルもこうして敗北した。意思を魔法で絡め取られ、嬉々として負けを宣言するのだ。そして魔法が解ければ後に残るのは虚無。悔しさを感じることもできず、自分の名前にバツ印をつけられたトーナメント表を見て絶句して終わるしかない。
「観客の皆さん! お聞きください!」
ゼナは椅子になりながら、腹から声を出した。静けさで満たされた会場全体に聞こえる声だ。
「僕は……」
誰もがゼナの完敗を、ラビリの完勝を悟っていた。たった一人? を除いて……。
「こうさ…………するわけないだろうがぁッ!!!」
予想外の言葉が飛び出し、観客もラビリも驚く。
「ふざけるなよ……いいように扱いやがって」
さっきまでの蕩けた表情から一転、ゼナの顔は憤怒で満たされていた。
「な、何を言って……わっ?!」
困惑するラビリは無様に地面に落ちた。椅子であったゼナが立ちたがったからだ。
「どうなってるの?! 魔法は完全に効いていたはず……」
「ああ、効いていたさ。この思春期のガキにはなぁ……ここからはそうはいかんぞ。そのご自慢の顔を半壊させてやる!」
「何々?! 性格まで変わってるじゃない……」
ゼナはまるでメイのような語気を飛ばす。それもそのはずだ。今、ラビリの前に立っている人間はゼナであってゼナでない。
ゼナがチャームに掛かってからメイは打開策を必死に考えた。完全に魔法に囚われた意識を呼び戻すのは短時間では不可能。ならば方法は一つ、メイが闘うしかない。今それができるのはゼナの体だけだ。
メイが体を操るにはそれの意識が限りなく消失していなければならない。故にただの睡眠では体を操ることはできない。睡眠状態では意識がないようで存在している。体の操縦桿に触れようとすれば弾かれてしまう。
しかし、魅了魔法に掛かった今操縦桿を握っているのは魔法だ。ならばメイに武がある。
「一か八かの考えてだったが上手くいったらしい。まさかこんな形で体を持つことになるとはな」
ゼナは、いやメイは、ぎこちない動きで剣を拾い上げた。
「チャーム! チャーム!」
ラビリは焦りながらメイに魔法をかける。桃色の光が猛襲するがメイは全く意に返さない。
「無駄だ。魅了魔法は異性に向けることで最大限の効力を発揮する。男ではない私に効かん」
「え、あなた女の子だったの!?」
ラビリは変な勘違いをしたがメイは無視した。その口を黙らせるように剣を振りかぶる。
「消えろ、クソ女ッ!」
しかし、メイは剣に振り回され姿勢を崩した。
「ちっ……武器を使うには早かったか……」
メイは無造作に剣を放り投げた。
攻撃が外れたのを見てラビリは後方に跳び、距離をとった。
「私の十八番が破られたのは悔しい……けど、まだ終わってないわ! くらえッ!」
ラビリは懐から小さなステッキを取り出し、メイに向ける。先端から光が漏れ出し、魔弾となって発射された。
ラビリは次々に魔弾を連射しメイを攻撃する。その攻撃を見てメイはため息が出た。
この女は魔法を理解していない。
メイはその魔弾の群れを焦ることなく全て弾き飛ばした。
「嘘っ!?」
「おい、女! 一つ二つ教えてやる。魔弾はいわゆる基礎攻撃魔法と呼ばれる。その汎用性の高さと申し分ない威力、他魔法への応用派生のしやすさからそう名付けられた」
「そ、そんなこと知ってるわよ! 魔法使いの常識じゃない」
「お前は知っているだけだ。それは理解とは言えない。あんな猿でも対処できる直接的な攻撃……魔法使いとしてありえん」
「あなた何なの……?」
ラビリは縮こまって狼狽える。
「お前が理解できているのは魅了魔法だけ。それに胡座をかいて基礎を疎かにしている愚か者だ。魔法使いと名乗るのも烏滸がましい。そこらの酒場で働いた方がお前の為になるぞ」
メイは実に楽しそうにラビリをなじる。少年にボロクソに言われ、ラビリは目に少し涙を浮かべていた。
「うっさい! 私は立派な魔法使いなの!」
懲りずにラビリは魔弾を放つ。メイは呆れ顔で前方に飛び込み、迫り来る魔弾を一瞬、手で掴んだ。そしてそれをボールのようにラビリの足元へ投げつけた。
地面に着弾し、軽い爆発が起こる。ラビリの視界は砂塵にのまれた。
「魔弾を掴んで……うぐっ!」
行動を分析するもなく、砂塵の中から拳が飛び出しラビリの鳩尾に埋まる。
「魔弾というのは着弾から爆発まで約二秒要する。つまり、二秒間は素手でも触れられる。直線的に撃てば相手にいいパスを与えるだけだ。私はそれを暗にさし示してやったのに……頭に血を昇らせて、馬鹿の一つ覚え。もしお前が私の仲間なら殺している」
メイは蹲るラビリに向かって言葉を吐き捨てる。ラビリからはもう余裕の笑みは浮かばない。
「わ、わかってるわよ……私が未熟ってことは……」
消え入りそうな声でラビリは呟く。
「あなたの言うとおり。調子に乗っていたわ。だから今回は負けを認める。そして自分を見つめ直すことにする……」
「それは降参と捉えていいのか?」
「ええ、そうね私は……」
降参。そう告げようとした。が、ラビリは声を出せなかった。目の前の少年が首根っこを掴み彼の眼前まで引っ張り上げられたからだ。
