ふわふわした聖獣様とそのご家族と追放されかかっている聖女のわたし
頭を空っぽにして書きました。頭を空っぽにして読んで下さると幸いです。
「偽聖女ルスカ! お前との婚約を破棄させてもらう!」
ああ、ド定番来ちゃいましたね、コレ。
私は(婚約を破棄されたことより、定番が来てしまったショックで)あんぐりと口を開けました。
わあっ! と周囲から驚愕の声が上がります。大半は「あの馬鹿王子……やっちゃったんだ」という呆れを含んだものだった気がしますが、とにかく今、私は自分が置かれた状況を思い出して、慌てて口を閉じ、表情を引き締めました。
「……」
そんな私を、隣に立つ神官長さまが冷たい目で見ています。
ここが神殿であれば、「聖女にあるまじき間抜け面をあまねく晒すとは、今日も品位というものがお留守になっておいでで」とねちねちねちねち言われていたところです。いや、あの目付きが今もそう語ってますけれど。
(年中、前髪で顔を隠している人に言われる筋合いはないと思うのです)
私は少しむっとして、神官長さまをじっと見つめました。
もさもさ、ふわふわしている明るい色の髪。まるで羊のようなそれが、つぶらな目を半ば覆い隠すほど垂れていらっしゃる。ついでに丸眼鏡まで掛けているので、ごく近くに寄らないとその目を見ることは出来ません。いつも私に付き従っておられるので、多分私ぐらいでしょう。その目が深い海みたいな青緑色をしていることを知っているのは。
目に見えている部分、つまり顔の下半分から察するに、神官長さまは意外と若いのではないでしょうか。頬は少し丸くてつやつやしていますし、唇はほんのり赤くてぷるぷるです。10代、それも私より年下でも通るかもしれません。いや、体付きはしっかりしていて成人男性ぽいのでそれは無いのかな……
「き、聞いているのか偽聖女!」
王子に怒られてしまいました。
そちらにあまり注意を向けていなかった私が悪いので、怒られるのも仕方ありません。私は玉座の間、一段高くなっている上座に向けて、恭しく頭を下げました。
「ええと、申し訳ありません。婚約破棄でしたか?」
「くっ、このぽやぽや聖女め……緊張感もなく……だが、いつまでも余裕ではおられんぞ! ここに、お前の罪を余すことなくさらけ出して」
「あ、すみません、ちょっと待って下さい」
私が頭を下げたせいで、胸元が詰まって苦しくなったのか、ごそごそと蠢く気配がありました。私は胸元に手をやり、首の上まで覆う聖女の服のボタンを一つずつ外していきました。ある程度開いたところで、胸の谷間からぴょこん! と小さな頭が覗きました。
ふわっふわの毛並み。小さな丸い耳。毛玉かと思うぐらい丸まっこい寸胴の体に、申し訳程度の白い手足と尻尾がついています。黒々とした目が私を見上げると、わふっ! と鳴きました。
「ああ、聖獣さま。大丈夫ですよ。ただの婚約破棄みたいです。聖獣さまを煩わすことはありません」
「わふっ!」
「わふっ! ですか。楽しそうですね、聖獣さま」
実を言うと、聖獣さまが何をおっしゃっているのか、私には分かりません。ですが、聖獣さまが可愛らしいので、私はにこにこしてしまいました。
「……いや、その生き物、微塵も可愛らしくないですからね。むしろクズとゲスの塊です」
傍らで神官長さまが何か呟いておられますが、よく聞こえません。
その代わり、王子がわなわなと震えながら、ビシッ! と指を突き付けてきました。
「そ、それだ!」
「それ?」
「お前のそういうところが許せんのだ! 胸元に怪しい生き物を飼い、公衆の面前で胸元をはだけて谷間を見せつけるとは、その生き物が羨ましい……ではなく! 破廉恥すぎる! 聖女として恥ずかしいとは思わんのか!」
「だって……聖獣さまがここ以外では休みたくない、とおっしゃるので」
確かに恥ずかしいことです。しかし、逆に聖女だからこそ仕方のないことでもあります。私は何より聖獣さまのご意思を尊重しなければならないのですから。
周囲もそれが分かっているからこそ、私が聖獣さまのために胸元をくつろげる時には目を逸らして、素知らぬ振りをしていて下さるのです。
「聖獣聖獣聖獣と! そんな言い訳は聞き飽きた、私は我慢ならん!」
「……その気持ちはよく分かる」
傍らで、ぼそっと神官長さまが呟かれました。
「え、神官長さま、今なんと?」
私は首を巡らして訊ねようとしましたが、王子の声に遮られてしまいました。
「それもだ! その男、神官長とか言うが、常にお前の側にべったりと貼り付いて! 若い男を白昼堂々と侍らすとは、それでも聖女か!」
「白昼どころか、夜の寝所も共にしております」
神官長さまが淡々とした声で、王子に反論して下さいました。……反論? 反論ですよねそれ?
