21.救ってみせる
「準備はいいかゼナ?」
「……ああできてる」
ゼナは震えの混じった声で答えた。
猫を、ミーシャの母親を仰向け寝かせその横に立つ。剣を握りしめ反対の手に割れた瓶を持った。ゆらゆらと揺れる液体が緊張を物語っている。
「さっきの自信と覚悟はどうした?」
「いざ目の前に立つと怖くなったんだ……失敗すればミーシャのお母さんは助からない。只々殺すことになってしまう」
ゼナは自分がやろうとしていることへの責任と恐怖を重く受け止めていた。自分の脳が焼き切れる可能性も、毒物そのもののポーションを口にすることも覚悟できた。しかし目の前の命に刃を突き立てる一線に躊躇している。
「ゼナ。お前についているのは想像にして創造の魔力であるこの私だ。万一にも失敗はありえない」
「どうしてそう……言い切れる?」
「私だからだ」
メイは一切の淀みなく言い切った。
「私は私自身を信じている。この世で唯一裏切らないものは自分自身だ。それを自ら裏切るなど愚かでしかない。ゼナ。たとえ何も信じられなくても自分だけは信じろ。裏切るな。その心だけは絶対に忘れてはならない」
「…………」
ゼナの震える手が少しずつ収まっていく。メイの言葉は心の奥深くに刻み込まれた。一度救うと決めた。救いたいと思った。けど失敗することを、命を奪ってしまう可能性に恐怖した。その恐怖が救いたいと思った自分を裏切る行為だった。
「メイ。僕も自分を信じる。助けたいと決めた自分を。それだけじゃない。そう気づかせてくれたメイも信じる」
「そうか。ならば私も信じてやろう。そう決めたお前を。今日限りはな」
そう言って口角を吊り上げるメイはいつもと変わらない一言余計な奴だった。だけどそれで構わない。いつもの僕らで目の前の命を救う。救ってみせる。そう決めたから。信じたから。
ゼナは今度こそ完全に迷いの晴れた目で、震えのない手で立った。
「準備は……」
「……できてる」
二人は言葉を繋ぎ目を合わせ同時に笑った。
「心臓を突き刺してこいつが死に至るまで約三十秒。それを超過すれば死ぬ。お前は三十秒耐えろ」
「わかったよメイ」
割れた瓶を口元に持っていく。鋭い割れ口で口を切らないよう慎重に当てがった。
「ミー……」
それを見てミーシャは心配そうに鳴いた。ゼナはミーシャに笑顔で返した。
「大丈夫だよミーシャ。心配しないでくれ。僕は……僕たちは必ずやり遂げる。だから安心して待ってて」
ゼナの笑顔にミーシャは安堵を覚え、部屋の隅に小さく座った。
「……よしっ!」
ゼナは再度瓶を口元に持っていき数秒液体を睨み、一気に飲み干した。
「ゔっ! がぁ……あぁっ!!」
液体が喉を通った瞬間焼けるような熱が迸った。それから視界が揺らぎ歪み始めた。次いで激しい耳鳴りが起こり世界の音をそれ一色に染め上げる。
体中の血管が浮き出してひどく脈打ち体全体が心臓になった気分だ。今にも倒れてしまいそうだった。そもそも自分は今立ち上がっているのか、それすらもわからない。
ゼナはこのまま死んでしまうのではないかと思った。きっと一人では死んでいた。しかし、少年はひとりぼっちなんかでは決してない。唯一無二の仲間がいる。今回ばかりは素直な仲間が……
「……ナ……ゼナ! しっかりしろ! 意識を保て!」
聞き覚えのある声。その声は天から垂らされた一筋の蜘蛛の糸のようだった。ゼナは必死に掴みよじ登った。
「……はあ……はあ……」
歪んだ視界が元に戻った。激しい耳鳴りは静寂へ移り変わった。全身の脈打ちも同様に。
「少量でこの効力か……全くとんでもないものを作ったもんだ」
「メイ……僕は……」
「安心しろ命に大事はない。私が薬の副作用は抑えた。もう苦しくないだろ?」
メイの言葉通り体はとてもすっきりしている。それどころか全身から力が漲ってくる。副作用さえなければこのポーションは優れものだ。
「ここまでは準備。本番はここからだ」
「ああ、わかってるさ」
落としてしまった剣を拾い上げる。そして両手で逆手に持ち、猫の心臓部に狙いをつけた。後はこれを振り上げて下ろす。それだけだ。
ゼナは深く深呼吸をして剣を強く握り、覚悟とともに振り上げ己を信じて心臓目掛けて突き刺した。
剣は猫の胸を貫く。肉を裂いて突き進む感覚が剣から伝わる。真っ赤な鮮血が吹き出しゼナの体を汚した。これがスタートの合図。メイはすぐさま魔法の構築、発動に取り掛かる。
心臓を刺された事で猫は覚醒し絶叫を上げて足掻く。凄まじい力で自身に刺さった剣をなんとか抜こうとしている。しかしゼナがそれを阻む。今この手を離すわけには絶対にいかない。
「……離すもんかっ!…………がぁっ! ああっ!!」
必死に抑え込んでいると頭が沸騰したかのように熱くなり軋むような痛みが襲った。メイが魔法を使ったのだ。ゼナの体から光が溢れ剣を伝って猫の心臓部に流れている。