「降参? そんな手を取らせると思うか? 言ったはずだ。私はお前の顔面を半壊させると。生まれて初めてだったよあの屈辱感は……これはお前が私のサンドバッグになることでしか精算できない。それに体を動かすにも慣れてきた……このまま元に戻るなど惜しくてたまらない。試運転に付き合ってもらうぞッ!!」
「い、いや……やめ」
恐怖に顔を歪ませ声を絞り出す。だが、メイは慈悲という言葉を知らない。首根っこを掴んだままラビリを地面に叩き下ろした。そして馬乗りになり拳を作る。
「安心しろ、この防壁の中じゃ殺すほど殴っても死にはしない。それに終わったら治癒魔法で綺麗さっぱり元通りだ。心の傷は知らんがな」
「何という一転攻勢! 魅了魔法で手綱を握っていたラビリ選手ですが、ゼナ選手がそれを打ち破り握り返した! それに先程の少年からは想像できない荒々しい闘い方、マドンナであるラビリ選手を容赦なく殴りつける! これには会場からブーイングが飛んでいます!!」
観客席からはゼナを非難する声で溢れていた。男性からは怒号が寄せられ、女性からは冷ややかな恐慌の視線が集まる。だからといってメイは止まることはない。ストレスと体を動かす高揚感でそんなものは耳にも入っていない。ただひたすらにサンドバッグを殴りつけるのみだ。
「ふふふ、フハハハハッ!! 中々に楽しめた。魔法使いとしては愚図でもサンドバッグとしての才能はある。よかったなラビリ?」
メイはそう言ってラビリの頬を二、三回叩く。ラビリは遠い目をしてピクッと痙攣するだけだった。
「もう終わりか、まあいい。チャームが切れかけてそろそろゼナが目覚めそうだ。名残惜しいが終わってやる」
メイは立ち上がり、ラビリの髪を引っ張った。
そのまま地面を引きずりながら防壁まで近づいて、ラビリを強く蹴る。
ぬるりとラビリの体が力なく武舞台から排出された。
「き、決まりましたッー! 勝者ゼナ選手!」
歓声の拍手は殆ど起きず、怒号が響き渡る。
「ふん、ルールの範疇で闘ってやったというのにうるさい奴らだ。五体満足なだけ有難いと……」
メイは突如言葉を切り、首を下にする。数秒目を閉じ、そして開く。
「……ん、ここは……」
深い妖艶の魔法から今、ゼナが目覚めた。
「よう、いい夢は見れたか? お前の性に対する耐性の無さでこっちは散々な目を見た。まあ一つの知見を得られたのは不幸中の幸いだったが……今後は私に苦痛を与えぬよう努力してもらいたいもんだ」
「な、なんの話……?」
ゼナはメイの言葉が何一つ理解できなかった。メイが体を動かしていた時の記憶がない。ラビリの前で剣を抜き、気がついたら目の前には誰も居らず剣もあらぬ所に捨てられていた。あと両拳が痛みを訴えている。
だがもっとも気になるのは……。
「クソガキッー! 早く失せろっー!!」
「男の風上にもおけん奴だ! ラビリちゃんをあんな目に合わせるなんて……!」
次々に飛んでくる怒りの声。主に男性から矢継ぎ早に飛ばされている。
「僕……何かした?」
青い顔でメイに聞いた。メイは欠伸をしながら答える。
「お前は何もしていない。ただ色に惑わされただけだ。観客が起こっているのはあれだ」
メイが指差した先には担架に載せられて運ばれようとしているラビリだった。彼女の顔面は酷く腫れている。何回も何かを打ちつけられた顔だ。
「それより早く観戦席に戻れ。次の試合が始まる。それに……この防壁が解かれたら、飛んでくるのは罵倒じゃすまんぞ」
水色の膜の向こうに空き缶やらを振りかぶっている観客が見えた。
ゼナは尻尾を巻くように武舞台からはけた。
「お疲れ……ゼナ」
リーズが試合終わりのゼナを出迎えた。若干引き気味の表情で…。
「えっと……リーズ、僕どんな風に戦っていた?」
恐る恐るゼナは聞いてみた。リーズは素っ頓狂な顔をした。
「どんなって……まさか覚えてないの!?」
リーズは信じられないという顔をした。その表情には少しの軽蔑が秘められてならなかった。
いったい何があったんだ……メイに問いただしたいがすでに体に戻り、睡眠状態に入った。
「最初はラビリの魔法にかかっていた。つまりは私の知っているゼナ。でもゼナが降参を宣言しようとしたとこから、変わった。まるで別人のような行動。ラビリの攻撃を難なく交わして彼女を鬱憤を晴らすように何度も殴りつけた」
「もしかしてその時の僕の一人称って私……だったりする?」
リーズは一度目をつむってさっきの戦いを思い出す。会話は騒乱の中で聞こえにくいとこがあったが確かにゼナの一人称は……。
リーズは深く頷いた。
「そっか、それだけ聞ければなんとなくわかったよ」
戦闘中の記憶のないこと。私という一人称。暴力的な行動。間違いないミーシャの時のように意識を失った僕をメイが操り戦った。その結果が……。
ゼナは観客席を見る。怒りに満ちた群衆と目が合い背筋が凍った。
メイは派手にやらかしてくれたみたいだ。
「ちょっと! 一人で納得しないでよ。気になるじゃ……」
「リーズ様。Bブロック第二回選のご準備をお願いします」
ばつの悪いタイミングでリーズはスタッフに呼ばれた。仕方なくゼナから離れ廊下に出た。
あの時のゼナの魔力……あれと似たようなものを感じたことがある。いやな勘違いであってほしい。リーズは祈るように思った。ゼナがあいつと同じ存在だなんて……嘘よ。