「し、寝所だと?! ま、まさか」
「そのまさかです。同じ寝台で寝ております」
「は、破廉恥なっ……」
王子が胸を押さえてよろめかれました。
さすがにこれは、聞き捨てておくわけにもいきません。私は慌てて、神官長さまをぐっと睨みました。
「神官長さま! どうしてわざわざ誤解を招くようなことをおっしゃるのです……同じ寝台で寝ていても、私たちの間にやましいことなど何も無いではありませんか!」
「今までは何も無くとも、今後も無いとは限りません」
「神官長さま!」
どうして、火に油を注ぐようなことをおっしゃるのでしょう。
私が困惑していると、立ち直った王子が顔を真っ赤にしながら叫ばれました。
「つ、追放だ、追放! お前も神官長も追放! この国から出て行け!」
……うーん、困りました。
王子の気持ちも、分からないでもないのです。ですが、私がこの国を出て行けば、聖獣さまも出て行くことになります。聖獣さまの守護を頼りにしているこの国が、それなしでやって行けるのでしょうか。
「まあ、何とかなるでしょう。では、参りましょうか、聖女さま」
神官長さまがあっさりと言い、私に手を差し伸べられました。
反射的にその手を取りながら、私は首を傾げました。
「……いいのでしょうか?」
「いいのでは? 聖女とは聖獣の妻です。それを勝手に王族の婚約者に据えたこと自体、契約違反で国ごと見放されても仕方ありません」
「……私は聖獣さまの妻だったのですか?」
私は驚いて、胸元の聖獣さまを見下ろしました。
ビーズのような黒い瞳が私を見返してきます。どう見ても愛らしい仔犬のような毛玉ですが、これが私の夫?
「それは聖獣ではありません」
「え?」
「端的に言ってただのクズ犬です」
「えっ、ひどい」
神官長さまが毒舌を吐くのはいつものことですが、ここまで酷いのはなかなかありません。私が当惑していると、神官長さまは長く尾を引く溜息をつき、
「聖獣は私です」
「え」
「信じられませんか? ほら、ちゃんと獣耳もあるでしょう」
頭を下げて、ふわふわの巻き毛に手を入れて、神官長さまが私に見せてくれました。ビロードのような柔らかそうな白い耳が二つ、その頭から突き出しています。私が「わあっ」と小さく声を洩らすと、ぴくぴくとその耳が動きました。
「完全獣形にもなれますよ。大きすぎるので、ここでは薦めませんが」
「神官長さまが聖獣……」
ということは、
「私に常にくっついてらっしゃったのは……」
「腰巾着みたいな言い回しをされるのは不本意ですね。私はただ、自分の妻を護っていただけです」
「な、なるほど……では、こちらは一体?」
私の胸元から顔を出して、ハァハァ言っている毛玉を見下ろします。
神官長さま、いや聖獣さまは物凄く嫌そうな顔をして、
「そのクズは、私の父です」
「父?!」
「我が父ながら、最低最悪な生き物です。やたら年取っている分、粗略に扱うわけにもいきませんし……その配慮をいいことに、息子の嫁の胸元に入り込み、手ずから餌を与えて欲しいとねだるとは。くそ、この野郎、ふざけんな、いつかブチブチと潰してやるからな」
「し、神官長さま」
「……失礼、少し取り乱しました」
聖獣さまはコホンと咳をして、いつもの取り澄ました表情を取り戻しました。
そうしていると、私の見慣れた落ち着いた神官長さまです。さっきは鬼のような形相と地獄の底から響くような声音だったような気がしますが、私の勘違いだったのでしょう。
「父も、『早く嫁を連れて精霊界に帰れ』と言っていますし。精霊界に参りましょう」
「そんなことをおっしゃっているんですね……」
私は胸元でわふわふ言っているお義父さまを見下ろしました。
聖獣のおっしゃっている言葉が分かればいいのに、と願ったこともあります。その願いが叶ってしまったようですが、今となると、別に叶わなくても良かったような気がします。それはともかく、
「帰還するぞ」
神官長さまがそう宣言されると、広間にひしめいていた人々の間から、金色の光が放たれました。
豪奢に着飾っていた紳士淑女のうち、半分ぐらいでしょうか、突然姿が消えて、バサッと衣服が床に落ちます。その中から小さな毛むくじゃらの生き物たちが這い出て来て、トコトコとこちらに向かって歩いてきました。
「わあ……可愛い」
私は思わず息を呑んでしまいました。
まんまるな体、長い耳、短い耳、宝石のような色とりどりの目、めいめい長さの違う尻尾を振っている姿は、皆違いますが皆可愛らしいです。皆様、聖獣さまの眷属なのでしょうか?
「聖獣が国を護るという契約でしたので。一族の者を遣わして、働かせておりました。国の中枢の半数が消えては、これから大変でしょうね」
聖獣さまが、長い前髪の陰から冷ややかに光る目で王子を見据えます。
王子はぐぐっと顔を歪ませ、
「へ、兵ども、参れ! この無礼な連中を今すぐ国境まで叩き出せ」
吼え猛る王子さまは、気付いていないのでしょうか……進み出てきた兵士のほぼ全員が、その場で獣姿に変わったのですが。
「国を護るって、結界を張るとかではなく、人材派遣的な意味だったんですね」
私がしみじみと呟くと、聖獣さまが頷かれました。
「その通りです。つまらない仕事でしたが、まあ、得るものもあったので完全に無駄ではありませんでしたね」
「得るもの?」
「……貴方のことですよ」
聖獣さまは言っていて照れたらしく、目を逸らしてぶつぶつと呟かれました。色素の薄い頬が赤く染まっています。冷静で不遜な方だと思っていましたが、可愛らしいところもあるのですね。
私が微笑ましく見上げていると、
「ええい、お前たち、桃色の空気を醸し出すな! どこまでも腹が立つ!」
王子がいきり立ちました。
あれ、ちょっと泣いていらっしゃる?
「お前たち聖獣がいなくなっても、人間だけで、人間の力で立派な国造りを成し遂げてやるんだからなぁあ! 人間舐めんなー!」
……本当に、頑張って欲しいものです。
「では、行きましょうか」
「はい」
私は聖獣さまに手を引かれ、背後にぞろぞろと眷属たちを引き連れて、皆でこの国を後にしたのです。
暗い王宮の庭に出ると、獣たちの体はぼうっと金色に光り、点々と輝く川が流れるようで、それは大層幻想的で美しい光景だったと聞きました。その最後の点が消えたとき、この国に聖獣というものはいなくなったのです。