20.救えるはずだ
目の前の獣はのたうち回る。自身に流れ込む魔力に痛みに吠え、苦しみに耐えている。その姿を見るだけでゼナの心は悲壮で埋まっていく。
「まず狙うべきは奴の手足の瓶だ。あれによる魔力供給を断つ。これは時間との勝負だ。長引けば長引くほどあいつは手が付けられなくなる。あの瓶が空になった時がお前の死と思え」
メイは凄んだ顔で脅しをかける。その言葉と表情にいつもの余裕はなかった。
暴れ回っている猫の周りの地面や壁はヒビが入っている。瓶の液体はまだ四分の一程しか減っていないにも関わらず、あのパワーである。早期決着は必至だ。
「ヴァオオオオ…………」
突如、先程まで暴れていた猫が打って変わって大人しくなり、じっとこちらを見つめ始めた。
「どうしたんだ……」
ゼナが疑問を口にした瞬間、猫は勢いをつけて飛び込んできた。
「避けろっ!」
メイが叫ぶ。それと同時に足が熱くなった。
指示通りゼナは横に向かって踏み込み、攻撃を避ける。跳躍の勢いで壁まで転げ回った。
「私に感謝しろ。私がいなければ今頃ああなっていた」
メイが視線を送った先はさっきまでゼナがいた場所だった。鉄格子に三本の深い引き裂き傷。金属であの様。自分がくらっていたら……そう思うと鳥肌どころではない。
「……ゼナ、剣を捨てろ」
「え?!」
「捨てろ。説明はちゃんとしてやる」
これから手足の瓶を破壊しなければならないのに、そのための得物を捨てる理由が検討つかなかった。しかし、メイの言う事は今まで全部正しく意味のある事だ。ゼナは素直に従い、剣を置いた。
「ヴヴゥ……」
鉄格子を引き裂いた後に鉄格子に頭を打ちつけた猫が怒りの形相で起き上がり、こちらに向かって再度爪を向けた。
「いいか、ゼナ。これからお前は攻撃を避け続けろ。身体能力は私がカバーする。奴の攻撃は速いが大ぶりだ。なんてことはない」
猫が雄叫びをあげて腕を振り回す。それをゼナはひょいと避ける。体が軽い。それにさっきより相手の動きが見える。
「その調子で避けながら聞け。お前に剣を捨てさせたのは身軽さの確保が一つ。もう一つはいくら私がカバーしたところで四つを剣で破壊するのは時間がかかる。その間に奴はパワーアップしてしまう。そこで、魔法による破壊を行う。瓶が割れる想像をするんだ。四つ同時に割れる様を。これが今思いつく最善の案だ。さあ、頭の中に想像しろ」
「そうは……言っても……避けながらじゃ……うわっ!」
ゼナが一瞬気を緩めた瞬間、猫の振りかぶった腕が頬を掠め、血が滴った。
「とにかく考えろ! どこか隙を見つけるんだ!」
メイはそう言うが隙などありはしなかった。猫は鉄格子に頭を打ちつけたことを学習し、無茶な突撃は行わずこちらの隙を狙っている。
ゼナはなんとか魔法を想像したかった。だがそれは即ち警戒を緩めるということだ。相手は確実に命を刈り取れる隙を疑っている。魔法を練れば死ぬ。
ゼナは隙を探しつつ警戒が解かれないかと期待して待つしかなかった。しかし、この睨み合いはどうあっても猫の方が有利であった。こうしている間にも瓶の液体は水位を減らし強靭な化け物へと近づけているのだから。
「ニャー……」
その時、か細い猫の鳴き声が部屋に響いた。目の前の巨大猫ではない。まさか……
ゼナの予想は的中。鉄格子をすり抜け子猫が……ミーシャが入ってきた。その姿にゼナは気を取られた。その瞬間、猫は尻尾を振ってゼナを薙ぎ払う。咄嗟に後ろに下がったが、尻尾のリーチには敵わずそのまま壁に吹っ飛ばされた。幸いメイのおかげで痛みは軽微で済んだ。しかし、隙を晒してしまった。このままでは追撃をくらう。致命の一撃を……!
そう思い身構えたが、猫はこちらに背を向けたまま固まりじっとミーシャに視線を見つめている。ミーシャも見つめ返した。ゼナにはその視線で会話をしているように感じた。二匹だけの会話を……
「ゼナ今だ!」
メイが叫んだ。ゼナは急いで頭に魔法を想像し発動させた。
ピシッと瓶にヒビが入り、やがて派手な音に変わり四肢の瓶は割れた。紫に色めく液体が溢れゆく。それと同時に猫は激しく絶叫し、床に倒れ伏せた。
「やった……のか?」
巨大猫は横たわりピクピクと痙攣している。魔力の負荷に耐えていたが瓶の破壊の衝撃でその糸が切れ気を失った。
「こいつはもう、放っておいていいだろう。時期に死ぬ。ミーシャを回収し、捕まっている奴らを解放して後は街の警察に丸投げだ。そうすれば万事解決……おい。聞いているのか?」
ゼナはメイの話を上の空に目の前の哀れな生き物を見ていた。人間のエゴで好き勝手に弄りまわされて、最後はこんな場所でただ死を待つ。そんなのは悲しすぎる。
「いいからミーシャを拾え。ここで無駄な時間を過ごすな」
ゼナの気持ちを知りながらメイは冷たくいい放つ。
そのミーシャは横たわった巨大猫に何かを訴えながら縋りついている。ゼナは腰を下ろしミーシャに手を差し伸べる。
「おいで、ミーシャ。怖かっただろう? もう大丈夫だ」
優しい声色で語りかけた。しかしミーシャは体の毛を逆立て警戒を剥き出しにする。
「ミーシャ、僕は……そうだこれ……見覚えがあるはずだ」
そう言って懐から取り出したのはアリシアから託されたリボンだった。それを見せた瞬間、ミーシャの逆立った毛が下り、表情も不安から安堵に変わった。
アリシア……の……おともだち?
