25.誘いの理由
ブラッツェ森林に朝が訪れる。生い茂る樹々の隙間から太陽という希望の光が差し込む。それは新しい朝を、未知なる人生を歩む静謐なる目覚ましだ。しかし、ゼナの目を覚まさせたのはそんな静けさとは程遠い喧騒なものだった。
「ん…………うわああああっ!?」
目が覚めるなり、こちらに向かって狼型の魔物が一匹飛びかかって、いや、吹っ飛ばされてきた。間一髪で避ける。魔物はゼナが背中を預けていた大木に打ちつけられ、軟体生物の様にぐにゃりと力尽きた。
「ッ…………!」
「ごめーん! ゼナ! そっちに一匹飛ばなかった?」
声がする方向を見る。そこには、今力尽きた魔物二匹を相手にするリーズがいた。
「どういう状況?! メイ、何が……と言うかどうして起こしてくれなかったの?」
緊迫した顔でメイに詰め寄る。が、メイは冷静な顔でこう返した。
「必要ないからだ」
メイはリーズを指差す。彼女に向かって魔物がうなりをあげて飛びかかった。リーズはそれの首根っこを掴んで、地面に叩きつけた。
「ぎゃいん?!」
狼型の魔物は悲鳴を叫び、白目を向いた。仲間を害されたもう一匹が背後から襲い掛かる。隙が生じた今なら……。そう思ったのだろう。しかし、それは隙などではなく誘い込むための餌であった。
リーズは気絶した獣を振りかぶり、武器の様にして魔物を薙ぎ払い、手を離す。まさか仲間が武器にされるとは思わず、狼型の魔物は二匹まとめて森の彼方に消えた。
「えぇ…………」
「お前がいなくてもこの通りだ。だから起こさず休ませてやったんだ。感謝しろ」
「偶然起きなかったら顔面に魔物が当たるとこだったんだけど……」
「いい目覚ましになるだろ?」
ゼナは拳をギリギリと握りしめた。
「おはよっ! ゼナ、ごめんね。つい手が滑って……」
リーズは恥ずかしそうに笑った。
「怪我してないから大丈夫だよ。リーズこそ大丈夫?」
「私はこの通り、ピンのピンよ!」
「そっか、ならよかった。……そうだ、忘れ物は見つかった?」
「え……。忘れ物…………あっー、み、見つかったわ。うん。しっかり見つかったわ」
彼女は忘れ物を忘れていたようだ。
「それより! 起きたんなら行くわよ! 武闘の町バテヴに!」
「ああ、行こう!」
二人は森を駆け抜け、町を目指した。
「ここがバテヴ……」
町に着いたゼナたちを迎えたのはお祭り騒ぎであった。町一帯が武闘大会に染まり、屋台や、大会の宣伝、グッズなどがそこらかしこに見受けられる。
「す、すごい! 町そのものが祭りみたいだ……」
「ここの伝統行事だからね。だから町の中央にあれがあるわけ」
そう言ってリーズが指差したのは円形の建物。あれが武闘大会の会場らしい。バテヴは当初町ではなく、平野にこのコロシアムがあるのみだった。そこに名のある武闘の者たちが集い、武を競っていた。そしていつのまにか、道ができ、家ができ、町ができた。正に武闘の町。闘いから生まれた町。
「さあ、大会にエントリーしなくちゃね! 案内するわ」
リーズはコロシアムに向かって歩き出した。ゼナはきょろきょろと町並みを見ながら着いていった。
「到着! ここがコロシアム、バテヴの闘技場。近くで見るとまたすごいでしょ?」
「うん……! ここで戦うのか……。なんだか緊張してきた」
「ゼナは急遽の参戦だからね。大変よね。ま! 私がついているから。敵同士だけど応援してるよ」
リーズの天真爛漫さには大いに救われる。
「ありがとう、リーズ。精一杯やってやる!」
自分の頬を叩いて鼓舞し、いざ受付へ向かう。
「こんにちは! こちらはバテヴの戦場受付です。席のご予約でしょうか?」
受付の女性が愛想の良い顔で聞いてきた。
「いえ、ええと……大会の出場者としての受付で……」
「……? 大会のエントリーはすでに……もしかしてあなたのお名前はゼナ様ではありませんか?」
「え、えぇ……」
いきなり出た自分の名前に戸惑いながらも頷いた。
「お待ちしておりました。バーニンガ様からゼナ様の事はお聞きしております。身分証になる物の提示とこちらの用紙に記入をお願いします」
ゼナとリーズは目を合わせてキョトンとした。
「……はいっ! ご記入ありがとうございます。これにて正式にゼナ様を今大会の出場者として認めます。こちら、大会のルールと注意事項の載ったパンフレットです。よくお読みになって、明日の大会に備えてください。それでは何かありましたら、こちらまでお越しください。ゼナ様のご活躍を期待しております」
受付を終えて二人はコロシアム付近に移動した。
「ふっー。ともかく、これで大会には参加できるな。よかったよかった。ありがとう、リーズ。リーズがいなかったら僕……どうしたの?」
