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ゼロの旅路  作者: イフ
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18.悪魔の科学者

 錆びついた冷たい梯子を踏み外さないよう慎重に進んだ。地に近づく度に鼻を劈くような臭いが強まっていく。梯子を降り切った時にはゼナは悪臭に塗れ嗚咽した。


「な、なに……この臭い……」

 鼻を塞いでも貫通してくる強烈な臭いに、涙を滲ませながら辺りを見渡す。ゼナの周囲には、ぱんぱんに詰められた黒いゴミ袋が山を作っていた。


「ゼナ、開けてみろ」

 躊躇なくメイは言った。当然、ゼナは臭いに耐えながら必死に首を横に振る。メイはそんなゼナを容赦のない視線の圧で押し流す。


 できるだけ顔を袋から離し、封を解いた。すると袋に充満していた臭いが解放され、蔓延し、地獄と化した。


「なるほど……」

 メイは袋の中をまじまじと見つめる。その中には幾つもの動物の死肉が重なり合っていた。まるで趣味の悪いおもちゃ箱だ。既に骨になったものもあれば、腐っている最中のもの、新鮮な血をゴミ袋の底に垂れ流しているもの、死から骨までの過程がゴミ袋の中に揃っていた。



「な、中はどうだった……?」

 青い顔をしてゼナが聞く。


「お前は見なくていい。ここで吐かれては困る。先を進むぞ…………やはり駄目だな。魔力探知がうまくいかん」

 こめかみを押さえつけながらメイは苛んでいた。


「と、とにかくこの部屋から出よう……鼻がひん曲がる……」

 魔力であるメイは嗅覚を持ち合わせていない為に血と腐敗で充満したこの部屋でも涼しい顔をしていられるが、人間であるゼナには耐え難い拷問であった。


 この部屋唯一の扉に触れ、音を立てないよう、ゆっくりと扉を開ける。すると見えてくるのは真っ直ぐな廊下と幾つかの扉。終点には左右の分かれ道。探索しなければならない箇所は多そうだ。


「私が見てくる。お前は身を潜めていろ」

 そう言ってメイは扉をすり抜け次々に部屋を見て回った。


 魔力探知は不能であったが、実体を持たないメイだからできる反則技で探索は五分と掛からなかった。


「どの部屋にもミーシャどころか生き物すらいなかった。あるのは薬品とホルマリンだけだ」

「じゃあ、次はこの分かれ道だ。どっちからいこうか」

「……っ! ああ、くそっ」

 メイが頭を抱え苦しそうに唸った。


「大丈夫?! メイ!」

「……ゼナ。左の道を進め。あっちから魔力の妨害波を強く感じる。まずはそれをなんとかしろ。そうすればミーシャも早く見つかる」

 苦痛に歪むメイの顔に駆られ左の道へと早足で向かった。

 

 薄暗く冷たい廊下の終点が見えた。そこには左右に二つの扉。メイは無言で右を指した。

 静寂を維持しながら重たい扉を開けた。踏み込んだ部屋は手術室であった。無機質で冷たい印象を放つ手術台。そして使い込まれたメスや注射器といった手術具。壁に目を向けると難解な数式が書かれた紙が壁一面に貼られていた。


 この部屋にいるだけで体が戦慄し、息がつまった。今すぐに立ち退きたかったがメイの為に、延いてはミーシャの為にそれはできない。


「ゼナ、あれだ。あれを……をぶっ壊せ」

 メイが指し示す場所には奇妙で不気味な装飾を施された水晶があった。いくつもの歪な手が水晶に雁字搦めに纏わりついているデザイン。悪趣味にほかならない。


 ゼナは背負ってた剣を抜き放ち、一息飲み込んで振り下ろした。水晶は一切の抵抗なしにバラバラに砕け散った。


「どう、メイ。よくなった?」

「……ああ、だいぶスッキリした。これで……ゼナ!! 後ろ!」

 メイが安堵した表情を見せたかと思えばすぐに緊迫した表情に変わった。急いでメイの視線の先に振り返ろうとしたが遅かった。背後に何かが見えたと同時に頭に強い衝撃が走り、地面が急速に視界を覆った。全身の力が抜け、ゼナの意識は暗い混濁の海に溶けた。




