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停留所

作者: マルケソ

 気がつけば……女は古い木造小屋の中にいた。

 そこは小さな停留所であった。


 窓から外を見ると、雪が静かに降り続け、道路を白く染めている。

 アルミの扉で外界とは仕切られているが、小屋の中はひどく寒い。

 女の口から、白い息が漏れた。


 周りを見ても、あいにく停留所には暖を取るものがなかった。

 仕方なく女は上着の襟を締め、小さく身体を震わせる。

 そして小屋にある木製のベンチに座ることにした。


 バスは来るのかしら……。

 古びたコンクリートの床に視線を落とし、女はそう思った。


 しんしんと降り積もる雪。外からは音一つしない。

 しばらくの間、女はベンチに座り、そうして時を過ごした。


 どのくらいここにいたのか……。

 ふと、停留所に近づく誰かの足音が聞こえた。


 音は停留所の前で止まる。

 そしてガラリと扉を開け、足音の主は中に入ってきた。

 それは男だった。


 女は彼を知っている……昔の恋人だ。

 四年ほど前に別れてから、会うのはこれが初めてだった。

 体つきこそ逞しくなったが、男の目は昔のように優しいままだ。

 

 ああ、そういうことか。

 女は男に呼ばれたのだ……と、理解した。

 

「……寒いわ」

 女は素っ気なく、自分を待たせた男にそう言った。

 男はすまなそうに微かに笑うと、女の隣に座った。


「バスは来るのかしら」女は、男に尋ねた。

「ああ、もうすぐバスは来る」男は頷いて、女に答えた。


 しばしの沈黙が二人を包んだ。


 女は何か話しかけようとしたが、何を話せばよいのか特に思いつかなかった。

 男のほうも同様に黙ったままで、ただ女の隣に座ったままだ。


 もうお互いに話すことはないのだ……と、女は思った。


 四年前の冬の日、男は女のもとを去り、この停留所から遠くに旅立った。

 友人たちは、ここで彼を見送ったのだろう。

 あの日も、今のように雪が降っていたのだろうか……。

 

「君の言うとおりだった」

 男は静かにそう呟いた。「やはり僕には無理だったようだ」


「だから言ったでしょう」

 女もそれに応えた。「あなたには無理なのよ……」


「そうだね」と、男は頷く。

「やはり最後は非情になれなかった。でも、後悔はしていない」

 男はもう一度繰り返した。

「後悔はしてはいない……」

 


 きっかけは……たった一発のミサイルだった。


 それが男の故郷を消し去り、同時に何万という命が消えた。

 彼の父も、母も、妹も……全てが炎に包まれたという。


 その時から、男は変わった。


「憎しみは止められない」そう言って、男は志願した。

 


 そこは異国の地。

 深い木々を掻き分けて、軍服に身を包んだ男は森を走った。


 手に持つ自動小銃が鈍い音を立てる。

 男は走った。この先にある敵の町を焼き払うのだ。

 憎しみを募らせて男は走る。


 不意に、森の中から一人の敵が現れた。

 それはお互い、思いがけない遭遇だった。


 いつもであれば男の指は素早く動き、銃の引金を引くのだろう。

 しかし、……その時は違った。


 あれほど憎んでいた敵を殺すことを、どうして男は躊躇したのか。

 目の前にいる敵が、女だったからか。

 その顔に懐かしい面影を重ねたからか……。


 一瞬だけ、男の動きが止まった。

 そして、それが決定的なものとなった。


 女が持つ自動小銃が、重く鳴り響く。

 次の瞬間、男の意識が消し飛んだ。


 

 停留所の空気が……静かに震えた。その振動はゆっくりと大きくなる。

 遠くからバスのエンジン音が近づくのが聞こえる。

 やがてエアブレーキの音を立て、一台のバスが停留所の前に止まった。

 男を迎えにきたのだ。


「そろそろ行くよ」

 男は立ち上がり、バスへと向かう。


「きっと私は……」

 女は、男の背中に向かって呟く。

「あなたを殺したその人を、ひどく憎むのでしょうね」


「すまない」と男は言った。

「でも……できれば君は、そう思わないで欲しい」


「勝手なことばかり言って」

 女は呟く。

「ほんと……」

 それ以上の言葉は、出なかった。


「すまない」

 男は最後にもう一度謝ると、バスに乗り込んだ。

 

 男を乗せ、バスはゆっくりと走り出す。

 

 女はまた一人となった。


 

 目が覚める。

 早朝――女はベッドの中にいた。

 いつもの見慣れたアパートの一室。


 ベッドから起き上がりテレビを付けると、男性アナウンサーの声が流れた。

 アナウンサーは遠い異国で流された、敵の血の数を伝える。

 彼の目は嬉しそうに笑っていた。


 女は、うんざりしたようにテレビを切る。

 そして、ベランダに出て外を眺めた。

 東の空が明るくなる。白い冬の町並みは静かなものだ。

 雪は……もう止んでいる。


 ふと、優しい風が流れた。

 風は女の頬をそっと撫でて、遠くの空へと昇っていく。


 風の行先を見て、女は思う。

 遥か遠い異国の地にいる男のことを……。


 女は、静かに目を閉じる。



 それは……小さな祈りであった。

 


   [完]


この話もかなり前の友人たちとの小説対決(マルケン杯)用に書いた小説です。

テーマはファンタジー。

楽しんでいただけたら嬉しいです。

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