リーズは頭を悩ませながらゼナをじっと見つめていた。その視線は疑いと怪しみを孕んでいるものだった。
「え……?! ああ、ごめん。少し考え事。気にしないで……。それよりこの後はどうする? 私はもう少し鍛えようと思うんだけど」
「僕は遠慮しとくよ。野宿でくたびれたからベッドで寝ることにする」
「わかったわ。ゆっくり休んで、明日の大会で会いましょ! ゼナと闘える事楽しみにしてる!」
「ああ、僕もだ!」
二人は拳を交わし、別れた。
「さて、宿を取りに行こう……ん? なんか見覚えのある人が……」
ゼナは目を凝らして、コロシアムの裏口を見た。そこでは大会の従業員と子どもが言い争っていた。
「お願いしますよ〜バーニンガさんに合わせていただきたいんです! もちろん取材費はお支払いしますから〜」
「ダメなものは駄目だ! 第一ここは子どもが来るような場所じゃない」
「子どもじゃないです! 私はれっきとした大人です!! 明日には大会が始まってしまう。その前に真相を突き止めなければ! お願いしま……うへぇっ!」
子どもは最後にしがみついた足に軽く払われ地べたを転がった。従業員はぶつくさと文句を垂れ流し、裏口に入りこれ見よがしとばかりに大きな音を立てて鍵を掛けた。
「だ、大丈夫……ですか?」
子どもに近寄ったゼナは何故か敬語で話しかけた。それは今倒れ伏せた人物の正体がわかったからだ。
「ええ、大丈夫ですよ。このくらい慣れたもの……おや! ゼナさんではないですか!」
そう、彼女はプレラスでゼナの記事を書いた記者、ソフィーであった。
「ソフィーさんもここにいたんだですね。取材ですか?」
「ええその通りです。この町一番の祭事。見逃す手はありません! 腕に寄りをかけて記事を書きたいと思っています」
ソフィーは鼻息を荒くして背伸びした。
「さっきのも大会の取材ですか? なんだか揉めてましたけど……」
ゼナが聞くと、ソフィーは渋い顔をした。
「ええ、まあ、そうなんですが……極秘の取材なので話わけにはいきません!」
キッパリと彼女はそう言った。極秘の割には正面切っての突撃取材だったが……。深く考えるのは止めておこう。
「ゼナさんはどうしてこちらに? やはり武闘大会を見に来たんでしょうか。これは見逃せないイベントですからね〜」
「いえ、見に来たというか……出場することになったんですよ。体調不良で欠場した選手の代わりに」
「なんですって?!」
ゼナの言葉を聞いて、ソフィーは全身で驚きを表現した。
「…………」
そして黙りこくってしまった。
「あの、ソフィーさん……?」
「ゼナさんお時間よろしいですか? 少し付き合ってください」
鋭い眼差しで覗き込まれ、首を縦に振らざるを得なかった。
「お待たせしました。オレンジジュースとホットコーヒーです。ごゆっくりお召し上がり下さい」
ウェイトレスが一礼をして下がった。
ゼナはソフィーに連れられて喫茶店には入った。
店の角の席。こそこそと内密話をするのに打って付けのテーブル席に腰を下ろしている。
「さて、何から話しましょうか」
ソフィーはゼナの前に置かれたホットコーヒーと自分の前に置かれたオレンジジュースを交換しながら口を開いた。
「ゼナさんが武闘大会に参加する。ふー、それも欠場した選手の代わりに。ふー、実は私の取材はその、ふー、選手にまつわる事なのです」
真面目な顔をして話す彼女だが、合間合間に挟まるコーヒーを冷ます為の息が雰囲気を壊す。
「どうぞゼナさん飲んでください。私の奢りです」
彼女は少しカッコつけてゼナを促し、コーヒーを飲んだ。そして顔をしかめた。ホットコーヒーもカッコつけのようだ。
「ソフィーさんの取材って一体何ですか?」
「私はある方から依頼を受けて取材をしているのです。その方は今回出場する"はずだった"選手の恋人です」
そう切り出して、彼女は語り始めた。
私はこの武闘大会が開催される度にバテヴに訪れ、取材しています。今回私はある選手に取材を敢行しました。その選手は、バルト=アバーキ。前回大会で惜しくも決勝で敗れた男です。彼は今大会にリベンジを賭けていました。その熱量に私は打たれ、取材を申し込んだのです。ただ、それだけではありません。バルトはそのリベンジを果たせるだけの実力を持っていた。正直、今大会の優勝候補と言っても過言ではないでしょう。そんな彼に事件が訪れたのです。
私は今日の朝、いつものように待ち合わせ場所に向かいました。しかし、いつまで待っても彼は現れません。バルトはこの取材中、一度も遅刻をしなかった男です。それどころか私よりも早く到着して体を鍛えていることもありました。その彼が遅刻。私は胸騒ぎがしました。私の胸騒ぎはよく当たるのです。