「よお、起きたか」

 薄ぼんやりとした光の体をもつ少女がゼナの頬を軽く叩いた。


「ボーっとしやがって。記憶喪失にでもなったか?」

「……なってないよ。メイ」

 ようやく半目をやめてゼナは目を覚ました。


「一体何があったんだ……?」

「殴られたんだよ。ここの施設の主にな。水晶を割った時の音に紛れて侵入。素早く背後に回り後頭部をガツンだ。くそっ……魔力妨害がされていたとはいえ、油断していた」

「いや……メイは悪くないさ。メイの分も僕が警戒して動く必要があったのに、どこか気が抜けていた」

 二人は同時に顔を暗くした。


「……はあ、まあいい。今はお互いに反省会をしている場合ではない。水に流そう。まずはお前の拘束をなんとかしないとな」

 ゼナは椅子に座らされ手足を縛り付けられていた。簡単には解けそうにない。


「メイ、魔力を僕の腕に集中させれば力押しでいけないかな?」

「それができたならとっくに提案している。この縄はただの縄じゃない。魔力を霧散させる成分が塗布されたものだ。私の力が及ばない」

「魔法でナイフを作って……」

「魔力を用いる以上同じだ。それに実体化したものを私はもつ事ができない」

 ゼナの案は悉く破り捨てられた。


「今って大分まずい状況……?」

「今更気づいたか?」

 なす術なし。二人は完全な詰みに陥っていた。いつも冷静沈着なメイも今ばかりは悩みの海に沈むしかない。


「ところで、僕って殴られたんだよね? にしては頭があんまり痛くない気がする……」

「私が治したからだ」

 メイは海に浸かりながら答えた。


「治癒魔法使えたの?!」

「そうではない。傷口を魔力で塞いだ。正確に言うと人間の自然治癒能力を活性化させた。魔力と自然治癒は密接な関係にある。魔力そのものである私はそれを倍以上に促進することが可能なんだ。だから擦り切れるまで深く感謝してもらおうか」


 最後の尊大な一言と表情で台無しになった気がするが、ゼナはひとまず感謝した。痛みは我慢しろと叱咤されるよりは百倍いい。


「!! 帰ってきたか……」

「帰って……? 誰が……」

 ゼナが口を開くとすかさずメイが口に人差し指を当てる仕草を行う。大人しく沈黙に徹した。すると足音が聞こえた。廊下のコンクリート床をコツコツと歩く音。それは着実にゼナのいる部屋へと迫っていた。


 ドアの前で足音が止まった。そして鉄の扉が地面と擦れる嫌な音と共に開け放たれた。


「おや、起きたのかい。どうかな気分は? まともな椅子がそれぐらいしかなくてすまない。少し我慢してくれ」


 白衣を纏い、眼鏡を掛けた男が台車と共に入ってきた。いかにも科学者といった様相。ゼナが殴られる寸前視界の端に写った男だ。


 ゼナは男を観察した後、台車を手術台の近くに置いた。そこにはケージが置いてあり、中身は……


「ミーシャ!!」

 ゼナは勢いよく立とうとした。だが手足が縛られているので腰だけが上がり、反動で椅子に戻された。今の動きで後頭部の傷が疼きをあげた。


「おいおい急に大声を出さないでくれるかな? この子が起きてしまうよ。まあ、麻酔が効いているからそう簡単には起きないだろうけどね。あははははっ!」

 実証するように男が大声で笑った。それだけで部屋が男の醜悪さで満たされた。


 ゼナは怒りに満ちた目つきで男に睨みを効かせる。だが男は全く意に返さず、むしろそんなゼナを嘲笑った。


「おやおや君は捕らわれの身だろう。生意気な顔はやめて、立場を弁えたまえ。……君は何故ここへ侵入した? そもそも何故ここがわかった。こんな街の郊外、廃墟。近寄りがたい場所だ。魔力妨害までしていたのにどうして……」

 男は悔しそうに親指の爪を噛み、貧乏ゆすりを始めた。どうも想定外の事が起きて苛立っているようだ。怒りが仕草に表れている。


「ゼナ、そのまま奴と話せ。なるべく話しを引き延ばして時間を稼げ。一つ思いついた事ができないか試したい」

 椅子と一体化して喋ることしかできないゼナは、素直に首を振り了承した。しかしメイに頼まれなくても話すつもりだった。この男には問いたださなければならない事が山ほどある。


「僕がここに来た目的はギルドの依頼だ。お前が誘拐したペットたちを連れ戻しにきた」

「はっ、あんなしょぼい依頼をわざわざ受ける間抜けがいるとはお笑いだよ。腹が捩れそうだ」

 男は皮肉を飛ばしたが相変わらず苛立っている。これは使えそうだ。ゼナは男の感情を利用することにした。

 

「質問がある。あの魔力妨害の水晶。あれはお前が作ったのか」

「ああ、そうだ。あれは私の作品の一つだ。世のどこにもない傑作さ。君が破壊してしまったが、また作ればいい。今度はより強力にしよう。近づくだけで魔力を蝕む兵器になる……さすがは僕だ」