猫はますますの苦しみを見せている。当たり前だ。自分の心臓を刺され尚且つ得体の知れないものを体に捩じ込まれているのだから。ゼナを跳ね除けようとする力も相当だ。
「……くっ! うおおおおおおおっっ!!」
ゼナは雄叫びを上げて必死に耐える。剣を握る手は限界を超え血が流れる。それでも離さない。メイの掛け声を待ってただひたすらにできることをする。
「…………よしっ。ゼナ! 今だっ!引き抜け!!」
メイの声が頭に響く。視界はぼやけ思考がうまく働かない。だがこれだけは果たす。果たさなければ。
ありったけの力を込めて剣を握り一気に引き抜いた。剣は綺麗に抜け、余った勢いでゼナは壁際まで無様に転がった。
「メ……イ……どう……うまくいった?」
息も絶え絶えに聞いた。
「ああ、成功だ。見てみろ」
メイは親呼びでミーシャの母親を指す。胸が一定のリズムで上下に運動していた。それは心臓が無事という確たる証拠だ。
「僕たちは……やったんだ…………ね」
「不可能に思えたが成し遂げた。やはり私の魔法は素晴らしい。こんなことは他の奴にはできない。まあ、お前もよくやった。特別に褒めて……おい、しっかりしろ。まだ私たちの仕事は終わってない……お………目……け……」
「ゔぅ……あぁ……」
ゲホゲホと咳をしながら男は目を覚ました。頭がガンガンする。立ち上がり周囲を見回した。そうだここに逃げ込み、少年を罠に嵌めたのだ。
男は格子に近づき中の様子をみる。血痕が散乱している。壁の所々に破壊の跡があった。激しい戦闘が起きたのは間違いない。
部屋の中央には実験体三十一番が大きく寝息を立てていた。見たところ傷はない。部屋の壁際にだらりとした姿勢で少年が横たわる。衣服に血が付着しているのが見えた。
「僕に立てつくからこういう目に合うのさ……」
男は鉄格子を開け放ち中に入り少年の元に立つ。
「君のせいで僕の実験が停滞したんだ。どうしてくれる」
男は怒りのまま少年を踏みつけようとした。しかしその攻撃は受け止められた。
「なっ?!」
「おはよう。よく眠れたかい?」
ゼナはそう言うと男の足を思いっきり引っ張った。バランスを崩し、男は床に引き倒される。状況が反転した。
「な、なぜ生きている?! 実験体三十一番を前にして生きているはすがない!」
「あの子は実験体なんかじゃない。お前のおもちゃじゃない」
「……くっ……やれ! 起きろ実験体三十一番! こいつを引き裂けっ!」
男は助けを求めて叫んだ。しかしその声は届かない。
「いまあの親子は仲良く寝ているんだ。起こさないでくれ」
冷たい目で男を見下ろし踏みつける力を強める。
「ぼ、僕を殺すのか? そ、それはダメだ! 僕の研究は必ず人類の発展へとつながる。ここで私の頭脳を失うのは世界にとって悪手なんだ! なぁ頼む、た、助けてくれ!」
男は憐れな命乞いを始めた。何処までも自分本位な姿勢にもはや怒ることすら勿体無いとゼナは思った。
「安心しろ。お前は殺さない」
その言葉に男は安堵したようだ。体から力みが抜けたのを感じる。ゼナはその隙を突いた。何処からともなく現れた縄が男の体をきつく縛り上げる。
「お、おい! こ、これはどういうつもりだ! こ、殺さないんじゃなかったのか?!」
「殺さないよ。お前を警察に突き出す。今までやってきた非道な実験を白日の元に晒してやる。きっとお前は一生檻の中だ。そうなったらもう二度と実験なんてできない。強化人種の夢は潰えて消える。これがお前にとって一番堪える選択だ」
「ふざけるなッ!ガギがぁ! ぼくから実験を奪うつもりか! 実験は僕の全てだ。そんなこと許さないっ! 殺せ三十一番! このガキを八つ裂きに……むぐっ!」
男は顔を真っ赤にして猛るが今度は口に現れた縄に阻止された。
「んー! んー!」
口に縄をかけられ混乱しながらも男はまだ怒りを訴えていた。
「はぁ……こいつは死ななきゃ静かにならいんじゃないか」
メイが呆れた様子で蔑む。
「かもね……」
ゼナも同調して男から離れた。
眠っている二匹の元に腰を下ろす。魔法を使って気絶した後目覚めたら親子揃って仲良く寝ていたのだ。
ゼナは起こさぬようゆっくり撫でた。だがミーシャは目を覚ましてしまった。
「ごめんミーシャ。起こしちゃたね。ゆっくり寝てて。後は僕たちが……」
ゼナ……ありがとう。おかあさんをたすけてくれて。
ミーシャはテレパシーでそう伝えゼナの手に自分の手をのせた。
「礼を言うのは僕だ。君たちを助けることで少しは罪滅ぼしができた気がするんだ」
ゼナはミーシャにそう伝えたがミーシャは首を傾げるばかりだった。
「見ていてくれたかな」
天を仰ぎ森の小さな墓を思い浮かべた。