私は急いで彼の自宅に向かいました。辿り着き、ドアを開けようとした瞬間、家から女性が飛び出してきました。それがバルトの恋人です。
彼女は清楚で清らかな女性で、苦悩するバルトを一途に支えた、笑顔の絶えない麗女でした。しかし私の前に顔を出したのは顔が病的に白く、絶望に満ちていました。私は驚愕し言葉を失いましたが、すぐに冷静になり問いただしました。すると彼女はこう答えたのです。
バルトが殺されたと。
「…………」
ゼナは息をするのも忘れて、ソフィーの話に聞き入った。彼女は一呼吸置いて、冷め切ってしまったコーヒーを口に入れる。もはや苦味に顔を歪ませる事もなく、思い雰囲気が漂う。ゼナも聞く姿勢を崩さない。オレンジジュースは手をつけられる事なく、グラスの氷がカランとなった。
続けます。私はとりあえず彼女の家に上がり話を聞くことにしました。最初は要領を得ませんでしたが、少しずつ落ち着きを取り戻し事の顛末を語ってくれました。
昨日の夜、大体十時を過ぎた時間にバルトが出かけてくると彼女に告げたそうです。その言葉に彼女は快く首を縦に振り、送り出しました。しかし、内心は穏やかではありませんでした。彼女は実は嫉妬深いタイプの人間だったのです。ここ最近武闘大会に熱を向けるバルトを嫉み、夜ぐらいは彼と過ごしたい。そう思っていた。なのに……。彼女はなんだか裏切られた気分でした。
それにしてもこんな時間に何処へ……。バルトに嫌われたくない一心で、根を掘るのを躊躇っていた彼女でしたがやはり気になります。そこで彼女はバルトの後をつけることにしました。彼に限ってはあり得ないと思いながらも、自分の目で見なければ気が済まなかったのです。
バルトは早足に何処かへ向かいます。その後を見失わない距離で彼女が追いかける。そしてバルトは人気のない裏路地に入りました。それを見て彼女は顔を青くしました。密会。バルトは密会をしている。そう思ったのです。嫉妬深い彼女は怒りの炎を燃やしました。こうなったら、密会現場を抑えてやろうと息巻きます。バルトの相手が来るまで息を潜める。数分の間が空いて、暗闇から人影が現れました。そのシルエットは男性。これには彼女も思わず胸を撫で下ろします。浮気ではなかったのだから。けれど、そうなると何故この時間に会う事が? 次の疑問が浮かびます。もう少し観察しよう。そう思った矢先、彼女の網膜に衝撃が映り込みました。
男性がいきなりバルトの胸を手刀で貫いたのです。ごぼっ、と嫌な音を立ててバルトの口から血が流れる。その後すぐにバルトの体は燃え上がりました。彼女は何が起きているのか分かりませんでした。しかし、目を背けてようにも体が動きません。だから彼女は見てしまったのです。炎で照らされたバルトを傷つけた人物を。
その男はバーニンガでした。
普段の彼とはかけ離れた地味な格好でしたが、顔はこの町では知らないものはいません。何より燃え盛る炎がその証拠。バーニンガは炎魔法の使い手なのですから。彼女はパニックに陥りました。そのパニックが彼女の体を動かすことにつながり、現場を後に家まで逃げ帰り、今日の朝私に出会うまで、心を病ませていたのです。
「彼女の話を聞いた私はまず現場に向かいましたが、そこには何もありませんでした。ただの裏路地。妄言かと思いましたが、それにしては壮大がすぎる。いっその事本人に問いただしてやろうと向かった訳ですが、門前払い。今に至ります」
彼女は話を終えて、最後の一口を飲み干した。
「……やっぱりミルクと砂糖を入れるべきですね」
小声でそう言ってカップを置いた。そして気がついた。ゼナが俯き、震えていることに。
「ゼナさん……? 大丈夫ですか? 長々と話しましたが間に受けないで下さい。私は確実な証拠がなければ信じないタチなので。今の所あのバーニンガが人殺しなのかは……」
「間違いないです」
ソフィーの言葉を遮り、震えた声で口を開く。
「はい?」
ソフィーは断言するゼナに当然疑問の声を上げる。
バーニンガがバルトを殺した。そう聞いた時、頭の中でバラバラだった。ピースが組み上がった。ゼナがバーニンガに誘われたのは昨日の朝。バルトが殺されたのは昨日の夜。バーニンガと接触した時点で、バルトは体調不良でもなく、大会に欠場もしていない。つまりは嘘になる。バーニンガはゼナを大会に出場させる為に……。
「僕のせいだ……。僕のせいでバルトさんは殺されたんだ……」
ほとんど泣き声のように言葉を紡いだ。ゼナの言葉にソフィーは戸惑いを隠せない。
午後の昼下がり、明るい喫茶店の中で二人が座る席だけが、切り取られ暗く冷たい絶望で塗り込められた様だった。