「デザインも考えたのか」

「当たり前だろ? 僕の発明を、作品に他人の手など不必要だ」

「へぇーそうなんだ。僕はてっきり近所の子どもに描かせたと思った」

 ゼナは精一杯相手の神経に触れる顔と声を作った。


「……なんだと?」

 釣れた。


「子どもの落書きみたいって事だよ。大の大人がデザインしたとは思えないほど歪で汚い。それを作品として掲げるなんて僕だったら顔から火が出る」

 ゼナ自身も創造魔法で作り上げたものを子どもの落書きレベルと思ってしまうので、自分で言っていて心に針が刺さる。


「僕の作品を侮辱するのか! お前のようなガキにそんな権利はない!」

 男はゼナの言葉に激昂し、胸ぐらを締め上げてきた。椅子に縛られているため、手足が赤く悲鳴を上げる。


「お前までバカにするのか? あいつらのように。王都の研究者どもみたいに! 誰も僕の研究を、発明を理解しないできない! こんなにも素晴らしいのに! 世の中は狂ってる!」

 男はひたすらにゼナに鬱憤を吐き飛ばし、乱暴に手を離した。窮屈さから解放されて咳き込む。


「ふっ、まあいい。奴らへの復讐はまだだ。今は研究だ。」

 そう言って男は白衣のポケットから何か紫色の液体が入って小瓶を取り出した。


「これがなにかわかるかな? わからないだろう? これはね僕が研究に研究を重ねて生み出した魔力ポーションさ」

「それがなんだって言うんだ」

「これを今からあの猫に注入する」

「なっ……?!」

 男の言葉にゼナは狼狽した。それを見て男の顔に酷く歪んだ笑みが浮かぶ。まるで今度はこちらの番だと宣言するようだった。


「僕が何故、動物を連れ去っていくのか教えてあげよう。僕は日夜研究しているのさ。究極の生命体を作るために!」

 そう言って男は過去を語り始めた。


「昔、王都である実験がされていた。人間に魔力を直接流し込み、強化人種を作る実験さ。だが、その研究は最初の被験者が呆気なく死亡したことで中止になった。王都の連中は臆病者だ。倫理観に放り回され人類が進化する夢を簡単に諦めた」

「それが普通だ! 王都の研究者たちは正しい」

「いや、過ちだ。研究者ならばどんな犠牲を払っても結果を納めるべきだ。それが被験者への手向にもなる。僕は実験を続けるよう抗議した。すると奴らは私を異端者扱いして虐めぬいた。僕の発明を蔑み、汗水垂らして書いた論文を目を通す事なく、目の前で燃やした。挙句の派手に奴らは強化人種の責任を僕に押し付けて王都から追放した! けど僕は夢を諦めない。叶えるさ。強化人種を! 人類の更なる進化を! そのためには実験体が必要だった。人間では試行回数を重ねづらく効率が悪い」

「それで街のペットたちを……」

「始めからそうしたわけじゃない。最初は森で捕まえていたさ。だけどそのうち警戒されてしまい、捕まえるのが困難になった。その点、街の動物は人に慣れていて捕まえやすい。こういった理由だ。如何かな? 素晴らしい考えだろ? あっははははははは」

 男は腹を抱えて笑う。


「悪魔……悪魔だ! お前は!!」

 ゼナは時間稼ぎという命を忘れ、血が逆流する思いだ。それを見て男はより口角を釣り上げる。


「いいねぇ……その顔。捕らわれの姿にピッタリだ」

「ミーシャを解放しろ……他の動物たちも」

「さっきも聞いたがなんだそのミーシャというのは?」

「依頼主の女の子があの子につけた名前だ……!」

「ああ、逃げ出して住み着いたとこの。まったく困るなぁ……人の所有物に勝手に名付けてもらっては。あれは被験体三十二番だ」


 ゼナの怒りは有頂天に達した。この男は命を物だと思っている。研究と発明のために倫理観などドブにでも捨てたようだ。


 憤怒に駆られ手足に力を入れても縄の感触が強くなるのみだった。

 男はゼナの姿に愉悦して満足した。ゼナの胸ぐらを再び掴み宣言した。


「さっきも言った通りこのポーションを被験体三十二番に注入する。君はそれを特等席で見る事ができる。おめでとう。その目で科学の真髄を見たまえ……あはははははは!」


 ゼナは目の前の人の皮を被った悪魔に投げつける言葉は出なかった。同じ人間の言葉に考えに絶望してしまった。だからあとは人ならざるものに頼るしかない。白い光の少女に。


 暗い目でミーシャがいるケージを見た。すると何かがおかしいことに気づく。そう、ミーシャがいないのだ。そこにはケージしかない。格子を無理矢理捻じ曲げられたケージしか……


「では、実験を始めようか」

 手術台の方へ振り返り男はゼナから離れていく。そしてすぐに異変に気づき駆け寄る。


「なんだこれは……どうなっている?! 三十二番はどこに……」

 男が狼狽していると部屋の隅から何かが男に向かって飛んでいった。それはもろに顔面に当たり、男は無様に棚へと吹っ飛んだ。


 男を吹っ飛ばしたのはなんとミーシャだった。蹴りの反動を空中でいなし、華麗に着地する。


「…………」

 ゼナは一連の出来事に唖然とした。だが、さらに唖然とする事が起きた。


「なんとかうまくいったぞ。ゼナ」

 ミーシャからメイの声が聞こえた。

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