頭に声が響く。幼い子供のような声。その声の主はミーシャ。間違いなく目の前の子猫がテレパシーを使い、ゼナと会話を果たそうとしている。
「ああ、君のおともだちのアリシアに頼まれてここまで来た。君を助けてほしいって。僕の名前はゼナ、よろしくね。さあ、行こう。アリシアが君の帰りを待っている」
ミーシャはゼナの言葉に安堵している様子だった。なのに差し伸べられた手に近づこうとはしない。まるで何かに後ろ髪を引かれているように思える。
「……もしかして、この子の事が気がかり? この子と君はどういう関係なのかな」
ゼナは気になっていた。ミーシャとこの猫の姿が似ていること。お互いに見つめあった時、どんな会話をしていたのか。
おかあ……さん。
「え……」
その一言だけでゼナを衝撃の渦へ巻き込むのに充分だった。巨大猫があの時どうして動きを止めたのか理解した。自分の子を前に暴れ回るのを止めたのだ。子どもにそんな姿を見せつけたくなくて…….
ゼナ……おねがい……おかあさんをたすけてあげて……
ミーシャは懇願するように体を伏せた。その姿に胸を打たれる。誰だってそうだ。自分の親がみすみす死んでいくのを看過なんてできない。助けを求めるのは当然だ。ゼナもこのままここを立ち去る気などなかった。きっと助けられるそう思っていた。
「メイ。力を貸してくれ。この子を助ける」
「……言っただろ。こいつは時期に死ぬ。それにこいつの体は元の大きさにはもう戻らない。普通の猫としては生きるのは無理だ。ならば殺してやったほうがこいつのためになる」
メイはまたもや冷たく言い放つ。しかしその言い方はどこかにつっかえたような感じだった。
「メイ。僕に嘘をついているね?」
ゼナは鋭い視線をメイにぶつける。
「なんだ? 私の心でも読んだのか? 私はお前の心を読めるが逆はありえない。何を根拠にそう断言する」
「確かにメイの心の声は全く僕には聞こえない。でもわかるんだ。まだ出会って日は浅いけど常に行動をともにしているんだ。さっきのメイの言葉にはいつもの自信が欠けていた。何か迷いがある。僕は迷ったメイを知らない」
「お前に私の何かをわかってたまるか」
メイはゼナの言葉を鼻で笑ったが、その目はどこか泳いでいた。ゼナはその目をじっと見つめる。
「チッ……ああ、お前の言う通りだよ。救う手立ては一つある」
ゼナの視線に耐えかねて白状した。
「今こいつの体内に回っている魔力ポーションが体を蝕み続けている。これを取り除かなければならない。その方法は……心臓を貫き、魔力を吸い取る」
「?! それじゃあ意味がないじゃないか! 結局殺すことに……」
「最後まで聞け」
ゼナの口に指を当てて制止させる。
「お前の言うとおりそのままでは死ぬ。そこで私の魔法を使う」
「想像魔法で……?」
「ああ、そうだ。心臓を刺し魔力を吸い取った後剣を引き抜く。その瞬間に魔法で心臓を創りだす。そうすればこいつは助かる」
「なるほど……だけど僕は猫の心臓なんて想像できないよ。見たことないし……」
「お前がする必要はない。魔法を使うのは私だ」
「メイが? でもその体は魔法が使えないじゃ……」
「そうだ。私の魔法は思考から発生する。今はお前の脳の思考を介して魔法を顕現させている。それをお前ではなく、私が行う。だが……これには問題がある」
メイは表情に少し影を落とした。
「私自身が魔法を使うにはお前の脳に私の思考を流し込むしかない。その際に流れる情報量はお前の脳を焼き切る可能性がある」
「脳を焼き切る……でも、それを耐えればこの子は助かるんだろ」
「簡単に言うな。今のお前と私の魔力では耐えられな……」
メイの言葉はゼナが手に持ったもので遮られた。その手には割れた瓶が握られていた。瓶の底には溢れ切らなかった魔力ポーションがゆらゆらと揺れ動く。
「これを飲めば魔力は充分だ」
「毒物って言わなかったか」
「メイがいれば死にはしない。そうだろ?」
ゼナは臆せずに言う。
「まあな。だが無傷では済まないぞ。凄まじい負荷がお前を襲う」
「覚悟はできてる」
ゼナの瞳には迷い一つ見えない。
「ふっ、一丁前な顔しやがって……わかったやろう。お前の覚悟に答えてやる。私もこのまま身過ごすのはどうにも癪だった。ミーシャに入っていたせいだな。全く最悪だ」
そう言うメイの顔は柔らかな笑顔だった。




